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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
第二次三好包囲網編 永禄十二年(1569年) 秋

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156/257

畿内の作法 その1

 織田軍の京占拠の後、話は織田信長の意図する形でおおよそ進んだ。

 二条御所は細川藤孝の尽力によって無血開城が決まり、三好派要人は既に京から去っていた。

 堺大樹足利義冬が三好家と決別した事で三好家は敵討ちでの開戦理由すら失い、朝廷は唯一残った足利義秋に将軍宣下を授けて第十五代将軍にしたのである。

 従四位下、参議・左近衛権中将にも昇叙・任官された彼は足利義昭と改名し、政権交代に伴い幕府内部への身内登用が始まる。

 最大の功労者である織田信長には『室町殿御父』の称号だけでなく、斯波家の家督を継承した上で正五位下治部大輔と副将軍に就任。

 足利義輝の娘を正室にもらう形で一気に幕府を掌握したのである。

 史実を知っているだけに俺自身この織田信長の行動にびっくりするが、冷静に考えると悪い手ではない。

 史実の上洛と違い、織田信長は尾張・美濃・近江・越前・伊勢・志摩の六カ国を既に支配し、伊勢志摩以外の守護を押さえている。

 朝廷からも弾正忠の官位を正式にもらっており、京の中枢に更に入り込めるチャンスを逃さなかったという事なのだろう。

 何よりも大きいのが、今だと足利義昭が死ぬと将軍家が途絶えて、将軍家外戚で斯波家家督を継いだ織田信長が次期将軍として差配するというあまりに魅力的な餌だろう。

 足利義昭もここまでの待遇を与えるつもりはなかったはずだ。

 だが、最終的に織田信長の力を借りなければ足利義昭が勝者になれなかったのも事実。

 効率よく恩を売って、奪えるものは全て掻っ攫ったという所なのかもしれない。

 良く織田信長は三国志の曹操孟徳と比較される事があるが、それを使って比喩をするならば、『乱世の奸雄』の前に『治世の能臣』を演じるつもりなのかもしれない。

 ……待てよ。

 『三国志演義』は最先端の書物ではあるが手に入らない訳ではない。

 で、そんな中、今趙雲なんて呼ばれている男が畿内で派手に活躍している。

 趙雲ってなんぞと調べるならば、必然的に『三国志演義』に行き着く訳で。

 あれを読んだら、織田信長が曹操孟徳に感情移入する事は簡単に想像がつく訳で……

 そこまで考えた俺は、そこで考えるのを止めた。

 閑話休題。

 他にも、幕府管領職を畠山高政に、大和国守護代を筒井順慶に渡すと、三好派の粛清を始める。

 行われたのは、幕府役職の剥奪だった。

 具体的に言うと、


 山城国 守護  細川昭元

     守護代 三好政康


 摂津国 守護  三好長逸


 河内国 守護  野口冬長


 大和国 守護代 松永久秀


 丹波国 守護  細川昭元

     守護代 内藤宗勝

 

 淡路国 守護  安宅冬康


 若狭国 守護  武田信豊

     守護代 粟屋勝久

 

