許斐岳合戦 その4 【地図あり】
一日目
立花山城を拠点として岳越山と尾東山に布陣。
岳越山が少弐軍、尾東山が我々である。
一方、宗像軍は宮地嶽神社に布陣。
物見に出た薄田七左衛門の報告だと、火山神九郎から誘われた許斐岳城には兵の姿はなし。
「罠だな」
「罠だろう」
「罠ですね」
「罠でしょうな」
俺、薄田七左衛門、柳川調信、大鶴宗秋四人の意見が一致する。
これほど露骨に罠をはられるとかえって清々しく感じてしまう。
「宮地嶽神社に布陣している戦力はどれぐらいだ?」
戦国時代の合戦で正確な情報を集めるのは難しい。
それでも、情報がないよりはましである。
「立花家が放った間者によると、こちらと同じぐらいの兵がいるようだと」
立花家が合戦に参加することを決めたため、立花山城にいる立花家の兵2000ほどが使える。
これでこちらの兵力は7000である。
一方、宗像家の最大で数千の動員が出来、毛利家からも小早川隆景の後詰が来ている。
兵数では似たようなものという所だろう。
大鶴宗秋の言葉に薄田七左衛門が口を挟む。
「許斐岳城を見たついでに軽く見てきた。
集まっている兵の装備が軽い」
「軽い?」
俺の疑問に薄田七左衛門が補足する。
「鎧をつけている連中が少ない。
槍もあまりなかった気がする。
その代わり、弓と鉄砲はかなり持っているぞ」
「ああ。
それならば説明がつきます。
彼ら水軍衆ですよ」
ぽんと手を叩いて答えを出してくれたのは柳川調信。
さすが、水軍が無いと生きられない対馬宗家の出身だけある。
「船の上なので鎧は邪魔なんですよ。
同じ理由で槍もいりません。
かわりに、遠くの船を攻めるから飛び道具を充実させると」
理由が分かると納得がいくが、それは遠距離から一方的に叩かれる事を意味する。
竹束等で防ごうと思えば防げるが、それで許容できる損害かどうかがこの戦のポイントになるだろう。
だからこそ、俺はこう命じる。
「合戦はしないように。
向こうから仕掛けられても応じるな」
もっとも、それを守りもしないのが戦国というものでもあったりするのだが。
二日目
「宗像軍に動きあり!
物見らしき隊がこちらに向かっております!!」
岳越山の少弐軍からの早馬に緊張の色が走る。
物見、つまり偵察部隊だが、ここは立花家と宗像家の境目に当たる。
つまり、略奪による挑発を命じられていると考えて良い。
「少弐殿に任せると伝えよ!
あと、この報告を立花山城の立花殿に伝えろ。
急げ!!」
伝令を送り出して、山の上から状況を見守る。
しばらくしてちょうど真ん中あたりで小競り合いが発生し、少弐軍が勝利し岳越山から勝どきが上がる。
それ以外は何事も無く一日が終わった。
三日目
「宗像家に動きあり!
また物見らしき隊がこちらに向かっております!!」
「まずいな」
岳越山の少弐軍からの早馬に俺が苦々しそうに呟き、柳川調信がそれを聞いていたので俺に訪ねてくる。
「何がまずいのですか?」
「同じ時刻、同じ兵力、おそらくこっちがまた勝つ。
賭場でよくあるハメ手だよ。
おそらく明日も同じように出撃して、勝つぞ」
行動をルーチン化させるのがこの物見の目的である。
では、ルーチン化した少弐軍はその後どのような行動に出るか?
決まっている。
勝利を士気に変えて宮地嶽神社の宗像軍を攻めようとするだろう。
四日目か五日目か知らぬが、そのあたりが彼らの我慢の限界と見た。
宗像軍の撃破は立花家も協力するから、立花家も出陣する可能性は高い。
そうなると宗像軍、いや小早川隆景が狙うのは各個撃破。
手を打つとしたらおそらくこのタイミングしかない。
「少弐殿と立花殿に伝令!
