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久米田撤退戦

 撤退戦ほど厄介なものはない。

 統制無き撤退は組織的抵抗を不可能にし、手のひらを返すように落ち武者狩りが発生する。

 そんな状況下で多くの大名家はその撤退時に兵だけでなく将も失い、家すら傾けるという事もとてもよくある。

 そんな撤退戦をこれから行おうとしていた。


「勝鬨をあげよ!」


 まずは将兵達に負けたと思わせない事である。

 事実、戦場に残っているのは俺たち三好軍であって、崩れたのは畠山軍である。

 だからこそ、貴重な時間を消費しても『勝っている』実感を将兵に植え付ける必要があった。


「篠原長房。

 敵勢を崩し見事である!」


「ありがたき幸せ!

 これに控える者たちの手柄にて」


「うむ!

 帰ったら手厚く褒美を用意しよう。

 今は少ないがこの米と酒を与えるゆえ、勝ちに酔うが良い」


 分かりやすいのは、その戦場において最低限でいいから褒美を与えてやる事だ。

 これによって自分たちが勝っているという実感が湧き、それゆえに統制の取れる後退が行えるようになる。

 このあたり、俺が三好義賢に入れ知恵した事だ。


「御曹司。

 よろしいか?」


 本陣で行われている命がけの茶番を眺めていたら大鶴宗秋の声が陣幕の後から聞こえる。

 畠山軍が取って返してきて万一の逆襲をした時のために、俺の部隊は警戒させているのだ。

 俺は小声で大鶴宗秋に聞き返す。


「どうした?」


「物見より報告が。

 畠山軍本隊が、崩れた畠山軍を吸収したとの事」


 その報告に小さくガッツポーズを取る俺。

 一度負けた軍を再度攻撃に投入するのは難しい。

 傷ついているし、何よりも士気が折れている。

 それは、畠山軍が兵を再編する事を意味し、俺たちや岸和田城に篭っている安宅冬康が逃げる時間ができた事を意味する。


「分かった。

 浪人衆から下げさせる。

 荷駄を持って堺に下がれ。

 尼子衆を使って夜盗や落ち武者狩りを狩る」


「承知いたしました」


 動きの遅い荷駄を持っての撤退は『襲ってくれ』と言っているようなものなのだが、だからこそ囮として最高の餌になる。

 堺まで軍を率いてなら二日。

 つまり、今日の夜までどれぐらいの時間が稼げるかにかかっている。


「これより陣を退いて堺に戻る!」


 簡単な褒美授与が終わった所で、三好義賢からの爆弾発言に諸将が驚きの顔に変わる。

 何故ならば、この合戦は岸和田城救援を目的に後詰として出てきたからで、岸和田城を囲んでいる畠山軍の本隊はまだ健在だからだ。

 ここからがその将としての資質が出るのだが、三好長慶を補佐し続けた賢将は余裕綽々の顔で言い切ってのける。


「問題はあるまい。

 我らは勝ったし、既に岸和田城には和議を結ぶように伝えている」


 勝ったからこそできる下手の交渉。

 岸和田城無血開城である。

 畠山高政は確実に迷うだろう。

 合戦に負けたのに何もせずに岸和田城が手に入る意味に。

 そして気づく。

 三好家が畠山家だけでなく六角家などとも争っている事に。

 そうなれば、勝手に答えを導いてくれる。


「おそらく京の六角家か大和国人衆が動いたのだろう。

 だからこそ、兵を退けてその兵を他の所に向けようとしている」


と。

 そうなったら、畠山高政は動かない。

 誰だって自分がリスクをかぶりたくないからだ。

 六角家あたりと戦って消耗した所を叩けばいい。

 その時には更に兵の再編ができている。

 頭が居ない複数勢力が各個撃破される格好のパターンに入っている事に気づかず。

 その理由はそのままこちらにも使えるのだ。


「六角家が動いたとの文が来た。

 京が危ないゆえ、一度こちらは兵を返す」


 こういう時、誰もが納得できる理由があると人はそれに従うから便利だ。

 六角家が動いたうんぬんはもちろん三好義賢のでまかせである。

 だが、六角家と京を巡って対峙している事実はここの諸将も知っているので、悔しそうな顔をしながらその命に従ったのである。

 こうして三好軍は、


「勝ったのに、あと一歩で呼び戻された」


という、心理を手に入れた。




 三好軍の撤退はそれから一刻ぐらい経過して行われた。

 戦功があるが消耗も激しい篠原長房隊を先頭に、三好康長、三好政康、三好盛政の諸将が続く。

 俺は殿として残った三好義賢と共に最後尾から睨みをきかせていた。

 最後尾にはためく『片鷹羽片杏葉』と『三階菱に釘抜』の旗に乱れは無いが、この旗めがけて伝令が駆けてくる。


「申し上げます!

