火山神九郎と大鶴宗秋
現在の俺達に一番必要で、かつ切実にないものがある。
判断基準である。
「豊前国の戦だが、大友の攻めに佐田が降り、野仲鎮兼が落ち延びた。
城井宇都宮は静観を決め込んでいるが……」
「香春岳城が大友家の猛攻で落ちたらしい。
大友軍は豊前国竜王城に大友義鎮本人が本陣を構え、田原・戸次・田北の手勢を繰り出しているとか。
門司が落ちるのは時間の問題では」
「その門司を攻めている吉弘・臼杵勢だが、毛利の水軍衆に苦しめられていると聞く。
本国豊後では更なる動員がかけられていると聞いたぞ」
「筑前・筑後からも動員するみたいだ。
先に筑紫が敗れたのが効いたのでしょうな」
「石見の戦、毛利は尼子に苦しんでいると聞く。
毛利も苦しかろう。
周防長門から後詰を集めているみたいだ。
大戦になるぞ」
「おかげで、堺に物が送れぬ。
府内から送るしかないが、無事に届くかどうか」
神屋に取引にきた商人たちのうわさ話である。
戦争という消費行為によって博多は常に賑わっており、屋敷を借りている恩返しと商いの手伝いをした結果の情報である。
玉石混交の話をある程度まとめるならば、
「門司攻めは大友軍が苦戦中。
その為、本国豊後をはじめ領国である筑前・筑後からも動員がかけられる。
戦場たる豊前では毛利側国人衆が蜂起しているが大友軍が鎮圧に向かい、その過程で宇佐八幡宮が焼かれる。
先に尼子相手に負けて後がない毛利軍も後詰を動員し、大軍になる可能性大」
で、これが正しいかどうかに疑問符をつけざるを得ないのだ。
一応、門司合戦が大友の敗北になるという事は知っているからの判断である。
「大丈夫なの?大友家は?」
「厳しいだろうな」
離れに戻っての夕食。
出される食事は客人用で、それを頂きながらの有明の問いかけに俺は曖昧ながらも答える。
有明の手は判子書籍作成で墨で汚れて、手を洗っても落ちきれていない。
関門海峡の要衝である門司城は水軍の後詰が行える毛利軍が圧倒的に優位なのだ。
そして、毛利の影響力は海を超えられるから、宗像家や原田家等の反大友勢力が蠢く源泉になっている。
で、この門司合戦が俺たちに思わぬ余波を与えていた。
「堺行きの船はないかー」
「あっこで戦をして通れる訳無いだろう」
有明のあっけらかんとした声に、俺はつっこみを入れる。
やばい修羅の国である九州から逃げ出して堺にでも避難するかという有明の提案は、関門海峡を舞台にした合戦によって航路そのものが使えないというオチでぼつになった。
つまり、博多から動けない。
博多では大友家の圧力に常に晒される事になる。
北回りで若狭に上がって、京から堺を目指すという手段も無い訳ではないが、ここで最初の判断基準がないという問題にぶち当たるのだ。
「現状で船を使うのはまずいな」
「何で?」
「航海中に捕らえられて、客から奴隷に落とされかねん」
戦国時代は力こそが全てのある意味分かりやすい時代だが、それは同時に弱いことは罪であり、力を持たないと搾取されるという事をも意味している。
訳有りで船に乗り込む俺たちなんて、彼らから見れば格好のカモだろう。
「神屋の客人として船に乗るのは駄目なの?」
「ありといえば有りだが、問題が三つある」
有明に返事をしながら俺は指を三つ出して、一つを折る。
「一つ。
尼子が力を戻している。
神屋は毛利に近すぎる。
出雲から先だとそれが裏目に出かねん」
石見国降露坂合戦で尼子軍に大敗した毛利家は石見銀山を失い、それが神屋の経営に影を落としていた。
石見銀山をめぐる毛利と尼子の争いを見た大友が、奪われた門司城奪還を企んだというのが今の門司合戦の原因と言っても良い。
そして、毛利は尼子との戦いを手仕舞いにして九州に兵を繰り出して関門海峡が戦場となった結果、博多の商品が堺に送れないという状況に陥り商人たちを慌てさせていたのである。
すぐどうこうなるような事はないだろうが、経営の屋台骨である石見銀山利権の動揺は神屋を慌てさせていた。
「二つ。
瀬戸内海ならば、神屋の名前が通じるだろう。
そのためには、動員が進む大友領を通る必要がある」
瀬戸内海側に出れはそこは毛利の庭みたいなものなので神屋の名前が威力を持つが、その為には大友領を横切らないといけない。
現状それを見逃す大友家ではないだろう。
俺は最後の指を折ると有明を呼び寄せて耳元で囁く。
それぐらい最後のは人に聞かせたくない物だった。
「最後。
神屋が何処まで信用できるかわからん」
「!?」
先にも言ったが、既にこの門司合戦は神屋の経営に打撃を与えており、早く終わってくれというのが博多商人達の偽らざる本音だろう。
で、大友側に交渉できるカードとして、俺をまず間違いなく見ている。
書籍や算盤等金を生み出す卵である俺だが、石見銀山と関門海峡ほどの巨大利権を埋めるほどの卵ではない。
という事は、そういう二者択一に迫られた時には、ためらいなく俺を売るという事だ。
何か言おうとした有明に何も言うなと指で抑えて、俺は食事を食べ終わる。
こうして籠の中に居る限りは向こうから手を出そうとは思わないだろう。
「どうするの?」
「正直、打つ手が無い。
二人じゃ話にならん。
枯れ木も山の賑いだ」
滅んだ家の人質というのがこんな所で効いてくる。
信頼できる側近がいないから誰を信用すればいいのか分からないのだ。
その立場にあった小原鑑元は謀反の汚名を着せられて滅び、多分俺の保護者として頼らねばならないのはあの高橋鑑種だ。
薄田七左衛門は山伏を辞めるつもりは無い以上、畿内行きには付き合わないだろう。
俺一人ならば何とかなるが、今は有明が居る。
身を守る力が必要だった。
日本有数の商業都市である博多ともなると夜も騒がしい。
人はどんな時でも飲む・打つ・買うを忘れないからだ。
夜の街の住人達ともなると侍崩れも多い。
『傾く』という言葉がまだ広まる前、『婆娑羅』という言葉の方が近かった時代だが、やっている事はさして変わっては居ない。
そんな盛り場に有明と薄田七左衛門の三人で来ていた。
「お!
