10_再来(3)
「……あなた」
フィリスは、言葉を漏らす。
そこにいたのは、宿屋の娘と名乗り、先日フィリスに、父の落とし物であるネクタイピンを手渡してくれた少女だった。
しかしあのときの親しげな笑顔はどこにもなく、いまは嘲笑うように口元を歪めている。
「これはどういうことなの!」
フィリスは、少女をにらみつける。
強がってみるものの、心臓が早鐘を打っていた。
とてもいやな予感する。
(まさか、そんなはずないわ──)
しかし、目の前の少女が浮かべている嘲笑うような表情は、いやになるほど見覚えがあった。
「まさか、ミーシェ、なの……?」
震える唇を押し開き、フィリスは言った。
そんなことはあり得ないはずだが、しかしそのあり得ないことを身をもって経験しているのはフィリス自身だった。
「やっと気づいたの? あいかわらず、のろまなのね、お義姉さま」
姿や声音はまったく違うのに、その口調は、前々世で、フィリスが処刑された第一王女だった頃の義妹、第二王女のミーシェジェニカそっくりだった。
「それに、本当にひとりでここまで来るなんて、警戒心が薄いんじゃないのかしら?」
クスクスとせせら笑う。
フィリスは、後ろ手にされた拳を握りしめ、体が震えてしまうのをなんとか堪える。そして、
「……お父さまは、どこ」
冷静さを失わないように問う。
ミーシェは、ちらりとフィリスを見やり、ゆっくりと数歩前に進むと、
「さあ? きっといま頃、いい夢でも見てるんじゃない? 永遠に」
軽く肩をすくめる。
「何をしたの──!」
最悪の事態を想像し、フィリスは叫び声をあげる。
(また、わたしは家族を失うの──!)
よみがえるのは、前々世の第一王女のときに母を失った悲しみだった。
するとミーシェは、フィリスに近寄り、
「ちょっと、どいて」
そう言って、フィリスを押さえつけている宿屋の女将をどけさせると、フィリスの上半身を強引に引っ張り、その場に膝立ちにさせた。
女将は怪訝げに、
「ちょいと、勝手なことされちゃ困るよ」
亭主も声をあげ、
「おい、生かしたまま帝国へ連れて行く約束だ。じゃないと、あんたの言うように、この嬢ちゃんがこの国に災厄をもたらす存在かどうかわからないからな。殺すのはあとだ」
ふたりの言葉に、ミーシェは、
「わかってるわよ、邪魔しないでちょうだい」
とうっとうしそうに手を振る。
亭主は軽く片眉を上げ、
「はは、俺からすりゃ、あんたのほうがよっぽど悪女に見えるがな」
その言葉にミーシェは青筋を立てるほどに激怒する。
「黙ってなさい! あんたたちは言われたとおりに、動いていればいいのよ! 手出ししないで!」
亭主はからかうように、両手をあげて降参の意を示す。
どうやら三人は、本当の家族ではなく、表向き家族を装っていただけのようだった。
暗闇の中からは、まるで余興でも見ているかのように、何人もの人間の嘲笑する声が響く。
──国に、災厄をもたらす存在。
目の前の男が、先ほど口にした言葉。
それはフィリスが、ずっと自分自身に問いかけている言葉だ。そして、わずかな希望を胸に、そうではないと否定し続けている言葉でもある。
フィリスは、きつく唇を噛みしめる。
それでも、なんとか冷静になろうと、考えをめぐらせる。
(落ち着くのよ……。お父さまを助けるためには、まずはこの状況をどうにかしなきゃ……)
なぜかはわからないが、亭主も女将も、フィリスの過去のことを知っている話しぶりだ。
それに亭主は、『帝国へ連れて行く』と言った。帝国と名のつく国は、敵国のガルド帝国以外にはない。
そして『殺すのはあとだ』という言葉──。
フィリスの背筋に冷たいものが走る。
殺される恐怖と同時に、過去この国を襲った二度の悲劇が思い起こされる。
「ミーシェ、あなた何を企んでいるの……」
フィリスは、ガタガタと震えてしまいそうになるのを堪えながら、問いかける。
ミーシェは、フィリスを見下ろしながら、ふっと微笑んだ。
「本当にしぶといんだから。──でも今世こそ、必ずあの世に送ってあげるわ」
その手に、キラリと光るものが見えた。
鋭利なナイフだった。
「おい! やめろ!」
ミーシェの背後に下がっていた亭主が叫ぶが、間に合いそうもない。
フィリスは、まぶたをぎゅっと閉じ、死を覚悟した。
そのとき、
──ドンッ‼︎
勢いよく屋敷の扉が蹴破られた。
と同時に、閃光のように、一斉に幾人もの剣を携えた騎士らしき男性がなだれ込む。
見る間に、ミーシェや宿屋の亭主、女将は、床にうつ伏せ状態で取り押さえられる。暗闇の中にいた人間たちもうめき声をあげながら、ドサリッという音とともに床に倒れ込み、拘束されたようだった。
フィリスの前には、誰か立っていた。
「……セドリック、さま」
話の途中ですが、少し長いので区切っています。次話に続きます!