・風さえ止んだ街で
・風さえ止んだ街で
それからの停止作業は非常に地味な絵面であった。しかも水力発電所の停止が一番手間取った。
何故ってこれは、ウィルトさえも預かり知らない案件だったからだ。
結論から言えばあの部屋、俺たちがいた外縁部を、ぐるっと一周して反対側にあった『機関室』に答えが眠っていた。
この水力発電所の停止マニュアルが無造作に放ってあり、それに倣って機関を停止させたのである。
ここだけいやに機械的で、上階にあってもおかしくないような計器類が、これでもかと室内に詰め込まれていた。
マニュアルに首っ引きになりながら、あれこれとボタンを押して、壁に備え付けられた、大きなレバーを下ろすと、すぐ近くでごうん、と大きな音がした。
これで水力のほうが停止したのを確認する。
「次はあの墓標みたいな柱を止めにいくのか。俺にも手順を教えてくれ」
「そうですね。魔法の設定については、私がやるしかありませんが、停止させること自体は二人でもできるでしょう。一つ私がやって見せて、手順も書いて渡しますから、それを元にやってみてください。後で私も点検してみますから」
「はーい」
やっと俺にもできそうなことが来た。ウィルトの転移魔法で風力発電所の一つに行くと、説明を受けながらの停止作業へと移った。
発電所の土管のような外壁にはドアが付いており、中には梯子があり、登って行くと要所に階というか、踊り場というか足場があるだけだ。
そして、ウィルトはその中ほどの階で降りた。建物の中央を、上から下まで貫く柱には、子どもの頭ほどのクリスタルが埋め込まれていた。
サイズが違うだけで、ここまでに見たものと外見が同じことを考えると、機材の規格はそれぞれ統一されていると考えて良さそうだ。
「まず魔力の流れが発生しているので、魔力の集積する回路自体の接続を切ります。羽を先に止めてはいけません。でないと中途半端に魔力が残って、誤作動を起こす可能性があります。そのためにはコレ、この小さなクリスタルを取り外します」
「それ素手で触って大丈夫なの?」
「これだけだと魔力が籠っただけの石ですから。羽とか水源といった、ここの魔力を使用している場所に、直に触ったら危ないですが」
彼は柱からクリスタルを外すと、無造作にその辺に転がす。どうやらこれで終わりのようだ。
「これから私の魔法で二人を他の発電所に転送しますので、今と同じように外していってください。終わったらこれを三度鳴らしてください。また次の場所に送ります」
そう言って彼が渡してきたのは、小さな鈴だった。そうだよな、また使い道のない拍子木とか渡されたらどうしようかと思った。
「離れていて聞こえるのか?」
「私の耳には届くようになっていますよ」
俺とパンドラがクリスタルを外し、ウィルトが魔法の回線の再設定を行うという、作業配分となった。
ウィルトが杖を翳すと俺たちの体は光に包まれた。そして次の瞬間には、俺は一人になっており、目の前にはここと同じ光景が、広がっていた。
「階段を一から上る羽目にならなくて良かった、ってぐ、この、あれ!? このっ!」
軽口を叩きなら、俺はクリスタルの取り外し作業にかかろうとした。しかしこの魔石は見た目よりもずっと重たくて、尚且つしっかりと壁に固定されており、想像以上に重労働だった。
*
残暑も遠のいた秋口。夕暮れ時を迎えて、屠殺の五時は既に暗くなっていた。
魔力が切れた発電所の風車は、自ら風を起こすことができなくなり、急速にその動きを鈍らせていった。今はもう動かない。
「ちょっと違うけど、これがここの本来の姿なんだ」
作業でかいた汗を拭きながら、俺は言った。
砂に飲み込まれつつある街。
風車は止まり、風も満足に吹かない。見渡しても緑はあまり見つからない。
この発電所ができる前は、もう少し違ったのだろうけど、結局そのもう少しの域を、出なかったらしい。
乾いて、平らかな、寂しい土地だった。
痩せ細っている訳ではないが、裕福とはとても言えないし、住人が去って傷んだ石造りの家々は、例え灯りが点っていたとしても、明るさや温もりを感じられただろうか。
透明さを感じられるほどに、何もない場所だった。何かを感じられることがない、とでも言おうか。
景観から、匂いから、音から、響いてくるものが、何も無かった。
「なんか、嫌だな」
「人のいなくなった街ってのは、こういうもんなのかねえ。あっさりと錆びついて、街っていう化けの皮が剥がれちまう」
パンドラの呟きは、どこか寒々しい。
「それでも、帰ってきますよ。故郷とはそういうものです」
ウィルトの呟きは、どこか物悲しい。
故郷か。俺のいた故郷。いい思い出が乏しい、良いことも大してなかった街。人も冷たく、知らない奴らが街角から毎日湧いて出る、嫌な街。
「帰ってくるかな?」
「来ますよ。そしてまた、ここを町にでも、村にでもするでしょう。土地を定めて生きていくというのは、そういうことです」
そういうウィルトの目は何処か、ずっと遠くを見つめていた。彼はめんどくさい人だから、きっとこの発電所や、エルフの人権のことでも、悩んでたりするんだろうな。
俺たちは、積もった砂さえ動かない町並みを、しばらく間、じっと見ていた。
夕日が早々に沈んで、辺りが暗くなってくる。やがて夜風が走り、屠殺を寂しく撫で始めた辺りで、パンドラに促されて、俺たちは帰ることにした。
今回の仕事は、たったこれだけで終わった。死んでいた街に、止めを刺しただけのような気がする。
所詮視察だ。できることがあっただけ、良かったと思うしかない。
まだ誰も助けてない。何も直してない。それはこれから、二人の言うように、方々のエルフに声をかけ、地道にやっていくしかないんだ。
自分のそう言い聞かせるが、それでも無性に落ち着かない。
振り向けば、空には物言わぬ一番星が輝いていた。それでも、動く雲と瞬く星の光は、いつかこの場所が癒され、時が流れ出すであろうことを、告げているみたいだった。
この世界で、初めて空しさと無力感を感じた。魔王の息子でも四天王でも、すぐにできないことがある。そんな当たり前のことに、今更少しだけ気が付いた。
「他にすることは、住民の足取りを追うことと、群魔のエルフに周知することですね」
「止せよ仕事の話は。今日はもういいだろう」
パンドラが苦笑し、ウィルトが転移魔法を使った。光に包まれた次の瞬間には、いつもの区役所の玄関がそこにあった。
「お帰りなさい! 三人とも、どうでしたか?」
すっかり抱き慣れた少年が、嬉しそうに駆け寄ってくる。その幻想的な緑髪をネコ耳ごと撫でる。二人も帰ってきたことを伝えて、中へと入っていく。
「ただいまミトラス。いつもありがとう」
「どうかしたの、サチウス。元気がないようだけど」
俺は『後でな』と言って、頭を撫で続けた。
このやりきれない気分は、布団の中で愚痴にして、消してしまおう。
そうだ、まだまだやるべきことはあるんだ。自分に言い聞かせて、俺は今日の所は仕事を切り上げると、ミトラスに甘えて過ごすことにした。
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文章と行間を修正しました。




