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大友家同紋衆寄合

冒頭の説明は『大友の姫巫女』からの流用

 日本の権力構造は二重になっているとはよく耳にする言葉である。

 その時によく説明に出されるのが、権威と権力の分離、要するに皇室と政府(幕府)の関係で説明されていたりするのだが、これも少し違う。

 日本の権力構造は『徹底的なまでに』二重なのだ。

 つまり、権力機関である政府や幕府ですらその命令系統が二重に分かれている事を意味する。


 さて、ここで説明する前に一つ問題を出してみよう。

 日本の権力者は政府(幕府)組織図において何処に位置するか?

 位置的には第二位や第三位が実権を持っている事が多いのだ。

 たとえば、飛鳥時代。

 聖徳太子についてはひとまずおいておくが、実権を行使した人間をあげると蘇我馬子や中大兄皇子(彼は最後は天皇になったけど)など、側近によって政権が運営されていた。

 たとえば、奈良から平安時代。

 藤原氏全盛期のこの時代の言葉『摂関政治』の元である摂政・関白自体が全てを物語っている。

 たとえば、鎌倉幕府。

 北条氏が実権を握った時、彼らはついに将軍につかずに執権の地位にとどまった。

 たとえば、室町幕府。

 これも将軍家が力を失いながらもその地位は今だある訳で、実際に政権を運営していたのは管領細川氏やその細川氏を傀儡にした三好氏で、そんな彼らを更に傀儡として織田信長が権力を握ろうと色々やっていたり。

 たとえば、江戸幕府。

 日本の政治組織として最も高度で全ての日本式組織のアーキテクトとなったシステムを作り上げた彼らは、実務は将軍より老中が担当する事が多かった。

 たとえば、某国。

 長く与党を務めた政権での意思決定機関は党政務調査会と呼ばれる組織で、この政務調査会の決定がなければ政策として採用されなかった。

 なお、このあたりの事を綺麗に無視して政治主導の名の下に権力を一元化しようとした野党政権の迷走ぶりは語るまでもない。

 歴史というのは面白いもので、調べてみると似たような事例はしっかりと残っていたりするから笑えるのである。

 後醍醐天皇の建武の新政なども権力の一元化の果てに崩壊した訳で、調べると色々と乾いた笑いが出てくる。

 こんな風に二重構造によって政権が運営されているシステムだか、ちゃんと理由が存在する。

 その理由を戦国風に言い換えるとこうなる。


「様々な利害関係が存在する年貢問題において、うかつに声を出して決定方針を示すと自家の滅亡という形で責任を取られるとして、大名家全体で多数決で決定する問題としては及び腰になりやすい性格の仕組みから権威を持った権威者が裁定するしかない」


 つまり、多数派の実権者が裁定を下すと、少数派に転落した時に報復と滅亡を喰らいかねないから、権威という誰も手が出せないものを使って誰もが『納得』する形を整えないといけないのだ。

