教興寺合戦 あとしまつ
教興寺合戦の後、三好軍は全面攻勢に転じる。
大和へは松永久秀が、和泉河内へは三好義興が、合戦後に逃げ出した六角軍を追って岩成友通が、それぞれ兵を進めるがそれに抵抗する力は反三好勢力にはもはや残ってはいなかった。
合戦三日後には、京と河内国高屋城を三好軍が奪還。
一週間後には、和泉国岸和田城も取り返し、大和国人衆が次々と降伏する事態になっていた。
六角家は降伏という形で和議を求め、畿内における三好家の覇権はほぼ確立する事になった。
それはいい。
堺の仲屋乾通屋敷にまた居候する事になった俺の前に三好家から客人が来るまではそう思っていた。
「和泉国岸和田城。
いりませんか?」
何を言っているのだろう?
この三好義賢は?
「義賢殿。
流れの浪人者が岸和田なんて城を治められるとお思いか?」
常識論でお断りをしようとしても、多分ダメなパティーンだ。
なお、チートがチートたり得る所以は、お遊びでもちゃんと外堀を埋めてやってくるえげつなさにあると思う。
「大友殿の立ち位置はそれがしも重々承知している所存。
ですので、城主ではなく城代として名を貸して頂きたく」
城主は読んで字のごとく、その城の『主』。
城代はその城の主の『代理』。
このあたりは城代が城主になる事がまれによくあるから困る。
「さっきまで散々殺し合いをしていた我らが上に来ると、国人衆達も良い感情は持たないでしょう。
実務は下に奉行を送り込むので、堺に居たままで結構なので名を貸して頂けませぬか?」
ようするに戦後処理の話だ。
占領軍になった三好家はその統治を円滑に進めたい。
だが、敵対していた相手に素直に頭が下げられるほど人というのは理性的にはできていないのだ。
「我らは所詮成り上がり者ゆえ。
侮られるのでしょうな」
淡々と語る三好義賢の言葉に、そこにこめられた無念さを感じることができる。
三好政権と呼ばれるものは、将軍を傀儡にした管領を傀儡にする二重傀儡によって成り立っている。
そんなややこしい政権運営をする羽目になったのも、三好家が阿波国国人衆の出身で細川管領家の家臣であったという過去を畿内の諸侯が知っているからに他ならない。
「その点、大友殿は鎌倉から続く九州の名家。
しかも仁将として名高く、先の戦いでの武勇もある。
おまけに畠山自身が敵に追いやった負い目もある」
三好義賢の説明を聞くとなるほどと頷きたくなる俺がいる。
占領直後は前の戦いの恨みもあって、国人衆達も非協力的だ。
そんな彼らの格好の負い目が俺なのだ。
三好家よりだが中立のまま堺に滞在していたのは畠山家も知っていたし、背後を脅かされるのを恐れて追い出したのも畠山家だ。
そんな俺が合戦の功績を背景に岸和田城代につくと、そのヘイトは俺や三好家ではなく『何で堺から追い出した!』と畠山家に向くと。
冗談ぶっているが、その根底にある占領地統治政策がガチだから困る。
「それに、収入は多くあった方がよろしいでしょうて。
堺に流れている尼子浪人衆の件もありますゆえな」
「……」
尼子浪人衆。
要するに石見を中心にした逃げ出した元尼子家家臣の事で、多胡辰敬を頼って仕官を求めた連中のことである。
多胡辰敬の縁者以外は松永久秀に雇われた福屋隆兼を紹介して、松永家家臣として雇われているが留まっている者も多い。
なんで彼らがやってくるようになったかというと、石見銀山を抑えていた本城常光が毛利元就に粛清され、それを見た石見国人衆が再度尼子家に寝返ったからに他ならない。
短期間での寝返りというか元帰りをやらかすと元の旗に帰れない連中もいるわけで、本城常光の家臣等はその筆頭だった。
彼らの他に逃げた畠山家臣等が野盗化するのは目に見えており、彼らを再雇用する事が治安問題と絡んで早急に求められていたのである。
「そいつらを抱え込んでしまえと?」
「しばらくは戦はないでしょう。
畠山の没落と先の戦で和泉河内大和には多くの空きが出来申した。
それを埋めて頂けるのならと」
「で、実際に岸和田城を差配するのは?」
「篠原長房を」
なるほど。
阿波三好家の重臣を出すという事で、俺へのお目付け役兼人質って訳だ。
阿波を統治している三好義賢がこうして生きているから、重臣を貸し出す事ができると。
同時に、何かあったら三好義賢がケツを持つと暗に言っている訳だ。
まだ頑張って抵抗してみる。
「他の将とかでは駄目なのですか?