 荷駄衆に夜盗が襲いかかっています!」

「蹴散らせ」


 既に三度目の襲撃に俺の声も淡々としている。

 落ち武者狩りは戦場になった地域の民の仕返しと同時に、勝者に尻尾を振るチャンスでもある。

 だからこそ、勝ったのに兵を引いた場合の判断は難しいのだが、岸和田城無血開城が伝わったのだろう。

 三好軍が負けたと判断したらしい。


「もったいないですな。

 打ち捨てですか」


 馬廻を率いて俺を守る一万田鑑実がもったいなさそうな声を出す。

 死体から武器や衣服や持ち物を剥ぎ取って収入にするのは戦の作法の一つだが、今は時間が欲しいのでそれを全て禁止している。

 俺は苦笑しながら一万田鑑実に更に奥の手をばらす。


「誰にも言うなよ。

 畠山軍が追撃に来たら、荷駄も捨てさせる。

 半分火をつけてな」


「……御曹司もえげつない手をお考えで」


 目の前にご馳走があって、その半分に火がついている。

 ご馳走が欲しい欲張った連中は、いやでも残りの半分も燃やさないように火を消しに走らざるを得ない。

 その間に俺たちは遠慮なく逃げるという訳だ。

 合戦で使った油も少し残っていたから使える策である。


「御曹司。

 我らの出番は?」


「待て。

 少なくともここで出して弾が無いなんて事は避けたいんだ。

 追撃に来るかもしれない畠山の軍勢までその弾はとっておいてくれ」


 夜盗を蹴散らす音を聞いて功績を稼ぎたい明智十兵衛が駆けつけてきたので、俺は彼に待ったをかける。

 傭兵ゆえ武器持参が原則である彼の鉄砲隊が持参する弾薬の数は多くて十数発。

 こういう散発的な襲撃に対処して弾薬が無くなったなんてオチは避けないといけなかった。


「伝令!

 篠原殿が率いる先陣が綾井城に入りました!!」


「ご苦労。

 こちらは無事な事を返して伝えるが良い」


「はっ」


 俺の隣りにいた三好義賢の声には疲れは見えない。

 丸一日大軍の指揮をしてもなお兵を不安にさせない。

 これが将器というやつか。

 殿は俺の千に三好義賢の馬廻に各隊から抽出した千の二千。

 後で目を光らせて落伍者の回収も行っているから、士気は未だ保たれている。


「とりあえず、屋根のある場所で寝れるのはありがたいわよね」

「本当。

 それだけでもほっとする」


 御陣女郎姿の有明と白拍子姿のお色の声も安堵に満ちている。

 野営というのはそれだけトラブルが多いのだ。

 これが負け戦になると更にひどくなるのはこの手の戦場で股を開き続けた彼女たちにとって当たり前の話で、現地の領主が城を貸してくれるという事実が実は負けではないという事を物語っている。

 綾井城を治めていたのは、沼間清成といって和泉三十六郷士と呼ばれる和泉国の豪族衆の旗頭であり、三好家にも畠山家にも伝がある。 

 この滞在を畠山家から突っ込まれない為にも、和議という形が欲しかったのだ。


「え?

 合戦終わったんでしょ?

 だったら、三好軍を泊めて問題ないですよね」


という言い逃れができるからだ。

 もちろん沼間清成が畠山家側に明確について三好軍を攻撃する可能性もあった。

 だが、統制がとれたおよそ七千の兵に喧嘩を売るには国人衆の兵力ではきつすぎる。

 せめて畠山軍の後詰があれば別だっただろうが、畠山軍の主力は岸和田城に居るから届かない。

  

「三好豊前守の陣はこちらでござるか!」


 最後尾から騎馬武者が声を張り上げる。

 三好家の旗印を見て安堵しながら、その騎馬武者は三好義賢の前に馬を向けた。


「馬上失礼。

 それがし、安宅摂津守の手の者にて。

 安宅摂津守より伝言を言付かっております。

 『和議は成立し、城を出て春木川を越えた。兄者の手勢と合流したい』との事だそうです!」


「あいわかった。

 綾井城にて宿泊する故、そこを目指すと良いと伝えられよ」


「承知!

