逃れられない過去
大友二階崩れの設定は、大友の姫巫女電子書籍版からの流用。
けど、資料が更新されているので、さらにアレンジ予定。
調べれば調べるほど唖然とする戦国お家騒動の闇をお楽しみください。
「行っちゃいましたね」
明月の言葉を聞き流しながら、俺は出てゆく船を見送る。
宿毛での仕手戦に参加した長宗我部元親は本来の目的である嫁取りの為に旅立つのだ。
なお、長宗我部家への駐屯は一万田鑑実が担当するので、彼と彼の郎党も一緒の船で旅立っている。
「意外でした。
閨まで入れるのだから、てっきり抱き込むものかと」
「このあたりは、わからんだろうよ。
重さって奴をな」
たとえ、長宗我部元親が俺達の仲間になったとしても、彼は長宗我部家を率いる大名なのだ。
彼らを受け入れ、背負う覚悟があったからこそ、長宗我部元親は俺達についてきた。
それは俺も同じだ。
背負いたくないからこそ、自分で責任が持てる分を知っているからこそ、大名になんぞなりたくない。
偽り無い本音を言うつもりも無く、俺は話を変える為に目に付いた船を眺める。
「丸に十字の帆。
島津か」
黒潮を使った太平洋航路のメインプレイヤーである薩摩国島津家。
海洋交易において、薩摩という国は決して辺境ではないのだ。
その船を眺めた明月が、思い出したかのように島津家の船の事情を口にする。
「何でも、京に上がって公方様に奉公するとかで。
水夫達の噂では、他にも備前国浦上家や但馬国山名家も動いているとか」
将軍家の権威を使っての領内統制に大友家が成功しているように見えるから、他の大名も真似ようという動きが見えた瞬間である。
目の前の島津家の船に乗っているのは、島津忠親。
日向国飫肥城をめぐる伊東家との争いで、島津義弘を養子にした島津一族である。
飫肥城を島津義弘に任せ、島津忠親が京で働くことで島津家の権威を確保して外交関係を優位に進めたいと考えているそうだ。
備前国浦上家から京に上がっているのは、浦上政宗。
浦上家における家督争いが宗景の元で一本化して和解したはいいが、兄である政宗の居場所は無い訳で郎党を率いて再起と家中安定の為に自ら上洛するつもりらしい。
これは俺のパターンに近い。
但馬国山名家については、上二つのパターンとは違っている。
山名家は尼子家と争っていた経緯から毛利家と組んでいた。
ここ最近の毛利家の動揺をモロに食らった家で、京に出ることで反毛利勢力を掣肘しようという毛利元就の要請に応じた為だ。
家督継承と尼子戦で動けない毛利家にとって、絡め手だが山名家を動かして京でのロビー活動で状況打開を企んでいるという訳だ。
嫁取りに行く長宗我部家を含めたこれら諸侯の郎党を将軍足利義輝は直轄兵力として受け入れ、若狭に送る事を企んでいた。
若狭武田家問題で対立が続く越前国朝倉家への明確な敵対行為だ。
その朝倉家だが、近江国浅井家と組んで美濃国斎藤家を支援していたのだが、岐阜城をめぐる戦いで尾張国織田家と戦って大敗。
西美濃三人衆の一人である稲葉良通の裏切りが原因であり、その裏切りで暗躍したのが斎藤利三であり、明智光秀だった。
要するに、長宗我部元親の協力のお礼として京での便宜を計るように、手紙で明智光秀に功績を垂れ込んだのだ。俺が。
この敗北で朝倉家の足元を見た足利義輝が若狭に介入しようとしているのだから、正直頭が痛いなんてものじゃない。
三好家はあえて放置する事で将軍の行動を黙認しているが、戦力回復と毛利家の信用不安から来た内政の建て直しに集中したいのでそれどころではないというのが本音だ。
俺が動けば誰かも動き、歴史の流れがゆっくりと変わってゆく。
「ご主人お客様だよ。
有明姫にお会いしたいって人が来ているよ」
けど、過去は変わらない。
人は自然に生まれるわけではない以上、両親という因果がついて回る。
井筒女之助の声に疑問が湧くが、その因果を感じることができなかった俺を罵りたい。
分かるのならば、会いなんてしなかったのに。
「誰なんだ?」
「たしか、佐伯惟教と名乗っていたと思う」
過去が俺達を追いかけてくる。
血塗られた因縁の過去が。
「おお。
小原殿の娘か。
大きくなられたなぁ」
佐伯惟教が有明を見て感慨深い言葉を漏らす。
そんな姿を吉弘鎮理が殺意を隠そうともせずに眺めていた。