たとえば、浪人衆を率いていた小笠原殿とかは?」
「彼は同じように河内国若江城代になってもらう事が決まっておりまして。
こちらとすれば、若江城代でも構わぬのですが?」
しっかり外堀を埋めてくるからこのチートは。
断れないじゃないか!
岸和田城と若江城のどっちかを選べと言えば、岸和田城の方がいいにきまっている。
ケツ持ちが阿波の三好義賢だから、海を超えて後詰を送ってくる以上海岸線に近いほうが大事なのだ。
ため息をついて条件闘争に入る。
「本当にここに居て、何もせずともよろしいのですな?」
「最初の顔見世ぐらいはしてもらいますが、後はそのまま堺に滞在してもらって構いませぬ。
岸和田城の収入は、浮いた分全てを大友殿に差し上げますとも」
いやちょっと待て。
経費除いた城の黒字分全部くれるって太っ腹すぎるだろうに。
こっちの唖然とした顔を見て三好義賢が苦笑する。
「三好の豊かさを舐めてもらっては困ると言ったでしょうに。
我らの冨は海にありますゆえ。
篠原長房も阿波上桜城主。
岸和田の冨を必要とするほど窮乏しておりませぬぞ」
三好家というのは、成り上がりゆえに土地収入に依存しないというより、依存できない大名家の先駆けでもあった。
その収入の大部分は堺を抱える大阪湾の洋上交易と、京都に繋がる淀川河川交易の上がりによって成り立っている。
この銭によって兵を養い、戦に勝ち、土地を得たというのが三好家であり、土地を得て、兵を養い、戦に勝つという古い大名家とは逆になっているのだ。
なお、このパターンを何処かで聞いた事はないだろうか。
そう。
あの織田家と同じである。
三好長慶の三好政権は中世に留まれない先見性を持っていたと同時に、その中世に引きずられて崩壊する事になるが、それを織田信長は尾張にてリアルタイムに見ていた。
三好長慶の後継者が織田信長であると一部に言われているのはこんな先見性が共通する所にある。
「正直な所、名を貸してもらった上に、最前線なので危ないのも事実。
堺より後詰を送れるように養って頂けたらと」
教興寺合戦の勝利によって畠山家の領地を一気に奪った三好家だが、その三好家が踏み込まなかったのがこの紀伊国である。
雑賀衆や根来衆などの宗教勢力が入り乱れた上に、国人衆の力が強すぎて下手に突っ込んだら泥沼になる事が分かっていたからに他ならない。
京の維持や六角家等でまだ問題が多い三好家にとって、紀伊国は獲っても旨味がない。
その為、岸和田城を最前線にして、宗教勢力には銭を払って懐柔する事を三好家は決めていた。
「分かり申した。
畿内にいる間ですが、お受けしましょう」
俺が頭を下げると三好義賢がにっこりと笑う。
そして、声をかけると姫装束の果心が入ってきた。
「秋山教家の妻だった果心と申します」
何を言っているのだろう?
こいつは。
固まった俺を尻目に、三好義賢はいけしゃーしゃと言ってのける。
「彼女は、三好一族の生まれで秋山教家に嫁いでおり申した。
先の戦いて秋山家が敵対したために戻っていた所、秋山教家の討死にて浮いてしまった次第。
よければ、もらって下さりませぬか」
露骨極まりない経歴ロンダリングである。
有明の場合、元が姫だし探れば小原鑑元の乱に当たるなんて厄ネタを抱えているから成功したのだが、これはそれ以上の力技である。
裏を取ろうにも秋山家は現在敵側、そして天下人である三好家は平然と嘘を本当の事として扱っている。
匠の技が光るのが、一族出の養女という所で大量にいる三好一族の誰なのかをぼかしているのが上手い。
政治的には、三好家中からのやっかみ回避として、果心を送り込んだと言い訳ができる訳だ。
「それがしの妻は有明と決めているがよろしいか?」
俺の最低限の妥協線に、三好義賢は寂しそうに笑った。
それが、三好家が中世に縛られているとバラしているような笑みで。
「構いませぬよ。
成り上がりの家を嫁にするのは名門大友家には無理でしょうからな」
「……」
「……」
「……」
そりゃもう有明とお色の視線がめっさ冷たい。
まさか堂々と三好の姫の経歴をゲットしてやってくるとは思わなかったから、視線で人が殺せるレベルにまでなっている。
この視線を受けても笑っている果心も流石というべきか。
「という訳で、これからもよろしくお願いします」
ちゃんと作法に則って頭を下げる果心。
様になっているあたりが困る。
「どういう事よ!
