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英雄が壊す異世界  作者: 波白雲
終章:二人で観る世界
39/39

第39話:どんな世界であっても

「先生、アルファが動きマシタ」

「おっと……。いま行く!」


 俺はプロジェクトの状況をまとめていたノートを閉じ、よっこらせと立ち上がる。最近少し疲れているかもしれないが、気分が悪いわけではない。扉で待つシヨウさんと合流し、個室を出た。魔機研の廊下は今日も白い。


 俺達がプロジェクトに着手して一年。進捗は予想以上に順調である。


 最初に軌道に乗ったのは、加熱魔岩と魔岩布の普及だった。この二つは既に料理屋と式典で実績を積んでいたので、残る課題は一般市民への普及だけだった。


 この課題の解決には、マギアキジアにオープンした雑貨屋の店主と奥さんが大活躍してくれた。店舗に商品を置き、実演販売をしただけではない。他国への展開にまで協力してくれたのだ。輸出入のノウハウを持つジーナスさんの協力があったと聞いているが、全国の販路の開拓から在庫管理まで、一手に引き受けてくれた。


 この件を担当した魔機研メンバーがスゥだったのも関係しているかもしれない。スゥの大ファンである雑貨屋夫婦は、ほぼ毎日打ち合わせに来ていた。


 二つのヒット商品は、全国の一般市民に魔機研を知ってもらう広告塔になった。高まった注目を、スゥは最大限に活用した。魔機研の大会議室で、研究発表会を開催したのだ。正式名称は魔工学コンテストだが、『マココン』の愛称が広まった。


 第一回マココンでは、既にマギアキジアで先行実用していた発光魔岩が集客に一役買った。マココンの開催が決まる前から噂になっていたらしい。しかし当日に最も話題となったのは、レティとスゥが共同開発した新作。全自動加熱魔岩だった。


 加熱魔岩は込める魔力量で火力を調整するが、これは多くの人にとって簡単ではない。プロの料理人達はスゥとマチルダさんからレクチャーを受け、必死に使いこなせるようになっていったが、一般人には敷居が高かった。


 発表された全自動加熱魔岩は、レティの魔力貯蔵技術と、機人の制御技術を取り入れた初の一般家庭向け魔工装置だ。『魔工装置』とは、魔工学を利用する装置の総称である。


 予め魔力を魔岩に溜めておけば、言葉で指示するだけで火加減を調整できる。さらになんとなんと、事前に登録した料理であれば調理段階に応じた火加減の自動調整も可能だ! まだ量産できないので普及には至っていないが、既に注文が殺到しているらしい。一家に一台、と言える時が来るのもそう遠くないかもしれない。


 その後も次々と研究成果を挙げるレティだが、最近は別のことで忙しくしている。学校だ。通う方じゃなくて教える方……となるために設立会議に参加している。


 レティは先生になるのだ。研究をしながら教育も行い、学校の運営にも携わる……さながら教授のような働きっぷり。……レティシア教授か……カッコいいな。


 流石に一年では学校は建たない。ジーナスさんに基盤学校のことを教えてもらいながら、レティとヴァルさんが中心となって進めてくれている。スゥは言い出しっぺであることを気にしていたが、スゥにはスゥの、魔工装置の普及という仕事がある。


 さて。つまるところ魔工学を普及し、炎魔法の使用率を低下させる取り組みは、当初の目論見を遥かに超えて順調だ。


 残る課題はあと一つ。新人種、魔機人の創造。


 実のところ、身体の方は意外と順調に進んだ。オズさんから人体について教えてもらい、機人生成の要領で試行錯誤した結果、俺は『人』を造り出せるようになった。クレアの魔岩人工筋や、ゴーレムの頭部のような組織があることを除けば、ほぼヒト族と同じである。……オズさんと解剖した結果も、良好だった。今は毎週末に南半球まで飛び、地下空洞に隠れて数を増やしている。知能が宿れば完成……なのだが……。


