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第1話 第0ピリオド、終了

「そこだ!逃がすな!」


石畳を蹴る足音が、背後から一気に迫ってくる。

振り返れば、鎧をまとった騎士たちが剣を抜き、こちらを真っ直ぐ追っていた。


「待て、違う!」


喉が焼ける。息が詰まる。


「俺は狼じゃない!」


叫んでも、騎士たちの足は止まらない。

その目に宿っていたのは疑念ではなく、討つべき敵を見る冷たさだった。


——なぜこうなった。


全ては、あの日から始まった。


-------------------------------------------------------------------


奥の道から、荷馬車が大きな音を立てて近づいてきた。荒れた道に揺さぶられながらも、速度は落ちない。


"……様。"


ふいに、どこか遠くで呼ばれた気がした。

だが、茂みに伏せた部下たちは誰もこちらを見ていない。気のせいかと荷馬車へ意識を戻す。


その後方には、人の背丈ほどもあるアースワームが何体も迫っていた。このままなら、馬車は予定通りこちらへ走り込んでくる。想定通りの進路。次の瞬間、鈍い衝突音が荒野に響いた。


荷馬車が大きく跳ね、車体が前のめりに止まる。勢いを殺しきれなかった馬がつんのめり、いななきとともに脚をもつれさせた。


「車輪に何かぶつかった! 追いつかれるぞ!」


御者の怒鳴り声が飛ぶ。

その一声で、荷台の中の空気が一気に崩れたのが分かった。布の覆いが乱暴に跳ね上がり、中から武装した人影が飛び出してくる。


護衛か。前衛二人に後衛二人。思った以上に数が多い。

四人はそのまま、背後から迫っていたアースワームへ迷いなく向かっていく。そな姿を見ながら、俺は部下たちへ手で制止をかけた。


「まだだ。出るな」


連れてきたのは若い連中を中心に十人ほど。獲物を前にして息が荒くなり、何人かは今にも飛び出しそうに足へ力をこめている。目つきも、もう落ち着いたものではなかった。


前衛の護衛がアースワームを斬り裂き、後衛の護衛が詠唱した火球が一体を黒焦げにする。彼らの動きに迷いはなく、群れはみるみる削られていった。機を見すぎた――そう悟った時にはもう遅い。


「うおおおおおぉぉぉぉぉ!」


その瞬間、部下の列から雄たけびが上がった。

若い一人が先頭を切って飛び出し、護衛へ向かって一直線に駆ける。つられるように、さらに三人が後へ続いた。


馬鹿!この状況で突っ込んでどうする。舌打ちを噛み殺しながら、俺は残りの部下へ鋭く手を振った。


副官のルドガーが若い部下達を腕で押しとどめながら鋭く叱責を飛ばしているが見える。


「待て。動くな」


ルドガーの制止のおかげでそれ以上の突出は抑えられた。だが、すでに飛び出していた四人は止まらない。商隊の護衛と正面からぶつかっていた。


突然の乱入に護衛の足並みがわずかに乱れる。その隙を突き、部下の一人が護衛の脇を抜けて、後方の魔導士へ斬りかかった。


だが、届かない。


振り下ろした刃は障壁に弾かれ、続いた三人も護衛と魔術に押し返される。炎に焼かれ、足を払われ、反撃らしい反撃も許されないまま、四人はあっという間に地に転がった。


茂みに伏せたままの部下たちを横目で見る。さっきまで血走っていた目は消え、今は露骨な怯えに変わっていた。


まずいな。このまま腰が引ければ押し切れない。それに、手ぶらで戻れば――俺が先に始末される。


「動くな。合図まで出るな」


低く言い残し、俺は草陰を伝って位置を変えた。正面からぶつかっても潰されるだけだ。なら、混戦に紛れて入り込むしかない。


アースワームの背後へ回り込み、短剣を放った。

刃はアースワームの肉へ深く突き刺さり、苦悶にのたうつ巨体が護衛の意識をそちらへ引き戻す。


草陰を蹴って飛び出し、できる限り切迫した声を張り上げた。


「旅の商人か?援護する!」


護衛たちは一瞬だけ面食らったようにこちらを見る。だが、俺がそのままアースワームへ斬りかかるのを見て、すぐには攻撃してこなかった。


「悪い、助かる!」


前衛の剣士が短く返す。近くで見るほど護衛は厄介だった。正面から戦っては勝てない。

そう判断している間に、最後のアースワームが倒れた。


「援護、感謝する」


剣士が武器を構えたまま声をかけてくる。口調は穏やかでも、切っ先はまだ下がらない。警戒が強い。


「大丈夫でしたか?」


剣士の背後から、控えめな女の声が聞こえた。

そちらへ視線を向けると、馬車の幌の隙間から金髪の女が不安げに顔を覗かせている。


依頼主が自分から姿を見せた。思わず胸の内で笑う。これなら、手間が一つ省ける。


「ええ、もう大丈夫です。ずっと馬車の中にいる必要はありません」


軽くそう促すと、剣士が止めるより早く、女は恐る恐る馬車から足を下ろしていた。


その瞬間を狙って、俺は一気に地を蹴った。


「きゃあ!」


馬車から降りた女が悲鳴を上げかけた瞬間、俺はその腕を引き寄せ、背後に回った。

声が大きくなる前に、喉元へ短剣を添える。


女の細い悲鳴に、胸の奥がわずかに軋む。

”女を脅して従わせるなんて、僕がいちばん軽蔑するやり方のはずだ。”