 これにて失礼!!」


 騎馬武者が去ってゆくのを見た三好義賢が安堵のため息をついたので、俺が声をかける。


「良かったですな。

 弟君の無事が確認できて」


「ええ。

 又四郎が亡くなった今、神太郎や満五郎と共に兄者を支えないと」


 又四郎が十河一存、神太郎は安宅冬康、満五郎は野口冬長で、十河一存は前年度にここ和泉国で病死していた。

 ぶっちゃけると、三好家の武闘派だった十河一存の早すぎる病死でチャンスとばかりに畠山家が攻めてきたのがこの久米田合戦の原因だったりする。

 なお、十河一存と松永久秀の仲は良くなく、松永久秀の毒殺説もここ畿内では広く知れ渡っているが、松永久秀はその事を否定も肯定もしていないらしい。


「兄弟……か」


 ぽつりと声が出る。

 三好義賢がその話題に知らずに触れる。


「いらっしゃるので?」


「居るらしいですな。

 兄上は父上と共にお屋形様に逆らって滅び、肥後国相良家にもう一人の兄上と妹が。

 離れて暮らしているので、文すらやり取りしていませぬが」


 側室だった母は肥後で謀叛を起こして奪還に失敗した父を見限った。

 だからこそ、俺は大友二階崩れの混乱に巻き込まれずにこうして生きている。

 人生万事塞翁が馬とはよく言ったものだ。


「文を出してやりなされ。

 離れていても血の絆は大事ですぞ」


「そんなものですかな?」


 戦国時代、兄弟で争うというのはそれこそいくらでもあった。

 兄弟はライバルでもあるのだ。

 そこで気づく。

 考えてみれば、この三好兄弟は亡くなった十河一存も含めて仲が良いという事に。


「ではお聞きしましょう。

 この戦国の世において、兄弟仲を良く保つにはどうすればよろしいので?」


 俺の質問に三好義賢はあっさりとその答えを口にした。

 ある意味、どの時代にも繋がる普遍的な答えを。


「簡単な事。

 兄弟全てが一致する敵がいればまとまり……失礼」


「はて?

 何か言いましたかな?」


 三好義賢らしからぬ失態に俺はそれを聞き流すことにする。

 兄弟の無事に喜んだからこその失態と思っておこう。 

 彼の言おうとしたこと。


 兄弟全てが一致する敵。

 それが親の仇である大友義鎮になるという事を。

 



「神太郎!

 無事だったか!!」


「兄上こそご無事で。

 岸和田城を失い面目次第もござらぬ」


 綾井城に到着してから夜遅く、安宅冬康の軍勢も合流する。

 その兵数は千数百ほどで、岸和田城を落とした畠山軍が追撃をしかけても十二分に戦える兵まで回復した事を意味していた。

 その光景を俺はある意味覚めた目で眺めていると有明に抱きつかれる。


「どうしたの?

 八郎?」


「なりゆきで戦に参加したが、こっちに来てから何をするか考えていなかった事に気づいてな」


 俺の今までの人生は有明を助ける事と有明の仇である高橋鑑種を討つ事しか考えていなかった。

 そして、有明を救い出し、高橋鑑種を討つ事ではなく九州から逃げ出すことを選んだ現在、何の未来も考えつかない俺が居る。

 俺が死ぬはずの今山合戦までおよそ数年。

 何をすればいいのだろう?

 その問いを口に出す代わりに、俺は有明を抱きしめてごまかすことにした。




 久米田合戦は三好軍の戦術的勝利に終ったが、岸和田城の放棄という戦略的敗北によって幕を閉じた。

 畠山高政は三好軍が逃げ出した岸和田城に入城したが、手勢の損害が大きく追撃を断念。

 三好軍の撤退を見逃す羽目に陥った。

 一方三好軍だが、安宅冬康率いる岸和田城兵とも合流し、堺に向けて撤退する。

 和泉河内の国人衆は畠山家の影響力増大によって畠山に使者を送りながらも、合戦には勝利した三好軍侮りがたしと追撃を控え、三好軍は数度の落ち武者狩りを組織的に排除しながら堺への撤退を果たしたのである。



 

 久米田合戦

  三好軍   8000

  畠山軍   10000


 損害 (死者・負傷者・行方不明者含む)

  三好軍   数百

  畠山軍  千数百


 討死

  なし

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