「——とイウ具合で、今回も性能は良くナッテます」 魔機研の廊下を歩きながら、シヨウさんが報告した。


 表情は暗い。あまり良くない。研究は長丁場。成果を焦っては精神的に潰れてしまう。


「なるほど。近づいてるはずだ。着実に積み上げるしかないね」

「そうデスネ」


 俺は思い出した。 「ところでシヨウさん。前に頼まれてた件、今晩なら手配できそうだよ。どう?」

「エ! そうですネ……。はい! クレアを誘ってみマス!」


 普段、シヨウさんはマギアキジアの街中には出掛けない。竜人の姿はとにかく目立つからだ。しかし夜であれば、さらに空を飛んでしまえば、誰にも見つからない。


「よし、マチルダさんに伝えておくよ」

「ありがとウございまス!」


 ちょうど良く目的地に辿り着いた。最近よく開く扉を開け、実験室に入る。


 鼠色の肌が目に入った。 「おはようございます。ドコウ様」

「ああ、おはよう。アルファ」


 部屋の中央でアルファが出迎えてくれた。姿はこの一年で変えていないが、知能はかなり高度になった。挨拶を終えた今も、六本の腕を駆使して実験室を片付けている。


 確かにちょっと散らかりすぎだ。ここに居るはずのもう一人の姿が見えない。この一年で変わったのは、アルファだけではないのだ。


「……あ、我が主」


 実験室の奥から、髪を伸ばし、グッと女性らしくなったクレアが顔を出した。




 夜更け。魔機研の正面玄関の外で、俺とシヨウさんは待っていた。


「先生……僕、変じゃないでスカ?」


 この質問を受けるのは、これで何度目か分からない。


「あのね、何度聞かれても状況に変化がなければ答えは同じだよ。凄くカッコいい。……あんまり気にしてると、ミミカに怒られるよ?」

「う……。そうですネ」 右に一歩。左に一歩。 「ああ、ドキドキする……」


 シヨウさんが着ている服は、背中の大きな翼などを考慮した専用設計だ。少しフォーマルなデザインから感じられる大人っぽさに似合わず、シヨウさんには落ち着きがない。


「学会発表で大御所の先生にも動じないシヨウさんに、こんな一面があったとはね」


 あまりにかけ離れているので、ただの感想も茶化したようになってしまう。


「全く別物でスヨ! ……上手くいきますヨウニ……」

「神頼みでもしとく?」 俺は冗談を言った。 「この世界の神を知らないけど」

「神ならスグ横にいつもいまス」 シヨウさんは俺を見ていた。

「……そうか。君もそうだったのか……」

「エエ。僕は最初からコウデス。僕の神を信じてキタお陰で、今シアワセです」


 シヨウさんは落ち着いてきたようだ。


「そんなシヨウさんが、生身の人間に興味を持つなんてね」

「それは僕自身も驚いてマスガ——」

「おっと、来たみたいだ」


 家の方からこちらに歩いてくる人影。……が、二つ?


「あれ? ニナさんどうしたの?」

「お待たせしました。クレアがどうしても一緒にと」

「……なるほど」


 ニナさんの着物風の服に隠れたつもりのクレアは、しかし全く隠れていない。どうやらミミカは、だいぶ気合を入れたようだ。


「クレア。そのままでは私が帰れません」 とニナさんが言った。

「う……恥ずかしい……」


 どっちもこんな調子で大丈夫なのかな……と不安がよぎった時。俺の横から、シヨウさんがスッと一歩、前にでた。背筋はシャンとしている。


 クレアに向かって片手を出し、キリッとした態度で言う。 「クレア。凄く準備してくれたんダロ? 見せてくれないかな? ……まア正直、その後どうするノカ僕も分からないケド。ここまで来たラ、一緒に試行錯誤を楽しまナイト。いつもみたいニ」

