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大友二階崩れ

まだ続く説明回

 大友二階崩れに至る状況を語り終えた事で、やっと大友二階崩れに入る。

 惨劇の第一幕が上がる。


「お屋形様にも大内家の血が入っていた。

 という事は、そのまま大内家と戦うのはまずいな」


 俺が思ったのは少し違うが武田義信の事だった。

 武田家と今川家の板ばさみに合って、ついに謀反の責任を取って廃嫡された彼はちょうどその運命の坂を転げ落ちようとしているあたりだろうか。

 日本人は『家』を大事にする。

 かといって、『血』を無視できるものではない。

 その板ばさみにあの時の大友家は陥ろうとしていたのである。


「それでお屋形様を廃嫡しようとした訳だ。

 大内家に介入する為に」


 俺の指摘に佐伯惟教はただ笑うだけでそれを肯定した。

 大内家と戦をする場合、大内家の血を引く大友義鎮がどう動くか分からなかったからだ。

 これがお飾りの無能だったらまだいい。

 彼もまた戦国に名を残す程度のチート武将だった事が、この不幸を招いた。


「当時、お屋形様を菊池家の養子にという話が出ておりました。

 大内家とつるんで肥後で悪さをする菊池義武殿を降ろして、お屋形様を据えて肥後の安定を考えていたのです。

 それに関与していたのが肥後方分だった小原鑑元殿でした」


 少しずつ、俺達の過去が迫ってくる。

 歴史として知ってはいたが、万一その流れが狂っていたら俺はこの世には生まれていなかった。

 それを考えると背筋が寒くなる。


「という事は、お屋形様を菊池に送って大内家の内紛に介入。

 大友晴英殿を大内家の当主に据えるつもりだったか」


「大友にはそこまでの絵図面を作る事はできませぬ。

 この話は陶殿から、田原殿を経由してもちかけられたものでございます。

 そして、陶殿もこの仕掛けを作れる御仁ではござらぬ。

 この仕掛けを作ったのが、当時の陶殿の側近の一人だった……」


「……毛利元就か」


 俺は佐伯惟教の言葉を遮って、犯人の名前を告げる。

 策は策として気づかれないものこそ最上である。

 確信した。

 毛利元就最高の謀略はきっとこの大内家滅亡に絡む一連の仕掛けだろう。


「さすがですな。御曹司。

 『そういえば、大友にかつての猶子がおられたような』と陶殿に囁かれたとか。

 田原殿を仲介役に、陶側が毛利元就、大友側が田口鑑親殿で事が進められており申した」


 謀反における正当性の確保の一つに大名家の直系親族の確保があげられる。

 それがないと正統性が無いと内外から叩かれるのだ。

 で、実子である大内義尊が使えない以上、別のところから旗をもってくる必要があった。

 何で毛利元就が動いていたかというと、大内家内部においても大友家の介入を快く思っていない連中が多かったという事なのだろう。

 大内家内部で事が片付くならば、敵である大友家の力を借りる必要は無い。

 だが、その声も毛利元就の謀略の糸によってかき消されてゆく。


「大内家中に何時ごろか、大内義尊殿は大内義隆殿の本当のお子ではないとの声が囁かれるようになり申した。

 大内義隆殿は多くの殿方を愛でられたお方。

 その声を消すことは無理だったのでございます」


 あ。

 男の娘が俺から露骨に目を逸らしやがった。

 せっかくだからからかってやろう。


「おい。

 死ねと命じた連中に命を狙われた大名が居るらしいぞ」


「大丈夫。

 ぼくは武将じゃないし、ただ肉欲に溺れるくノ一だから。

 遠慮なく使ってくれるとうれしいな♪」


 何処から突っ込んでいいのか分からないキメ顔で返されたので放置する事にする。

 ちらりと見たら、涙目になってこっちを睨んでいた。

 話を戻す事にする。


「あの時の加判衆はどう動いていたのだ?」


 加判衆とは大友家の最高意思決定機関であり、大名である大友義鑑と重臣六人で構成されており、決定した命令に加判をする事からこの名前で呼ばれている。

 その構成は同紋衆四人と他紋衆二人であり、戦国大名の歩みを進めているとはいえまだ国人衆の連合政権から抜け出せていない大友家の現状を如実に表していた。

 この時の大友家加判衆は以下の六人である。


 入田親誠(同紋衆)

 田北鑑生(同紋衆)

 臼杵鑑続(同紋衆)

 田口鑑親(同紋衆)

 斎藤長実(他紋衆)

 小佐井鑑直(他紋衆)