 いかに日本という国が古くから徹底的に権力を二重に分けていたかおわかりだろう。

 これを踏まえて、彼らがいる場所を説明しよう。


 大友家同紋衆寄合。


 大友家の中枢を支配する大友一門の分家からなる同紋衆の集まりの席である。

 基本的に大友家における意思決定は、大名および加判衆の加判によって文章として発せられる。

 その加判衆に選ばれるのはこの同紋衆というのが最近の慣例となっており、この集まりで根回しや談合や密約ってのが行われるのが当然といえば当然な訳で。

 集まった彼らは、現在頭を悩ませている問題について話し合っていた。



 八郎こと大友鎮成の処遇である。



「厄介なことになったものよ」


 最初に口火を切ったのは、ぼやきながら中央に座っていたこのメンバーの最長老である吉岡長増。

 今回の寄合の会場提供者にて、隠居して加判衆からは退いたが、こういう場で中央に座る程度の権勢は未だ保持している。

 彼自身は八郎については中立的な立場をとっている。


「とはいえ、最低限の仕事はした

 ならば、問題はないかと」


 フォローを入れたのは臼杵鑑速。

 彼自身は兄臼杵鑑続からの付き合いである八郎については好意的な立場をとっている。


「とはいえ、いささか覇気が足りぬ。

 あのまま戦をしても良かったのだ」


 残念そうな声をあげたのは田北鑑生。

 最近は体調が思わしくなく近く加判衆を退くという噂が府内で流れており、その後釜に弟である田北鑑重を据えようと画策していた。

 戦が発生したら彼が担当する筑後国が最前線になるので、功績を立てて所領を増やすチャンスを失ったというのが残念そうな声の理由である。


「だが、その戦で功績をあげたら今度こそ肥後国衆が帰還を求めかねんぞ。

 肥後については我らがどれだけ頭を悩ませたか知らぬ訳ではあるまい」


 南部衆と呼ばれる豊後南部に根を張る同紋衆の筆頭である志賀親守が苦々しく吐き捨てる。

 現在の肥後国は、菊池義武の反乱と粛清、小原鑑元の反乱と粛清という二連続の失策の果てに、大友家の名前の下に肥後国人衆がまとまっているに過ぎない。

 それは、何か問題が発生すると合戦でしか解決できないという事を意味し、肥後方面を担当する彼は必死にその調停を行っていた。


「長寿丸様も大きくなり、常陸介様もお生まれになられた。

 案ずるなら、今のうちに後顧の憂いを断ってしまっても良いだろうに」


 最も過激に八郎粛清を口にしたのは吉弘鑑理。

 血統的に準一門扱いになる息子たちが居るので八郎とは最も利害関係が対立しており、次男の吉弘鎮理を八郎の監視に送っていた。

 ある意味分かりやすいポジショントークである。


「戸次殿。

 何も言わぬがどうしてだ?」


 吉岡長増が黙っていた戸次鑑連に声をかけるが、それでもしばらく戸次鑑連は黙ったままだった。

 そして、意を決したように口を開く。


「この問題を大友だけで片付けるのは危ういかと」


 戸次鑑連が考えていたのは、八郎が繋がってしまっている三好家との絶大なコネの事だった。

 三好家の姫をもらい準一門待遇を得て、和泉国守護代までもらっている三好家に何も告げずに八郎を粛清するデメリットはあまりにも大きい。


「大友家の問題ではないか!」


「左様。

 それは三好家にも言えましょう。

 官位に縁談、全ては八郎様を生き残らせる手と考えるべきかと」


 吉弘鑑理の怒声に、戸次鑑連は即座に反論する。

 我に返った吉弘鑑理が、謝りながらぼやく。


「すまぬ。

 それがしとて、八郎様を斬れと言いたくはない。

 だが、ここの面子はともかく下が押さえられぬ所にまで来ているのだ」


「それは分からぬではないですな。

 うちも同じようなものにて。

 裁定時に肥後の地侍から感じる、『八郎様なら』という視線に何度腸が煮えくり返ったことか……」


 志賀親守もぼやく。

 下からの突き上げが一番激しいのは肥後問題を担当する南部衆で、肥後国人衆に広がっている八郎待望論を苦々しく感じていたのである。 

 そのぼやきに吉岡長増が老人らしからぬ鋭い声をあげた。


「待たれよ!

 その『八郎様なら』の声は真か!?」


「間違いござらぬ。

 宿場など街道筋にて噂が流れて……」


「たわけっ!

 菊池殿や小原殿の乱を忘れたかっ!!

 それは毛利元就の仕込みよっ!!!」


 志賀親守の報告を途中で遮るほどの大声を上げて吉岡長増は叫ぶ。

 大友家は肥後の反乱に振り回されて、二度外交的な大チャンスをふいにしている。

 一度目は大友二階崩れによって発生した菊池義武の乱で、大内家で発生した大寧寺の変に介入できなかった事。

 二度目は小原鑑元の乱によって、大内家を継いだ大友晴英こと大内義長を見殺しにした事。

 そのトラウマは大友家に残ってはいたが記憶というものは薄れるもので、肥後の二つの反乱は大友家の肥後統治ノウハウを完全に消し去り、志賀親守も八郎が菊池家の血を引いているからこそそれを当然と思ってしまっていた。


「……ならばどういたしますか?」


 臼杵鑑速が吉岡長増に低い声で尋ねる。

 現在の場の状況は、



八郎粛清賛成

 吉弘鑑理

 志賀親守

 

八郎粛清反対

 臼杵鑑速


中立

 吉岡長増

 戸次鑑連

 田北鑑生


と、臼杵鑑速は読んでいた。

 このままでは、吉岡長増が粛清賛成派について八郎が粛清されかねない。

 それを回避する為に、即座に根回しを始める。

 まずは、田北鑑生の方を見て頷く。

 前々から話が持ちかけられていた『田北鑑重の加判衆就任を支持する。だから八郎粛清反対にまわれ』というアイコンタクトを受け取った田北鑑生が口を開く。


「おのれ毛利!

