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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない 作者:北部九州在住

天然チート爺vs量産型チート主編

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肱川百年戦争開戦

 九州方面の戦機が熟しているのに対して、伊予方面の戦についてはほぼ終わりとなった。
 河野家と長宗我部家の間で和議が結ばれたからだ。
 荏原城返還を条件に、三坂峠より南の領有に成功。
 返還された荏原城には予州河野家より金子元宅が城代として送られ、長宗我部家に対して警戒する事になる。
 一方、俺の所と河野家は実は直接的な戦火を交えていない。
 あくまで、旧宇都宮家の領有を巡って河野家と俺が後詰を出したという形である。
 由並城を落とした時点でこちらが進撃を停止したので、自然休戦となったという方が正しい。
 さて、旧宇都宮領を完全併合した形になったので、人材登用の時間である。
 元々が宇都宮家のお家争いからの大友と毛利の介入という経緯から、毛利側についた人材はかなり野に流れていて登用があまり進んでいない。
 由並城主由並通資は降伏し忠誠を誓ったのでそのまま城主として安堵し、千貫を与える。
 宇都宮家重臣で権勢を誇っていた曾根城主曾根宣高は、毛利側について逃亡し行方知れず。
 内子にある竜王城主で大野直之の家臣だった城戸直盛も降伏し、こちらに忠誠を誓ったので城主として安堵し、千貫を与える。
 ただ、大野直之が己の力を持ちすぎることを警戒してか、城戸直盛を俺の直臣に推挙してそれを受け入れた形にしている。
 米津城主藤原行春の登用時は一悶着あった。
 奮戦虚しく降伏開城となったのだが、ここの奥方瑠璃姫とその娘八重姫と九重姫の三人の奮戦が凄く、登用条件に彼女たちの身を俺が嬲るのではという懸念が伝えられたのだ。
 毛利からの情報曰く、

「大友主計頭は無類の女好きで、領地から女を集めて夜な夜な女たちと狂うらしい。
 だから、城主の姫君ともなれば大友主計頭の格好の獲物とされましょうぞ」

 当たらずとも遠からずなのが地味に困る。
 とりあえず、チート爺の謀略に罵声を浴びせるのは後にして、彼女たちへの説得を目に見える形で行うことにした。
 米津城の正面にうちのスタイリッシュ痴女軍団率いる極上畿内女を中心にした御陣女郎達七百をずらりと並べて一喝。

「見よ!
 これ全てが俺の女だ!!
 これ以上俺が抱けると思うか!!!」

 この手の流言は否定してもかえってろくな事にならない。
 手っ取り早いのは、肯定した上で斜め上にかっ飛ばす事。
 このパフォーマンスは毛利の流言を吹き飛ばすのに十二分な威力を発揮した。
 その分決定的なまでに女好きが定着する事になるのだが。
 藤原行春も城主安堵に五百貫を与える事で登用した。
 大陰城主矢野正秀も降伏。ここも城主安堵で所領五百貫を与える。
 旧宇都宮領への三年間の年貢免除もあるが、領地管理と彼らの生活安定の為に貫高払いにしている。
 石高払いへの移行もありにしているが、それは数年先になるだろう。 
 序列的にはこんな感じになる。

 大野直之 一万石
 由並通資 千貫
 城戸直盛 千貫
 藤原行春 五百貫
 矢野正秀 五百貫

 宇都宮旧臣は大野直之に任せ、得能通明と井上重房を奉行につけたからある程度は回るはずだ。
 旧宇都宮領統治の最初は、彼ら旧宇都宮家家臣達を集めての肱川供養である。
 肱川という名前にはこんな由来がある。
 鎌倉時代、地蔵岳城建築時に石垣が崩れてどうしてもできなかった当時の殿様が人柱をたてることになり、なり手の居ない人柱にくじで選ばれた女の名前が当時16歳の『おひじ』だったという。
 肱川はその彼女が最後の願いとして己の名前を川につけてくれと頼んだ事から始まっている。
 この肱川は大洲盆地の恵みであると同時に暴れ川であり、大水害の元凶にもなる川である。
 宇都宮家血族をこちら側で登用できなかった以上、善政を行って民を心服させる必要があった。
 近隣の寺社の坊主と神官を全て集めて供養と祈祷をさせた上でこう宣言する。

