・昔語り
・昔語り
無事にトイレを済ませて顔も洗った。一日働き詰めでべた付いていた顔の状態も、リセットされて気持ちも入れ直すことができた。
俺は二階へと足を運んだ。見れば魔女たちは既に、自分たちの分の布を、ほぼ作り終えたところだった。
本当に髪の毛で編まれているらしいことは、触ると良くわかる。髪が一枚の布という面になると、絹に良く似た触り心地だった。例えに使われるだけあるが、これは髪質の賜物だろう。
「気に入ったかしら?」
不意に後ろから声がしたかと思えば、ユグドラさんが手に持った数枚の紙を見ながら、こちらに歩いて来るところだった。
「あまり知られてないし不吉と思われているけれど、魔女の髪は布の素材としては、相当に優れているわ。蜘蛛糸、私たちの体と並んでね」
手元の紙を覗き込むと、どうやら幾つかの案が既にできているらしく、ラフなスケッチが見えた。これに使う布を確認しに来たんだろうか。
「色合いだってそのままでも良いくらいだけど、これを染め直すとまた味わいが違うのよ。……人間には勿体ないくらい」
ユグドラさんが辛そうな顔をする。やっぱり複雑な気持ちだよな。魔王の息子の頼みとはいえ、魔物としては人間のために作るなんて嫌だろう。
「ああ、ごめんなさい。あなたも人間なのに」
「いや大丈夫ですよ。私この世界の人間じゃないし」
「まあ」
俺の返事が意外だったのか、ユグドラさんが呆れたような、いや、はっきりと呆れていた。そんなに驚くことだろうか。
「あれ、区長から聞いてませんでした? 私のこと」
「聞いていたけど、思っていたのと全然違ってたし」
「どんなふうに聞いてたんですか」
今気付いたけど、俺今ガールズトークしてないか。おお、リア充みたいだ。相手はモンスターだけど。
「そうね、あまり裕福な出身ではないのに、頭の回転が速く、それでいて情が深い。性格は短気で生活態度も良くないけど、粗野という訳でもない。こんなところかしら」
「なんか恥ずかしくなってきた」
人に言われて恥ずかしい部分と、褒められている部分とがあって、二重に恥ずかしい。
でも今の内容から、人物像を考えると、確かに俺を思いついたりはしないな。
「なんていうのかしら。姉御肌っていう感じの女性冒険者を想像していたから、実際は普通の人で、逆に戸惑ってしまって」
うん、わかる。実態を鑑みると『見た目よりいい人』くらいで留めて頂きたい。
詳細に話されると何故か外見にも補正をかけられるから。
「戸惑ったって言うなら、私だってそうですよ。何せ魔王の息子に召喚されたんですよ? 周りは魔物だらけで、慣れるまで大変だったんですから」
「ふふ、そうでしょうね」
そう、その魔王の息子だ。
俺はミトラスのことが気になっていた。
でも自分から詮索はしないと言った手前、それを本人にも、彼の知り合いにも聞くことは避けていた。
だがそんな気持ちとは関係なく、ユグドラさんは話し始めた。
「殿下は私たち下々の魔物にとって救世主でしたが、魔王軍にとっては崩壊の原因となった御方です。雨の前に吹く風のような御方、今は亡き魔王様からすれば天罰のような存在でした」
「区長は……優しい子ですよ。私にはそうでした」
言い回しから、今一つイメージできなかったので、普段のミトラスの姿を思い浮かべた。
ユグドラさんは掌から木の根を生やすと、それを人の形に編み上げた。萎れているのを見るに、どうやら老人のようだ。
「ええ、知っております。ですがその性分はお父上、魔王様とは相反するものでした。魔王様は人間の言葉が珍しく当たっている、生粋の暴君でした。理由もなく欲しがり、支配したがる。虐げる者も、人間魔物を選ばず」
掌の老人にスケッチした紙を軽く押し当てながら、彼女は続ける。俺はそれを見て、手近な机にあった色鉛筆を持ち寄った。
「殿下は対照的に、私共を励まし、喜ばせて下さることを善しとしました。誰に言われるでなく、教わりもせずに。私に初めて水と光をお与え下さったのです」
少し離れた所から、談笑する声が聞こえてくる。
魔女たちが会話に花を咲かせているようだ。