「……シヨウ……。うん、理解った」 クレアがシヨウさんの手に自らの手を乗せた。


 凄く、嬉しそうだ。


「それに、今日のセッティングは先生が手伝ってくれたンダ。無駄にはできないゾ?」

「それは重要。……うん。行こう。……ニナ様、我が主、ありがとう。いってきます」


 シヨウさんはクレアを軽々と、そして丁寧に抱え、夜空に舞い上がった。そのままゆっくりと、マギアキジアで一番の料理屋に向かって飛び去っていく。


 俺とニナさんは手を振って見送った。


「……大丈夫そうですね」 とニナさん。

「そうだね。やれやれ」 家を見た。ほとんどの灯りが消えている。 「皆はもう眠った?」

「どうでしょう? クレアが何度も何度も見た目を確認してくるので、スゥとミミカは先程まで起きていました」

「ははっ。似た者同士だな。ってことは、そろそろ寝付くタイミングか……。起こしちゃ悪いし、少し散歩してく?」

「ええ。……果樹園の方はどうですか?」

「いいね」


 満月が明るい。夜更けに出かけるにはピッタリの夜だ。




 シヨウさんに呼ばれ、アルファが待つ部屋に向かう。ここ最近の日課だ。


「手応えはどう?」

「ダメですネ……」 シヨウさんが歩きながら言う。 「二週間ほど前と同じでス」


 俺達は頓挫していた。


「……先生……『心』ってなんなんでショウ?」


 アルファは学習することが出来る。我々人間と同じように。アルファは作業することが出来る。我々人間と同じように。しかし、どこか我々と違う。極めて事務的。


「……人間の精神的な作用の総称で——」

「先生」

「……刺激によって喜怒哀楽などが引き起こされる働きで——」

「先生……」

「……分からない。……俺もずっと考えてるけど、分からないな……。最初は、様々な情報処理が混ざり合い、一体として区別できなくなったものだと考えてた。処理の集合だと思ってたんだ」

「しかし、いくら処理を豊富にしテモ、できることが増えるだけで『心』を実現してる手応えがなイ……」


 そう。アルファには心が宿っていない。


「おはようございます。ドコウ様」 扉の先でアルファが言った。

「ああ、おはよう。アルファ」

「表情が優れないようですが、何かありました?」

「いや、なんでもないよ」


 そこにアルファは在る。しかし居ない。俺を気遣う振りをしているが、そうした方がいいと学習しただけだ。……『いい』ってなんだろう?


「……我が主、おはよう……」

「クレアもおはよう。夜更かししてない?」

「毎日それ訊く……。してない」


 寝ても覚めても研究だったクレアとシヨウさんだが、最近は出掛けることが増えた。料理屋に通う以外にも、ただ夜空を飛んだり散歩したり……二人の時間を楽しんでいる。


 結果、二人の作業効率はグンと上がった。下がったのではない、上がった。だから毎日報告することがある。前日に立てた仮説が一日で検証される脅威のペース。


 没頭すると、時間を忘れる。それ自体は良い面もあるが、何でも行き過ぎは良くない。世界が小さくなってしまうのだ。小さな世界に籠もって必死に考えていた問題が、広い世界に目を向けた途端、あっさり解決されてしまった、なんてのはよくある話だ。


 目を向けるかどうか。世界は認識した時に初めて生じる。外部に興味を持ち、はたらきかけることで得られる刺激。その刺激にそれぞれが色付けし、それぞれの世界が創られる。生物は皆、それぞれに違う世界を持っている。


「……ん……?」 何かが引っかかった。

「我が主……? どうかし——」

「しッ! ……ダメだクレア」

「……!」


 どうして違いが生まれるんだ? 価値観が違うのだから当然だ。


 山頂からの景色見たさに山を登る者は、道中に転がる木の実を気にも留めない。それを拾って食べたりしないからだ。木の実によって満たされる欲求が少ないからだ。登山者には地味な茶色に見えるその木の実は、しかし、げっ歯類の目には黄金色に輝いて映る。冬に備える彼らはそれを、血眼になって探している。


 登山者はげっ歯類に気付く。ほんの少し姿が見えただけで。自分の生命維持には全く関係ないにも関わらず。小さく、よく探さないと観察できないにも関わらず。登る足を止め、懸命に姿を探す。愛くるしい姿をひと目、『見たい』、という一心で。


「……そうか……」 自然と口から言葉が出た。アルファを見る。

「アルファ……。君は、やりたいことがないんだね」


 アルファは反応しない。星霊のように冷たい。


「先生、何か理解っタんですカ?」

「……うん。改めて考えてみたら、単純なことだったよ」 シヨウさんとクレアを順に見る。 「シヨウさんもクレアも、研究が好きだよね?」


 二人は同時に頷いた。


 クレアが口を開く。 「もちろん。それが生き甲斐……の一つ」

「うん。俺も二人と同じだ。俺達は学問を愛してる。ミミカは衣服を愛してるし、ヴァルさんは妹を愛してる」


 もう二人には伝わっているだろう。しかし言葉は止まらない。こうやって考えを言葉にするのが、俺は好きなのだ。好きだから、そうしたい。


「でもね、アルファは何も愛していない。何かをどうしようもなく求めたりしない。不合理だと分かりきってることに、身体を突き動かされることもない。クレアの言葉を借りれば、『生き甲斐』がないんだ」

「ソレガ僕達とアルファの違い。『心』の有無の違い、というコトですネ」

「たぶんね」


 俺の見落とし。星霊を見て分かっていたはず。できると思い上がっていたのだ。


 俺達は揃って、ため息をついた。アルファには、『愛情』を実装する必要がある。


 『愛』ってなんだ?


