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人魚姫  作者: らら
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ライトブルー

陸の兄である満視点です。

ライトブルー


店の看板や商品が華やかな色に染まり、春の訪れを知らせてくれる。三月に入り、寒さも大分和らいでそろそろ厚手のコートもいらなくなりそうだ、と先日高校を卒業したばかりの満は思う。桜は未だ開花していないが言ってるうちだろう。新生活が始まる。



「満じゃん。買い物中?」


ショッピングモールのメンズフロアにいた満の背後から声が聞こえた。今まさにアパレルショップに入店しようとしていたその足ごと反射的に振り返ると友人の甲斐かいが「よっ!」と人懐こい笑みを滲ませて調子良く片手を挙げた──……かと思えば。


「つーか、お前の趣味じゃなくねえ?」


満が入るはずだったアパレルショップのシンプルなロゴを見ながら思うままの疑問を口にする。ふ、と柳眉を下げて苦笑した満は「もう直ぐホワイトデーだから」と呟いた。その仕草を照れからだと思ったのだろう。甲斐はニマニマと口元を緩めながら満に詰め寄る。


七季ななきかー。でもモテ男の俺からアドバイス。ここのブランドは七季の趣味じゃないと思うぜ?」


七季──川部七季かわべななきというのは、満がずっと片想いをしている同い年の青年の名前だ。中性的な顔立ちはパーツの一つ一つが見事なまでに洗練されており、独特の色香を放っていてとても高校卒業したの年だとは思えない。そんな川部が身に付けている服は厳選された、お洒落で最先端なものばかりだ。間違ってもどこにでも売っているような、面白味のない定番のデザインの服ではないと目の前の店を見ながら思うので甲斐の言うことは合っている。しかしこの店で買うのは川部へのプレゼントではないのだ。


──上原くん。


水貴の顔を脳裏に浮かべた満は納得したように目を細めた。流行りの服や原色の服はしっくりこない。水貴にはシンプルな、淡い色の服が似合うと思うのだ。水貴のファッションセンスは、黒や紺といった暗めな色の服が多いが、シンプルな作りのものをプレゼントすれば彼が普段着ない色でも着てくれるとは思う。


「いいんだよ。このブランド服は七季へのプレゼントじゃねーんだから」

「えー!? じゃあ誰にだよ」

「坂下に」


満の口から出た名前に甲斐は首を傾げた。


「誰だそれ?」


「隣のクラスの子」

「おっかしーな。校内なら男女問わず、美人ちゃんなら絶対チェックしてるはずなのに。ましてや隣のクラスのやつだろ? 坂下……さかした……」


ぶつぶつと真剣な表情で独り言つ甲斐に満は笑う。


「残念だけど、坂下はそういうんじゃねーよ」

「美人ちゃんじゃねーの?」

「ごくごく普通の子だ」

「なーんだ。でもそんな平凡ちゃんに何で服をプレゼント? チョコの返しなら適当な菓子でいいじゃん。ここのブランド、高級じゃねーけどそこそこはすると思うぜ」


甲斐の提案に満はゆったりと首を振る。


「弟が世話になってるんだ。本を買ってきて読ませてくれたり、食事を一緒にとってくれたりして懐いてる」

「弟の名前、確か陸くんだっけ?」


頷いて肯定した満は陸のことを心配していた。兄である、という欲目を差し引いても弟の陸はとても賢い子で誰よりも周りの空気を察して読んでしまう。未だ五歳という年齢を考慮したらそれはとても悲しいことだと思った。子供ならとんでもない我儘を言っていいのだ。突然大声で泣きわめいても、地団駄を踏んで怒っても良いのだ。しかし陸はそんなことはしない。いつだって周りに合わせられる良い子だ。それは満の前でも変わらない。何度か「子供らしさ」というものをそれとなく説いてみたが、残念ながら何れも無駄に終わった。その原因を満なりにちゃんと分かっているつもりだ。自分と陸との間には薄い、しかしどこまでも高い壁が存在している。お互い妙に遠慮してる部分があり、どうしても本気でぶつかり合えない。最後まで踏み込み切れない。それは陸と血が半分しか繋がっていないこともあるだろうし、毎日のように罵り合っている両親を見ていると嫌われないようにと当たり障りのない接し方しか出来ないという理由が根本にある。これは弟に対してだけでなく、他の人でも同様だった。満が相手に好意を持てば持つほど、嫌われたくないという思いが先走って二の足を踏んでしまう。情けないな、と思ってもどこをどうすれば解決するかなんて見当もつかない。臆病過ぎる自分はどこまでも不安定で、ろくに眠れない日々が続いていた。水貴といるのは楽だ。元々好意の欠片もなかった相手なので、強気に出れるのか自分を取り繕わなくても良い。ありのままの満を出しても水貴は両親のように怒らないし、呆れない。


