26 three months later
ソラ達が研究を始めて彼此三ヶ月の月日が流れた。
季節は、日本で言うところの真夏である。
茹だるような暑さの中、何故かソラの研究室は涼しかった。
「ごめん、遅れ――――涼しッ!」
ソラとリーシェより遅れて来たグリシーが研究室のドアを開くと、あまりの涼しさに驚いた。
「やあグリシー。今試験的にやってるんだけど、中々いいでしょ?」
ソラは今まで作成してきた実験レポートを見直しながら、そう言う。
「うん、凄い快適だ。有難うソラ君」
3ヶ月もソラと一緒にいると、感覚が麻痺したのか、グリシーもリーシェも大抵の事では驚かなくなった。
ソラが何かしたとしても「ソラだから」の一言で解決してしまう。
因みに今回は、分子運動を抑える事で冷却した空気を風魔術で部屋中に流動させている。
この魔術による冷房を、3ヶ月間の研究で明らかとなった魔術の仕組みに当てはめて考えると、以下のようになる。
ソラは意識的に分子運動を抑えようとした訳ではなく、空気そのものを冷却しようとイメージした。
すると、体内魔力がソラの持つ知識の中から”分子運動を抑制する”という方法を勝手にピックアップする。
もし、空気自体を冷却する事に関する正しい知識がない場合は、この時点で魔術は失敗である。
この術者の知識を自動的に選別する現象を、体内魔力の実現力とソラ達は呼ぶ。
この実現力によって選ばれた情報を元に「空気を冷却せよ」という命令が体内魔力に書き込まれる。
ソラが魔術の発動をイメージすると、その体内魔力は魔術を発生させようとした場所まで空気中の体外魔力を跳躍伝導し移動する。
そしてその場所に至ると、その場所の体外魔力に体内魔力が結合して反応が起こる。
この反応を魔術と呼ぶ。
今回の場合は広範囲に分子運動が抑制されるように体外魔力が働きかける術式であったため、それが発動した。
――3ヶ月で、ソラ達は魔術の仕組みについてこの段階まで解明することができた。
実験を繰り返し、数多の情報を纏め上げ、理論的に整備し、論理的に解明し、最終的に全員が理解し納得した。
異常な密度とスピードで求めていた研究内容は終了し、残るところは成果として発表する論文を書き上げるだけである。
「委員長もやってみたら如何?」
ソラの横の椅子に座っていたリーシェがグリシーに問いかけた。
やってみたら、とは冷房魔術のことである。
「君はできたのかい?」
「まさか。貴方が出来るとも思っていないけれど」
二人共魔術の仕組みについて理解しているため、無意識でも知識さえあれば体内魔力の実現力が魔術を発現してくれる可能性がある事を知っていた。
その事を理解してからは、二人は事あるごとに様々なイメージを繰り返しては魔術を発現させようと躍起になっている。
グリシーは目をつぶり、空気を冷やすイメージを作り上げた。
両手を前に出し、前方1メートル立方の空間を冷やす想像。
暫く魔術の発動をイメージし続け、グリシーは諦めた。
「……駄目だね、やっぱり知識が足りない」
ふっ、とリーシェは鼻で笑う。
グリシーは少しだけ悔しそうに顔をしかめつつ、椅子に座った。
「さて、今日は重大発表があります」
全員が席につくと、ソラはそう切り出した。
リーシェとグリシーはソラの言葉に注目する。
「ご存知の通り、研究が一昨日でひと段落、というか終わりましてですね、後は発表する論文を書くだけとなりました。なので、論文について相談しようと思います」
「相談、ですか?」
リーシェは何を相談することがあるのか、と疑問に思った。
「うん。とりあえず、このまま研究成果をそのまま全て論文に纏めて発表すると、確実に悪用される」
それはソラの元居た世界、地球の話。
かの有名なアルベルト・アインシュタインはその頭脳を尽く軍事利用され、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは特許権を軍人に執拗に狙われ使用許可せざるを得なかった。
解明した魔術理論を発表することでこの世界のバランスが崩れる危険を孕むことをソラは予め察知していたのだ。
「だから、当たり障りのない理論だけを発表するに止めようと思うんだ。一所懸命に協力してくれた二人には申し訳ないんだけど……」
二人に正当な評価を受けさせてあげられない、という気持ちが苛む。
「うん、僕はそれが正しいと思う。異論は全く無いよ」
グリシーは微笑んでそう言った。
二つ返事である。
「……有難う、グリシー。リーシェはどう思う?」
ソラがリーシェの方を向くと、彼女は失念していた事を悔いるような表情で言う。
「なるほどですね。そういった事についてもよく考えないといけないと思いました。確かに私達が頑張って研究した事が悪用されると思うと、腸が煮えくり返ります。どこまでの範囲を論文で発表するか相談しましょう」