おかしなことを考えた。首を振って違和感を押し込み、剣士と槍使いに向き直る。


二人が踏み込もうとする。

だが、もう遅い。刃はすでに女の首筋に触れていた。


「依頼人の命が惜しいなら動くな。次に動けば、この女から死ぬ」


二人は足を止める。魔術師だけが杖を握ったまま、こちらの隙を探っていた。

その間にも、視界の端では隠密に長けた部下二人が草陰を縫うように後方へ回り込んでいく。


――上手くやれ。


「積み荷が目的だ。命まで取る気はない。だから武器を捨てろ」


「信じられるか。」


槍使いが怒気を含んだ声で吐き捨てる。その通りだ。俺が逆の立場でも、盗賊の言葉など信じない。

だが、それでいい。疑って足を止めてくれているだけで十分だった。

次の瞬間、背後で鈍い音が二つ重なった。


「がっ――」


短い苦鳴。振り向く間もなく、回り込んでいた部下たちが魔術師とプリーストを殴り倒し、そのまま地面へ押さえつける。


「よし、そのまま縛れ! 魔封じの腕輪も忘れるな!」


後衛二人は激しく暴れている。剣士と槍使いの意識が一瞬だけ後ろへ流れた、その隙を逃さず、懐から短剣を抜いて投げる。


狙いは槍使いの利き腕。短剣は一直線に飛ぶ。だが、槍使いは寸前で身をひねり、刃は腕を浅く裂くに留まった。


「後衛はもう使えん。武器を捨てろ」


槍使いは舌打ちしながら槍を構え直す。剣士と並んだまま、じりじりとこちらを睨み返してくる。しばらく睨み合いが続いた、その時だった。槍使いの指がふっと緩む。次いで、取り落とした槍が乾いた音を立てて地面を跳ねた。


ようやく回ったか。刃に塗った麻痺毒は、浅く入れば十分だ。じきに腕は完全に動かなくなる。


「全員でかかれ。殺すなよ!」


命じるや否や、部下たちが距離を詰める。剣士一人なら、真正面から打ち合う必要はない。投石と投げナイフで削り、動けなくなったところを押さえればいい。


「降参だ、武器を捨てる。命だけは助けてくれ……」


剣士が武器を捨てる。部下たちが一気に取り押さえた。

女の喉元に突きつけていたナイフを下ろし、そのまま背後へ回る。腕をねじ上げ、後ろ手に縛った。


四人削られたのは痛い。だが、まだ赤字と決まったわけではない。


"……後……様。"


また、呼ぶような声が耳の奥をかすめた。

反射的に顔を上げる。だが、すぐ近くにいるのは怯えた女だけで、俺を呼ぶ者などいない。


胸の奥に薄く棘のような違和感だけが残ったが、今は構っていられなかった。

俺は女に向き直る。


「お前が商隊の責任者か」


女は青ざめたまま、壊れたように何度も首を縦に振る。


「荷を改めろ」


部下が馬車へ向かうのを見送り、俺は女を見下ろした。

この女、商隊を任されるなら、読み書きも計算もできるだろう。顔立ちも悪くない。


身代金の当てがあるならそちらが先だが、なければ売ればいい。俺は女の顔を見たまま言った。


「誰が金を払う?」


女は青ざめた顔のまま、何を聞かれているのか分からないというふうに俺を見返した。


「……答えろ。いなければ、お前はそのまま売る」


口にしたあとで、自分の言葉がわずかに遅れて引っかかった。

人を売る。それを当たり前みたいに言った自分に、ほんの一瞬だけ違和感が走る。だが、目の前で怯える女を前にして、そんな感覚に構っている余裕はなかった。


ようやく意味が届いたのか、女の目がわずかに見開かれる。女は青ざめたまま、かすれた声で答えた。


「……払ってくれる人は、いません」


その答え方に、俺は眉をひそめた。

いない?


責任者が攫われたなら、誰かが慌てて金を積むはずだ。だが、こいつの答えは、まるで最初から、そうなると知っていたようだった。


「っ――」


視界がぐらりと揺れる。


「ルドガー。人質に傷をつけるな。少し離れる」


どうにかそれだけ言い残し、手近な石へ腰を下ろした。


声がする。


"……です。"

"……リオド……終了……です。"


何だ。

誰の声だ。


頭の中が真っ白に塗り潰される。

痛みが奥で脈打ち、景色の輪郭が崩れていく。気づけば、俺は静かな部屋の中央に立っていた。


白い壁。高い天井。足が沈むほど厚い織物。大きすぎる寝台と、低い卓に並ぶ見慣れない器。

金銀で飾られているわけじゃない。だが、安物じゃないことだけは分かった。


目の前には、奇妙な黒い衣装をまとった女。そいつは唇の端を吊り上げ、愉しげに微笑む。


「後藤様。第0ピリオド、終了です」

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