「俺がこの地を治めている限り、人柱は絶対に出さぬ!
 それでも人柱が要るのならば、この地の寺社に祈祷と経をあげさせた上で人形をその変わりとする!!」

 馬鹿にできないのが祟りというもので、うちにはその祟りで人生を狂わされた明月が居るのでかなり真面目にその元凶になる人柱対策をする事にした。
 上の発言のポイントは、人柱の禁止と同時にそれでも解消しなかった場合はこの土地の寺社が責任を負う所にある。
 また、寺社を優遇させて人柱を禁止させたので、彼らの口から人柱という提案を出させないという事も狙っている。

「肱川流域に大堤防を作るぞ。
 銭だけは無駄にあるから最初の銭は用意してやる。
 百年かけて仕上げろ」

 途方も無い時間規模に俺の周りの家臣達が呆然とするが、多分この暴れ川との戦いは百年ですら終わらない。
 それでも、占領地として強権が使える今だからこそ、初撃は徹底的に行うつもりだった。

「水源の山々に木を植えろ。
 そこが崩れたらどうにもならん。
 伐採する木の数を常に把握して、切りすぎないようにしろ。
 川岸に堤防を築いて水を止める」

 この時代の技術での治山治水はできる事が限られている。
 だが、基本は変わらない。
 肱川流域の山岳部は林業によって生計を立てているので、結構な禿山が存在していた。
 その禿山対策としての植林と伐採管理は急務だった。
 堤防についてはありがたい事に技術者集団である真言宗系寺院の協力を引き出すことに成功していた。
 彼ら真言宗系寺院の祖である弘法大師空海が大量に作ったため池技術がそれだ。
 これはそのまま堤防技術にも応用がきくので、銭こちら持ちで徹底的にやってもらうことにする。

「水路を作り、田畑を拡大させる。
 村を移転して高台に用意する。
 井戸はこちらで掘れ。
 高台でも水が出る技術はこちらが用意する。
 道を整備し、馬車や牛車を走らせ、移動を楽にさせる」

 災害が回避できない以上、被害を減らす事を考えないといけない。
 その為、大洲盆地の川沿いの村を移転させて高台に移し、移せない村は土地を嵩上げさせる。
 道を整備し村と畑を移動させる馬車や牛車を用意し、農民の移動を楽にする。
 これらは収穫物を運ぶのにも一役買ってくれるだろう。
 田畑の拡大に用いる水路への水の供給は、水車に風車にポンプと俺が持っているチート技術を提供する。
 豊富な水を利用した水力紡績もここで行う予定だ。

「堤防については、急がず確実にできる所からやってくれ。
 必要ならこちらからも人員を出す」

 宇和島から神屋・仲屋・島井の大番頭達を連れてきて大事業の見積もりを出させる。
 出てきた金額はなかなかのものだった。

「何もなければ三十年で、銭は六十万貫、米は十万石を越えましょう」

 大番頭達もここまでの大規模公共事業とは思っていなかったらしく、顔が真っ青になっているが俺は堂々と言ってのける。

「構わん。やれ」

 ここまで強気に言えるのは理由がある。
 今回の九州戦用に消える予定の二十四万貫の銭と十二万石もの食料が宇和島の蔵に蓄えられているのを彼らも知っているからだ。
 つまり、九州戦に出なければその負担は一気に軽くなる。
 次に、俺が抱えていた内政商品が次々と芽吹いてきたのがある。
 具体的なのは、

 蜜柑   年間   二千貫
 真珠養殖 年間   三千貫
 牡蠣養殖 年間   五千貫
 唐芋   年間   二万貫
 木材   年間   六千貫
 椎茸   年間   三千貫
 捕鯨   年間   四千貫

 合計      四万三千貫

 蜜柑と真珠養殖と牡蠣養殖は拠点だった佐田岬半島が戦火にされされた事もあったが基幹部分は無事で、宇和海沿岸に広げられて更に利益が出るだろう。
 真珠は畿内や博多の富豪も買うが、大部分は大陸への輸出品になっている。
 長宗我部元親と組んだおかげて四万十川水系の利用がはかどり、そこから出る木材とその木材を使った椎茸栽培、長宗我部家の水軍衆と組んでやっている捕鯨が良い感じで利益を出している。
 で、この飢饉で一躍大フィーバーした唐芋は言うまでもない。
 これに以下の収入が加わるのだ。

 交易収入 年間 一万二千貫 府内-堺航路
 交易収入 年間 二万二千貫 大陸航路
 山羊収入 年間   一万貫
 石鹸収入 年間   五千貫
 干物収入 年間   四千貫
 遊郭収入 年間   九千貫
 薬草収入 年間   三千貫
 石高収入 年間 一万九千石 旧西園寺領
 石高収入 年間 三万八千石 旧宇都宮領 年貢三年免除

