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【番外編SS】はじめましての日(前編)

 フィリスが、セドリックとの結婚の許しを父から得たのは四日前のこと。


 その日の午後、スペディング公爵邸のセドリックの執務室で、フィリスは彼のための紅茶を淹れていた。


 父は王都での急ぎの仕事に目処をつけたあとで、領地に残して来ている妻にひとり娘であるフィリスの結婚のことを伝えるため、今朝早くに領地に向けて出発した。


(お母さま、きっと驚くわね……)


 フィリスは、父が母に話すときのことを想像して、少し申し訳ない気持ちを抱く。


 母も父と同じで、フィリスがスペディング公爵家という格上の家門に嫁ぐことをきっと心配するに違いない。


 体があまり丈夫でない母は、コッド子爵家の女主人として、社交界でうまく立ち回ることはもちろん、領地や家の中の管理などの役割を十分にこなせていない自身をふがいなく思っているのをフィリスは知っている。


 公爵家ともなれば、子爵家とは比べものにならないほどの重責があるだろう。

 それでもフィリスは、どんな苦労が待っていようとも、セドリックの隣にいるためならいくらでも努力して乗り越えていきたいと思っている。

 その覚悟の上で、セドリックと一緒にいることを選んだのだ。


 しかし、ふと不安がよぎる。


 セドリックの両親であるスペディング公爵と公爵夫人が、片田舎の裕福でもない子爵家の娘であるフィリスを受け入れてくれるかということだ。


 フィリスが父に結婚の許しを得たあの日も、父も同じ気持ちでセドリックに尋ねていた。


 それに対して彼は、さして気にしていない様子で、


『その点はご心配には及びません。当主である父も母も、私の結婚は半ば諦めているも同然でしたから。妻にしたい女性と出会ったと言えば、むしろよろこぶでしょう。朝早く、領地にいる父と母宛てに手紙を出しましたから、数日後には伝わるはずです』


 と答えていた。


 もしかしたらいま頃、公爵と公爵夫人は受け取った手紙を読んで、ひどく驚いているかもしれない。


(本当に大丈夫かしら……。ううん、だめでも、認めていただけるまで何度でもお願いするまでよ。身分差があるのは十分承知しているもの。至らないところは直せばいいのよ、もっともっとがんばるだけだわ)


 フィリスは、改めて決意するように頷く。


 すると、肩に手を置かれる感触があった。

 ふっと顔を上げると、いつの間にかセドリックがそばに立っていた。

 やさしく見下ろしてくれる眼差しに、フィリスは無意識に肩の力を抜く。


 そのとき、扉の向こう側が何やら慌ただしくなる。


 バタバタとした足音が響く。


 何事かと思っている間に、執務室の両開きの扉が勢いよく左右に開かれた。


 フィリスは突然のことに、驚いて固まる。


 そこには、フィリスの父よりも少し上くらいの年齢に思える、一際容姿の整った美男美女が立っていた。


 扉を開けたのは女性のほうで、盛大に両手を広げた格好だった。


 女性はすぐさま、キッとセドリックに目を向けると、

「──結婚するって、どういうこと⁉︎」

 声をあげる。


 フィリスは戸惑いながら、女性とセドリックとの間で視線をさまよわせる。


 相手の女性があきらかな年上に見えなければ、かつての恋人が押しかけてきたのかとさえ思える場面だった。


 セドリックはさらりと微笑み、

「ずいぶんと早いご到着で」

 と言って、女性の鋭い視線をかわす。


 女性は小刻みに震えながら、

「こんな手紙を寄越しておいて、じっとしていられるわけないじゃない!」

 手にしている手紙を宙に掲げる。


 握りしめすぎて、手紙はすでにしわくちゃになっていた。


(手紙……? もしかして──!)


 フィリスは、はっと思い当たるものがあり、急いでセドリックを見上げる。


 セドリックは、フィリスに視線を落とすと、柔らかく微笑んでから、

「私の父と母だ。王都に来るのはまだ先だと思っていたけど、駆けつけて来たようだ」

 軽く肩をすくめて見せる。


 フィリスは驚きのあまり一瞬よろめきそうになったが、それでもかろうじて踏みとどまり、姿勢を正す。


 緊張で体が強張りそうになるのを堪えながら、急いで淑女の礼(カーテシー)をしようとした。


 しかしそこで、セドリックの母である公爵夫人がぴたりとフィリスに目をとめる。


「あなた、あの子の隣に女の子がいるわ!」

 自分の横に立つ夫である公爵に向かって叫ぶ。


 公爵は穏やかに微笑んで、

「ああ、いるね」

 と答える。


「わたくしの見間違いじゃないわよね!」

「そうだと思うよ」


 公爵夫人は興奮したように、フィリスとセドリック、公爵の間で忙しなく視線を動かす。そして公爵に向き直ると、

「頬をつねって!」

 長身な公爵を見上げ、ぐいっと頬を差し出して言った。


 公爵は白い手袋をはめた手を伸ばすと、自身の頬をぐっとつねる。


 すると、すかさず公爵夫人は、

「違うわよ! わたくしの頬よ!」

 少女のようにむっと頬を膨らませる。


 公爵はうろたえながら、

「きみの頬をつねるなんて……」


 公爵夫人は、地団駄を踏むように、

「いいから! 早く!」

 と急かして、目を閉じる。


 公爵は諦めるように、妻である公爵夫人の頬に手を伸ばす。そしてつねるというにはやさしくなでるように、頬にそっと触れる。


 パチリと目を開けた公爵夫人は、

「──そんな! うそでしょう⁉︎ 痛くないなんて!」

 想定では痛みがあるはずだったのだろう。予想外のことに、がく然とした声をあげる。


 しかしすぐに何かに気づいた様子で、

「もう! ちゃんとつねっていないでしょう⁉︎」

 そう言うと、自らの白い頬にさっと指先をやり、思いっきりつまむ。


「い、痛ひゃい……、夢じゃ、ないわ……」

 指を離すと、公爵夫人の頬は赤くなっていた。


 それを目にした公爵は、

「夢じゃないよ。ああ、こんなに真っ赤にして」

 心配そうに妻の頬に手を当てる。


 フィリスは目の前のやり取りにどうしたらいいのかわからず、ただただ立ち尽くす。


 セドリックは、何やら小さくため息を漏らしている。


 すると、公爵夫人はめまいを起こしたかのように、ふらりと後ろに倒れる。

 それをすかさず公爵が支える。


「ああ、本当に、本当なのね……」


 公爵夫人は、うわ言のようにつぶやく。


 フィリスは胸の前で両手をぐっと握りしめる。


 息子であるセドリックが、片田舎の子爵家の娘であるフィリスと結婚すると知り、あきらかにショックを受けているとしか思えなかった。


(卒倒するほどだなんて……、ど、どうしたら……)


 先ほど、至らないところは直せばいいと自分を奮い立たせたものの、拒絶とも取れる様子を目にして、激しく動揺してしまう。


 しかしそれもつかの間、公爵夫人はガバッと起き上がる。


 ツカツカとフィリスに近寄り、さっとフィリスの手を取って両手で包み込む。


「ああ、本当なのね! その上、こんな愛らしいお嬢さんだなんて──‼︎」



こちらの番外編は長くなってしまったので、前編・後編に分けています。

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