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ある後継者の苦悩

 安芸国吉田郡山城。

 西国十数ケ国を支配する戦国大名毛利家の本拠地であり、尼子軍を相手に壮絶な防衛戦を行った毛利家の聖地でもある。

 最近流行しだした天守閣なるものを毛利家も作っており、三層の天守閣より安芸の山々をなんとなく眺めている男が誰もいない事を良いことに呟く。


「なんとか兵を送る目処はついた。

 だが、本当に送ってよいのか?」


 毛利義元。

 先ごろ亡くなったとされる毛利元就の後を継いで戦国大名毛利家の当主と成った男は、その疑問の答えを口にできない。

 毛利義元という男は無能ではない。

 少なくとも、祖父毛利元就や叔父である吉川元春や小早川隆景に遠く及ばないと自覚している程度には、無能ではなかった。

 悪化している九州情勢は、どうあがいても数で優勢になっている大友軍との決戦になる。

 にも関わらず彼は九州での戦にでる事無く、毛利家の本拠地である吉田郡山城の天守でため息をつく。


「叔父上達が見たらまた叱るのだろうが、俺にはあの二人の割り切りが理解できぬ」


 尼子家の降伏を許し、宇喜多直家の好きにさせ、伊予の戦を手仕舞いにして用意した後詰戦力はおよそ一万。

 五千ずつを吉川元春と小早川隆景が指揮する形になる。

 九州の親毛利戦力はまだ残っている。

 筑前国の大部分を支配する高橋鑑種の下には一万数千の兵がおり、復旧した門司城には五千ばかりの兵が詰めている。

 防衛戦をするならば、負けない戦いもできない訳ではない。


「大友がここまで崩れないとは思っていなかった……」


 ぽつりと彼は祖父の謀略の失敗を口にする。

 高橋鑑種の謀反の時点で、大友家は真っ二つになるはずだったのだ。

 少なくとも高橋鑑種はそう信じたからこそ謀反に踏み切ったはずだ。

 何しろ彼は、大友家が真っ二つに割れた小原鑑元の乱鎮圧の功労者なのだから、大友家内部の状況がその時より更に悪化しているのは分かっているはずなのだ。



 大友鎮成を盟主とする、反大友勢力の一斉蜂起。



 だから彼は謀略を仕掛けた毛利元就の手をとったのだろう。

 高橋鑑種には謀反に踏み切る理由があった。

 大友宗麟擁立の立役者でありながらも彼に粛清された一万田鑑相の子供である事。

 小原鑑元の乱鎮圧の功労者でありながら、府内に戻れず大友家中枢から外された事。

 商都博多の支配をめぐる、臼杵鑑速や立花鑑載との摩擦。

 烏帽子親をつとめた大友鎮成に臼杵鑑速が接触して自派に取り込もうとしている事。

 肥前の竜造寺隆信が内心大友家に従っていない事。

 かつて謀反で滅んだ秋月種実をかくまっている事。

 これらの不満や愚痴を高橋鑑種は情報と共に毛利元就に漏らし続け、毛利元就の謀略の根幹を成す。

 その結果が、筑前・肥前二カ国の寝返りであり、毛利元就の謀略の最たるものと言って良いだろう。


「だが、その結果どうなった?

 西国十数か国を得たはずなのに、ここまで疲弊しているではないか」


 毛利義元の声には疲弊の色が隠せない。

 本国安芸を中心に、備前・備中・備後・周防・長門・石見・出雲・伯耆・美作・隠岐の中国地方、四国の伊予、九州の筑前・肥前と十四カ国を支配もしくは影響下におく超大大名に成り上がった。

 これは全盛期の大内家や細川家や山名家に匹敵する国数である。

 だが、その内実は寒い限りだ。

 酷い飢饉が発生した事もあって兵糧調達がままならず、博多を握る高橋鑑種経由で石見銀山の銀でぼったくり価格で買い続けた。

 宇喜多直家がらみの一件では、友好関係にあった備中三村家を敵に回した上に滅ぼし、その領地を褒美として配下武将達に分け与えないと軍そのものが崩壊しかかった。

 宇喜多直家には監視を置かねばならず友好勢力だった三村家が無い今、尼子残党と長く戦うわけにはいかず彼らの降伏を認め、彼らと宇喜多直家を争わせて牽制させるしか手が無かった。