 面白いのは大友義鑑は死の直前に、こんな遺言を残している。


「加判衆は同紋三人、他紋三人の半々にせよ」


 本人ができなかった事を遺言に残すというのも考えられるが、過去を知れば別解釈が浮かび上がる。

 つまり、大友宗家から警戒され続けていた田原一族の田口鑑親は他紋衆格での入閣なのだと。

 田原家は先の当主である大友義長の遺言に書かれるほど警戒されていた理由は、大内家との最前線になる国東半島に絶大な影響力を持ち、朽網親満の乱時に同調しようとしたからだ。

 そんな事もあって、大友一門でありながら他紋衆並みの待遇しか与えられていなかったのである。

 次期後継者である大友義鎮の立場上、正室だった大内義興の娘の死後も正室がおけず、田原親宏の妹が側室扱いではあるが実質的に大友家の奥を取り仕切っていた。

 彼女が生んだ子供が塩市丸で、大内家を母に持つが由に同紋衆に与党を持ち得なかった義鎮と違い、塩市丸が後継者についた場合田原家という一族の後見の元で政権は安定化する。

 ほら。

 更に闇が深くなってゆく。

 加判衆筆頭として評定を取り仕切り、大友義鎮の傅役である入田親誠。

 勢場ヶ原合戦で大内軍の侵攻を食い止めた田北鑑生。

 大友家の外交を一手に取り仕切っている臼杵鑑続は同紋衆であると同時に大友義鑑の命に従うだろう。

 大友義鑑の抜擢によって加判衆の椅子に座った斎藤長実と小佐井鑑直も、反対する訳がない。

 田口鑑親と田原一族は大内家介入における中心を担っている。

 あの時、大友義鑑の独裁は完成状態にあったはずなのだ。

 それがあの結果になるのだから、運命と言うのは皮肉以外の何者でもない。 

 

「ん?」


 違和感に気づく。

 俺の知っている歴史と佐伯惟教の過去にあったずれに気づいて、俺はそれを指摘した。


「養子?