「……いつしか魔王軍の内部は、魔王様に隷属している者と、武断のみを求める者とで構成された魔王派、殿下の元で種族に囚われず、魔物の安住と文治を求める王太子派とに分かれていました」
古式ゆかしい帝国主義と、コスモポリタンの様相である。
「とはいえ王太子派は私共のような、戦えない魔物が大勢いました。それ故に、初めの内は魔王派が優位に立っていました」
文人が軍人に付け狙われる構図ってのは、どこでも変わらないなあ。
ユグドラさんがスケッチに色を塗って、それを俺に渡す。紙面に小さく『どう?』と書かれていたので『紐で絞るならもっとゆったり』と書いて返す。
「ですが、それも人間の軍勢が攻め込んで来るまでのことでした。殿下は現市長のタカジン殿と内通して、その見返りに我々の暮らしを手に入れられたのです」
「普段の気弱さからも想像も付かないですね」
手直しされた制服の絵が渡される。体の線に合うように作られていたのが、今度は布を余らせて、弛みが出ている。
紐で縛る場所に鉛筆で丸を付ける。ローブに当たる上掛けは、絞った状態で着るものであること、着膨れても縦の線は、しっかり保つようにと注文をつける。
「本当に。ですが最後には四天王全員の帰順と、人間の騎士たちによる、魔王様の討伐により、幕は下りたのです」
久しぶりに聞いたな四天王。
ここまで影の薄い幹部って、今は何をしているんだろう。役所にミトラスの顔を見に来たこともない。
「あの、四天王っていうのは」
「魔王軍で最高の力を持った、四人の将軍です。一人一人が魔王様のお命を脅かすほどの力量を誇り、それぞれが因縁の為に、魔王軍に籍を置いていたのです」
なるほど。戦いが終わって魔王が死んだから、いる理由がなくなったのか。
他の魔物に比べて殺伐としてるなあ。
「次です」
「あっはい」
ユグドラさんが新しい紙を取り出し、て改稿に取り掛かった。
「……あの方たちでさえ、最後は殿下の味方をしてくれたのです。私も殿下がいなければ、枯れ果てた無残な姿のままだったでしょう。今の私の姿は、殿下の愛の証なのです。私はそう信じています」
「惚気ちゃってまあ。羨ましいですなあこのぉっ!」
軽く茶化すと、ユグドラさんの髪にあたる枝葉が一斉に開花する。淡く白い桜のような花びらが、咲いては散る。
「すいません。そんなつもりじゃなかったんだけど」
彼女の顔が少し紅潮している。いいな。この人たちは幸せなんだ。でも、その急な開花現象はすぐに鳴りを潜めてしまった。
「サチウスさん。私たちは、あの方のおかげで束の間の自由を得ました。そしてあの方を自由にするため、或いはけじめとして、お側を離れることにしました。だけど決して、私たちの心が変わったなんてことは、ありません」
渡された新しいスケッチに、今度は俺が色を塗っていく。上に橙色、下は白か若草色とだけ書く。
「サチウスさん。これからはあなたが、あの方の側にいてくれるのかしら」
「……俺はそのつもりだけどね」
机上のスケッチを横に滑らせると、手の上に、手を重ねられた。顔を上げれば大きな茶色の瞳に、自分の黒目が移りこむ。
僅かに苛立ちを覚えたが、でもそれは、自分だって同じ気持ちになるだろうって、自覚があったからだ。
「ぼっちゃんのこと、よろしくお願いします」
「心配しすぎると、あの子がまた心配しますよ」
俺は答えを出さなかった。それは俺が一人で答えていいことじゃないから。
代わりに、彼女がもう一度書き直したスケッチに『採用案』と記入することで、手打ちにして頂いた。
程無くして下から大急ぎで蜘蛛たちがやってきた。真夜中に真面目な空気を出していたんだから、少しは汲み取って欲しいものである。
どうやらやっと糸ができたらしく、すぐにでも布にしてくれとのことだった。
「皆さん! この糸で布が揃います! そうしたら仕上げにかかりますよ!」
巻き糸を受け取ったユグドラさんが、周りの魔物に呼びかけた。
向こうもこの話はここまでにするようだ。一度だけこちらに向けた、淋しげな笑顔は、この夜だけのものだろう。
俺は去っていく彼女の背が見えなくなると、再び慌ただしくなった二階を後にした。
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