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軍事の時間 その2

 畿内への移動状況の確認が済んだら、今度は送る部隊の編成に入る。

 連れてゆくのは二千人をめどに考えるとこんな編成となる。


 総大将  大友鎮成  (有明・果心・井筒女之助・田中久兵衛・田原新七郎)

 馬廻   佐伯鎮忠  三百


 陣代   大鶴宗秋  五百


 侍大将  吉弘鎮理  三百

      小野鎮幸  二百


 足軽大将 白井胤治  三百

      鹿子木鎮有 二百

      内空閑鎮房 二百


 合計         二千



 さて、以前話をしたと思うが一万石で雇える兵の限界は二百五十人ぐらいと言ったが、これだと数が合わないと疑問に思う人が居るだろう。

 と言う訳で、その説明もしよう。

 とても簡単。

 一万石で雇える二百五十人というのは正社員という名前の侍なのだ。

 つまり、今回の遠征において大多数は安く雇えるパート・アルバイトである足軽や雑兵を率いての出陣となる。

 こういう言い方をするととたんに世知辛くなるがそのまま説明を続けよう。

 俺自身が抱える兵は馬廻の三百人と今回新規に雇った浪人衆でそれはいつものように大鶴宗秋にまとめさせている。

 他の将の兵はどうかというと、やっぱり正規兵は少なく浪人を雇った所も多い。

 このあたりも見てみるといろいろ面白いものが見えてくる。

 二千石という大抜擢になった小野鎮幸の場合、雇える限界が大体五十人だ。

 その五十人枠は一族・郎党で固め、残りの分を領地から臨時徴兵したり浪人衆を雇うという形で補っている。

 なお、この増加分はもちろん借金で、功績を立てれば返済できるがしくじったら領地経営を圧迫する自転車操業。

 これは彼ら領主の上である大名家も変わらず、戦国時代における武家の強さとはこの自転車操業をどれだけ長く続けられるかという見方もできなくはない。

 こういう形で雇われた連中は、小野鎮幸だけでなく各将に居たりする。

 俺自身が浪人衆を募集しているのに、そっちに行く連中はというと理由が二つある。

 各将が雇った浪人達はその隊の消耗で生き残った場合、そのまま正規雇用の道が開けるからだ。

 俺がまとめて管理する浪人衆だとよほど目立たないと正規雇用の道は難しいが、各将だと目が届くから抜擢しやすいのだ。

 もう一つは地縁血縁の絡みで、おらが領主様の所にというパターン。

 吉弘鎮理がこれにあたり、足りない連中は豊後の吉弘家から持ってくるという力の入れ具合。

 そういう繋がりがあるから、吉弘家は大友家随一の武闘派として名前を轟かせているのだ。


 折角だから、装備の話もしておこうと思う。

 この部隊の装備編成はこんな感じになる。


 槍  千

 鉄砲 三百

 弓  二百

 荷駄 五百


 飛び道具の保有率が四分の一だが、弾と火薬の確保ができるかどうかで変わるので弓の準備は忘れない。

 そして、飛び道具を使うから荷駄部隊の確保は必須でこれも四分の一を占めている。

 メインウェポンは槍で騎馬は無し。

 船旅だから連れてゆけないというのもあるが、荷駄隊には驢馬を用意している。

 おさらいにうちの部隊の基本戦闘スタイルを確認してみよう。

 俺は基本的に戦闘は関与せず、戦闘については陣代である大鶴宗秋に丸投げである。

 そんな俺の護衛が馬廻でこの馬廻と大鶴宗秋の隊が本陣にいるという事になる。

 侍大将というのは独立行動が取れる部隊で、いざとなったらこちらの指示を聞かずに自由に動ける独立裁量権があると思ってもらっていい。

 足軽大将は前線指揮官というのは前に話したと思う。

 彼らは大鶴宗秋の指示で戦うことになる。

 部隊の練度の方だが、そこそこという感じだろう。

 吉弘鎮理、鹿子木鎮有、内空閑鎮房あたりは郎党の比率が高いので練度は必然的に高くなる。

 白井胤治につけている浪人衆は南予統治後に雇ったのである程度訓練ができた。

 そして急遽雇った連中は大鶴宗秋が直接管理する。

 元々郎党を持たない俺独自のスタイルだが、一番多くて一番信用できない浪人衆に目を光らせることができるとして大友家の方も話を聞きに来ていたりする。

 なお、一万田鑑実が陣代になると一万田家郎党が本陣に入るので、浪人衆の管理を白井胤治に全部任せるとある意味普通の武家らしくなる。

 

