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尼から還俗した娘が見た因果応報

 私の人生は、きっとこの寺で終わると思っていた。

 豊後国分寺。

 古の昔、帝が鎮護国家を願い諸国に国分寺建立の詔を出して建立された寺で、僧寺と尼寺があり私はそこで尼として暮らしていた。

 そう教えられてきたし、それを疑うことも無かった。

 私の名前は政千代。

 父は戸次鑑連。

 母は入田親誠の娘。幼き頃に別れてその顔は覚えていない。

 風のうわさによると、父と離縁した後に入田家に返されてそのまま亡くなったと聞く。

 大友二階崩れ。

 私の運命を決めたこの事件で母と別れ、父も母方の謀反という体裁の悪さから私を寺に預けたのだ。

 時折、寺に来て顔を見せてはくれるが、その父の姿は優しいというより怖いといった方が良かったのかもしれない。

 そんな父がはじめて私に父の顔を見せてくれたのはいつだっただろうか?

 思い出した。

 たしか十二の時だ。

 流行病にかかり、もう少しで死にそうだった時に手を握ってくれたのを覚えている。

 助かったのは、一冊の本のおかげだという。


『太宰府諸病話衆』


 博多で流行りだしたこの本を数冊入手した高橋鑑種殿が府内のお屋形様に献上し、その内の一冊がこの寺に回されて病の特定と薬が分かったことが大きい。

 それを書いた人と後々になって出会うことになるとは思っていなかったが。

 人の縁というのは不思議なものだ。

 その人の名前は、大友鎮成様。

 八郎様と呼ばれるあの御方の父上はお屋形様に対して謀反を起こして滅んだ菊池義武だという。

 病の後だが、私は寺から出されて戸次家の城である鎧岳城に引き取られてそこで暮らす事になった。

 父は未だ嫁を持たず、娘は私一人のみ。

 養子を取らねばならぬと父の家臣より色々教えられ鍛えられた。

 一門衆である安東家忠に奥としての家の差配を、一番槍の誉を家中より受けている由布惟信からは家を守る武を教えられた。

 そんな中、ある噂が耳に入った。


「殿は姫様を寺より連れ出す条件に、汚れ仕事をなさった」


と。

 私の体の半分には謀反人の血が流れている。

 その縁者として父も冷たい目で見られていたのだろうが、それを母の父である入田親誠を討った事によって許されたと聞く。

 私を連れ出す為にどの程度の汚れ仕事をしたのだろうか?

 安東家忠と由布惟信に聞けば、包み隠さずに教えてくれた。


「殿はお屋形様の叔父であり謀反を起こした菊池義武様を叩き、相良家より豊後に戻った菊池義武様および一族を直入郡で自害させたのでございます」


 今になって思うが、なんて皮肉だろう。

 私の命を助けた人の父を討ったのが私の父なんて。 

 そして、その人の元に行く事になるだなんて。



 父は私に少なくとも嘘は言わない。

 それは、綺麗事も汚い事も全て包み隠さずに言う事を意味する。


「八郎様は力を持ち過ぎておられる。

 それを大友家の為に使っていただきたいのだ」


 私を送り出す前に、父はそう言ってその先を呟く。

 それは、父の、大友家にとっての恐怖なのだろう。


「仕方なしとはいえ、田原親宏殿の娘と契り、お子を作ってしまった。

 田原はこの先間違いなく八郎様の命ならば、お屋形様に弓を引くだろう。

 それを毛利元就は見逃しはせぬだろう。

 田原の他に娘を送って、寵愛させる必要がある」


 寺暮らしが長くなると口と知恵がつく。

 こんな言い回しを覚えてしまう私の意地の悪さに自分自身腹が立つ。


「つまり、私は戸次鑑連の娘として行けばよいのですか?