 伊予の戦はあと一歩の所まで攻めながら勝ちきれず、予州河野家を使って何とか兵を退く羽目に陥っている。

 そして九州では、大友軍五万が満を持して出陣し、色々と個々の奮戦はあったが肥前竜造寺家は降伏してしまい、毛利の武威は大きく傷ついた。

 竜造寺家は大友家に人質を出し、守護代の地位は剥奪され、博多の西にある糸島半島の領地は大友家に返還し、竜造寺家に従属していた有馬家・大村家・松浦家を解放して大友家に再従属させる。

 あげくに近く行われる筑前攻めにおいて先陣を命じられるという容赦のないペナルティーだが、それでもたいした損害もなく寝返ることができたと見るべきなのだろう。

 現状毛利軍が用意できる戦力は現地勢を合わせて二万から三万。

 大友軍は竜造寺家を加えたから五万から六万ぐらいまで用意できると毛利義元は読んでいた。

 厳しい。


「結局は大友鎮成が謀反を起こさなかったし、大友宗麟が彼を殺さなかった。

 それが全ての誤りか」


 高橋鑑種謀反から始まった大友家中の粛清人事に、大友鎮成は逆らうどころか畿内に居た事を良いことに従ったのである。

 あげくに、己が切り取った南予十万石の領地を返上までしている。

 そこまでして叛意が無い事をアピールした上で、伊予宇都宮戦で功績をあげてその忠義を示せば、大友宗麟ですら粛清はできない。

 佐伯家や田原家等の大友家内部の非主流派が、大友鎮成と深くつながっていた事もこの誤りに拍車をかけた。

 とどめは大友鎮成が連れていた鬼札大内義胤の存在。

 大友鎮成は毛利元就が大友宗麟に植え付けただろう疑心暗鬼と嫉妬心を、離れた場所より誠意と功績で堂々と洗い流してしまったのである。


「あれは阿呆か!?

 国持ち大名に成るだけでなく、筑前・肥前・肥後・伊予四カ国の主に、望むなら大友家当主の座すらお膳立てしたのに何故それを取らない!?」


 毛利元就の嘆きとも怒りともとれる声を目の前で聞いている毛利義元はその光景を思い出して苦笑する。

 今更だが、毛利元就が理解できない大友鎮成の人となりを毛利義元はおぼろげながら掴みかかっていたのだから。


「あれは俺みたいなものだ。

 おそらく、あれにとって絶対的な何かを知っているからこそ、自分を律しているのだろうよ」


 探偵が犯人像を探るように毛利義元は呟き続ける。

 それはおおよそ核心を突いていたが、大友鎮成の絶対的な何かの中に毛利元就が入っている事まで毛利義元は知るよしもない。


「こちらに居られましたか」


 毛利義元が振り向くと、現れたのは福原貞俊と口羽通良。

 九州の戦いにおいて毛利義元と共に留守を命じられ、その報告に来たのだ。


「兵の再編は終わっております。

 安芸に一万。

 周防と長門に一万」


 福原貞俊の報告に、口羽通良が続く。

 まだ若い毛利義元であるから、この二人に吉川元春と小早川隆景を加えた四家老体制でこの毛利家を動かす事が毛利元就死後に周知されたばかりである。


「周防長門の大将は吉見正頼殿で山口に。

 安芸の大将は天野隆重殿にお願いしております」


 大内家再興を旗に大友軍が攻めて来る以上、確実に本拠地安芸や大内家の本拠だった周防長門に兵を置いておく必要があった。

 それがまた毛利軍の作戦行動の自由を狭める。


「村上水軍衆が出陣に同意しました。

 これで、警固衆と合わせて四百隻の船を用意できるので、九州に渡るのは容易になるでしょう」


 毛利家の重鎮である福原貞俊は好々爺の笑みで見ている二人を安堵させようとする。

 第一次姫島沖海戦が大友軍の完勝に終わったので、存在価値が低下する事を恐れた村上水軍が毛利側についたという方が正しい。

 近く、屋代島を拠点に集まった毛利・村上水軍連合軍は、姫島及び国東半島の大友水軍撃滅を目的として出陣する事が決まっていた。

 この戦いに勝利できないと、九州に上陸した毛利軍が帰れずに九州の地にて屍を晒すことになりかねない。


「京に居る安国寺恵瓊殿に文を出せ。

 『大友と毛利の和議仲介をお願いする』。

 それで御坊は察してくれるだろう」


 毛利義元の命に家老二人の顔に困惑の色が浮かぶ。

 その光景は見慣れていたので、毛利義元は自虐的な笑みでわざと尋ねる。


「どうした?