これは!!」
あ。
我慢できずに有明が切れた。
見るとお色も静かに切れている。
「どうもこうも、三好の褒美だろうよ。
果心への」
俺が核心を突くと、果心は嬉しそうに笑った。
その笑顔が妖艶すぎて怖い。
「さすがは御曹司。
いつ頃気づいておられたので?」
有明とお色がついてゆけない。
三好家の果心への褒美。
つまり、俺を三好家側に走らせて、参戦させるという間者への褒美という事が二人の頭にはついてゆけないみたいだ。
「最初から。
上杉は遠すぎる。
必ず畿内に傀儡回しがいると思っていた。
一連の出来事で、一番利益を得た者を疑えば答えは自ずと分かるだろう?」
絵図面を書いたのは、果心本人。
それに乗ったのが三好義賢という訳だ。
だからこそ、三好家は彼女を三好家の姫というでっち上げに協力した。
武田家の追手を回避するために。
「次に怪しんだのは淀川渡河戦だ。
お前に後詰を頼んだだろう?
あまりにあっさりと三好殿が出てこられた。
籠城中の城内の重臣中の重臣にあっさりと会えなければ、あの出陣はありえんよ」
果心は黙ったままだ。
けど、探偵の推理を聞く犯人みたいに顔は笑顔のまま。
「で、この間三好長慶殿が来たのがとどめさ。
色々やっていたが、一部始終を見ていた者が居ないと三好殿が御自ら出向くなんてありえんさ」
果心は静かに頭を下げる。
だからこそ、己が犯人であると告げた。
「ご推察。
お見事にございまする」
澄ました果心の笑顔が凍りついたのは、俺の次の一言を聞いてからだった。
「で、雇い主の一人である毛利元就にはなんと報告する?」
果心は嘘をついていないが本当のことも言っていない。
武田の歩き巫女で上杉の仕事をしていたあたりは本当だろう。
だが、フリーランスの彼女が生き残る為に、それしか繋がっていないなんてありえない。
俺の岸和田城代就任で、利益を得る人間がもう一人だけ居るのを俺は忘れる訳がなかった。
名声と武功が上がることで大友義鎮の猜疑心が膨らむという利益を得る、毛利元就というチート爺の事を。
「この間襲ってきた連中の情報。
吐いてもらおうか」
俺の一言に刹那の間果心に殺意が走る。
これほど見事な謀略を演じきった彼女が俺にだけ賭札を賭けている訳がない。
毛利元就からの依頼である、俺への排除の方にもかなり仕掛けを作っていたはずだ。
「ああ。そうか。
捕らえた女連中を壊したのは口封じも兼ねてか」
納得したように俺はぽんと手を叩く。
捕らえた彼女たちは色に狂った果てに俺に忠誠を誓ったが、間者仕事なんてできる訳も無く女中扱いで雇い配下の足軽や侍たちに喜々として嬲られていた。
その彼女たちを壊したのが果心なのだが、三好の勝利が確定し果心が俺に全賭けする為には、保険だった毛利側の謀略が邪魔になる。
「武田と上杉の確執に上杉側に関与する公方様が邪魔だからと、武田の歩き巫女を使って公方様を擁立する三好勢を叩く。
だが、公方様は公方様で三好の傀儡を嫌って三好殿の暗殺を企む。
で、三好に組する俺の排除の依頼が毛利元就から……ははっ!」
俺はたまらず笑い出す。
何がおかしいかって、どう見ても三好排除の謀略の方が本命だったに違いないからだ。
ふと見ると、果心の殺意は笑顔の仮面の中に消えていた。
「せっかくだから聞こう。
何処で俺の勝ちを確信した?」
「淀川で、私を飯盛山城に走らせた時に。
三好義賢様の所まですぐ行けた時、三好の負けは無くなったと」
淡々と果心が話す。
数に勝る三好軍に畠山軍が勝つ為には各個撃破するしか無く、淀川渡河戦でそれに失敗した時に三好軍の負けは無くなったと果心は読んでいた訳だ。
なるほど。
その後の教興寺合戦で果心が武田の歩き巫女の情報を出してきたから、あそこで乗り換えて勝ちを拾いに行ったと。
「多分、お前の両天秤、三好殿にバレていただろう?」
「ええ。
笑って私に姫の身分を用意して頂けたあたり、それだけ大友殿を買っている証拠かと」
俺が笑い、果心も笑う。
多分二人とも三好長慶の懐の広さを知り、それに触れてしまったのだろう。
果心はその笑顔のまま、俺の要求に答えた。
「大友殿を狙うようにと動いていた僧は、叡山の者です。
叡山にそれを頼んだのは、豊前国国衆が一人、時枝鎮継だそうで」
誰だ?そいつ?