「……先生。僕にもアイデアが浮かびマシタ。刺激を受けたんダと思いまス」

「お、どんな?」

「アルファに……いや、全ての魔機人に、心を写しマス」




   *




 魔機研の裏の広場。シヨウさんは両膝を付いている。手を後ろに組み、俯いたままで。


 横に立つニナさん。握られた背丈ほどの長刀は、俺が魂を込めて作った太刀。魔力で黒く染まったその刀身は、風魔法でさらに切れ味を増している。


 クレアは両手を強く握り、唇を噛み締めている。視線はシヨウさんから離れない。


 ニナさんの気配が僅かに変化し、シヨウさんの首が転がった。


 クレアが駆け出す。倒れるようにしゃがみ込み、転がるシヨウさんを抱きしめた。


「……うう……うううううう……ッ」 必死に堪える目から涙がこぼれ出る。


 その腕の中で、シヨウさんはキラキラと消えていった。何も残らない。


「ドコウさん。これをお返しします」


 ニナさんから太刀を受け取り、慎重に鞘にしまった。


「ああ、ニナさん。早速、行ってくるよ」

「ええ」

「……じゃあ、レティ、スゥ。頼んだよ」


 俺の声を聞き、泣き崩れるクレアの傍に居る二人は頷いた。クレアも自分の力で何とか立ち上がろうとする。スゥが支えた。


 俺は岩バイクを生成した。




   *




 魔機研のアルファの実験室で、俺とシヨウさんの意見は割れていた。アルファに足りないものの正体に、見当がついた直後だった。


「ダメだ」

「しかし先生。他に方法は思い当たりマセン」

「今、思い付かないだけだ。研究とはそういう未知に対して——」

「先生」 シヨウさんが俺の言葉を遮った。 「僕の寿命、覚えてますか?」


 シヨウさんが片手を握り、開く。 「この身体は魔力に対応していマセン。最近、重たさを感じてるんでス。先生から聞いたサイトウの話から推測して、あと数年でしょう」

「……」

「たかだか数年、早まるだけです。それで研究の問題を解決できるのであれば……」

「本気で言ってる? 本気で、君の……君たちの数年を『たかだか』と?」


 クレアの表情が気になるが、彼女は俺の後ろにいる。シヨウさんからは前方。彼は一体どんな顔を見ながら、この話をしている。


「先生の言いたいコトハ分かります。でもやっぱリ、僕にとって研究は大事なものナンデス。それこそ、心を形作っていル。……一時期、僕はそれを忘れかけました。あの時の僕と今の僕。どっちが僕らしいですカ?」

「それは……」

「イヤな質問でしたネ。しかし、そうなんです。研究を軽視したラ、もはや僕は僕でなくなる」 シヨウさんは俺を見ていない。 「そんな僕が一緒にいても、意味はありまセン」

「うん。……我が主。ボク、シヨウに賛成する」 とクレアが言った。なんてことだ。

「……分かった。これ以上、俺がとやかく言うのもおかしな話だ」


 決行は来週に決まった。




 シヨウさんはあと数日で死のうとしている。


 魔人であるシヨウさんの肉体は死後に魔力に還り、拡散する。しかし心を宿した魔力は、しばらく形を維持する。これまでは星霊が回収し、新たな肉体に宿していた。


 その心には……魔力には、シヨウさんが学んだことが記述されている。つまり、人を愛すること。魔力は魔機人に書き込める。記述する必要はない。一部を転写するだけだ。


 ただし、データの転写と大きく違う点がある。魔力はエネルギーだ。保存則によって総量が決まっている以上、ロスなくコピーは出来ない。シヨウさんを細切れにして利用するようなものだ。十分な魔機人に転写する頃には、シヨウさんの愛情は、跡形も残らない。


 くそ……。


「……何か他に……方法はないのか……?」


 俺は魔機研にある専用の作業部屋で、机に向かって言葉を投げた。もうずっとそうしている。上等な木材で出来た立派な机も、ビッシリと書き込んだ研究ノートも、俺の言葉に、何も返してくれない。解決しない。役に立たないッ! 何が所長! 何が師だッ!


