籠釣瓶柑子岳未遂
柑子岳城はいい天気だった。
季節は秋から冬に変わろうとしていたが、日本海の寒さはまだ本格的にこの地に訪れてはいない。
城門は開かれ、弔問客は途切れることはない。
とはいえ、既に遺体は埋められているので、彼等は位牌に拝み現世利益を求めて、他の弔問客と俗世の楽しい話をする為に来ているのだ。
臼杵鑑続の葬儀と臼杵鑑速の家督継承。
俺は彼に挨拶をする為に、有明や大鶴宗秋や小野鎮幸を連れてこの地に再びやってきたのである。
「誰だ?
あのお方は?」
「八郎様よ。
正式に大友一門入りを果たした、菊池義武様の忘れ形見。
大友鎮成様よ」
「隣についているのは大鶴宗秋殿か。
家は息子に任せて、御曹司の為に働くと誓ったとか。
しかし、精強な兵よの」
「何でも、宗像との戦の功績で猫城をもらったとかで。
その猫城に連れてゆく兵だそうだ。
あの兵達ならば、八郎様の武功も納得がいくというものよ」
「隣の姫君は有明姫。
大鶴殿の主筋に当たる大神の名族雄城家の姫君だそうな」
「しかしまるで戦にいくかのような緊張感ではないか」
「臼杵鑑続殿は八郎様の初陣に大鶴殿をつけたりと色々便宜を図っていたからの。
その礼をするそうだ」
「見事な姿になって。
臼杵殿も黄泉路からお喜びになられようて」
本当でもないが嘘でもない話が俺の耳にも届く。
俺の現在の身分は猫城主兼烏帽子親高橋鑑種の名代で、秋月戦で手が離せない高橋鑑種の代わりに葬儀に出るという名分になっている。
もちろん、この葬儀の本当の目的は俺のお披露目だ。
同時に、情報の改竄が静かに行われている。
たとえば、有明の事だ。
遊郭での有名太夫だから、この場に集まった連中とて有明の顔と体を知っている輩は多い。
それが城主の奥方扱いだからやっかみもあるだろう。
だが、そこから大友家の関係者に探らせると、それが本当のように扱われるようになっている。
そりゃそうだ。
有明が雄城家と同じぐらいの大神一族の名族で、謀反の為に粛清された小原家の忘れ形見である事は事実なのだから。
こうして、遊女の有明と雄城家の姫である有明の情報が融合する。
できた物語はこんな感じとなる。
「有明姫は雄城殿の先代が博多の遊女との間に作った姫だそうな。
母親が雄城の家に入るのを避けて生活し、姫もまた母親と同じく遊女となったが、血は隠せぬらしく遊郭で名が通るまでに名が響いてしまった。
それを聞いた雄城殿が大鶴殿に頼んで探りを入れると、身元が分かった訳で」
「で、その有明姫にはまっていた旦那衆の一人が八郎殿だったと。
姫を嫁にする為に、城を切り取ってみせると豪語して見事一城を切り取ったとお屋形様はじめ絶賛よ」
見事な貴種流離譚のできあがりである。
小原家への粛清と、命を助ける為に有明が遊女に身を落として高橋鑑種に囲われていた事が、綺麗に消えている。
高橋鑑種と小原鑑元の関係を考えれば、消した方がいい過去だからだ。
小野鎮幸とその一族の兵を率いてきたのも、先に功績があるから彼らの兵の精強ぶりが注目される訳で、それはそのまま猫城でも有効に働くだろう。
他にも理由がある。
この間の元服式における毒殺騒ぎだ。
高橋鑑種の報告に大鶴宗秋と柳川調信は激怒、有明は真っ青になったが犯人は未だ不明らしい。
何しろ門司合戦の後だから毛利家や宗像家の報復から、秋月家の妨害など犯行動機を探したらいくらでも出るので犯人が絞りきれない。
小野鎮幸とその兵を連れてきたのはこの毒殺騒ぎへの警戒というのもある。
柑子岳城の本丸にて臼杵鑑続の位牌に手を合わせる。
彼とはほんの少しの付き合いだったが、それでもかけがえの無いものを教えてくれたのだ。
それを大事にこれから生きていきたいと思う。
「御曹司。
よく来て下さいました」
「兄君には生前世話になったからな」
喪主である臼杵鑑速は加判衆の座に正式につき、臼杵家当主として多くの挨拶を受けていたが俺を見つけると弟の臼杵鎮続に任せて奥の部屋に誘う。
遠くから聞こえてくる坊主の経に今が葬儀中で、臼杵鑑続がもう居ないのだと嫌でも感じてしまう。
「それがしは加判衆として府内に詰める事が多くなるでしょう。
弟の新介を残すので、何かあったら遠慮なく申してくだされ」