 更についでだ。

 この部隊の命令系統も話しておこう。

 こんな感じになる。


 大友鎮成      (戦略面の指揮管理)

  佐伯鎮忠     (俺の護衛)

  大鶴宗秋     (戦術面の指揮管理)

    白井胤治   (大鶴宗秋指揮下での前線指揮)

    鹿子木鎮有  (大鶴宗秋指揮下での前線指揮)

    内空閑鎮房  (大鶴宗秋指揮下での前線指揮)

   吉弘鎮理    (大鶴宗秋指揮下での遊撃部隊 独立裁量権あり)

   小野鎮幸    (大鶴宗秋指揮下での遊撃部隊 独立裁量権あり)


 で、くっついてきている果心・井筒女之助・田中久兵衛・田原新七郎は俺直轄の伝令役も兼ねている。

 なお、果心についているくノ一や御陣女郎達、井筒女之助の下の忍び、田中久兵衛・田原新七郎の郎党は簿外戦力となっていたりするが合計で五十人ほどいたりする。

 果心や井筒女之助は有明の護衛も兼ねているが有明指揮下の人間なのだ。

 田中久兵衛と田原新七郎については拾った経緯から近習として使っているが、大友の重臣田原親賢の息子でサラブレッドである田原新七郎はそろそろ武勲を立てさせてやるべきという声を一万田鑑実からもらっていたりする。