 それとも、入田親誠の孫娘として行けばよいのですか?」


 八郎様の所には、伯父になる入田義実が家臣として勤めている。

 田原親宏の例を見れば、私が八郎様に抱かれたら入田義実は宇和島大友家において一門衆として認められるだろう。

 その問いを口に出した時、父は困ったように笑った。


「お前の好きにしたらいい」


その寂しそうな笑みを私は忘れたくないと思った。



「戸次鑑連が娘、政千代と申します」


 府内大友館にてお屋形様への挨拶。

 最近体の調子が良いらしく、府内に長くいる事が多い。

 私の挨拶の言上の後、お屋形様は私の顔をまじまじと眺める。


「入田親誠の面影があるな。

 そちの祖父には色々世話になった」


 能面のような顔で、お屋形様は淡々と声を出す。

 傅役として加判衆の座に居た祖父は、傅役にも関わらずお屋形様を裏切り、お屋形様の父上について殺された。

 表情を何も出さない事が、お屋形様の精一杯の我慢である事が分かってしまう。


「それで、私は奥に入ればよろしいので?」


 その覚悟もあったが、父上は首を横に振った。 

 抱かれろと命じられるならば、まだ救いがあった。

 だが、そこで告げられたのは冷酷な現実である。


「いや。

 女中として、奥の事を伝えてくれるだけでいい。

 篭絡する女はまた改めて探す事にする」


 寺に入って長く居た事もあって、嫁に行くには既に遅れた女に私はなっている。

 鎧岳城の父と府内館の戸次鑑連は別なのだと私は強く感じた。

 そんな私を気にせずにお屋形様は私に語りかける。


「田原の娘から目を離すな。

 あれが八郎をたぶらかさぬよう見張れ。

 八郎の奥を割り、田原を孤立させよ」


 田原家はそれだけ警戒されているし、警戒されることもした家である。

 だが、加判衆に入っている田原家に対してここまで警戒するとは。


「かしこまりました」


 頭を下げようとした時に、お屋形様の目を見てしまった。

 そこに渦巻く憎悪を。

 それが父上に向けられていた。

 そうか。

 これは、田原親宏への警告であると同時に、父への警告でもあると。

 お屋形様が信頼していたにも関わらずお屋形様を見捨てた入田親誠を討った父戸次鑑連への警告。

 父はきっと大友家にとって正しいと思うのならば、それを実行するのだろう。


 たとえば、八郎様を討つ事が大友家にとって正しいと思うならば。

 たとえば、お屋形様を討つ事が大友家にとって正しいと思うのならば。




「戸次鑑連が娘、政千代と申します。

 御曹司の女中としてついて行く所存。

 よろしくお願いいたします」


 そして私は八郎様に出会う。

 かの人は、大友家中で言われるのが嘘であるかのように、私にはごく普通の若者に見えた。   


「大友鎮成だ。

 場合によっては菊池鎮成とも名乗っている。

 これからよろしく頼む」


「女中として八郎様のお側に居るよう心がけます。

 また、府内より付き人を用意しているので、それも許可頂けたらと」


「そのあたりは有明に言え。

 奥はあいつに全部任せているが、間者として働くなら気をつけておけ。

 凄腕がいるから返り討ちにあうかもしれんぞ」


 楽しそうに笑ってみせる八郎様は私を気にすること無く歩き出し、私はその後をついてゆく。

 府内館を出た時に、私は八郎様に尋ねる。


「私を受け入れて頂けると受け取ってよろしいのでしょうか?」


「お屋形様のつけた女中を断る理由が無いだろうが。

 働きについては期待しているし、それができるならば有明は断りはしないよ」


 有明姫。

 大神系国人衆の名家の一つである雄城家の姫君にて、博多に名を轟かせた遊女と聞く。

 八郎様は彼女を娶る為に国を切り取ったのだとは寺に居た時から聞こえてきていた。

 そんな彼女が私の前に現れる。


 護衛ともどもあられもない姿で。


「あ。

 居た。居た。

 待っていたのよ。

 で、八郎。

 その娘は?」


「八郎様。この姿は……」


「言うな。

 なお、うちの奥はみなこんなものだ。

 で、これが俺の奥の有明だ。

 こっちは、お屋形様からつけられた女中で政千代という」


 父より聞いていた女狂いという噂は本当らしい。

 そんな事を思いながら、私は礼儀正しく頭を下げた。


「戸次鑑連が娘、政千代と申します。

 御曹司の女中としてついて行く所存。

 よろしくお願いいたします」


「よろしくね。

 で、八郎。

 彼女抱くの?」


 話についていけないどころか、日の出ている往来なのに契り話を堂々とする事が信じられない。

 呆然と二人のやり取りを眺めていたら、肩に手を置かれ一番あられもない姿の女が私に語りかける。


「三好亜相が養女、果心と申します。

 八郎様は戦場でも閨でも無双をする御方。

 いつでもどこでも契れるようにするのは侍が常に戦に備えると同じことでございます」


「あ。

 はい。

 寺暮らしが長かったので、色々と世情に疎くて」


 私の一言に果心と名乗った姫が楽しそうに手を叩く。


「八郎様。

 有明様。

 この御方尼だったそうですよ!

 どんな衣装になるか楽しみですね」


 何を言っているのかこの時の私はまだ何も分かっていなかった。

 ただ、大事な一言を言い損なったのは分かる。



「八郎様の父君を討ったのは、我が父戸次鑑連。

 敵を討つのならば、喜んでこの体どころかこの首差し出しましょう。

 ですから、父を、大友家をお恨みなさりませぬように」


 その贖罪の言葉は言いそびれたままずるずると八郎様とそのお付の方々に振り回されて、ついに言うことはできなかった。

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[一言] >「つまり、私は戸次鑑連の娘として行けばよいのですか?  それとも、入田親誠の孫娘として行けばよいのですか?」 色々知識を得てからよみかえすと、すごい深い台詞ですね。
[一言] >たしか十二の時だ。  流行病にかかり、もう少しで死にそうだった時に手を握ってくれたのを覚えている。  助かったのは、一冊の本のおかげだという。 12才でなくなってるはずだから、みごと…
[気になる点] >いろいろと世情に疎くて 騙されてる、見事に騙されてるよ…
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