吉弘鎮理、いや大友家から見れば、佐伯惟教は小原鑑元の乱の首謀者の一人であり、指名手配の重罪人なのだから。
断ることはしなかった。
有明にとって父を知る一人であり、今では父を語ることができる数少ない人物だ。
この会談は有明の希望でもあったのだ。
「手を出すなよ。
一条殿に迷惑がかかるぞ」
長く生きていているだけあって大鶴宗秋が俺にも聞こえるように吉弘鎮理に釘を刺す。
ここでの捕縛や殺害は一条家の警察権の侵害に当たり、外交関係の構築を考えている大友家が崩す訳にはいかない。
それが分かっているからこそ、佐伯惟教は俺達に会いに来た。
「御曹司にはお初にお目にかかります。
佐伯惟教と申す。
小原殿の忘れ形見をもらって頂いて、心残りが一つ減り申した」
「大友鎮成だ。
いつもなら、菊池鎮成と名乗る所だが腹の探りあいはよそう。
何をしにやってきた?」
府内に帰った時の釈明が難しくなったと内心頭を抱えつつも俺は佐伯惟教に話を振ると、佐伯惟教はあっけらかんとそれを言ってのけたのである。
だからこそ、反応が遅れた。
「何。
それがしの首をもらってくださらぬか」
と。
佐伯家というのは大友家の宿敵である大神系国人衆の宗家に当たり、豊後南部の水軍衆を率いて海運で富を築き、一族は豊後だけでなく豊前や伊予等に広がっていた。
だが、佐伯惟教とその一族は小原鑑元の乱の時に豊後から逃亡し、伊予西園寺家の客将として過ごす事になる。
そんな彼らにも毛利隆元の死から始まった毛利家の信用不安が直撃する。
客将ゆえに西園寺家は佐伯家の救済に手が回らず、俺の仕手戦で豊後や豊前の水軍衆が救済されてゆく中、深刻な経済危機に直面していたのである。
「それがしの首を差し出す代わりに、御曹司には一族の救済をお願いしたく」
頭を下げる佐伯惟教に有明が声をかける。
その声が弱々しくも芯の入った願いだったからこそ、皆の時間がいやでも止まってしまう。
「佐伯様。
教えてくださいませ。
父は。
小原鑑元はどうして討たれたのですか?」
「姫!」
たまらず声を出した吉弘鎮理を俺が手で制する。
おおよその答えは知っている。
高橋鑑種から教えられた。
だが、反対側である佐伯惟教の答えを聞きたいと思ったのは俺も同じだったのだ。
「首を差し出す人間が嘘は言わぬだろう。
俺がこんな所に流れる羽目になった原因だ。
聞こうではないか」
ここで聞かなければ、二度と聞けないあの乱の真相。
だが、佐伯惟教の口からこぼれたのはその源流だった。
「それをお話するのならば、その前を語らねばなりませぬな。
大友二階崩れを」
佐伯惟教が出した言葉に大鶴宗秋すら息を呑み、吉弘鎮理は刀に手をかけた所を果心と井筒女之助が押さえる。
大友家の恥部であり、現在の元凶の一つである大友二階崩れ。
前当主である大友義鑑が家臣に殺されるという形で当主についたのが今の大友家を率いる大友義鎮であり、その過程で多くの血を大友家は流す事になる。
小佐井鑑直、斎藤長実、津久見美作守、田口鑑親の四人を大友義鑑の寵臣入田親誠が殺害。
四臣の逆襲にあって大友義鑑が殺されると、大友義鎮は全ての責任を入田親誠に取らせて彼を粛清するというややこしさで、その多くが闇に消えている。
「同紋衆と他紋衆の対立の果て。
そう聞いているが?」
あえてこちらの手札を伏せて話を進める。
大友家中における同紋衆と他紋衆の対立は内外に名が轟いている。
そういう答えを予想していたのだろう。
佐伯惟教は楽しそうに首を横に振った。
「あの騒動で命を失った、斎藤・小佐井・田口・津久見。
皆、大神一族ではありませぬぞ」
「!?」
俺達だけでなく、大鶴宗秋や吉弘鎮理ですら言葉を失う。
大鶴宗秋はそもそも筑前の武将だし、吉弘鎮理にいたっては若武者なのだ。
あの当時の大友家の中枢を知っている訳ではない。
その一言で場を制した佐伯惟教は更なる手札を切ってくる。
「斎藤家は大友家と共に九州にやってきた下り衆。
津久見家は寺社奉行で斎藤家の分家筋。
小佐井家は元は玖珠の清原一族の頭領。
田口家は同紋衆で田原家分家。
あの時、大神国人衆は栂牟礼城合戦にて、当主佐伯惟治殿が討たれて既に力を失っていたのでございます」
なお、佐伯惟治を討ったのが、臼杵長景でその子供が臼杵鑑続であり臼杵鑑速である。
当事者の言葉によって、常識が崩れてゆく。
何だこれは?