──おかえり上原くん。


ただ黙って、笑顔で満の帰りを待っていてくれるのだ。その瞬間、いつも泣きそうになりながら「ただいま」と零す満に水貴は気付いているのだろうか。寸前の所で涙に耐えているが、彼のあたたかさに触れると奥底に隠してたはずの感情が疼き出す。どんなに乱暴に抱いても、不満ひとつ言わずどこまでも穏やかに満に微笑み掛けてくれる水貴に縋ってしまいそうになる。しかし満が好きなのはあくまでも川部で、水貴のことは恋愛対象としてはみれない。身体だけを繋げるなど何て不健全なことをしているのだろうと思っても水貴は手離せない。


──上原くんなら大丈夫だから。


水貴の、安心させてくれる魔法の言葉がとても心地よい。水貴が傍にいてくれるとぐっすりと寝れた。



『お客様のお掛けになった電話番号は現在使われておりません。もう一度よくお確かめになって──……』

「えっ?」


甲斐と別れ、プレゼントを渡す為に水貴に会う約束を取り付けようと電話した満は虚を衝かれた。現実を受け入れられなくて、耳に充てていたスマホを一旦放して両目でまじまじと観察してみる。画面には確かに水貴の名前が表示されているし、本体が壊れた様子もない。ぶわり、と膚が粟立って嫌な予感が嵐のように渦巻いた。慌てて電話以外の方法で水貴とコンタクトを取ろうとする。しかし──……。メールもラインもどれも水貴へと繋がることはなかった。


「何だよ、それ……っ!?」


意味が分からない。三月の頭にあった卒業式では「またね」って笑って普通に別れたのに。この間、セックスした時もいつもと何も変わらない態度だったのに。満はこの瞬間まで何の疑いもなく、水貴はずっと傍にいてくれるものだと思っていた。


「大学……。確かA大行くって行ってたか?」


さして興味がなかった水貴の進路を必死に思い出して安堵する。A大なら隣県じゃないか。良かった、と思いながらA大へと進学する予定の友人達にラインで連絡を取る。大学内で水貴を見掛けたら満に連絡するようにという旨の内容を送信した。大学が始まれば待ち伏せしたっていい。手に持っていた紙袋の持ち手部分を力の限り握り締める。水貴に似合いそうなシンプルなシャツは迷うことなく水色を選んだ。ライトブルー。自分とはまるで違う、濁りのない彼のイメージ。このまま水貴と別れるなんて冗談じゃないと思った。




「陸も物好きだな。こんな田舎の全寮制の学校なんて。自由なんてないに等しいと思うぞ?」


久し振りに実家に帰った満は、リビングのソファーの上に広げられたパンフを横目に陸と夕飯を共にする。外食でもと誘ったが陸らしいやんわりとした口調で断られた。あれから十年。満は地元の会社に就職し、会社員という肩書きに落ち着いた。時々こうして弟と交流する為に実家へと足を運ぶ。いっそ別れてしまえばいいのにと思えてしまうほど、相変わらず不仲の両親の元、ぐれることなく真っ直ぐに育った弟を改めて見る。もうほとんど自分と身長が変わらない陸は十五歳になっていた。


「いいんだ。自由なんていらないし」

「真面目だな陸は。もっと遊ばないと」

「兄貴らしいアドバイスだね」


陸がくすりと笑う。


「好きなやつとかいないのか? お前モテるだろう」

「どうだろうね」


含みのある言い方をして、満をじっと見た陸は瞳を少しだけ揺らめかせた。


「……謝るのは違うよね」

「何の話だ?」

「ううん。楽しみだな、高校生活」


高校生活、という懐かしい響きを耳にして満の胸はきゅっと切なげに疼いた。自分の前から何も言わずに去っていった水貴を思い出す。十年前、満なりに必死に探してみたが結局会えなかった。


──おかえり上原くん。


もうあれから十年も経ってしまった。それでも泡のように消えてしまった水貴にもう一度会いたいと心の奥底でずっとずっと願っている。もう一度「ただいま」と返せる日が来るなら、自分は今度こそ泣いてしまうだろうと満は思っていた。

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