第4話 これは嘘じゃないです
ここ最近、友達一同は微笑みを浮かべて私を見守ってくれていました。
『もっと私たちとも遊びましょうよ』だとか『彼氏が出来てから付き合いが悪くなったんじゃない?』などの言葉を投げかけられた事は、一度としてありませんでした。誰一人、私と彼の時間を邪魔しようとはしませんでした。
でも、それは彼女たちが心優しいからではなく、単に活動的な男子に振り回されてオロオロする地味子な私を見て楽しんでいたからなのでしょう。実際、彼に対してアドバイスという焚き付けをちょくちょく行っていたようですし。
でもでも、私は彼と意外にも着実にイイ感じの関係を構築してしまいました。これでは眺めていてもあまり面白くはありません。
だから――――――壊しにかかった。ただ、それだけの事。
…………状況は察せました。ですが、私はここからどうすればいいのでしょうか?
「からかってる側のアンタは楽しいんでしょうけどさー。さすがに引き延ばし過ぎでしょ? 性格悪過ぎー」
「そうそう。そろそろネタバレしてあげないと哀れ過ぎっていうか? 彼、女性不信になっちゃうかもだし?」
「お膳立てはしといてあげたから、後はよろしくね?」
ここで彼女らの指示通りに動かなければ、私はどうなってしまうのか? 今はにこやかな面持ちの彼女たちが、どのような形相を浮かべるのか?
怖くて堪りませんが、唯々諾々と『そうです。嘘です。好きではありません』だなんて口には出来ません。
したくありません。
「もぉ~、黙ってちゃ分かんないでしょ?」
「あっ、でも、この場合の沈黙って、思いっきり『その通りですよー』って認めてるわけで?」
そう。嘘を吐いていた事も、彼を騙していた事も、紛れもない事実。
昨日など罪悪感を心の奥に置いたまま、それでも彼に好きだと言って欲しいとねだりすらしたのです。私がとてもひどい人間である事は、変えようがありません。
彼は今、私の事をどんな風に思っているのでしょうか?
彼女たちの説明を受けて『思い当たる節』は、少なからずあったはずです。
当初の私は彼に対し苦手意識ばかりを持っていて、どうにかこうにか恋する乙女を演じていたに過ぎないのですから。
失望されたでしょうか?
軽蔑されたでしょうか?
彼に嫌われたくありません。
冷たい目で見られたくありません。
避けられたくありません。
こちらを見て、手を繋いで欲しいです。
大声で『その人たちの言う事は全部でたらめです!』とでも叫ぶ?
しかし、それで彼が私を信じてくれたとしても……意味なんてありません。私はただ嘘を重ねてしまうだけ。
いえ、そもそも信じてもらえるでしょうか?
即座に否定出来なかった時点で、嘘吐きであると認めたも同然なのです。今さら私が何をどう言おうが、泣こうが喚こうが、彼の心には……もうまったく響きはしないのかもしれません。
この話を持ち掛けたのは、彼に対し何度か『アドバイス』を授けた子たち。彼の目から見ても、状況を的確に把握していた子たち。出任せだろうと一蹴しきれないだけの説得力があります。
…………彼は何も言いません。
どんな顔をしているのでしょうか?
気になって仕方ありませんが、私は面を上げられません。
ただただ黙ったまま、罪人のようにうなだれたまま、私は周囲から笑いと言葉を浴びせられます。
分からない。
どうすればいいのか。
動けない。
口を開けない。
息が出来ない。
苦しい。
怖い。
私は、何を、どう言えば?
「ひっでぇ顔してんな、おい。深呼吸しろ、深呼吸」
「…………ぇ」
「口開け、ほら」
「へにゅっ」
気づけば、いつの間にか歩み寄っていた彼が、私のほっぺたを無遠慮に摘まんでぐに~っと左右に引っ張っていました。
自然と口は開きますが……痛いです。女の子はもっと繊細に扱うべきではないでしょうか?
「で、どうなん? あいつらの言ってる事」
彼はいつもと変わらない表情と声調でした。眉を寄せたり声を荒げたりする事なく、普通に問いかけてきてくれています。
それだけで―――私は少し身体が軽くなったように思えました。
「私の意見を……聞いてくれるんですか?」
「あっちの言い分を鵜呑みにしたら、それこそ大馬鹿だろ? 自分の彼女をまず信じなくてどーすんだよ」
彼は単純な人です。
シンプルです。
素直とも、明快とも言えます。
私の事をどこまでも真っ直ぐに見つめてくれています。易々と惑う事なく。
「俺は昨日のアレが、嫌々仕方なくしてもらえた事だとは思ってない。そんな風には感じなかった。それを信じる」
「……はい。嫌々ではありません。仕方なくなんかじゃ、ないです。絶対に、断じて」
「だったら」
ここで『彼女たちが言った事は全部嘘です』と告げれば、いいのでしょうか? 彼は私を信じて、今の関係を保ってくれるでしょうか?