新介というのは今、臼杵鑑速の代わりに挨拶を受けている臼杵鎮続の事だ。
宗像攻めにもつきあってくれたので気心は知れているという配慮なのだろう。
そんな挨拶から本題に入る。
「宗像の方はなんとか和議が結べそうです。
正式には、少弐家と宗像家の和議の後、少弐殿からの礼という形で立花殿と御曹司に城が渡される形になりますが、現状の追認ですから気になさらないでくだされ」
そう言って、大友義鎮と加判衆六人の加判が書かれた猫城恩賞授与の書状を俺に手渡す。
あくまでこの宗像戦は大友家が関与していない戦なので、建前上は少弐家から大友家に城が渡され、それをお屋形様から受け取る形になる。
このあたりの城のやり取りに大名が絡むか絡まないかでその大名の戦国大名度がなんとなくわかる訳で、大友家は守護大名上がりという事もあって、戦国大名に脱皮しようとしていた。
「こちらも形式的な事にはこだわりませぬ。
お屋形様および加判衆の皆様に感謝を」
その書状を受け取って懐に入れると、臼杵鑑速の顔が困ったような顔で続きを口にした。
「これとは別に宗像家からの提案なのですが、宗像家の姫を側室にという話が持ち上がっております」
宗像の姫と言われて何処かで聞いたようなと記憶を探る。
で、該当した言葉に俺も顔をしかめる。
「臼杵殿。
失礼ですが、その姫は祟り騒動の……」
臼杵鑑速が頷き、俺は額に手を当てて天井を見上げた。
有明と祝言をあげたばかりでもう側室かと皮肉の一つでも言おうとして、臼杵鑑速が真顔なのに気づく。
そして、俺も姿勢を正した。
「現在の宗像家には世継ぎがおりませぬ。
もし、御曹司とその側室との間にお子ができるのならば、後を継がせても良いとの言質も引き出しております」
ここまで宗像家が譲歩する背景は、撤退を急ぎたい毛利家の意向がある。
この手の言質もよく反故にされるのも戦国時代というやつだが、水軍衆と宗像大社・宮地嶽神社を抱える宗像家は十万石近い価値を持つ大名で、その乗っ取りができるのならばという事なのだろう。
祟りと対峙する俺の苦労を除けばだが。
「俺は有明と猫城だけで十分なんだがな」
呆れ声で言い放った俺に、臼杵鑑速は頭を下げる。
それが大友家の意向であると俺に悟らせるように。
「御曹司はいずれは御一門衆として大友家を支えてもらわねばならぬ身。
これで終わっては困ります」
と。
臼杵鑑速の居た部屋から出て目立たないように葬式に戻る。
耳には城内の噂話が聞こえてきた。
「宗像との戦はそろそろ和議がまとまるようすで。
お屋形様はめでたい事続きですな」
「ですな。
奈多夫人のご懐妊ですからな。
姫君は既に居るので、また男子が欲しいですな」
「長寿丸様もすくすく育っているとか。
八郎様のご活躍も合わせて大友家は安泰ですな」
長寿丸。
後の大友義統はもう生まれているらしい。
他にも娘が幾人が居るのだから、この頃の大友義鎮と奈多夫人の夫婦仲は悪くなかったのだろう。
そんな事を考えていたら、声をかけられる。
「御曹司。
少しよろしいでしょうか?」
声がかけられた方を振り向くと、喪服姿の神屋紹策が居た。
彼の方に行くと、人目を確認して俺の耳元でとんでもない事を囁く。
「御曹司を不埒な輩が襲う可能性がございます。
ご注意を」
「へ?」
思わず間抜けな声が出るが神屋紹策の顔が真実であると告げている。
俺も周囲を見渡して小声で確認する。
「疑いたくはないが真か?」
「博多の流れ者に急速に広がった話でございます。
『有明太夫に入れ込んでいた商家の若旦那が、御曹司より有明太夫を奪うために流れ者を雇った』と。
商家の方は博多町衆に確認を取ってそのような不埒者は居ないとの事ですが、流れ者には既に銭を受け取った者がおります」
博多の、日本有数の色街の頂点に上りきった有明だからこそ、贔屓にしている旦那衆も多い。
それでも俺が有明を娶れたのは、大友家の御曹司という貴種と博多を筑紫家の略奪から救ったという恩に、神屋を相手にした商才と宗像攻めで見せた軍才を買ったからなのだろう。
惚れた女のために俺と喧嘩をする若旦那が居るのかと感心しようとして、その違和感に気づく。
「……ん?