 丹後国 守護代 荒木村重


 讃岐国 守護  三好義賢


 阿波国 守護  細川真之

     守護代 篠原長房


 見事なまでの三好一族狙い撃ちである。

 政権交代後のスタッフ総入れ替えは、おそらく織田信長が介入したのだろう。

 三好一族だけの処分に留めて、その下の有力者や準一門の守護・守護代職を奪っていないあたりが憎らしい。

 四国の混乱で讃岐国守護と阿波国守護・守護代も空いているので、十カ国もの守護・守護代の剥奪になる。

 三好長慶と三好義興がここで守護や守護代職に就いていなかったことがかえって裏目に出た形になっていた。

 で、残った連中を取り込もうと考えたのだろうが、俺を含めた残りの連中も一斉辞職。

 まがりなりにも畿内の秩序を維持し続けていた三好長慶のカリスマがかえって分かる結果になった。

 辞職連中は俺を入れて以下こんな面子。


 摂津国 守護代 池田勝正


 河内国 守護代 伊丹親興


 和泉国 守護  細川藤賢

     守護代 大友鎮成


 淡路国 守護代 船越景直


 讃岐国 守護代 香川之景


 土佐国 守護  一条兼定


 結局先の人事全否定という結果になったが、新政権に政治的打撃は与えられたと思う。

 なお、土佐国守護代として長宗我部元親がまだ残っているあたりがある意味彼らしいなと思ったり。

 さらに粛清が続く。

 御前沙汰評定と問注所の解散と京都所司代の設置。

 三好長慶と三好義興は相伴衆としてここで政権を運営していたから、その手足をもがれる形になった。

 織田信長が副将軍として全権を握る京都所司代に全ての権限が集められ、上が潰されたので下が踏ん張れる訳が無く政所執事についていた松永久秀と侍所別当についていた三好義興も辞職する事になる。

 そして、幕府と京の政務全般は足利義昭を傀儡にした京都所司代が全部行う形に。

 もちろん、二重傀儡政権だから最悪管領細川家側から介入もできると思っていたが、そこは織田信長抜かりは無い。

 畠山高政の管領就任で三好家は完全に幕府への影響力を失う事になった。

 二重傀儡政権ではない織田信長による傀儡政権の完成である。

 朝廷の方も動きが出る。

 三好家と組んでいた二条家は失脚し、近衛家の関白近衛前久が織田信長の意を背景に朝廷をリードする。

 二条晴良は一族郎党を連れて堺に退去し、三好派要人の都落ちは京の住人達の語り草となった。

 織田を源氏に、三好を平家にたとえた歌が壁に書かれるようになる。


 行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし


 源平合戦時の武将平忠度の有名な歌で、『旅をゆくうち日が暮れてしまい、桜の木陰を宿とするなら、桜の花が主人としてもてなしてくれるだろう』という歌なのだ。

 これが平家都落ちの寂寥感と合わさると『敗走中に日が暮れ、宿すら取れないから桜の木の下で休もう、桜よどうか敵に見つからないようにもてなしてくれ』なんて解釈もできる。

 この落書きを織田信長は消さなかったそうだ。

 話がそれるが、面白いのは一条家で、中立にならざるを得なかったので、三好・織田の双方からはぶられる事に。

 そこを付け込まれて守護を辞職した一条兼定が京に帰還し、お家争いが発生していた。

 誰が煽ったんだろうなぁー?


 表向きはこれでひとまずは終った。

 その理由は、三好家が摂津・和泉・河内をがっちり固めていただけでなく、兵を温存していたというのが大きい。

 足利義昭は京制圧の勢いを持って、畿内三好勢の掃討を主張したみたいだが、織田信長がこれを押し留めたらしい。

 俺が作り出した和泉の軍勢およそ一万、再編中の河内勢が数千に、四国から帰還した三好義興の本隊一万数千に予備兵力がまだ三好家には存在していた。

 多分、俺が岸和田城を開放できなかったら、一気に襲いかかっていたのだろう。

 ここで待てるのが織田信長の凄い所だ。

 南の畠山家と北の波多野家・萩野家と挟撃すれば勝てない訳ではないのだが、確実に利益確保をした上でこちらの弱体化を狙ってくる。

 その判断背景にあるのは、三好家の力を見誤っておらず、三好長慶しか天下人として三好家をまとめきれないという覇者としての嗅覚。

 そんな情勢下、俺はというと和泉国統治に全力を傾けていた。

 具体的に言うと、蛇谷城攻めだ。


「相良殿。

 国衆のいくばくかを貴方の下につけましょう。

 落とした城は差し上げます。

 あとはお好きなように」


「心得た」


 敵対した国衆十一家は赦免状によって許したが、そのままでは他の国衆に示しがつかない。

 という訳で、彼らを使って前に俺を攻めた寺田宗清の蛇谷城を攻める事にしたのである。


「落としたら三好殿から所領安堵状をもらっておきます。

 私の下にしないので、自由に動いてもらって構いませぬ。

 紀伊を攻めるも、織田に寝返るもご自由に」


 相良頼貞の目に野心の炎が灯る。

 これがあるから信用できないし、俺の下には入れたくなかったのである。

 タイミングを見るからに、無能でないのがまた困る。

 城をやるので好きに動き、好きに生きればよいだろう。

 俺に迷惑がかからない内はだが。


「よろしいので?」

「よろしくは無いが、私の下で我慢できぬでしょう?

