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09_再来(2)

 受け取った手紙の筆跡はやけに歪められており、男性か女性かもわからない。

 でもこの言葉だけで、フィリスを恐怖に陥れるには十分だった。


 カタカタと指先が震える。

 便箋が手からすべり落ちる。


 足元に落ちた便箋の裏側の端には、文字が書かれてあった。


『父親の命が惜しければ、ひとりで来い。

 ダウンストリート九番地。

 読み終わったら、この手紙は燃やせ』


 フィリスは言葉を失う。


(──まさか、お父さまが)


 フィリスは、急いで廊下に出る。


 ちょうど廊下を歩いていた男性使用人(フットマン)に声をかける。


「あの、父は、コッド子爵は戻ってきましたか──⁉︎」


 突然、背後から声をかけられ、男性使用人は驚きながらも、

「いいえ、今朝お出かけになられてから、まだお戻りではありません」

 丁寧に答える。


「そうですか……」

 フィリスは蒼白になりながら、廊下を引き返す。


 後ろから、

「コッド子爵令嬢? 大丈夫ですか?」

 と男性使用人が心配して声をかけるが、フィリスの耳には届かなかった。


 フィリスは部屋に戻ると、急いで扉を閉じる。


 ぐっとまぶたを閉じ、胸の前できつく両手を握りしめる。


 わずかに顔を上げると、おぼつかない足取りで暖炉の前まで行く。

 震える指先でなんとかマッチを擦って、手紙に火をつけ、そのまま暖炉の中へ投げ入れる。


 そして覚悟を決めるように、素早く上着を羽織ると、部屋を飛び出した。


 公爵家の使用人やメイドたちの目に触れないよう廊下を通り過ぎ、そっと屋敷を抜け出す。


 駆け足で表通りまで出ると、タイミングよく通りかかった辻馬車に向かって手をあげ、急いで呼び止める。


 御者に、手紙に書かれてあったダウンストリート九番地を行き先として告げる。


(お父さま、どうかご無事で──)


 フィリスは、両手を組み合わせて、一心に祈った。



 まもなく馬車は、目的地に到着する。


 馬車を降りると、フィリスは、ぶるりと身を震わせた。

 だんだんと日が落ちてきて肌寒くなっている以上に、恐怖を感じていた。


 不安げに、あたりを見回す。


 ダウンストリートは、父の下宿先があったミドルストリートよりも、さらに治安が悪くなると、セドリックから教えられていた。


 傾いた屋根やひび割れた壁、建物の影で何やらささやきあっている人相の悪い男たち、道端に力なく座る老人……。


 ここにずっと留まっていることすら、身の危険を感じる。


 そのとき、目の前で、一台の薄汚れた辻馬車が停まった。

 先ほどフィリスが降りた馬車ではなかった。 


 御者は、頭に被ったハットの下から落ち窪んた瞳をギョロリと覗かせながら、フィリスに目を留めると、

「……お嬢さん、乗んな」

 と一言、告げる。


 フィリスが戸惑っていると、御者は急かすように、

「あんたを連れて来いって、頼まれたんだ」


 フィリスは、目を見開く。

「誰にですか⁉︎」


 御者は億劫そうに、

「誰かは知らねえ、俺はただ依頼されただけだ。乗るのか、乗らないのか?」


 フィリスは覚悟を決めると、薄汚れた辻馬車に乗り込む。

 フィリスが乗るやいなや、馬車はすぐに走り出す。


 どこに向かうのだろうと不安に押しつぶされそうになりながら、外の景色を注視する。


 馬車は、見知らぬ薄汚れた通りを進み、幾度も角を曲がる。


 ややあってから、先ほどから馬車が同じところを何度もぐるぐると行ったり来たりしていることに、フィリスは気づく。


 どういうことかと、御者に声をかけようとしたとき、突然、馬車は急激に速度を上げ、走っていた通りを一気に駆け抜ける。


 石畳で舗装された街中から離れ、砂埃があがるでこぼこした道をひたすら進む。


 どこまでいくのかとより一層不安と恐怖が募る中、少しばかり森の中に入りかけたところで、ようやく馬車は止まった。


 あたりはすっかり暗くなっていた。


 フィリスを降ろすと、御者は何も言わず、立ち去っていった。


 目の前には、一軒の屋敷がある。


 それなりの広さがあることから、どこかの貴族の屋敷だろうと思われるが、あたりを見回しても、屋敷以外には木々や雑草があるだけ。屋敷の中には灯りがほとんど灯っておらず、誰かが住んでいる気配はない。


 フィリスは、足を動かせずにいた。


(この中に、お父さまが──?)


 そのとき、建物の窓の向こうに、ゆらりと動くロウソクのかすかな光が見えた。


 ロウソクの光は、手招きしているかのように、ゆらゆらと揺れ続けている。


 フィリスはごくりと唾を飲み込む。


 玄関へと続く階段をのぼり、両開きの扉に手をかけると、扉はギイイと軋む音を立てて開いた。


 恐る恐る中を覗き込んだ瞬間、突然、乱暴に腕をつかまれ、床に倒された。そしてそのまま、背中にのしかかられ、ぐっと押さえつけられる。


「──よく来たな」


 その声に、フィリスがわずかに顔を上げると、そこにいたのは、父が先頃まで下宿していた宿屋の亭主だった。


「なんで、あなたが──」

 フィリスは驚きながら、声を発する。


 すると、背後から別の声で、

「じっとしてな、まだ痛い目には遭いたくないだろう」


 振り向けば、フィリスの背中に曲げた膝を押しつけてのしかかっているのは、宿屋の女将だった。


 女将は、手慣れた様子で、フィリスの両手を後ろに回し、縛りあげる。


(なんで、宿屋の旦那さんと女将さんが──)


 信じられない思いでふたりを見やる。

 先日世間話をしたときの愛想のよさはみじんもなく、まったくの別人としか思えなかった。


 先ほどまでは誰も住んでいないように見えた屋敷だったが、いまや暗闇の中からは大勢の人の気配がする。

 それらは粘りつくような視線を、床に転がされているフィリスに向けている。


「おい、本当に、この大人しそうな嬢ちゃんが、稀代の悪女だったって?」

 亭主の男が、暗がりに向かって声をかける。


 稀代の悪女──。


 思わぬ言葉を耳にして、フィリスは目を見開く。


 すると、ロウソクの炎の前に、ひとりの人物がゆっくりと姿を現した。



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