首を傾げる俺を見た果心がさらりと続きを口にする。
「宇佐八幡宮の弥勒寺の寺務を務めていた家だそうで」
「あー。
皆まで言うな。
理解した」
額に手を当てて体を傾けて理解した背景を心のなかで罵倒する。
先の門司合戦で宇佐八幡宮は大友軍によって焼き討ちを食らったのだが、それによって豊後国の宇佐八幡宮の荘園管理が宇佐八幡宮分社である奈多八幡宮に移管していた。
その奈多八幡宮の出身で大友義鎮の正室が奈多夫人であり、彼の寵臣の一人が奈多家から田原家に養子に行った田原親賢である。
きっと俺が背景を探る事まで見越したのだろう。
俺が何も知らなかったら、確実に田原親賢と大友義鎮に不信感が出る。
「神仏習合している宇佐八幡が抱える寺たち、六郷満山と言うのだがここは比叡山と仲が良くてな。
そういう縁か」
俺はうめきながら天井を眺めため息をつく。
毛利元就は己の手すら汚していないという訳だ。
時枝鎮継という依頼主を用意し、果心という現場責任者を用意したのみ。
猜疑心で俺が離反してもよし、果心経由で俺を謀反に走らせてもよし。
果心を俺が斬っても所詮間者が一人消えるだけ。
ローリスク・ハイリターンの典型とも言える毛利元就の謀略の糸。
その糸を含めた無数の謀略の舞台で見事演じきった傀儡役の果心の才能。
その凄さに、怒りや恐れより、賞賛しか出てこない。
「お斬りになりますか?
私を」
果心よりその言葉が出るのは己の勝ちを確信しているから。
俺がそれをできない事を確信しているから。
「斬ったら、三好殿を敵に回すだろうが。
ついでに言うと、俺は死体を抱く趣味はない」
「八郎」
「八郎様」
有明とお色の視線がめっさきつくなる。
まあ、その体に興味がなかったと言えば嘘になる。
俺も健全な男子な訳だし。
「そこでにらむ二人を説得してみせよ。
それまでは女中扱いだ。
いいな」
俺の一言を果心は待っていた。
この二人を攻略する事も彼女は最初から想定していたという訳だ。
なるほど。
ここまでの才がなければ、この畿内で生き残れないか。
「こちらが、三好家から引出物にございまする。
お二方には受け取って頂きたく」
「……」
「……」
さすが三好家。
ため息しか出ない絹の反物や珊瑚の簪に山と積まれた金銀が二人の目をくらます。
あ。
これ、ぼかしているけど果心の義父を探ったら三好長慶が出てくるやつだ。
でないとこの貢物の量が説明できない。
「それでも、八郎と寝る機会が減るのがいやなの!」
有明は必殺のわがままを唱えた。
だが、果心はそれを跳ね返した。
「え?
三人一緒に寝ればいいではありませんか」
ちょっと待て。
二人で朝日が上るまで絞られている俺の事はどうなる?
あと有明、納得しないで。
「待って。
一緒に寝ても、もらえる量は減る」
お色は問題点を指摘する。
だが、果心は解決策を用意していた。
「ご安心あれ。
密教の秘奥義にて、一人分ぐらいどうとでもなる快楽と奉仕をお伝え致しますわ」
それ、俺が死ぬと言ってないか?
三人相手に朝まですると言ってないか?
俺の焦り顔に果心はブーメランを突き刺す。
「あら、しばらくは色狂いの橙武者をするとおっしゃっていたではありませんか?」
俺の逃げ道は無かった。
数日後、岸和田城に行くスタイリッシュ歩き巫女とスタイリッシュ遊女とスタイリッシュ白拍子の後ろで、馬に揺られてげっそりとしている侍の姿が目撃された。
『大友の仁将』や『今趙雲』という噂に『戦場に複数の女を連れてゆく色狂い』が加わって彼の実像が激しく歪むことになるのだが、それは後の話。
時枝鎮継 ときえだ しげつぐ
11/30
少し修正
8/24
少し修正
9/1
ネタバラシを忘れていたので大規模加筆修正