 助けてくれた恩と、野口冬長殿の下からの無断出撃を鑑みた結果ゆえ」


 相良頼貞が来てくれたからこその勝利であるが、彼は元々三好家浪人衆として河内国高屋城の野口冬長の下にいた事が後になって発覚。

 案の定の現場の判断による独断出撃だったらしい。

 激怒していた野口冬長の元に出向いて俺が頭を下げたことでとりなしたが、これ以上の面倒は無理である。


「けど、大友殿のお役に立ったのだろう?」


「だからこそのこの待遇。

 その判断を思う存分、己の為に使ってくだされ。

 織田についても、それがしは恨みませぬよ」


 こちらの物言いに成り上がった先行者の余裕と見るか、猜疑心を含んだ忠告と見るかまでは分からない。

 だが、相良頼貞は俺の前では神妙な顔で頷いたのだった。




 足利義昭政権において織田信長に与えた特権の一つに堺奉行の設置がある。

 和泉国守護と守護代の後任はまだ決まっていないが、先に堺そのものを押さえに来たという事なのだろう。

 もちろん、三好勢力圏の堺にその奉行を入れないという選択肢も無い訳ではなかったが、織田家の譜代では無く元足利義輝の家臣を指名した事でそれは無理になった。

 松井友閑。

 穏やかな笑みを浮かべたままで座の中央に座り、今は何も言うつもりはないらしい。

 彼の発言は堺奉行の名前として、その下の織田家実務者が言う形になる。

 滝川一益。

 またえらい大物ネームドの登場である。

 いつの間にか改名していた羽柴秀吉と明智光秀が越前にいる以上、おそらくは彼がこの一連の仕掛けの実行者という所だろう。

 堺の会合所においての堺を動かす町衆こと納屋衆と堺奉行の会見は、納屋衆の招待という形で来た俺と細川藤賢の立ち会いの元で行われた。


「公方様は堺を悪いようにせぬ。

 以後は、公方様の名代としてここにおられる松井友閑殿が面倒見申す。

 それがしの言葉は、公方様の言葉と思うて商いに精を出して欲しい」


 実質的堺奉行になる滝川一益の言葉にどよめく納屋衆。

 仮にも自治都市として独立独歩の気概を持つ堺商人達の心意気完全無視の占領軍としての命令に近い。

 敵対している俺達を前によく言えたものである。


「また、公方様就任に伴う費用を納屋衆に出してもらいたい。

 その金額は二万貫。

 出してもらう配分については納屋衆におまかせする」


 清々しいまでに喧嘩を売る。

 これだけ売れるというのも理由があって、堺の自治そのものは大名の権力を阻害するものだからである。

 で、奉行は公方の任命という形だから、辞職した俺達が異を唱えないからこその喧嘩。

 これには隠れたスケベ心もあったり。 

 ぶっちゃけると、俺達も堺掌握はしたいが納屋衆に喧嘩は売りたくない。

 で、織田側が喧嘩を売って彼らを追い出した後、納屋衆を締め付ける奉行職にこちらの人間を送り込んで堺を掌握する。

 そんな先のスケベ心があるからこそ、俺も細川藤賢も表向きは口を開くつもりはなかった。


「二万貫!

