番外編 コーウェン家の兄弟は仲が良い(ロッティ)
「あなたたち、何をしているの」
まさか扉を開けた先で大事な妹が兄の侍従とあんなことをしているなど思いもよらず、気づけば私は大声で叫んでいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ノアが結婚してしばらくたった頃、私はあることを相談したくて兄の部屋を訪ねた。
部屋にはセアラとコリンもいたけれど、コリンは一礼して扉の外に出ていった。
コリンはノアに仕えるだけあって、よく気の利く優秀な侍従だ。
「私も席を外すわ」
そう言いながらセアラが困ったような顔でノアを見たのは、並んでソファに座るノアがセアラの肩に回した腕を退けようとしないから。
私はふたりの向かいに腰を下ろしながら言った。
「セアラはいても構わないわよ」
私はもともとそう思っていたのだが、ノアの顔に「当然だ」と浮かぶとちょっとイラっとした。
「で、相談というのは?」
ノアが尋ねた。
タズルナに嫁ぐことが決まっている私には、心残りになりそうなことがいくつかあった。
そのうち我がコーウェン家の嫡男であるノアに結婚相手を探す様子がなかったこと、そして友人セアラが行方知れずだったことは予想外の形で同時に解消し、こうして「妹の前では少し遠慮して」と言いたくなるような兄から妻への溺愛っぷりをたびたび見せられている。
残るはもう一つ。
「実は、アリスのことなんだけど……」
どうやらアリスには想い人がいるようだった。姉としては大事な妹の恋が叶えばいいと思う。
ただ、その相手は人間的には信頼できるのだが、単純に応援できない理由があった。
「もしかしてコリンとのことか?」
私が気づいているのだからおそらくノアも気づいているだろうと思い、だからこそ相談してみようとやって来たわけだが、私がどう切り出すか悩む間もなくノアがあまりに軽い調子で言うので拍子抜けした。
そう、アリスの恋の相手はノアの侍従コリンなのだ。
「やっぱりあのふたりって、そうなの?」
セアラがやや声を潜めて言った。うん、普通はこうよね。
「直接確かめたことはないけど、アリスのほうは間違いないと思うわ。コリンは……」
優秀な侍従だけあってあまり感情を表に出さないコリンの内面はわかりにくい。だから時おりアリスに慈しみ深い眼差しを向けているように見えるのは、私の願望かもしれない。
そう思っていたのに、ノアはまたもさらっと言った。
「コリンもそうだろ」
「どうして断言できるのよ?」
「勘だ」
私は思わず顔を顰めたけれど、ノアの勘は鋭い洞察力によるものなのでかなり信頼できる。
それにコリンはノアの乳兄弟なので、私にはわからなくてもノアにはわかることも多いだろう。
「コリンもアリスを好きなら、ふたりが結婚できるようにしてあげたいんだけど」
コリンが言い出しにくいなら、お父様とお母様には私からお願いしてもいい。
私が隣国の王子と婚約することに反対したお父様は、アリスがコリンと結婚するとなればむしろ喜ぶような気がする。
「余計なお節介はやめておけ」
「お節介とは何よ」
「結婚はふたりが決める問題だ。政略結婚じゃないんだから部外者は口を出さないほうがいい」
「それはそうだけど……」
「コリンの立場からしたら、とても難しいわよね。アリスのことを想っていればいるほど自分では駄目だと悩むでしょうし。でも、そうやってたくさん悩んで結論を出さなければふたりが納得できないのではないかしら」
セアラの穏やかな声は心にストンと落ちて、私も素直に頷けた。
「もうしばらくは黙って見守ってやるんだな。そのうち向こうから助けを求めてくるかもしれないから、その時は協力してやればいい。まあ、ふたりの密会現場でも誰かに発見されてしまえば話は変わるが」
「アリスが密会って、何だかピンとこないわ」
「ふたりが結婚を考える関係なら、してないほうがおかしいだろ」
ノアに反論できず、私は兄の部屋を後にした。
私は焦れつつも、ノアに言われたとおりアリスとコリンの様子を黙って見守ることにした。
アリスは自ら望んで私のウェディングドレスに刺繍をしてくれた。それはとても素晴らしい出来だった。
だけど私は、アリスだって本当は自分のウェディングドレスに刺繍したいのではないかと切なくなった。
そのまま1年ほどたったある日、アリスが相談したいことがあると私の部屋にやって来た。
私はちょっとドキドキしながらアリスと向き合った。
アリスはしばらく逡巡してから、口を開いた。
「実は、私、コリンとお付き合いをしているの」
「お付き合いというのは、つまり、アリスとコリンは恋人同士なのね?」
私が確認すると、アリスはコクリと頷いた。
とりあえずアリスの恋が実っていたことには安堵するが、おそらく重要なのはこの先だ。
「それでね、このままコリンと一緒にいられたらいいなと思っているんだけど」
「結婚したいってこと?」
アリスは少し考えてから言った。