ソラは二人の返事を聞いて、大変に嬉しく思った。
グリシーもリーシェも自分の評価など気にせず、研究の事そのものを大切に思っているということが垣間見えたからだ。
実際のところ、グリシーとリーシェの二人は評価など気にならないくらいのとんでもない研究内容に触れていたため、それだけで満足であった。
評価など得なくとも、既に莫大な経験値を得ているのである。
「有難う二人共。それじゃあ先ずは――――」
発表範囲の相談を開始する三人。
――こうして、たった3ヶ月でソラの魔術研究は終末を迎えた。
「魔術祭?」
論文についての相談が終わった頃。
グリシーは思い出したように魔術祭について言った。
「うん。魔術祭。あと1週間もすれば開催さ」
「魔術祭って、どんなことするの?」
ソラは学園に来て間も無く、また研究の日々であったので魔術祭について一切知らなかった。
教養の授業は一応受けているが、教養の教師が担任のヒーチでなかったからか、魔術祭の話は一度も出てきていない。
「うーん、えーっと、つまり……魔術の発表会みたいなもの、かな?」
「魔術祭は火水風土の4つの部門に別れて行われます。腕に自信のある生徒が部門に応じた属性の魔術の発表を行い、審査員に採点されます。自由参加型ですが、毎年参加者も観客もとても多い大きなイベントです」
聞いていられない、といった感じでリーシェが割って入る。
リーシェはやたらと詳しかった。
「リーシェとグリシーは出るの?」
「はい。私は全属性に出場します」
「僕は土属性にだけ出るよ」
実技の授業でも突出して実力のあったこの二人なら良い線行くんじゃないか、と思うソラ。
「へぇ~、二人共頑張ってね。応援してるよ」
「……兄さんは出場なさらないのですか?」
「え? うん。というか知らなかったし、あんまり目立つのは苦手だしね」
ソラがそう言うと、リーシェは少しほっとしたような顔をする。
「こう言っては失礼かもしれませんが……何と言いますか、安心しました」
リーシェは、学園長の娘。
その細い肩にかかるプレッシャーは尋常なものではない。
できることならば、全部門で優勝をしておきたかった。
「ソラ君が出たら全部門で優勝間違いないからね」
グリシーは自分の事でもないのに何故かドヤ顔である。
「はは、まあ出ないから安心して。それに、リーシェにとってはまたとないチャンスだからね」
アルギンに褒められるというのはリーシェの悲願。
ここは是非ともリーシェを応援したいと思うソラであった。
当のリーシェは、照れるように俯いて言う。
「そ、その事は……うぅ」
ソラには止むを得ず話してしまったが、これは本来リーシェにとって誰にも知られたくない思いである。
更にソラとグリシーへの負い目を作った原因でもあるため、3ヶ月経った今となっては恥ずかしい秘密であった。
勿論、リーシェは母親に認められたいという気持ちはまだあるが、ソラと一緒の時間を過ごす中で、その思いは以前と比べて沈静化しつつある。
何故だかは本人も分かっていないが、おそらくは充実した研究の日々と、研究によって培われた魔術に対する揺るぎない自信が、彼女の焦りにも似た感情を和らげたのだろう。
また、ソラにはどうやったって敵わないという諦念と、ソラに対する魔術師としての尊敬や憧れが、嫉妬心をかき消したことも大きい。
「ところで、グリシーはどうして土属性にだけなの?」
そう言えば、とソラは思い出したように言う。
「ああ、僕は土魔術が一番得意なんだ」
「え、そうだったのか」
3ヶ月もの間一緒にいて初めて知る事実であった。
「期待していて欲しいな、ソラ君」
グリシーはソラを見てそう言うと、何故か悪戯っぽく笑う。
「うん。一週間後だね。絶対に見に行くよ」
ソラは二人を応援するために魔術祭を見に行くことに決めた。
「ところで、兄さん。論文を書き終えたら、次は何の研究をするおつもりですか?」
研究室の施錠を終えて解散という時に、リーシェがソラにそう問いかけた。
「む、君にしては良い質問だね。僕も気になっていたんだ」
「貴方には何も聞いていません」
一言多いグリシーをあしらいつつ、ソラを伺うリーシェ。
「次の研究かぁ」
ソラは魔術の研究をほぼ自己満足でやっていたため、次の研究も恐らくは自己満足である。
やりたいことはとても多い。
だが、その中でもコレというものが既にソラの中で定まりつつあった。
「次は、”量子力学”。つまり――」
リーシェとグリシーの二人はそうと聞いて、何のことか分からない。
「――――テレポーテーション、だね」
二人はソラのその言葉を聞くと、突如胸に湧き上がった期待感を抑えきれず、笑みを零した。
お読み頂き有難う御座います。
3ヶ月で魔術理論がだいたい判明してしまいました。
1週間後は魔術祭らしいです。
次回は、システィと彼女の過去について。