 そんな法外な!!」


「無理でございます!!」


 納屋衆達の悲鳴をものともせず滝川一益は俺の方を見て口を開く。

 浮かべた笑みが実に悪役っぽい。


「とはいえ、大友殿ならばこれぐらい払えようて。

 大名が払えるのに、商人が払えないとはいかに?」


 押し黙る納屋衆にたまらず俺が笑い声をあげて口を出す。

 呼ばれたからには、最低限の仕事をせねばならぬ。

 さぁ。

 お手並み拝見といこう。


「たしかに俺一人で出してもいいが、大友家からになるな。

 一応俺は大友一族なのでな。

 それを公方様は考慮していただけるのかな?」


 俺の明確な弱点である大友家のひも付きを自ら晒してみる。

 これで俺を九州に帰還させるのならば、話はある意味楽だった。

 もちろん、そんなことを滝川一益が、織田信長がする訳が無い。


「もちろん。

 九州探題である大友殿の功績は公方様もご存知でございます。

 大友殿の貢献は公方様に伝えたいとは思いますが、これは納屋衆の問題ゆえ口を挟まないで頂きたく」


「ほぅ。

 納屋衆の問題か。

 では問おう。

 納屋衆とは何ぞ?」


 あえて根本から問いかけることで、言葉そのものを定義してそこに俺を潜り込ませる。

 武士でも商人でも農民でもない身分の曖昧さが、ある意味戦国時代の特徴。

 潜り込ませようとするならば、道理を引っ込めて無理を通せば問題がない。

 滝川一益が言葉に詰まる。

 はじめて松井友閑が口を開いた。


「それは、ここにいる皆様でしょうなぁ。

 堺を動かしてきたのだから」


 元幕臣で堺奉行に抜擢されるぐらいだから、ただの飾りである訳がない。

 滝川一益が脅し役で松井友閑がなだめ役。

 典型的なヤクザの手口である。


「という事は、俺や細川殿が出しても構わぬという事か。

 何しろ、松井殿の言葉ならば、我らも納屋衆の資格があるみたいなのでな」


「おや?

 西国有数の武家大友家の一門が商人と名乗ってよろしいので?」


 向こうは無理難題を言って妥協線まで落とし込んで、堺奉行の命令を納屋衆が聞いたという実績が欲しい。

 こっちは納屋衆を保護しながらも、自治都市堺の運営に食い込むきっかけが欲しい。

 互いのゴールが見えているのならば、妥協は不可能ではない。


「構わぬよ。

 商人を名乗った方がお屋形様も心安らぐだろうて」


 わざと危険球を放り投げて場を一気に支配する。

 これで足利義昭と織田信長は九州で危険視されているらしい俺の取り込みという選択肢が頭にちらつく事になるだろう。

 その分、三好家そのものへの圧力は減る。

 この手の交渉は決められる時に切り札を切るに限る。

 俺の最大の武器は俺は織田信長を知っているのに、織田信長は俺を知らないという事。

 そして、有り余る銭だ。

 まずは畿内の作法を堪能してもらおう。


「証文でいいのならば二万貫。

 今ここで書いてやろう。

 何も問題はあるまい」


「待たれよ!大友殿!!」


「納屋衆におまかせすると言ったのは滝川殿。

 そなたではないですか?」


 堺奉行としての命令を納屋衆は受諾する代わりに、堺納屋衆を完全に三好家の、俺の影響下に置く事になる最悪の形に滝川一益がうろたえる。

 納屋衆も堺奉行も困らないし、織田信長も最終的には許容すると踏んだ俺の提案。

 負けを認めたのは松井友閑だった。


「一万貫で結構。

 ただしそれを、ここに居る納屋衆の頭割りで払ってくだされ。

 一人あたりおよそ三百貫ほど。

 仮にもこの場の商人の方々ならば出せぬとは言えぬでしょう?

 大友殿。

 大友殿の証文は大友家として扱いたいと公方様は考えると思います。

 額及び献上については改めてお話したく……」


 最終的に、堺納屋衆は一万貫の矢銭を支払う事に合意した。

 なお、本願寺をはじめとした宗教勢力にも織田信長は額の大きな矢銭を求め、彼らもひとまずはその金額を出して新公方を歓迎するそぶりを見せた。

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