「正直に言うと、私、小さい頃は結婚なんてしないでずっとお父様とお母様の傍にいたいと思っていたわ。男の子が苦手だったし。そのせいかコリンを好きになってからも結婚にはあまり拘っていなくて、コリンも私と同じ気持ちならそれだけで構わないって思っていたの」
私自身、できればお父様とお母様の傍にいたいという気持ちはあった。アリスはそれがさらに強かったのだろう。
「だけど、コリンが私との将来を真剣に悩んでいるってわかった時すごく嬉しくて、それから私も色々考えるようになって、コリンは今のままでは苦しいんじゃないかって気づいたの。コリンにとって私は主家のお嬢様で、そんな相手とお付き合いするってきっと勇気のいることでしょう。だから、コリンと結婚して私たちの関係を公のものにして、コリンが私といることを後ろめたく思ったりしなくていいようにしたいの」
ああ、アリスは本当にコリンが大切なのだ。
妹にもそういう相手ができたことが喜ばしくて、少し寂しい。
「それなら、アリスからお父様とお母様にお話しするの?」
「それも考えたのだけど、コリンが私に言わせてしまったと思わないかしら?」
「そうね……」
要はアリスと結婚したいけど踏み切れないコリンの背中を押せばいいわけだ。
手っ取り早いのはノアからコリンに話してもらうことだけど、ノアは引き受けてくれるだろうか。
そう考えた時、ふとノアが1年前に口にしていたことを思い出した。
「アリス、コリンと密……、ふたりきりで会ったりするの?」
「ええ、もちろん」
もちろんなのね。そうよね。
「だったら、ふたりでいるところを私が目撃するのはどう? そんなところを見てしまえば当然、私はお父様とお母様に報告するから、コリンはアリスとのことを説明しなければならなくなって、ついでに結婚の許しを求める、と」
「ああ、前に読んだ小説にも主人公が婚約者と恋敵の密会を目撃する場面があったわ。恋愛物は読んでいるうちについ自分とコリンに置き換えてしまうから、そういう場面は本当に辛くて。後で誤解だったとわかるのだけど」
私が敢えて避けた「密会」という言葉をアリスがさらっと口にしたので、さらに複雑な気持ちになった。
「でも、それってコリンを騙すってことにならない?」
「コリンにきっかけをあげるんだって考えればいいのよ」
アリスは少し迷っている様子だったが、やがて頷いた。
そうして、アリスと私は自然な流れで私がふたりを目撃できるよう計画を練り、後日、実行に移すことにした。
約束の日、予定の時間にアリスの部屋に行くとアリスはひとりでいるように見えたが、コリンもいると目で知らせてきた。
一度廊下に出て、しばし待つ。
果たして上手くいくだろうか。
いや、私が言い出したことだし、アリスのために完璧な演技をしなければ。何と言っても私はタズルナの王子妃になるのだから。ああ、でも、メルは演技なんてできないわね。
そんなことを考えた後、意を決してノックなしに扉を開いた私は、あり得ない場面を見て演技など頭から吹っ飛び、大声で叫んだのだった。
衝撃のあまり私はお父様とお母様に報告する言葉を失い、アリス自身に「コリンと口づけをしていた」と告白させることになってしまった。
コリンより先にお父様が結婚を口にし、無事にふたりの関係は家族公認になった。
幸せそうな微笑みを浮かべたアリスをコリンは優しい瞳で見つめていた。
アリスが私にも参列してほしいと言ってくれたので、長期休暇中に領地で結婚式を挙げることも決まった。
想像以上にすんなり纏まったものの私の気持ちは波立ったままだった。
その夜、アリスが私の部屋にやって来た。
「ロッティ、ありがとう」
相変わらず幸せそうに微笑んでいるアリスに、私は苦言を呈した。
「どうしてコリンとく……、あんなことをしていたのよ?」
「ふたりでいるのに口づけしないなんて不自然だもの」
つまり、いつもしていたのね。
「だとしても、私に見られるってわかっていたのに」
「ただふたりでいるよりも口づけをしているほうが、目撃したロッティが一目で私たちを恋人同士なんだと判断できるでしょう」
アリスは何でもない顔でそう言った。
無垢だったはずの妹はいつの間に兄みたいな考え方をするようになってしまったの?
それもこれもコリンのせいに違いない。真面目で優秀に見えていた侍従も一皮剥けばノアと同類だったのか。
「まったく、結婚を躊躇っていたくせに手は出すなんて」
「コリンがしてくれたのは口づけだけよ。私はコリンになら何をされても構わなかったのに」
やけに大人びた顔でそんなことを言うアリスに愕然とした。
「な、何てことを。あなたはまだ結婚前なのよ」
「でも、この前も言ったように私は結婚に拘っていなかったし」
「だからって……」
「ロッティだって、メルと口づけくらいしているでしょう?」
「……頬になら」
「頬だけ?」
アリスが心底驚いたような顔を浮かべた。
うう、私の可愛い妹はどこへ行ってしまったの?
頬に口づけただけで飛び上がらんばかりに喜んでくれた王子に無性に会いたくなった。
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