恍惚の天下人
飯盛山城には、勝竜寺城に詰めていたはずの松永久秀が来ていた。
わざわざ俺に会いに来てくれたという彼の説明に俺はある事を確信する。
「で、亜相殿のお体はどれぐらい悪いのか?」
耳元で囁いた俺の一言に松永久秀の顔から完全に気配が消えた。
こういう形で確信が裏付けられるとはとわざとらしくため息をつく。
「いつ気づいた?」
「かなり前からだ。
まずは、織田信長が上洛した時。
あまりにも動きが少なかったので、少し気になった」
まさか三好長慶が本来ならばもう死んでいたなんて言える訳もない。
という訳で、前もって用意していた推理を松永久秀に披露する。
「こちらの駒がないのに、動ける訳がなかろうが」
「幕府の駒はな。
何のために、三好殿が亜相にまで登ったのだ?
朝廷経由で足を引っ張る事はいくらでもできたし、最悪公家将軍という手を出しても良かった。
するかしないかはともかく、その素振りを出せば相手は嫌でも対応せざるを得ないんだよ」
「畿内の事にて、内々に事を片付けたとは思わぬのか?」
「俺の城の南に一条兼定卿が居たのを忘れていただろ?
朝廷経由で何かすれば一条が動かない訳がなく、それはいやでも土佐一条家に聞こえてくるんだよ。
それが無かった。
だからこそ、亜相殿が動いていないと気づいた」
事実から逆算して推理をでっち上げる。
これは先に真実を知っているからこそできる知識チートの醍醐味でもある。
「この間の茶会の時に、亜相殿が茶を立てなかった事で疑念が湧いた。
人が多いからと松永殿が替わりにしておったが、体を労っての事だろう?
正直、無理を言ったと今は後悔しておる。
すまなかった」
話の途中だがあえてここで松永久秀に頭を下げることで、疑念より三好長慶への謝意という意識を上回らせる。
名探偵が推理を披露しても犯人に殺されたならば意味が無いからだ。
だからこそ、推理披露の後には命綱をつけておかねばならない。
「俺への護衛は柳生宗厳で十分だろうに、俺の方に上泉信綱をつけてくれたろ。
あの剣豪を亜相殿につけない事で確信が持てた」
要するに三好長慶が飯盛山城から出ない。
出なくても良い、もしくは出られないという事を意味する。
ここまで推理を披露した上で、きっちりと命綱をつける。
「とどめが、俺についてきて俺を寝返らせようとした前田慶次の一言さ。
『三好と畠山が潰し合うのを織田は邪魔をせぬ』だそうだ。
この一件、織田も多分勘付いているぞ」
俺の一言にはっきりと衝撃を受ける松永久秀。
策士ゆえに策に溺れた状況に衝撃を受けたのも分からぬではないが、俺はなんとなく情報漏えいのルートすら勘付いていた。
それを命綱として教えてやることにする。
「松永殿。
多分だが、定期的に曲直瀬道三殿に診せていたのだろう?
漏れていたのは多分そこだ」
「馬鹿な!
護衛に忍びの者をつけて掃除はしていたぞ!」
松永久秀の激高は殺意すらこもって怖いことこの上ないが、それゆえに彼の三好長慶に対する忠義というものは分かってしまう。
それがかえって墓穴を掘った事も。
「だから、そういう事をしたからバレたんだよ。
『京周辺の重要人物が病にかかっている』という最悪の確定情報を自ら晒したのさ。
あとは、曲直瀬殿の屋敷を張り込んで留守日を確認すれば、それで彼の移動日が見える。
そこから飯盛山城に気づけば、あとは張り込んで確認をすればいい」
そこで気づく。
一旦話を止めて、俺は松永久秀に尋ねた。
「もしかして、俺の茶会に参加を決めたのは亜相殿からじゃないのか?」
「っ!?」
「あそこで顔を見せないと、バレると踏んだんだろうな。
そうなると、織田側は疑っている可能性で止まっている事もありえるか。
いや。前田慶次が探りを入れた時点で上泉信綱を見られたからバレたのは間違いがないか……」
表に立つ人間と裏方の意識の違いだろう。
そのあたりの嗅覚は大名として表に立っているので三好長慶の方が鋭い。
そして、それを確認に行く織田信長の嗅覚の鋭さたるや。
「大友殿。
少し待ってもらえぬだろうか。
全て知っているのならば、取り繕う必要もなかろう。
無理はさせたくないのだ」
松永久秀の一言が、全てを物語っていた。
中世最後の王。三好長慶のその状態を。
「おお。
婿殿。
相変わらずの活躍で、一門に加えられた事を誇りに思うよ」
三好長慶との会見は、俺と松永久秀と果心の四人のみで行われた。
見たところ元気そうに見えるが、三好長慶は布団の中で横になっている。
「すまぬな。
起き上がって見栄をはろうと思ったが、久秀より全部知っているからと言われてな。
婿殿を敵に回さなくて良かったと本当に思っておるよ」
元くノ一故にある程度の医療知識がある果心が松永久秀に話しかけた。
「容態はどのようなもので?」
「見た目は問題がないが、物忘れが酷くてな。
弟君が討たれてからそれが更に進んでおる。
八郎殿がこられてから快方に向かっておるが、食も細くなっておるのが気になる」
「四国は薬草が多くありまする。
八郎様の領内の薬師に文を送って、薬草を手配しておきましょう」
「助かる」
俺はどういう言葉をかけようかと迷う。
三好長慶の病で知っているのは、前世でもまだ治療法が解決していなかった病だったからだ。
認知症。