同紋と他紋の対立?
どこにそれがある?
他紋衆の中心である大神系が何処にもないではないか。
いやな汗が浮き出るがそれを拭き取ることすら忘れる。
だが、そんな俺達の様子を知ってか知らずか気にすることもなく、佐伯惟教は核心部分を口に出した。
「大友二階崩れは、大友義鑑様に抜擢された大神系以外の他紋衆粛清の為に、同紋衆と大神系国人衆が手を組んだのでございます。
あの変の時、それがしは別府に居たお屋形様を守るために水軍衆を率いて護衛し、赦免を勝ち取った次第で。
その時にそれがしを始めとした大神系国人衆をまとめたのが小原殿で、彼はその功績と肥後で介入しようとした菊池義武殿の討伐の功績で加判衆の座に座り申した。
そして、同紋衆であの時にお屋形様擁立に動かれたのが、一万田鑑相殿にございます」
と。
それを聞いた時の俺の顔はどうなっていたのだろう?
有明と同じ顔をしていたのだろう。
あまりに汚く、あまりに陰惨な人の欲を見てしまったかのような顔を。
一万田鑑相の子の一人が高橋鑑種なのだから。
でも、話はここで終わらない。
まだ核心に至っていない。
「あの騒動はお屋形様を廃嫡なさって塩市丸様を跡取りにしようと企んだ。
そうなっておりますが、ただの側室の子が大友家を継げるとお思いですかな?」
佐伯惟教の告げた核心に俺は唖然とする。
塩市丸を跡取りなんてよほどのバックがないと無理だ。
そしてそれは次の疑問に行き着く。
騒動の名前から完全に消された人物の存在に。
「……塩市丸の母親は誰だったのだ?」
身分の低い女では家督継承時の実家の支援が無くて失敗する。
家督継承が望めるというのは、それができるだけの実家だったという事だ。
そして、それだけの家なのに、後に名前すら残されていない。
それは残したらまずい家という事を逆説的に証明していた。
俺の呟きに佐伯惟教はにやりと笑う。
知っているのだ。彼は。
あの大友二階崩れの中枢に居たのだから。
「聞けば、後戻りはできませぬぞ」
分かりやすい警告を俺は鼻で笑い飛ばす。
既に地雷原でのタップダンス継続中の身だ。
今更地雷が一つ二つ増えた所で何も困ることはない。
「安心しろ。
俺は既にお屋形様に殺されるだけの理由はいくらでも抱えておる。
殺される理由が『毛利への内通』だろうから、もう一つぐらい増えても落ちる首は一つよ」
覚悟はした。
興味本位ではあったが、困りはしないという根拠無き楽観があった。
だが、佐伯惟教の口から出てきたのは文字通りの核地雷だったのである。
「……当時、大内家に逃れていた田原親宏殿の妹君でござる。
大友二階崩れと大内家の滅亡は決して無関係ではござらぬ。
そして、大内家を滅ぼす原因となった陶晴賢殿の腹心として暗躍していたのが、毛利元就でございます」
過去が。
因縁が俺と有明を捕まえに来る。
大友家と言う血の呪いが、俺達の前にその陰惨な過去を見せつけていた。
大友家の血の呪いが、大内家の断末魔が、それを紡ぎ上げた毛利元就の執念が俺と有明を捕まえに来る。
大友義鎮の因果の原点であり、俺と有明の背負うべき業である大友二階崩れという過去の舞台が幕を開ける。
当時二階崩れで粛清された他紋衆に大神系国人衆が居ない事を突き止めた時の世界の変わり方は某名探偵よろしく「謎は全て解けた!!!」と言わんばかりの快感でした。
大友二階崩れを舞台にした小説はいくつかありますが、このような珍説を出すことができたのは、私の物書き人生において自慢してもいい事だろう思っています。
ルビは感想にやり方を書いてくれた方がいるので今度試してみる予定。
島津忠親 しまづ ただちか
島津義弘 しまづ よしひろ
浦上政宗 うらがみ まさむね
佐伯惟教 さえき これのり
小佐井鑑直 こさい あきなお
斎藤長実 さいとう ながざね
津久見美作守 つくみ みまさかのかみ
田口鑑親 たぐち あきちか
入田親誠 にゅうた ちかざね
佐伯惟治 さえき これはる
臼杵長景 うすき ながかげ
一万田鑑相 いちまだ あきすけ