不埒者が居ないのに、どうして銭が払われているんだ?」
その瞬間、背筋が凍りついた。
神屋紹策が何を言わんとしたのか分かったからだ。
つまり、色恋沙汰というカバーストーリーの元で、俺に襲撃をしかけようとしている輩が存在しているという事を。
礼を言って神屋紹策と別れ、有明と大鶴宗秋と小野鎮幸を呼ぶ。
神屋紹策の話をした途端、三人の顔色も変わった。
「どうなさいます?御曹司。
予定通りに帰りますか」
「待て。小野鎮幸。
お主は知らぬだろうが、御曹司は以前この城の帰りに襲われておるのだ。
前と同じことが起きると考えるべきかと」
小野鎮幸の確認を大鶴宗秋が制す。
かっこつけてあの襲撃の裏とりをしなかった事がこんな所で響いてくる。
事態の深刻さに怯える有明を抱きしめながら、俺は有明に尋ねる。
「お前を攫いに来るような若旦那に覚えは?」
「……ないと思う。
というか、その若旦那に唯一当てはまるのは、八郎。貴方よ」
抱きしめた有明の小声に俺は思わず苦笑する。
彼女は太夫であると同時に高橋鑑種に囲われた女だったのだ。
つまり、有明を奪うと本気で考える場合、俺みたいに高橋鑑種と対峙する可能性を考えないといけない。
利に聡い博多商人達がそれをするデメリットを知らない訳がなく、そのデメリットを乗り越えたからこそ、俺は今有明を抱いていられるのだから。
「博多の町衆には俺の機嫌を損ねて有明を攫う理由はないが、既に流れ者に銭が流れて動いているというのが神屋紹策の話だ。
という事は、銭を出した連中が居る」
それを口に出して俺は考える。
毛利家か?
違う。奴らは尼子家に戦力を集中したいはずで、この門司城合戦を負けと確定して損切りをしたがっている。
ならば、毛利に見捨てられる宗像家と秋月家か?
これも違うだろう。
宗像家とは和議がまとまりつつ有り、ここで俺を怒らせてその和議をぶち壊す必要はない。
秋月家はおそらく高橋鑑種と繋がっているから、最後は逃れられるのに俺を怒らせて高橋鑑種の面子を潰す必要はない。
「御曹司。
これは、祝言の式のあれと……」
「大鶴宗秋。皆まで言うな。
人が見ている」
遠巻きに俺たちが見られていることを自覚して大鶴宗秋が目と口を閉じて不満げに座る。
俺と有明はお披露目というこの葬儀における主役でもあるのだ。
常に見られていないといけない。
だが、大鶴宗秋の指摘は正しいと思っている。
祝言での毒殺未遂と葬式での有明かどわかし計画の犯人が同一だろうと考えてある事に気づく。
「なぁ。有明。
祝言の式ってどんなだったっけ?」
まだ抱いたままなのだが嫌がる様子もない有明が顔を赤らめてそれを口にする。
「忘れたの?
三三九度で私から盃を三度飲んで次に八郎が……遊郭での一夜妻の儀でよくやったじゃない……」
そういう事か。
あの毒を最初に飲むのは有明だったのだ。
そして、今の有明かどわかし。
狙われているのは俺じゃない。有明だ。
だが、どうして有明なんだ?
その時、俺の頭に閃光が走る。
「お気をつけを。
かの御仁ならば、次に有明殿を亡き者にして、再度縁談を申し込むなど朝飯前でしょうな」
その柳川調信が評した人物の名前は竜造寺隆信。
真っ先に俺との縁談を申し込んできた男だ。
脊振山地を越えることになるが、襲撃者を送り込むのが不可能ではない距離に領地を持っているのも怪しさが増す。
そこまでするのか。
いや。
そこまでしたからこそ、彼は肥前の覇者となったのか。
「今日は、この城に泊まろう。
明日、船で博多の方に……」
そこまで口に出して、鍋島直茂の顔が浮かぶ。
この外道卑劣な手を彼が許容するのか?
主君の命として割り切ってする可能性もあるが、縁談申込みの席の淡々とした顔を思い出す。
彼は少なくともこっちに分かる形でサインを出してくれていた。
だとしたら、この状況では泊まる方が危ない。
「いや。
今日の内に帰ろう。
俺と有明は神屋殿の船で戻る。
お前たちは陸路を予定通りに帰ってくれ」
「神屋殿を信頼なさるので?」
大鶴宗秋の言葉に、俺は笑顔で言い切る。
抱いた有明の頬をなでながら腹を決めて。
「俺に危機を知らせてくれた恩人を信じられないならば何を信じれば良いんだ?」
たとえ彼が毛利側の御用商人という立場でも、利と恩がある限り信用はできないが利用はできる。
柳川調信が教えてくれた、利害関係という判断基準に俺は己と有明を賭けることにした。
城を去る時に、博多湾を眺める。
この景色をもう一度見れるのだろうか。
そんな事を考えながら俺達は柑子岳城を後にした。
結果から言って、襲撃対策は空振りに終わった。
俺と有明は神屋の船で海路無事で博多に戻り、大鶴宗秋と小野鎮幸の一行も襲われる事無く博多に到着した。
だが、大鶴宗秋の報告によって臼杵鑑速と神屋紹策の調査の結果、流れ者に払われていた銭ははした金とは言え百人近くにのぼり、この襲撃事件の背後が暗く深い事を暗示させる結果になった。
何かを回避した模様