 また肥後に火種を置くか!!

 この火種を避ける為にも、八郎様が求めていた南予攻めは進めるべきかと。

 肥後で乱が起こっても、その首謀者に担ぎ上げられる予定の八郎様が海を越えた伊予に居るなら広がりませぬからな」


 続いて、臼杵鑑速は戸次鑑連の方を見る。

 戸次鑑連は大友二階優れの際に入田親誠の娘を嫁にもらって連座されかかったが、それを救ったのが臼杵鑑続で、先代戸次家当主戸次親家の継室に彼の妹が居た縁の為である。

 それ以後も陽に陰に臼杵家は戸次家を支援しており、戸次鑑連の加判衆就任も実力もあるが臼杵家の支援なしではあり得なかった事もあって、戸次家は臼杵家に頭が上がらない。


「今、八郎様を斬って喜ぶのは毛利のみ。

 それに、斬るならば南予攻めの後でもできるかと。

 それで増える領地は八郎様を妬む輩も黙りましょう」


 淡々と述べる戸次鑑連の言葉に、志賀親守が反論を述べようとする。

 それを制する形で、臼杵鑑速は切り札を出す。

 戸次鑑連と田北鑑生が粛清反対に回っても、吉岡長増が粛清賛成についたら半々に割れる。

 だからこそ、粛清賛成派を切り崩す必要があった。


「吉弘殿。

 どうかそれがしを信じてくだされ!

 八郎様を信じれないのなら、八郎様を信じたそれがしを信じてくだされ!!

 この臼杵鑑速、八郎様が裏切りし時は潔く腹を切りましょうぞ!!!」


 明確に八郎と利害が対立する吉弘鑑理の切り崩し。

 だが、それができるコネを臼杵鑑速は持っていた。

 吉弘鑑理が臼杵鑑速を睨む。

 永遠に続くような対峙で先に目をそらしたのは吉弘鑑理の方だった。


「ここで臼杵殿が腹を切られたら、息子新介が悲しみましょう。

 よかろう。

 この場では、臼杵鑑速殿が信じた八郎様を信じよう」


 吉弘鑑理の長男である吉弘鎮信の嫁が実は臼杵鑑速の娘だったりする。

 コネと取引でなんとか八郎の粛清を回避した臼杵鑑速は、志賀親守へのフォローも忘れない。


「志賀殿。

 毛利の間者ならば、博多より九州に上がっているはず。

 取締を強化するのと同時に、こちらから噂を流してくれませぬか?

 『八郎様は南予に攻め込む為、領有後に菊池の臣を求める』と」


 南予侵攻を肥後反乱分子のあぶり出しに使って、その反乱分子を暴発しても良い場所にて八郎に押し付ける。

 毛利元就の策に対する予防策ではあるが、効果がない訳ではない。

 それを理解した志賀親守もわざとらしくため息をついた。


「心得た」


「……どうやらこの場での意見はまとまったようじゃの?」


 こうなった状況で吉岡長増が八郎粛清賛成につく訳がない。

 八郎の知らぬ場所、八郎の知らぬ間に、こうして何度も危ない橋を渡っていた事を彼は知らない。




「お待たせしましたな」


「お気になさらず。

 あの場にそれがしが居たら、煙たがれましょうからな」 


 寄合が終わった後、吉岡長増は待たせていた客人に声をかけ、客人も気にしない様子で返事をする。


「で、八郎殿は生き延びれましたかの?」

「臼杵殿がえらく買っておる。

 相当な出来物らしいですな」


 客人は吉岡長増の言葉を聞いて、老獪な目を光らせる。


「実は、娘を八郎様の元に差し出そうと考えております」


 客人の名前は田原親宏。

 大友宗家から警戒され続けた田原一族の当主にて吉岡長増の後に加判衆の座に座る男は、こう切り出して吉岡長増にそれを飲ませる事に成功したのである。

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