あれは身請けされた有明じゃないか!!」
「するととなりの男が身請けしたやつか。
派手な衣装を着てやがる」
「何処の輩か知らんが銭は持っていそうだ。
狙うか?」
「阿呆。
あれは修羅場をくぐった人間だ。
手出しをするんじゃねぇ。
後の山伏も手練れだぞ」
「……全部聞こえてるんだけど」
小さく有明が笑うが、博多の盛り場を遊女時と同じ服を着ているのだから、人目が目立つことこの上ない。
で、俺の方も神屋で派手な衣装をこしらえていっぱしの婆娑羅者らしく振る舞っていたり。
相変わらずの山伏姿でまだついてきてくれている薄田七左衛門だが、酒瓶片手に酔っている感じに見えるが足取りはしっかりしている。
彼は俺以上に修羅場をくぐってきたみたいで、盛り場で暴れながら目立った怪我とかを負った記憶がない。
俺はあいにく人殺しはまだだが、負け戦に落城からの命のやりとりのおかげで、そのあたりの空気は纏えるようになった。
要するに己の命を賭けての博打を打つ覚悟はとうの昔にできている。
遊郭立ち並ぶ柳橋の近くの賭場に二人して入る。
鉄火場に居並ぶ連中が一斉に俺たちを見るが、ひとまずは無視して番台の男にテラ銭を払う。
「どこの御曹司か知らんが、餓鬼の来る所じゃねーぞ」
「ちと、賭けを張る羽目になってね。
でないとこんな場所に出向くものか」
銭袋を番台の男に差し出して彼に話す振りをして、賭場の荒くれ者達全員に聞こえるようにする。
俺が今できる命を張る賭け事は口だ。
だからこそ、ここが真剣勝負の舞台。
「賭場で賭け事とは当たり前だろうが」
「あいにくここで切った張ったをするつもりはないさ。
本番は門司でね」
「……ちっ。
本物の御曹司だったか」
こういう裏界隈の連中の情報は早い。
有明が身請けされたのは知っているだろうし、門司の一言で大友と毛利の合戦に感づいているだろう。
そういう連中が今までもいたし、これからも出るからこその舌打ちである。
「お家の再興に一旗上げたいがあいにく人が居ない。
で、ここで身ぐるみ剥がれた連中を雇って足軽にしようという魂胆さ」
換金された賭札の一つを番台に投げる。
チップ代わりだ。
こうやって銭がある限りは賭場連中は襲ってはこないだろう。
代わりにならず者が賭場を出てから襲いかかる可能性があるが。
「で、何人ぐらい雇うつもりで?」
「さあな。
この賭札しだいかね」
お家滅亡から再興を目指す輩はこの時代溢れている。
で、夢叶わずに飲む・打つ・買うで身を滅ぼすのも多く居る。
要するに、そんな連中を雇う事で最低限の兵隊を揃えようという訳だが、そんな連中が戦力になんてなる訳がない。
早くも俺の賭札目当てにちらちらと。
「筑紫か?少弐か?秋月か?」
こうやって周囲で滅んだ家の名前が出て来る。
さすがに肥後の家の復興は聞こえないかと苦笑して俺はその家の名前を告げる。
「菊池さ」
「……またえらく懐かしい家の名前が出たぞ。おい」
そういう扱いなのだろう。
この名前にぴんとこなかった連中ばかりでほっとする。
菊池家末期には大友の血が入っているという事を知らないという意味なのだから。
一人の男が俺の側によってくる。
着物から潮の匂いがする。
「銭の種になりそうだ。
一枚俺に賭けてみないか?」
「賭けるのは構わんが、とりあえず名を名乗れ。
まずはそこからだ」
「火山神九郎。
海賊さ」
精強な笑みを浮かべるあたり、ちょうどいい獲物という認識なのだろう。
で、そんな彼がここに燻っている理由もなんとなく察した。
「門司の戦であのあたりが通れなくなったから暇になったか」
「ご明察。
郎党つきで買わないか?」
この時代の海賊は水軍衆であり、漁師兼運送業者である。
魚を取り、荷を運び、船を襲う事の全てをどこの水軍衆もしていた。
さしあたって関門海峡が使えなくなって荷船が減り、獲物がないからと賭場でウサ晴らしというあたりだろう。
そんな時に俺というカモが葱を背負ってやってきた訳だ。
「で、具合が悪くなったら銭持って逃げると。
毛利相手に一戦なんて無理だろう」
瀬戸内海を掌握している毛利水軍相手に本気で戦える水軍衆は少ない。
毛利に嫌われて荷を運べなくなったら食えなくなるからだ。
とはいえ、待ち望んでいた声だから俺は笑いながら、持っていた賭札全部を火山神九郎にくれてやる。
これから毟り取ろうと考えていた火山神九郎の顔色が変わる。
この手のはタイミングが命だ。
相手の狙っていたタイミングをずらす事で、カウンターが決まる。
「一番槍だ。
持っていけ」
「いいのか?