これは徐々に進行する病だから厄介だ。
そして、初期段階で本人に病の意識が無い事が更に話をややこしくする。
「お元気そうで何より。
こうして、腹の大きくなった嫁を披露できました」
「ははっ。
全部知っているというのだ。
真面目な話をするか」
三好長慶の眼光が鋭くなる。
こうして意識がしっかりしている時は覇者としての三好長慶なのが事態をややこしくさせる。
「婿殿。
三好は織田信長に勝てぬと前に言っていたな。
更に踏み込ませてもらおう。
三好は織田信長に滅ぼされぬか?」
悟ったのだ。
彼が覇者であったがゆえに。
覇者として勝てるかどうかですらなく、己の死後に織田信長に三好を滅ぼされるかどうかを。
三好義興では、織田信長に勝てぬと。
「難しい所ですが、四国に逃げ込めば時は稼げましょうな。
阿波がおちついたのは三好にとって良きことかと」
「畿内は手放さねばならぬと?」
「残念ながら。
この摂津国は西国の要。
それがしが織田信長なら、三好の存続はともかく摂津はなんとしても奪うでしょうな」
「違いない」
三好長慶が苦笑する。
元気だからこそ、認知症時のギャップに家臣達が耐えられない。
一昔前、古の日本人達はこれを『祟り』や『狐憑き』として片付けた。
そういう病の話。
「阿波は落ち着いたとは言え、民心は安定しておりませぬ。
修理大夫様御一族を阿波に送って阿波を固めてしまうのも一考かと」
「摂津はどうする?」
「内藤殿がいらっしゃるではございませぬか。
任せてしまいなされ。
四国で二心ある連中を全部摂津に送ってしまうべきです」
「で、全部織田に滅ぼさせるか」
三好長慶の淡々とした声がかえって凄みを増させる。
畿内の覇者として膨れ上がった三好家内部の統制の為に、美味しい摂津国替えを罠として不満分子を粛清しろと言っているのだから。
だからこそ、その提案に責任を持たせるために、俺は続きを口にする。
「ええ。
それがしと共に」
「八郎殿!」
「八郎様!?」
声をあげた松永久秀と果心を目で黙らせる。
俺は知っているから。
本来の三好家の最後が家中分裂による自滅に近いものだった事を。
「案ずるな。果心。
俺は織田信長に滅ぼされぬが、南予の領地と和泉国の領地の掛け持ちは無理だ。
三好家の安定に寄与はするが、その三好の足場が揺れている以上、和泉国は維持ができぬ。
高値で織田信長に売り渡してやるさ」
「その売った銭は三好に返して頂けると?」
「当たり前ではございませぬか。
一応一門扱いみたいなので」
俺の苦笑に三好長慶が笑う。
その笑みはかつて見た笑みと同じ。
「茶会の時、あの曜変天目茶碗を箱から出そうとして、落としてな。
割れなかったが、あれで悟ったのだ。
己の老いと病を。
天下が儂の手からこぼれた事をな」
老いるというのは力が無くなるという訳ではない。
力の加減が分からなくなる事が先に体に起こる。
それは繊細な動きを求める茶道においていやでも体に出る。
天下人の証とまで言われた茶碗を落とした事で、天下を逃した事を悟る。
三好長慶は一流の風流人と感心してしまう。
「実はな、松永久秀に一つ頼み事をしている。
儂が祟られた時、害をなすならば最後の茶を出してくれとな」
「っ!?」
それはやばくなったら自分を殺せと言っているようなものである。
そして、暗殺者として松永久秀の名前が歴史に残ってしまう。
「それがしは構いませぬ。
今までの恩義の為に歴史に汚名を刻みましょうて」
松永久秀の毅然とした一言に俺は察する。
史実における安宅冬康粛清と本質は変わっていないのだと。
ただ、この世界では三好義興が生きており、三好長慶自身が三好家の害になりつつあるというだけで。
「この話知っているのは?」
「婿殿を入れて三人だ。
孫次郎と神太郎にも話した」
三好長慶の前というのに、俺はため息をついて頭を抱える。
三好義興と安宅冬康も知っている。
実質的次期三好家宿老内定の瞬間である。
「つまり、三好家の中を固めるために、義父上を殺した松永久秀を討てと」
「それがしも命がほしいので、織田信長の元に逃げさせてもらいますぞ」
「で、松永殿に率いられた織田軍が岸和田城を攻めて、俺が四国に逃げると。
和泉河内は功績としてもらえるでしょうな」
二人して実にろくでもない笑みを浮かべる。
その笑みを見て果心が呆れ顔をするが、三好長慶は楽しそうに笑う。
「お主らを手に入れて、畿内を差配したのは本当に楽しかった。
感謝するよ。
だから敵として味方として孫次郎を助けてやってくれ」
「お蝶。
こっちに来れたのか?」
「ええ。
子はいくらでも欲しいので」
飯盛山城での会見後、その日は宿泊と滞在していたら、堺からお蝶一行がやってきていた。
船で岸和田城に行ったらしいがすれ違いになったので、堺まで船で上がってそこから飯盛山城まで来たらしい。
お蝶はスタイリッシュ武者姿であるが、これでも一児の母である。
艶やかな仕草に俺にだきついて耳元で愛ではない言葉を囁いた。
多分これを伝えるためだけにここに来たのだろう。
もちろん、種付けもするのだろうが。
「父からの言付です。
肥前国竜造寺家不穏。
兵と兵糧を集めて、こちらの検使を追い返したとの事。
お屋形様は、豊後・筑前・筑後の三カ国に動員を命じました」