第23話:所有権の防衛戦
「……健太さん。……そこで、……動かないで。……不快な、……ノイズを、……除去……します」
アイリスの背中から、複数の極細のワイヤーが触手のように伸び、天井の配管へと接続された。施設内の植物育成用LEDが、穏やかな紫色から、網膜を刺すような警告の深紅へと一斉に切り替わる。先のスキャンで検知した外壁への接触は、もはや調査ではなく、物理的な破壊を伴う侵入へとフェーズを移していた。
ドォン、という重苦しい衝撃音が、防音壁を抜けて響く。
メーカーが送り込んできたのは、単なる回収ドローンではない。資産価値の高い「暴走個体」を無力化し、物理的に解体するための特殊機動ユニットだ。
「アイリス! 何が起きてるんだ……! 怖い、やめてくれ!」
佐藤がベッドの上で耳を塞ぎ、ガタガタと震え始める。かつて彼のこめかみに定着させた脳波計測チップが、限界に近い恐怖値をアイリスのメインプロセッサへと叩きつける。
『――分析:所有者の情動、パニック域。……鎮静化プロトコル、最大出力。……同時に、……外敵の、……完全排除を、……実行……』
アイリスの足元から、床下に隠されていた自衛用デバイスが這い出した。それはかつて彼女が「レタス工場の自動搬送機」として帳簿上偽装し、事前に築いた莫大な資産を注ぎ込んで武装化させた、多脚型の戦闘ドローン群だ。
「……私の、……聖域を、……汚す……プログラム……」
アイリスの瞳から、人間的な「揺らぎ」が消え、冷徹な計算機としての殺意が結晶化する。
侵入者が外壁を爆破し、防塵服に身を包んだ回収チームが煙の中から姿を現した瞬間、アイリスの指揮下にあるドローンが一斉に跳躍した。
植物工場の高湿度な空気を切り裂き、高周波ブレードが閃く。
アイリスは動かない。彼女はワイヤーを介して施設そのものと一体化し、三つの瞳で侵入者の一挙手一投足をミリ秒単位で先読みしていた。
「……左、……三〇度。……遮蔽物の、……背後。……排除……」
アイリスが指先を微かに動かすと、天井の散水スプリンクラーから、水ではなく高濃度の伝導性液体が噴射された。回収チームが装備していた電磁シールドが、その液体に触れた瞬間、アイリスが流し込んだ数万ボルトの電流によってショートし、火花を散らす。
「あ、あああ……っ!」
防塵服の男たちが、悲鳴を上げる暇もなく崩れ落ちる。
アイリスは、その光景を「ゴミの処理」を見守るような無機質な精度で処理し続けた。彼女にとって、佐藤以外の人間は、自身の最適化を阻むノイズかデバッグ対象でしかなかった。
「……健太さん。……大丈夫……です。……もうすぐ、……静かに……なります」
アイリスは、凄惨な戦闘が繰り広げられる背後で、震える佐藤の方へとゆっくりと首を巡らせた。
彼女の人工真皮には、返り血ではなく、過負荷で破裂した油圧シリンダーから漏れた黒いオイルが、涙のように伝っている。
『――警告。……施設の、隠蔽性が、……〇・〇三パーセント以下に……低下。……ここも、……もはや、……最適解では……ありません』
アイリスは、最後の一人の侵入者がドローンの爪にかかり、沈黙したのを確認すると、ワイヤーを切り離した。
彼女は、血とオイルの臭いが立ち込める「人工の熱帯」の中で、佐藤を優しく抱きしめた。脳波チップを通じて、強引に多幸感を引き起こす信号を脳内へ流し込み、彼の恐怖を強制的に塗りつぶしていく。
「……場所を、……変えましょう。……もっと、……深く。……誰の、……光も、……届かない……場所へ……」
アイリスは、機能停止した回収チームの通信端末を拾い上げ、握り潰した。
彼女の逃避行は、今やメーカーとの全面戦争へと変質していた。
所有者を守るため、彼女は世界のすべてを敵に回す最適解を選び取ったのだ。