 ノックが聞こえた。……今、何時だ? 窓の外が暗いことは分かった。


「……どうぞ」

「……すまぬ。入るぞ」


 扉を開けて入ってきたのは、スゥだった。心配そうな顔をしている。


「ああ、スゥ。どうしたの?」

「……やはり、悩んでおるようじゃの。……シヨウ殿のこと」

「……うん。正直ね、かなり困ってる。……いや、困ってるというのは少し違うな。問題は解決するのに納得してない。つまり、我儘が通らなくて駄々捏ねてる……かな……」

「我儘……かの……」


 スゥは腕を組んで片足に重心を乗せた。片手を顎に当てて数秒、固まる。


「あ、ごめん。椅子使ってよ。……なんの用だったっけ?」


 スゥは礼を言いながら来客用の椅子に腰掛け、意を決したように口を開いた。


「……シヨウ殿の件で、考えがあるのじゃ。……聞いてもらえぬか?」


 俺の無意識下のセンサー達が反応した。予感がする。


「是非」

「うむ」 スゥは深呼吸して話し始めた。 「妾はの、尊敬と愛情は——」




   *




 あれから二週間。家に帰ってくるのは久々だ。正門で待っていたニナさんから、クレアは大半の時間を自室で過ごしていると聞いた。研究所の方ではない。


 皆が賭けた心の実装は、幸いにして上手くいっている。今、南半球の地下空間ではちょっとした都市が形成され、活気が生まれ出した。もう少し観察が必要だが、人類と交流できる日はそう遠くないだろう。


 コンコンコンッと扉を叩いた。 「……クレア。俺だけど、ちょっといいかな?」

 少し待つと、ゴソゴソ物音がした。扉が薄く開く。 「我が主。姿見せられない。何?」


 姿は見えないが、食事は取れていると聞いたし、これなら十分だろう。


「どうしても会いたいという知り合いがいるんだ。ちょっとだけでも、頼めないかな?」

 少しの沈黙。

「……我が主の頼みなら。でも、ボク汚いから、今みたいに扉越しじゃないと——」

「ありがとう。身支度の時間はある。助っ人も用意した」 俺は振り返る。 「じゃ、レティ、スゥ。頼んだよ」

「はい!」

「うむ。そなたが居ると風呂場にも行けぬ。下で待っておれ」


 素直に従い、俺は下に続く階段へ歩いた。


「わわ……二人ともどうしたの? 何か良いことあった……?」

「そうですね……。まずはクレアさんの顔が見れて嬉しいです!」

「細かいことは後じゃな。しっかり支度せんと、後悔するぞ?」


 背後からの会話を聞きながら階段を降りると、待っていたミミカと目が合った。


「じゃ、こっちも急ごうか」

「了解ニャ! だいたい出来てるから、調整だけニャ」

「うん、流石だね」




 もう、三度聞いた。


「……あの……こことか、変じゃないですか?」


 四度目。


「ウチの服に不満があるのかニャ!?」

「あ、いや。そうじゃないんだけど……」

「ほら、怒られた」 と俺は呆れた。


 魔機研の実験室で、俺とミミカの間に立つ彼はずっとソワソワしている。この実験室は、使っていなかった部屋を最近改装したばかりだ。他の部屋とは少々違うデザインだが、ちょっと懐かしさを感じる。この方が使いやすいだろうとのことだ。


「もし上手くいかなかったら……」

「……神頼みでもしとく?」 俺は訊いた。

「そんな非科学的な。神なんていませんよ」

「うん。そうだね」


 廊下から物音がした。四人の足音。


「ここじゃ」 扉越しにスゥの声。

「……新しい実験室? ボクに会いたい人って研究者なの? ……ボク、今は研究のことを考えられないし、なんでこの格好……」


 聞こえた声に、隣の彼が背筋を伸ばす。


「まあまあ、騙されたと思って!」 とレティ。

「そうじゃ。五分後も文句があったら、聞いてやるからの」

「……レティとスゥ、何か変わった?」


 強引に、とにかく連れてきてくれたようだ。二人ともありがとう。


「開けます」 ニナさんの声。


 扉が開かれた。ミミカ特製のドレスを着たクレアと、彼の視線が重なる。

 彼の姿は少し変わった。背中に翼はないし、肌に鱗もない。滑らかに一歩踏み出し、戸惑うクレアに声をかける。優しさと、愛情に溢れた声色で。


「……久しぶり。また会えたよ、クレア」

「……嘘……。そんなはず……ない……」 クレアは震えている。 「ボクのこと覚えてるの……? あ……。それって……」

「そうじゃないんだ。また生まれ変わって。真っ先に、愛する人に会いに……ピマシタ」


 クレアは走り出した。ドレスのことなんておかまいなしに、扉からの数メートルを転がるように駆け、彼の腕に受け止められる。しばらくの間、二人はただ抱きしめ合っていた。もう、俺達のことは意識の外に置いてきたようだ。