 要するに、そろそろ将として独り立ちさせてやれという事なのだろう。

 そのついでに田中久兵衛も独り立ちさせるかと考えていたり。

 話がそれた。




「来ていただいてありがとうございます義父上」


「なんの。

 婿殿の頼みとあらば最後の仕事と張り切ろうて」


 宇和島港に降り立った雄城治景に俺は手を差し出し、雄城治景も力強く手を握り返した。

 戦国時代によくあった光景なのだが、守護大名が守護代に統治を任せた結果実権を奪われる理由の一つが、遠隔地で戦いをやって領地に帰れないというケースである。

 良い例が応仁の乱だろう。

 で、今回の畿内行きはそれに近い状況になるので先手を打って、領地を任せられる人間を招聘した。

 大友家元加判衆の肩書を持ち、有明の義父という設定の雄城治景である。

 今回の畿内行きは俺の事情なので、最悪大友家直轄領にしても構わないという形での招聘だったりする。


「長く畿内に滞在する事になるならば、遠慮なく府内のお屋形様にこの領地を差し上げてくだされ。

 残る奉行衆には義父殿に指示を仰ぐように伝えておきますゆえ」


「そうさせぬよう目を光らせる故に安心しなされ。

 義息の奪い取った領地に手をつけるほど雄城は薄情ではない」


 万一毛利と南予で一戦交えたとしても前線は一万田鑑実が支えるから心配はない。

 だが、背後の旧西園寺勢がどう動くか予断を許さないので、そのあたりに睨みをきかせる人材が必要だったのである。 

 政治・軍事ともに大友家加判衆経験者の時点で問題がある訳が無い。


「府内の方はどうですか?」


「ますます賑わっておりますぞ」


 雑談をしながら城に向かおうとしたら、後ろから声をかけられる。

 火山神九郎だった。


「大将。

 ちょっといいかい?」


 雄城治景を先に行かせて、俺は火山神九郎に向き直る。

 彼の顔からあまり良くない報告と悟った。


「どうした?」


「悪い知らせだ。

 佐伯水軍からの情報だが、紀伊半島沖で畠山水軍衆から荷改めを受けたみたいです。

 仲屋の名前を出して逃れましたが」


「畠山の水軍衆が動いた?」


 紀伊半島で反三好側で動いていた畠山家の水軍衆の荷改め。

 実質的な海上封鎖に他ならない。

 長宗我部との関係から阿波三好領が使えない状況でこれは痛い。

 頭を抱えた俺に火山神九郎は更に追い打ちをかける。


「それと、荷検めをしている船に七曜紋と永楽通宝紋の船を見たと」


 そうきたか。

 思った以上に畿内情勢がきなぐさい。

 永楽通宝紋は多分織田信長、その旗の水軍衆ならば九鬼水軍と見た。

 織田信長にしてみれば、四国三好軍が畿内に上陸する前に事を片付けるつもりなのだろう。

 で、それを邪魔する場合、大阪湾に水軍衆を入れて制海権を奪うのが一番手っ取りばやい。

 史実の本願寺戦で発生したこの流れが前倒しで発生するとは。

 それだけ織田信長の戦略眼が優れているという証拠なのだろうが。


「大将。

 どうしますか?」


 火山神九郎の言葉に俺はしばらく考える。

 まさかの兵站線妨害という状況に頭を抱えたいが火山神九郎が見ている手前それもできない。


「どっちにしろ、船が使えないと戦力は運べない。

 言い逃れができるものから運ぶさ。

 鹿子木鎮有と内空閑鎮房の手勢を運ぼう。

 元菊池家家臣で浪人として畿内に流れると言い逃れができなくもない。

 とりあえず堺に送ってくれ」


 岸和田城に送らないのは、長く放置しているので俺を城主として受け入れてくれるか不安ということもあった。

 その点堺は中立都市だけに、金とコネがあればある程度の融通はきかせてくれるのがありがたかった。

 だが、その期待は裏切られることになる。

 畠山高政が足利義秋の求めに応じて挙兵。

 紀伊国国境で合戦が勃発したからである。

 それは、隠していた足利義栄の死去が表沙汰になった瞬間だった。




 畠山軍が和泉国岸和田城を包囲。

 それに連動して大和国でも筒井家を中心とした国人衆が蜂起。

 松永久秀や野口冬長が率いる三好軍と合戦が勃発したのである。

 更に丹波国波多野家や赤井家も不穏な動きを見せており、若狭武田家や丹後一色家も動揺が走っているという。


「畿内情勢はどうなっている!」


 たまらず叫ぶ俺だが、情勢は遠く離れた畿内。

 情報伝達にタイムラグが発生しており、その精度も当てにならない。

 そんな俺を気にせず淡々と果心が情報を報告する。


「現在、鹿子木殿と内空閑殿の手勢は土佐国須崎で足を止められており……」


 足止めの理由は、淡輪沖で畠山水軍と三好水軍の海戦が発生したからである。

 その海戦の結果も一緒にこちらにやってきていた。


「淡輪沖の戦いは、三好水軍の勝利に終わったそうです」


 具体的な状況がわからないのがもどかしいが、とりあえず勝利を喜ぶことにする。

 その後の続きを聞かなければ。


「この海戦の後、土佐国奈半利川で長宗我部軍と惟宗・海部軍が合戦。

 長宗我部軍が勝利したみたいです」


 両手を額に当てて思わず頭を抱える。

 三好家が混乱している所を長宗我部元親が見逃すわけがなかった。

 この勝利で土佐統一に更に一歩近づいた。

 そして俺は、一手遅かった事をいやでも自覚する事になる。

 畿内への道が実質的に閉ざされてしまったのだから。

 それ以上にまずかったのが、足利義栄の死がバレた事だ。

 前の時もそうだが、そうなったら京を押さえた上で後継者の足利義助を迎えないといけない。


「織田信長の動きはどうなっている?」


 果心はただ首を横に振る。

 つまり、情報が無い。

 いや、流れてきていない。

 我に返る。

 つじつまが合わないからだ。


「動きがない?」


「はい」


 三好包囲網の発動によって三好家は各個撃破の危機にある。

 そして、その要は足利義秋を抱える織田信長なのは間違いがない。

 その織田信長がまだ動いていない。


「おかしいぞ。

 織田信長なら、紀伊畠山と大和筒井の蜂起で京に雪崩れ込むぞ」


 史実と違って、今の織田信長は近江国を統治下においている。

 これだけ動きがあるならば、近江の手勢を京に向かわせることは難しくないはずなのだ。

 そして、情報のタイムラグと精度の悪化があるとはいえ、合戦の報告すら流れていない。

 織田信長らしからぬ初動の遅れ。

 頭にひっかかる物があった。


「……足利義秋が先走ったか?」


 足利義秋は織田信長の庇護下の元近江国矢島に御所を構え、一色藤長や和田惟政等の幕臣を侍らせていた。

 岐阜を本拠にする織田信長より足利義秋の方が情報をつかむのが早い。

 畠山家への九鬼水軍派遣はいずれくる京上洛の予備行動だったのだろう。

 それを足利義秋は決起行動と勘違いした?

 織田信長と足利義秋を分けて考えるべきなのだろう。

 そうなると付け入るスキが見えてくる。

 問題なのは、そのスキを突くためにも畿内に行きたいのにその道が全くないという事なのだが。


「こうなったら腹をくくるぞ。

 なんとしても畿内に向かう」


「ですがどうやって?」


 俺は覚悟を決めてそれを口にした。


「海路だ。

 最悪長宗我部を敵に回しても構わない。

 地乗りで阿波を目指す」

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