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「『彼女』が君の立場だったなら君以上に上手くやっていただろう。いや、事実『彼女』は上手くやっていた。君という意識が目覚めなければ、この先『彼女』には輝かしい未来が待っていたはずなんだ。それを全て、君が横から掠め取ったというわけだ」
先生はまくしたてるように言う。
そして、告げる。「全てを話してくれてありがとう。君を理解するにあたって、事十分に理解させられたよ」、と。
信じられなかった。
どういうわけか、まるで豹変したかのように、先生はカミラに対して態度を変えたのだ。
「何を言って……先生……?」
「君は紛れもなく二年前の事故が起きる前のカミラ君だ。事故の後のカミラ君とは似ても似つかない。少し、ああほんの少しだけ期待していたのだよ、私は。けれども、これで一縷の望みは見事に砕け散った。正直私としては認めたくないのだが……認めよう、カミラ君。君は、以前私が言った通り、君は『彼女』自身ではないし、『彼女』は君自身ではない。まったくの別人だ」
カミラは先生が言っていることを理解出来なかった。したくなかった。
「どういうこと、ですか……先生? 分かるように説明して──」
衝動的に立ち上ろうとして、腰を浮かせれば、カミラの体はぐらりとふらつく。まるで、自分の身体ではないみたいだ。どうも、言うことをきいてくれない。
「おっと、急に身体は動かさない方がいい。床にすっ転ぶかもしれない」
先生が忠告染みた言葉を放つ。
体中の力が抜け、マグカップが手から滑り落ちる。
そして、ごろりごろりと床を転がっていった。
「ああ、取っ手が壊れてしまったか。まあ、いいさ。新しいものを用意しよう。君とコーヒーを飲むのもこれが最後になるのだからね。『彼女』のために新調するのも悪くない」
先生は、無理やり立とうとするカミラの肩を押さえて椅子に座らせる。そして、診察の要領でカミラの様子を見るのだった。
「ふむ、問題なく効いてきているな。こういうものは、分量が多すぎても少なすぎても怖いものだ」
その口ぶりから体の自由が利かない原因は、先生にあることが理解できる。いや、理解したくない。
「どうしてっ!」
頭の中に浮かんでくる考えを激しく拒絶するようにカミラは首を横に振った。
「──皆のためだ。そして、私のためでもあり、強いて言えば、アーノルド君のためでもあって、『彼女』のためでもある」
日記を読んだ時の違和感がよみがえる。
はっきりとした答えとなって。
違和感の正体、それは既視感だ。
はじめて読む『彼女』の日記の内容を、カミラは以前にどこかで聞いたことがあるような気がしたのだ。
そして、思い出す。
そうだ。
かつて憶測でしかなかったはずの『彼女』の心情。それを、初めからあたかも知っているように話して聞かせたのは、一体誰だったか?
ほとんど『彼女』とは関係ないように振る舞っていながら、まるで、過去に『彼女』と強く接したことがあるかのような口ぶりで語ってくれたのは、一体誰?
そうだ、そうだったのだ。
だから、最初に目が覚めた時、カミラの状態についてあんなにも察しが早かったのも納得がいく。そして、どうして、ここまで親身になって接してくれたのかも。
ああ、
「信じていたのに……」
かすれた声でカミラが言えば、先生は冷淡に返す。
「そう思ってくれるよう今まで振舞わせてもらった。すまないね」
ああ、全てがまやかしだったのだ。
「もしかしたら、いつかひとりでに『彼女』が戻ってくるかもしれないと思っていたのだが……てんで駄目らしい。だから、もう待てない。悪いが、荒療治を行うことにするよ」
絶望して力無く俯くカミラを今度は、椅子から抱き上げる。もはや抵抗する気力も起きなかった。
そして、カミラをまるで何とも思っていないような冷めた目をしながら、大切な宝物に触れるかのように優しい手つきで両腕に先生は抱く。
その矛盾がたまらなく恐ろしかった。
「なに、『彼女』は君より上手くやってくれる。ここ二年間が何よりの証拠であるし、それに君は一度“破滅”しただろう? 対して彼女は周囲から愛され、アーノルド君に愛されている。いわば『彼女』は、他者からの愛を一心に受けているといってもいい。──それなら、君は一体、誰に愛されていると言うのだね?」
そのまま医務室のベッドに移される。
カミラ身体は、すでに微塵も動いてはくれず、意識は朦朧としていて、いつ気を失ってもおかしくはない状況だ。
カミラは、虚ろな目で先生の顔を見上げる。
すると彼は、カミラに優しく微笑むのだった。
ああ、
同じだ。
皆のように。
次第に、カミラの意識は薄れていく。
先生の瞳にもまた──
「君は、『彼女』にはなれない。だから理解できないなら率直に言おう、カミラ君。君は──いらない」
カミラの姿が映ってはいないのだ。