我らは陣を移す故、後に立花勢に入ってもらいたいと」
「陣を移すとしたらどちらへ?」
黙って聞いていた大鶴宗秋が地図を睨みながら尋ねる。
俺は、その地図のとある一点を指してその場所を告げた。
「薬王寺」
四日目
案の定、同じ時刻に小競り合いが発生しているらしく、音がここまで聞こえてきている。
こっちは行軍中なので見ることはできない。
ついでに言うと、目的地からは海が見えない。
つまり、ある意味一番各個撃破されやすいとも言える。
薬王寺というのはこの地の霊泉で、薬師如来が夢に現れ『この山里の谷川に薬水を流す。これを浴びるもよし、飲むもよし、必ず病は癒えるだろう』とのお告げで開かれたお寺である。
その為に地元の信仰の場所になっているのだが、あえて山の中に陣を移した理由は、ここから北東に行くと立花家の境目の城である米多比城と連絡できる位置にあるからである。
「あー疲れたー」
御陣女郎姿の有明が馬上で腕を伸ばすのを周囲の足軽がしっかりと見ていたり。
有明がその視線で見られるのも仕方ないし、俺が女連れで戦場に来ていることに陰口を叩く者がいるのも知っている。
だが、言わせる事でガス抜きになるならと放置している。
「柳川調信。
寺に寄進をして霊水を使わせてもらえるように交渉してくれ。
兵達にも交代で民の邪魔にならぬように霊水を使わせてやれ。
大鶴宗秋。
米多比城に伝令を走らせて、城主米多比直知殿と連携を取れるようにせよ。
急げ!」
「はっ」
「かしこまりました」
二人が同時に返事をして駆けてゆくと残った有明が俺に声をかける。
「向こうの合戦、大丈夫かな?」
「仕込みの段階で動いたから大丈夫だろうよ。
薄田七左衛門を物見に送ったから、何かあったら伝えてくれるさ」
各個撃破のチャンスなのだが、それをすると行軍中の横っ腹を岳越山と尾東山に晒す事になる。
立花軍と少弐軍にどうぞ襲ってくださいと言っているようなものである。
もちろん、山を超えて間道から奇襲というケースも無いわけではない。
ただ、そのルートは先に伝令を走らせた米多比城の監視下にあり、許斐岳城の支城の一つ飯盛山城が攻撃圏に入る。
「あえて、罠に慎重に踏み込もうとしているんだ。
向こうはこの段階では手を出さないだろうさ」
俺の言った通り、この日も何もなく過ごすことになった。
五日目
朝から聞こえる合戦音に否応なく目が醒める。
有明が襦袢をなおすのすら構わず、俺は大声をあげた。
「何が起こった!」
「少弐軍が夜半のうちに出陣したらしく、西郷川にて宗像軍と交戦してるぞ!!」
即答したのが戻ってきたばかりの薄田七左衛門。
走ったのだろう山伏装束は汗塗れだが、山の中に引っ込むので警戒したのが当たった。
分かってはいたが我慢ができないのかと心のなかで悪態をつきながら、俺達三人は本陣代わりの本堂に足を運ぶ。
「物見を放て!
とにかく情報を集めよ!!
七左衛門。
お前は休んでくれ」
「また出ていけるがいいのか?」
薄田七左衛門の好意に俺は首を横に振った。
有明が持ってきた薬王寺の霊泉の入った竹筒を薄田七左衛門に手渡して言う。
「今の段階の物見は足軽でも十分だ。
信頼できる物見はもっと別の場所で使いたいからな」
「わかった。
必要になったら遠慮なく声をかけてくれ」
不安がない訳ではない。
特に、小早川勢がどこにいるかわからないのが気にかかる。
合戦は驚くぐらいに待つ時間が長い。
そして、その待ち時間が不安の種を芽吹かせてゆく。
合戦の音は未だ鳴り止まない。
「伝令!
立花軍が少弐軍の後詰に動くとの事!!」
「たわけが……!」
大鶴宗秋が物見の報告に思わず悪態をつく。
遠距離装備の宗像軍に対して、川を挟んで対峙するという事は、盾である竹束が使えない事を意味する。
西郷川を挟んだ宗像軍と少弐軍の合戦は、未だ渡河できていない事からこちらの苦戦という判断なのだろう。
で、立花軍が後詰として動いたという事は、一撃で宗像軍と少弐軍を叩き潰せるチャンスだという事でもある。
「小早川家の『左三つ巴』の旗はあったか!」
「見た限りではありませんでした!!」
この伝令の言葉を信じるならば、小早川軍は戦場に出ていない。
各個撃破を狙うならば、叩きやすい場所にいるのは俺達。
小早川勢が居るのは、多分飯盛山城だ。
「こちらも出るぞ!