 合計      八万四千貫・石+三万八千石

 猫城が取られたのでそこからの収入が無くなっているのと、大陸航路で難破船が出たので収益がマイナスになっているのを除けば、黒字基調は未だ続いている。
 宇和島に診療所ができた事で薬草収入が増えたのと、遊郭におけるソーププレイで需要を作り出して遊郭収入と石鹸収入が増益。
 その原料の一つである山羊取引も絡んで収益源にした結果、宇和島が山羊取引の価格を決めるようになるまで拡大。
 干物も安定的に収入を叩き出しており、旧西園寺領からの年貢収入も期待できるようになった。
 まぁ、家臣に加増してばらまいたので減ってはいるが、その分旧宇都宮領はほぼまるごと管理という形にしている。
 だからこそ、肱川大規模治水なんて公共事業がやれるのだが。

 総合計    十二万七千貫・石+三万八千石

 これらの収入に支えられての、二十四万貫の銭と十二万石もの食料である。
 石高になおすならば三十万石の大名の収入に匹敵する。
 額はでかいが払えないほどではない。
 戦に出ないならば。

 そして、商人たちが俺の決断に異を唱えない最大の理由。
 この事業が治山治水の大規模モデルケースになると分かっていたからだ。
 治山・治水・開墾から水力紡績という産業育成までの公共事業のフルパッケージである。
 彼らが気づかない訳がない。
 これを他の大名に売りつければと。
 リターンもでかい。
 大洲盆地は小さいながらも豊かな農作物を産出する事で昔から有名だった。
 その理由は、十年単位で発生する大水害によって豊かな土壌が保たれて、連作障害が発生しなかったというのがある。
 ならば、その環境は維持して人的被害を少なくすればいい。
 安定した食料供給は銭によって支えられている宇和島大友家において喉から手が出るほど欲しいもので、よそからその分米を買わなくて済むから支払う銭が減るという訳だ。
 そして、長期にわたる公共事業は雇用の安定に繋がり、大名である俺への支持に繋がる。
 常時粛清フラグが立っている俺にとって、この貴重な手札は手放すつもりはなかった。
 なお、当たり前の事だが、この戦いは俺の代で終わらなかった。



「殿。
 府内より文が届いております」

 肱川供養の後に行った祭りを地蔵岳城から眺めていた俺に、篠原長秀が文を持ってくる。
 その文を読んで中を眺めると、文を控えていた大鶴宗秋に手渡してため息をついた。

「毛利の後詰の陣容が固まったらしい。
 長門国山口に本陣を置いて毛利元就御大の出陣。
 吉川元春に小早川隆景まで出る総出撃だそうだ」

 この文の出処は、高橋鑑種が筑前国人衆に寝返り防止のために送ったもので、それをこちらに流した誰かが居るらしい。
 その為、この文の信憑性は低い。

「とはいえ、総出撃なんて派手に言ってくる以上、ここでじっとしている訳にもいかんだろうな」

「どれぐらい兵を連れてゆくので?」

 大鶴宗秋の言葉をひとまず聞き流して、眼下に広がる大洲盆地を眺めながら考える。
 毛利軍よりも軽いとはいえ、俺の軍勢もかなり消耗している。
 かと言って、兵の多さはそのまま発言力にも繋がり、寡兵で出向いてもそのまま粛清なんて目にあいかねない。
 豊後からの後詰の千と長宗我部元親の千の二千は外すとして俺は連れてゆく連中を口にした。

「馬廻の五百と浪人衆の千は確定。
 雑賀・根来の傭兵も連れてゆく。
 小野鎮幸と吉弘鎮理は、外してもついてくるだろうから連れてゆく。
 後は、色々足して五千という所だろうな」

 一度府内に上がり、その後陸路と海路で豊前を目指し、田原親宏の軍勢と合流する。
 目的は己の本貫地である猫城の奪還という名目だ。

「……ふぅん」
「どうなさいました?
 殿?」

 先程渡した文に書かれていた一文を思い出して、苦笑した俺に目ざとく大鶴宗秋が尋ねる。
 隠すほどでも無かったので、俺はそれを口にした。
 苦戦の予感を隠しながら。

「俺から奪った猫城の守将の名前が書いてあったなと思ってな。
 小早川隆景配下で、備中兵乱で三村家重臣にありながら、毛利側について活躍した勇将を抜擢したらしい。
 清水宗治と言うそうだ」
気分は『柳生忍法帖』の加藤明成
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