 廃嫡ではないのか?」


 廃嫡はこの場合寺などに押し込めて俗世から隔離する事を意味する。

 廃嫡後に菊池家への養子なんて行える訳がない。


「ええ。

 最初は養子なのです。

 ですが、それを廃嫡に切り替えたのは、お屋形様が切れすぎた為に他なりませぬ」


 なるほど。

 第二の菊池義武になる事を嫌ったか。


「御曹司は肥後の事をどれぐらいご存知か?」


 そこからはじまった佐伯惟教の説明はこんな感じだった。

 南北朝から菊池家と大友家は戦い続けていたが、菊池家は近年一族の内訌と重臣の謀叛に悩まされていよいよ勢力を失墜していた。

 そんな中、前代当主だった大友義長によって大友家の庶家の一つである託摩家を使って菊池家の家督を奪う事に成功する。

 託摩家は志賀家・田原家と並ぶ大友三大支族のひとつだったが肥後に土着化しており、菊池家の分家としても振舞っていた事からこの簒奪に成功。

 託摩家出身の菊池武包を挟んで大友義長の息子の一人である大友重治に菊池家家督を継がせる事に成功したのである。

 これが菊池義武なのだが、菊池家を継いだ後に独立傾向を強めて、大内家や肥後国相良家と組んで大友家から離反を企むも敗れ、相良家を頼って落ち延びていた。

 菊池家と相良家を繋げたのが大内家で権勢を誇っていた相良武任で、彼は苗字からわかるように元々は肥後相良家の一族である。

 大内家武断派が大友家と組んだように、大内家文治派は菊池義武と組む事で大友家を牽制しようとしていたのだった。

 そして、相良家に落ち延びていた菊池義武は、この時期に肥後菊池領に帰還する動きを見せていた為、肥後国人衆が動揺していた。

 この肥後不穏は、阿蘇惟豊経由で阿蘇惟豊の娘が嫁いでいた入田親誠に伝えられていたのである。

 この時の大友家は格好のチャンスだったが、同時に大内と菊池という二者択一の選択を迫られていたのだった。

 そして、この選択が大友家加判衆を分裂に追いやっていた。

 攻勢そのものへの反対ではなく、進行方向の対立という形で。


「当初はお屋形様も菊池家の養子に乗り気だったのでございまする。

 それに異議を唱えたのが、同紋衆でございまする」


 この場合の同紋衆は加判衆についていない同紋衆達である。

 彼らは、この話の危険性を菊池義武という前例から警戒していた。


「『入田め。

 情けをかけて若を肥後にやるのは失策ぞ。

 考えてもみよ。

 陶の謀反が成功して晴英様が大内に行き、若が肥後に行ってご兄弟で手を組んだ場合、豊後はどうなる?』

 この言葉が流れを変え申した」


 大友義鎮とその弟晴英が居なくなった場合、大友家の家督は塩市丸が継ぐ事になる。

 もし、菊池義武よろしく独立を考えた場合、その戦乱と影響は今より大きく、そして間違いなく悪くなるだろう。

 この言葉は形を変えて実現する。

 大内と大友が兄弟によって統治されて、巨大な勢力が見せかけだができたのだ。

 その先見の明を言い切った人物に興味を持ったので尋ねてみる。


「誰だ。

 そこまであの時に物を見通せた賢者は?」


「現加判衆の一人にて鶴崎城城主の吉岡長増殿にて」


 あの府内の圧迫面接の中で好々爺の顔で俺を眺めていた事を思い出す。

 その仮面の下は切れ者の謀将だったという訳だ。

 同紋衆の長老の一人だった彼は大友義鑑政権時には疎まれていた事も付け加えておこう。

 そして、話は核心へ入ってゆく。 


「それがしはあの時、小原殿の命にて別府に赴いてお屋形様を守っていたので正確な所はわかりませぬ。

 ですが、聞いた所では先代様はお屋形様が別府に湯治に出られたのを見計らって、お屋形様廃嫡の為に三人を呼んだそうで」


「三人?」


「斎藤殿、小佐井殿、津久見殿でございまする。

 寺社奉行だった津久見殿が呼ばれたのは、廃嫡の後で何処の寺に入れるかを考えていたとかで。

 そして、彼らは廃嫡に反対して入田殿と田口殿の手勢に討ち取られたのでございまする」


 津久見美作守は加判衆ではなく、その下で働く奉行の一人で、寺社奉行だった。

 なるほど。

 人数の齟齬はそれで納得したが、ちょっとまて。

 田口鑑親が粛清側?

 いや、同紋衆が他紋衆を粛清するのならば、一応の筋が通るか。

 そんな俺の考えをぶっ飛ばす発言が佐伯惟教から出たのはその後だった。


「その後、田口殿が乱心。

 手勢を率いて館の中で乱戦となり、あとは御曹司の知る事となり」


 まてまてまて。

 どうしてそこで田口鑑親が乱心する?

 いや、同紋衆で奥に田原家の姫を入れているからこそ、フリーパスで中枢まで入れたのか。

 まて。おかしい。

 どうして田原一族の田口鑑親が田原親宏の妹と塩市丸を殺さないといけない?


「どういう事?

 八郎?」


「俺が聞きたいよ」


 首を傾げる有明の質問に俺も苦笑して返す。

 だが、有明を見てある疑念が湧いてくる。


(なぁ。

 お屋形様は、別府に湯治に出られたそうだが、誰と一緒だったんだ?)