ただし、警戒するは飯盛山城の小早川勢!!」
俺の断言に一同唖然とする。
その顔を見て説明が必要だと俺は地図を見ながら口を開く。
「許斐岳城は罠だ。
なれば、我らが攻めた時にどこからか背後を突かねばならぬ。
そして、敵は宮地嶽神社に陣を敷いた。
当然今の合戦のように排除しようとする。
飯盛山城から打って出るとちょうど我らの背後が取れる。
許斐岳城を我らが攻めた時も同じだ」
「では、飯盛山城を攻めるので?」
臼杵鎮続の勇ましい言葉に俺は首を横に振った。
何で戦国名将十傑に入る小早川隆景を単独で相手をせねばならないのだ!
なんて口に言えるわけもないが、表向きは平静を装う。
「忘れたのか?
我らの目的は、一日でも長く毛利の後詰をこの地に引きつける事よ。
少弐家や立花家はまた別の目的もあろうが、それを外れることは許さぬ。
大友にとって大事な戦は門司合戦である事を忘れるな!!」
こうして、飯盛山城を攻めるそぶりを見せながら飯盛山城守備兵を引きつけて、その日は終わりを告げる。
少弐軍と立花軍は少なくない損害を出しながらも西郷川渡河に失敗。
岳越山と尾東山にあるそれぞれの陣に帰陣する事になるが、宗像軍も矢弾の消耗が激しく宮地嶽神社より撤退。
痛み分けという形でこの合戦の幕を閉じることになった。
西郷川合戦
大友側 少弐・立花軍 五千
毛利側 宗像・小早川軍 数千
損害(死者・負傷者・行方不明者を含む)
大友側 数百
毛利側 数百
討死 なし
六日目
朝から物見が激しく動いている。
宮地嶽神社から撤退した宗像軍を捕捉する為だ。
ほどなく、宗像軍の所在が分かる。
宮地嶽神社の後ろにある冠山城にその存在を確認できたからだ。
「ここまで状況が動いていながら、許斐岳城に兵を入れないか……」
これで許斐岳城が空城の計だったら後世に間抜けと罵られるだろうが、間抜けでも英雄にはなりたくないというのが本音だ。
ましてや、相手が小早川隆景と来た日には。
「八郎。
客が来ているわよ。
火山神九郎」
来た。
ついにやってきた。
内心を出さないように深呼吸をして心を落ち着かせてから有明に声をかける。
「会おう。
本陣に彼を連れて行ってくれ」
「お久しぶりでございます。
賭場で遊んでいたお方がずいぶん立派になられて」
「お主の策で城が取れるのだから、色々と頑張ったのだ。
城が取れれば勲功第一にお前の名前を記載しよう」
周囲の将兵なんて見ず、お互いただ相手の目を見て話す。
数千の兵を掛け札にする壮大な博打だ。
負けは絶対に許されない。
「で、手はずはどうなっている?」
「既に手の者を許斐岳城に伏せさせている。
合図があれば、火をつけてその混乱に乗じて城取りと」
「分かった。
明日の夜に動く。
手の者にそう伝えておけ」
「承知」
火山神九郎が去った後に俺は伝令を走らせる。
この一件を少弐政興に伝えるためだ。
リスクもリターンも少弐軍にかぶってもらうのが俺の方針である。
この伝令の後少弐軍と立花軍が動く。
警戒しながらも西郷川河川敷に陣を敷いたのである。
その間、冠山城の宗像軍はついに動かず、一キロ圏内に互いの軍が陣取るという状況が発生する。
深夜、薄田七左衛門を呼んで、密命を出す。
俺の必殺の切り札だ。
「米多比城に連絡を。
やってもらいたい事がある」
七日目
「戦をするぞ」
俺の声に周囲の諸将が立ち上がる。
戦は全部武将に任せると決めている。
だから、俺は目的地を告げる。
後は、彼らを信じるのみだ。
夜戦になるため、深夜の行軍で誰が誰だかわかりにくい。
柳川調信が地元民を案内に雇っていなかったら、もっと混乱していただろう。
俺は有明の手をぎゅっと握って夜道を歩く。
月明かりが俺達を照らし、目的地が近づいてくる。
遠くから戦の音がする。
向こうでも始まったらしい。
「松明に火をつけよ!」
「法螺貝を鳴らせ!!」
「敵は寡兵ぞ!