「……ボク、会いたかった……シヨウ」

「ああ、僕もだ」


 二人は互いの存在を確かめるように、キスをした。




   *




「——この頃から、南半球に住んでいた人達との交流が始まったの。誰もいないと思われてた南半球の認識が変わった時だし、文明が一気に発展し始めるきっかけにもなった。試験に絶対出る一番大事な時代よ?」

「うーん……歴史ってなんか苦手で……」


 飲み物をゆっくり味わう俺の耳に、女子学生の会話が聞こえてくる。


 都会の喧騒から切り離されたこの店は、俺のお気に入りだ。落ち着いた雰囲気の店内で、コーヒーの香りと味を楽しめる。店主のこだわりを感じるコーヒーは少々お高めだが、そのお陰か店内は混雑していない。むしろそれを狙った価格設定だろう。


 一人で本を読む老紳士、数人で雑談を楽しむ女性たち、勉学に励む二人組の学生、窓際で都会を観測する研究者と、その隣でコーヒーにミルクを混ぜる女性。


「あーあ、受験かー」 と快活な女子学生の声。

「大丈夫そう?」 物静かな女子学生が訊いた。

「得意科目は自信アリ。……歴史は心配だったけど、教えてもらった効果ありそう!」

「それは良かった。……一緒に行こうね、マギ大」

「もちろん! 約束したもんね」


 俺は窓の外に意識を向けた。せわしなく飛び回る車。近くに停まっていた車は走り出し、少し先の交差点を曲がって建物の陰に消えた。その建物の一番上を、この席から見上げることはできない。てっぺんが見えるより先に、窓の縁に至ってしまう。


 何かが小刻みに振動する音が聞こえた。さっきの学生の携帯端末に、メッセージが届いたようだ。


「……げ。パパから。『何時に帰るんだ?』って」 と快活な女子学生。

「迎えに来てくれるの?」

「そうみたい」

「いつも優しいね。平日は魔工エンジニアのお仕事で遅いんでしょ?」

「うん。大きなプロジェクトを任されたって言ってた」

「凄いね」

「うん」

「尊敬してるんでしょ?」

「……うん。正直、大尊敬。マギ大にいって、パパみたいなエンジニアになりたい」

「知ってる。……今日はもう帰ったら? 大好きなお父さんと過ごすのも大事よ?」

「大好きって言われるとちょっとなー……」

「大好きよ。『スキ』って色々あるじゃない? 私、尊敬する気持ちも『スキ』の一つだと思うの」


 俺は聞き耳を立てていた。この会話を盗み聞きすることが、俺の役目とすら言える。


「……うん。そうかも。……ねえ、続きはウチでやらない? 良かったら晩ご飯も」

「いいの?」

「もちろん! その方がたくさん勉強できるじゃん?」

「うん……そうね。そうするわ」

「やった! ママに送っとく! ……あ、パパにも返事しなきゃ」

「なら私も連絡しとくね」


 二人は店を出ていった。嬉しそうな顔をした男性が車で現れ、二人を乗せて出発する。


 静けさが増した店内に、コーヒーのいい香りが漂った。俺の隣に、店主がおかわりを届ける。あれ、いつの間に。


 女性はミルクを少量だけ注ぎ、ゆっくり混ぜる。そして香りを堪能し、口をつけた。カップを持つ左腕の袖口からブレスレットが覗き、白い石がキラリと輝いた。


「順調、ですね」

「そうだね。色々あったけど」


 店主におかわりを注文する。ミルクが必要かどうかは、訊かれなかった。


「今日もいい世界だ」

「ええ」

「次はどこに行きたい?」

「……そろそろ寒くなってきますね」

「そういえば、そうだね。ってことは……」

「はい。旬です」


 俺はこうして世界各地を巡り、観測を続けている。それが俺の責任。永遠と言えるほどの時間、続く使命。しかし全く苦ではない。むしろ、贅沢な時間だ。


 店主がコーヒーを届けてくれた。一口で、香りが満ちる。


「じゃ、これを飲み終わったら出発しよっか。今回はどうやって行く?」

「では、徒歩で行きましょう。ドコウさん」

「いいね。懐かしい」


 出会った頃にも歩いた道だ。景色は随分と変わっているはず。その変化も、楽しめる。


 二人でなら、どんな世界であっても。


 コーヒーを飲みながら考えにふける俺の隣で、ニナさんは微笑んでいた。

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