 一応俺は毛利家の当主になったのだが、はばかる相手でも居るのか?」


 答えられない二人を前に毛利義元は先に視線をそらす。

 毛利義元という男は無能ではない。

 少なくとも、祖父毛利元就や叔父である吉川元春や小早川隆景に遠く及ばないと自覚している程度には、無能ではなかった。

 だからこそ、不満を自虐で隠してその真意を口にする。


「策を壊すつもりはない。

 とはいえ、大友を滅ぼせない以上、どこかで和議を考えねばならぬ必要が出る。

 遅いか早いかの違いよ」


 そういえば大友鎮成が名をあげる事になった畿内行きの理由はたしか毛利との和議の使者だったな。

 そんな事に気づくと毛利義元の顔から自虐の笑みが消える。


「ちなみに、和議の内容は?」


 口羽通良が恐る恐る尋ねると、毛利義元は毛利家当主として絶対に譲れない線を提示する。


「大内家の周防国および長門国の守護阻止と、門司城合戦の境界に戻ること。

 門司城も破却して構わぬ」


「っ!?」

「それは……」


 それは九州全放棄と同義語で、起こるだろう大友家との決戦すらしなくても良い条件である。

 二家老が押し黙ると毛利義元が冗談を言う。

 ある意味、彼らが絶対に言い返せない命を持って。


「『毛利は天下を望まぬ』。

 たしか遺言の中にこう書かれていたはずだが?

 六分の一殿以上の国を持つ我らがその命に従うのならば、国を減らすのは道理だろう?

 それをせねば、京に、公方様に、天下に滅ぼされるぞ」


 六分の一殿と呼ばれた守護大名山名家の全盛期の領国は十一カ国。

 九州全放棄でもまだ十二カ国残っている所が、毛利元就の凄い所であり、それを受け継いだ毛利義元の重い所であった。


「京はいつものようにきな臭い。

 公方様は大友と毛利を取り持つ事で西国の兵を当てにしているふしがある。

 御坊の口車に乗るかもしれんぞ」


 瀬戸内水軍を握っている毛利家は大友家より情報伝達のアドバンテージがある。

 早船で知らされた急報は、副将軍織田信長が伊勢国長島にて一向宗門徒を相手に大惨敗を喫したという激震だった。

 徳川家と共に今川・武田連合軍を三方原で破った織田家は、領地に残った最後の棘である長島一向一揆の制圧に乗り出すが、その水陸両方の重包囲陣に台風が直撃したのである。

 嵐で船が沈み、大洪水で将兵が流された後に打って出た一向宗に散々に打ち破られ、多くの討死を出したという。

 この長島での大敗が京の政治に波紋を投げかける。

 副将軍織田信長の勝ち過ぎは警戒するが、負けて滅べば己の存在自体が危うくなるからだ。

 足利将軍家独特のバランス感覚で一向一揆を指導している石山本願寺を叩くべきだという足利義昭の意見は、管領細川昭元の領国である摂津国、和泉国、河内国が荒れることを意味するので細川昭元は抵抗。

 副将軍が一時的に力を失った今、将軍と管領の摩擦は必然的に乱の呼び水になる。

 足利義昭が企む播磨国領国化の企みも絡んで、足利義昭は四国に引っ込んだ三好家を畿内に呼び戻そうと画策し、その三好家を引っ張るために大友鎮成の上洛を望んだのである。

 大友家内部分裂の危機を救った、大内義胤の伊予半国守護任命の背景はこんな所にあった。 


「まぁ、確認したければすればいい。

 何処に居るのか知っているのならばな」


 毛利義元の言葉に押し黙る二家老。

 毛利元就は公的には死んだことになっている。

 たが、その墓の下には空の棺桶が埋められているはずだ。

 毛利元就は死を公表し、その姿を隠すことで、疑心暗鬼で家中を縛って毛利義元の家督継承を円滑化させたのである。

 今のところそれはうまくいっていた。


「居場所をご存知なので?」


 福原貞俊の質問に、毛利義元は吉田郡山城の城下を見下ろす。

 毛利義元だけでなく家中の忍者達にも強力な箝口令を敷いた上で、直属の座頭衆のみを連れて毛利元就は消えた。

 ならば、考えられることは一つしか無い。

 その程度の事が分かるぐらいには、毛利義元は無能ではなかった。


「叔父上達が九州で争ったらどうする?

 つまりそういう事よ」


 そして思いついたように冗談を言う。

 その冗談を二家老は笑えなかった。


「案外、大友鎮成の方が居場所を知っているのかもな」




 後に座頭衆からこのやり取りを聞かされた老人は、楽しそうに笑ったという。

 それがどういう意味での笑みなのかまでは後の世に伝えられていない。

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