一気に攻め立てよ!!!」
明るくなった本陣にて俺は城攻めの命令を下す。
「飯盛山城を攻め落とせ!!!」
守備兵のほとんど居ない飯盛山城はあっさりと落ちた。
赤々と松明を掲げで旗を晒し、この城が落ちたことを周囲に見せつける。
城の高台から見ると、許斐岳城の前で立花軍と少弐軍が宗像軍と小早川軍に夜襲を食らって乱戦中なのが見える。
もう少しこの城の落城が遅かったら、夜襲に耐え切れずに両軍とも壊滅していただろう。
「どっちが勝つと思う?」
「このままでは、宗像と小早川でしょうな。
立花軍と少弐軍が壊滅すれば、我らは撤退せざるを得ませんからな」
夜戦の戦況を大鶴宗秋に聞くと、否定的な返事が返ってきた。
ここまではある程度予想できたことだ。
短期決戦に動かないといけない小早川隆景は、俺達を放置して立花軍と少弐軍を叩きに来た。
だからこそ、彼は戦略目標を達成できない。
「許斐岳城から火が!
誰かが許斐岳城を攻めているぞ!!」
「阿呆!
あの城を攻めているのは我らしか居ないだろうが!!」
「臼杵殿が、米多比殿と薦野殿と共に許斐岳城を攻めているのだ!!!」
種明かしをしよう。
俺は軍を二つに分けた。
一つは大鶴宗秋の本隊のみで、兵がほとんどいなくなった飯盛山城を攻略する。
もう一つは臼杵鎮続指揮の残りの部隊で、米多比城の米多比直知と薦野城の薦野宗鎮と共同で南から許斐岳城を攻めさせた。
現在夜戦真っ只中の場所は許斐岳城の西側。
立花軍と少弐軍を壊滅させるより、許斐岳城が落ち俺らが半包囲で襲撃する方が早い。
もちろんまったくそんな気はないが、夜戦でこちらの兵力が分からない現状で、貴重な後詰戦力である小早川軍が損害をうける事を小早川隆景はよしとしないだろう。
許斐岳城が落城する前には夜戦の音は収まり、宗像・小早川軍は冠山城に撤退していったのである。
八日目
朝、夜戦の詳細がはっきりと分かるようになったが、立花軍と少弐軍の損害の酷さに頭を抱えたくなる。
大将級の討ち死にこそないが立花軍と少弐軍四千のうち、まともに戦えるのは半分程度。
それも、こっちが許斐岳城と飯盛山城を抑えたからで、この二城がなかったらどれだけ損害が広がった事か。
約束通り少弐政興殿に許斐岳城を譲り、臼杵勢は飯盛山城の方に戻ってきてもらっている。
今度は状況が代わり、この城を宗像家から守らないといけない。
で、飯盛山城の我らは後詰の立場になる。
とはいえ、一応目標である十日間毛利の後詰を拘束する事はほぼ達成できそうなので、一仕事終わった感じで急ごしらえ物見台の上から周囲を眺めていたら、早馬が一騎駆けてくるのが見える。
その早馬の武者が背負っている旗が、高橋家の『抱き柊』な所が不安感を醸すが、見事に的中する。
そう来たか。毛利元就。
だからここに来たのか。小早川隆景。
高橋鑑種直々の書状には簡潔に、けど重大な凶報が書かれていた。
「筑前古処山城にて秋月種実が蜂起。
旧秋月領に火の手が広がる」
と。
許斐岳合戦
大友側 少弐・立花軍 四千
毛利側 宗像・小早川軍 数千
損害(死者・負傷者・行方不明者を含む)
大友側 千数百
毛利側 千数百
討死 なし