…………いえ、それは……やはりダメですよね。嬉しくありません。喜びきれません。
最初の告白が嘘だったから、私は何も言えなくなってしまったのです。
これ以上の誤魔化しは……ダメです。絶対に。
「いいえ。彼女たちの言っている事は、本当なのです。私はあなたの事が好きではありませんでした。ごめんなさい」
自分の過ちを知られたくはないです。でも、それでも……これはきっと今ここで言わなくてはいけない事。
「……マジか。マジで無理矢理告白させられましたって感じだったんか。へこむわ」
彼が嘆息混じりに呟いた途端、教室内に歓声が広がります。
しかし、もうどうでもいい事です。
私は視線を動かさず、彼だけを見上げます。
今もっとも大切な事は周囲の空気を窺う事でも、明日の自分の立場を案じる事でもないはずです。
勇気を振り絞って、私は素直な想いを口にします。
「ですが―――今は、好きです。好きになりました。これは嘘じゃないです」
「はぁ? 何勝手な事言い出してるワケ?」
「騙しといて、それ都合よ過ぎじゃない?」
先の歓声とは対照的な、冷たい棘を含む声が私に向かって投げつけられます。
こちらの心身に刺さる言葉の氷柱は、どんどん増していき――――――。
「うっせーな。外野は黙ってろよ」
――――――彼が私を背に庇い、力強い言葉で害意を一蹴してくれました。
「コイツに告白しろって言ってくれた事は感謝しとく。あんがとよ。おかげで付き合い始めたわけだしな。でも、こっからは俺らの問題なんだ。外野は引っ込んでろ、ボケ」
「馬鹿なの? アンタ、騙されてたんだよ? 何あっさり許してんの? ジョーキョーちゃんと分かってマスかぁー?」
「分かってるっつーの。馬鹿にすんな」
嘲笑を含む問いかけが飛ばされても、彼は全く動じませんでした。
自分の前に立つ、自分より大きな背中がとても頼もしく思えました。
「あの告白が嘘だったってのは、嬉しかっただけに残念だ。でも、別にいい。好きになったって言ってくれたんだ。そんで十分だ」
振り返り、彼はいつもよりも穏やかな……優美とすらいえそうな微笑みを向けてくれます。
まずいです。
いえ、とてもいい笑顔なのですが。
こちらが動揺し、大いに弱っているところに、こんなにも的確に温かさと優しさを与えてくれては……困ります。私は今、絶対に頬が緩んでいますよ。
現金なものです。
先ほどまで世界の終わりのような、切羽詰まりきった心地でしたのに。何もかもが怖くて仕方がなかったのに。
笑顔ひとつで……こんなに心安らぎつつ、鼓動を高鳴らせるという器用な真似が出来てしまいます。
「友達は選んだ方がよくねぇ? あんなん友達じゃねーだろ」
「……仕方がなかったのです。男子の考える友情と女子の友情は違うのですよ」
「アイツらに何か言われたりされたりしたら、我慢しねーで相談しろよ?」
あれだけのけ者にされてしまう事を恐れていたのに、彼が傍にいてくれるだけでもう、何も……。
例えイジメられたとしても、前向きに立ち向かっていけると思えてしまいます。
ロミオとジュリエット効果でしたっけ?
何らかの障害や問題が横たわっている方が、男女の恋心は熱く燃え上がるものだとか、どうだとか。
「ありがとうございます。頼りにさせて頂きます」
「おお、ドンと来いだ」
私を信じてくれて、受け入れてくれて、心配してくれて、守ろうともしてくれる彼。
少女漫画の登場キャラクターにはなれない人だと思いましたが……いいです。別に多くの女の子の憧れを集める人になる必要なんて、まったくありませんよね。
今のまま……私の彼氏でいてくれたら、それだけでいいです。
「好きです」
改めて、告げます。
「んっ。俺も」
「も?」
「……す、好きだよ」
私が首を軽く傾げて見せれば、彼は照れ臭そうに想いを言葉に変えてくれました。
『――――――ときめきって、なんでしょうね?』
それはきっと、今の私が感じているものなのだと思います。
始まりは嘘。
ですが、根も無い嘘から芽が生えるとの言葉もあります。
私の『好き』は今ようやく、本物になったのでした。