このまま逃げるぞ」
「構わんさ。
一番槍というのはそういうものだろう?
まあ、この賭札に恩義を感じるならば、帰り道に悪さをする輩を抑えてくれるだけでいい。
神屋に滞在しているから、何かあったら来るがいい」
賭け事において、あてにならないカードでどうやって勝つか?
答えは簡単。
レートを上げて相手を降ろす事だ。
博多の豪商神屋の名前はここの悪党連中にも鳴り響いている。
そこでお家復興をするとなると、神屋がスポンサーにつくとも『勝手に』考えられるからで、勝算がぐっと上がる。
で、こんな賭場での話に食いつく悪党はともかく、それを聞いた頭の有るやつは菊池の名前から、大友に繋がる事が分かった上で接触してくる。
ある程度の質は揃うだろうが、同時に大友の首輪をつけられる事を意味している。
そうなれば、数年後の今山まで一直線だ。
数を増やしても、信頼できる連中ではない。
そこが今の俺の限界でも有る。
「さてと、迎えの馬を呼んでいたのだが……」
「あれじゃない?
既に、数人倒れているけど」
これだけ派手にやらかしたのだから、帰りに襲って銭と有明を取られるだろうと踏んで、神屋に頼んで近くに馬を用意していたのだ。
だが、その馬目当てに悪党がやってきて、返り討ちという所だろうか。
「お待ちしておりました。御曹司。
賭場での振る舞いも見ておりましたが、雑兵を雇い数を集めるは見事。
ですが、それをするならば声をかけるべき人を選ぶべきかと」
こいつ大友側の人間だ。
懸念材料である神屋を何処まで信頼できるかが的中した瞬間である。
おそらく手を出さない事を確約し、顔見世という条件で大友の名前とそこそこの銭で馬番を買収した。
で、それを神屋紹策は黙認したのだろう。
人はそれが本人に良いことだと信じている時に、本人のためと思って簡単に裏切る。
まさか、俺達が九州を捨てて堺にでも逃げる算段を考えていたなんて分かる訳もなく、恩を売ったと間違いなく思っているだろう。
薄田七左衛門が後ろから俺に声をかけるが声色に警戒の色が出ている。
「後ろに数人。
前に二、三人」
囲まれた。
この囲み方は悪党のそれではない。
多分、俺達の前で平伏しているこの男の配下の者だろう。
「友と女を連れて賭け事に興じていた。
それだけの事にこれだけの連れは大仰じゃあないか」
「門司という大博打の前。
御曹司という賭札は大友にとっても貴重な物故に」
ため息をつく。
思った以上に大友側の動きが早い。
何を焦っているか分からないが、とりあえずは彼らに送ってもらう事にする。
ちらと後ろを向くと、遠巻きから火山神九郎が舌打ちしている。
恩を売るか俺たちを襲うかどっちか知らんが、倒れている悪党は多分彼の連れなのだろう。
「名乗れ。
俺を御曹司と言うならば、名を覚えねばならぬ」
顔を上げて髪に少し白髪のある男は、なんとなくだが高橋鑑種に似ている気がした。
顔形ではなく空気や雰囲気が。
「早良郡鷲ヶ岳城主大鶴宗秋。
柑子岳城督臼杵鑑続様の命を受け、宝満城城主高橋鑑種殿の了承のもと、寄子になりに参った次第」
こちらが後手後手に回るのをいやでも理解して、俺は深く深くため息をついたのだった。
もちろん、了承などせずにごまかして神屋の屋敷に引き上げたのは言うまでもない。
この時代、関門海峡は馬関海峡というのですが、読者が分かりやすいように関門海峡にしています。
野仲鎮兼 のなか しげかね
火山神九郎 かざん じんくろう
大鶴宗秋 おおつる むねあき
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