 一人で湯につかるなんてこのご時世ではありえない。

 貴人が湯につかる場合、湯女という遊女が体を洗ったりその他の世話をしていたのだ。

 それは、湯女役に一族子女を置くことで、側室や正室へというコースでもある。


「……」


 俺は黙っている吉弘鎮理を眺め、その言葉を飲み込んだ。

 あの二階崩れ時に、粛清されたにも関わらず斎藤家は許され領地は安堵された。

 多くの家が没落したのにも関わらずだ。

 これはあくまで想像だ。

 もし、あの時点で大友義鎮の元に斎藤長実が女を送っていた場合、大友義鎮の外戚の座に座ることができる。

 彼らとて大友家を継げるとは考えておらず、養子として赴く菊池家で与党として働く程度の考えだったのだろう。

 だが、同紋衆の圧力によって菊池家養子の話は消え、廃嫡に話が移っている。

 彼らからすれば、反対せざるを得ない。

 それが大友義鑑の不興を買うと分かっていてもだ。

 俺が黙ったのは、吉弘鎮理の妻が斎藤鎮実の娘だったからだ。

 憶測で彼の忠誠度を下げるような事を言って、命を縮める必要はない。 


「なんとなくだが、一つ説明できそうな理由がある。

 お屋形様の廃嫡が同紋衆の総意として出てきた事だ」


 状況を整理して考えるとなんとなくだが、説明できる筋が見えてくる。

 大神国人衆との暗闘を横で見ていたそれ以外の他紋衆はその意味を理解していなかったのかもしれない。

 大友義鎮の菊池家養子が無くなれば、肥後にも兵を向けないといけなくなる。

 それは大内家への介入に全力がかけられない事を意味する。

 大友義鑑の大内家介入を知っていたからこそ、余計な波風を立てるのを嫌ったのだろう。

 だからこそ、同紋衆の総意である大友義鎮廃嫡を拒否するという選択を軽々しく取ってしまい、同紋衆に粛清の名分を与えてしまったのだ。

 大友義鑑は戦国大名として大友家の独裁化を推進していた。

 大神系国人衆に打撃を与え、同紋衆に力を与え過ぎないように大神系国人衆以外の他紋衆を抜擢し、田原家と手打ちをして大内家に介入しようとした。

 つまり、大友義鑑の次の粛清対象は、同紋衆だった可能性が高い。

 それに気づいた同紋衆が先手を打った。


「いや。

 これだと説明ができない。

 何で田原一族の田口鑑親が田原親宏の妹と塩市丸を殺さないといけない?」


 考えが途中から声になって漏れるが、ここがどうしても分からない。

 その答えを、佐伯惟教はあっさりと告げた。


「『次は、我が田原一族でございますか?』。

 先代様を討つ前に田口殿がこう叫ばれたのを吉岡殿が聞いており申した」


「……」


 あまりのおぞましさに声すら出ない。

 その叫びが意味する事は一つだ。

 同紋衆の逆襲によって斎藤長実と小佐井鑑直が討たれた以上、他紋衆格で入っていた田口鑑親も討たれる可能性が高い。

 だが、田原親宏の妹と塩市丸を殺す事で田原家ではなく、田口家に矮小化させたのだ。

 そして、被害者として田原家は大友家の中で振る舞うことができる。

 田原親宏の帰還はこの血の犠牲の謝罪の側面が有る。

 あまりにも救いのない、そしてそれすら乗り越える国人衆の生き残りの執念がそこにあった。 

 その代償は田原家に因縁を更に深く刻む事になり、大友義鎮はその政権運営で本来の後見人であった入田親誠を粛清する事がその最初の仕事となった。

 そんな彼が人を、与党となるべきだった同紋衆を信じられる訳がない。


「あの変の後で、加判衆についたのは誰だ?」


 有り難いことに大友義鑑は二階崩れの変で死ぬまでに猶予があり、その死に際して遺言を残してそれに重臣達がサインをしている。

 そのサインをした連中はそのまま加判衆として大友義鎮の下で働くことになった。

 それが以下のとおりだ。


 田北鑑生(同紋衆)

 一万田鑑相(同紋衆)

 臼杵鑑続(同紋衆)

 吉岡長増(同紋衆)

 小原鑑元(他紋衆)


 つまり、大友二階崩れのクーデターにおいて利益を得た人物という訳だ。

 具体的に言うと、一万田鑑相、吉岡長増、小原鑑元の三人。

 この後、この騒動の責任を入田親誠に押し付ける形で彼に追討の兵を送る。

 その軍勢を率いたのは、粛清されたのに許された斎藤長実の子である斎藤鎮実であり、入田親誠から嫁をもらっていたので離縁した戸次鑑連だった。

 そして、大寧寺の変が起こり、田原親宏は許されて豊後に帰還する。

 また、菊池義武は肥後で兵をあげるも敗北、後に謀殺されるがこの肥後戦で活躍したのが小原鑑元だった。


「つまり、小原殿はあの二階崩れで利益を得た人物だった。

 そして、同じく利益を得た人物に一万田殿が居た」


 この中に、大友二階崩れの黒幕が居るのは間違いがない。

 というか、犯人は分かっていたりする。


「この絵図面を書いたのは一万田殿か?

 いや、彼だと小原殿との繋がりがあるか怪しい。

 同紋衆主導で大神系国人衆を巻き込んだ手並から吉岡殿が黒幕か」


「そのとおりにございます」


 物事には理由があるが、その理由は一つではない。

 小原鑑元が粛清される前に、一万田鑑相が小原鑑元の手によって粛清されたのだ。

 かつては手を取って大友二階崩れの勝ち組となった二人が、いかにして袂を分かったのか?

 長い長い話もやっと佳境に入ろうとしていた。

Q なんで大内家は滅んだの?

A ホモの愛憎のもつれ。かなりまじで。

  今回の話を書くために調べて大内義尊が実子ではない噂に一人大爆笑。

  きっと、中性的な女性を見繕ったんだろうなと勝手に妄想。



 宋雲院は斎藤鎮実の娘説を採用。

 八郎が黙った別府に居た斎藤長実の娘は、筑紫広門の嫁になっている方。

 年齢を考えると色々妄想が。妄想が。



武田義信 たけだ よしのぶ

菊池武包 きくち たけかね

阿蘇惟豊 あそ これとよ

吉岡長増 よしおか ながます

斎藤鎮実 さいとう しげざね

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