鍋島直茂という男 【系図あり】
原田宿の一番大きな宿屋。
その奥の一室が俺たちの宿だった。
来るものが来たと思いながら、俺は考えていた策を出す。
届けば御の字、だが届くまいとあきらめ半分で。
「とりあえず、有明。
服をはだけて、後で寝ていろ」
「ちょ!何を言い出すの!?八郎!」
有明は旅という事で御陣女郎の姿だ。
遊郭の遊女とくらべて、動きやすく、露出も多い。
服を乱れさせるだけで事後に見えるだろう。
まあ、実際夜はしているのだが。
「相手に俺が愚物と思わせる」
今度は、大鶴宗秋が俺の策につっこみを入れる。
戦国武将らしい見識で、俺の愚行を諫めてくれる。
「……これから世に名を知らしめようとするお方が、愚物の名を欲しがるとは。
この戦国の世、舐められたら終わりですぞ」
「逆だ。
大鶴宗秋。
舐められないと終わるんだよ。
だからこそ、呆けを諌めてくれるなよ」
(……謀反の旗頭にされてな)
俺の心のなかの呟きを二人に聞かせられないのがつらい。
そして、それを吐き出せない自分の心の弱さに一番腹が立った。
「菊池鎮成と名乗っている」
「肥前国村中城城主竜造寺隆信が家臣。
鍋島信生と申します。
此度は、大友一族の御曹司にお目にかかれて光栄に存じます」
大木のような男。
それが俺が見た鍋島直茂の第一印象だった。
懐の深さ、一本筋を通す所、そして俺を見る目。
警戒し、侮るなら分かる。
心配し、諫言を行おうと叱るような顔。
勝てない男ではない。
かっこいい男。
そんな鍋島直茂が語彙を強くして、俺を叱る。
「失礼ながら、御曹司様は勘違いをしておられる!
兵を集めた時点で既に戦は始まっており、その戦で大将が女を侍らせてうつつを抜かしている。
どうして兵が戦えましょうか!!
そのような事では、大友の名前が泣きまするぞ!!!」
大喝。
響く大声に俺だけでなく後の有明まで震える。
そして説教が大鶴宗秋にまで移る。
「大鶴殿も御曹司を支えるのならば、これをどうしてお諌めしなんだ!
兵はいやでも大将を見るもの。
これでは戦などできませぬぞ!!」
さすがに可笑しくなって、俺は笑いながら鍋島直茂に尋ねる。
これは演技ではない。
まごうことなき、愚物として尋ねた。
「おい。
それで戦となれば、お前ら竜造寺家が相手になるかもしれん。
ならば、愚物の方が戦い易かろうに」
「さよう。
己を愚物と見せようとする愚物ならば楽に勝てましょうな。
それでも、肥前守護一族の御曹司。
諌めるのが臣下の努めでしょう」
すっと空気が冷える。
こっちの茶番が見ぬかれたことではない。
それを暴いてまで俺に諫言した鍋島直茂の覚悟で。
「いつ気づいた?」
「最初から。
御曹司の服が整いすぎておりまする。
そして、京にて礼法を学んだ大鶴宗秋殿がそれをお諌めせぬ。
茶番は凝ってこそ面白みが出るというもの」
「そういえば、お前の爺様はそういう事をやって戦に勝ったんだよな。
謝る。
愚物に見せようとして、欺こうとした俺の落ち度だ」
田手畷合戦という戦があった。
大内家と少弐家の戦いで、竜造寺家兼率いる少弐軍敗北の危機を救ったのは、赤熊と呼ばれる雨乞いの踊り衣装をつけて大内軍本陣を奇襲して撃破した鍋島清久で、鍋島直茂の祖父にあたる。
なお、この竜造寺家兼の孫が竜造寺隆信であり、竜造寺と鍋島の縁はここから始まっている。
奇抜な衣装で突っ込んだだけでやられるほど大内軍とて馬鹿ではない。
やっていたのだ。雨乞いを。
で、そんな最中に戦をやられたからと農民が押しかけて……その中に鍋島清久と彼の郎党が居た。
この時代だからこそ知り得た、伝説の裏話である。
「欺くならば、徹底的に凝りなされ。
おかげで、我が祖父は雨乞い踊りを死ぬまで踊れたのですぞ」
ふっと空気が軽くなる。
ああ。
これは勝てない。
多分こいつは覚悟が違う。正しさが違う。何よりも己への信頼が違う。
だからこそ、秘めようとした思いを彼への敬意として口に出す事にした。
「なるほど。
俺にそれを教えても勝てるか。
いや、勝つからこそ、敵にも求めるか」
「すっかり忘れておりました。
場合によっては戦になると、それゆえに志願してこの地に赴いた次第ですが、御曹司の器が大きかった故。
ご容赦を」
今や西国の注目になりつつある門司合戦で大友家と毛利家が死闘を繰り広げていた。
豊前国人衆の一斉蜂起という足元の火事を大軍によって踏みつぶした大友軍はその余勢をかって門司城攻撃を開始。
しかし、毛利軍守将小早川隆景と水軍大将乃美宗勝の奮戦によってその攻勢は頓挫。
ついには、府内に停泊する南蛮船に頼み込んで、門司城を砲撃するなんて事態になっていた。
それは毛利側についている竜造寺家には伝わっているという事。
つまり、鍋島直茂は戦う前から勝っていたからこそ、この茶番に付き合ってくれたのだ。
俺が本物の愚物ではないという事すら見抜いた上で。
「欺くなら徹底的に欺け。
先のお前の言葉だろうが。
安心しろ。
門司が苦戦する中、肥前で火遊びなどするものか」
「御曹司が本物の愚物ならばそれがしも困った所だったのですが。
良き大将になられましょうな」
残念ながら、お前の噛ませ犬として歴史に名を残すよなんて俺の口から言える訳もなく。
そのまま茶番からすこしはましな話に移る。
なお、当然の事だが、有明は服を元に戻している。
「大友には肥前に手を出す余裕はない。
とはいえ、守護として現状の戦については何か申し開きをしてくれ」
「元々は千葉家のお家争いに竜造寺家が加勢したまで。
千葉家の家督を継いだ千葉胤連殿はそれがしの義父に当たる方。
何か問題でも?」
戦国時代においてこれは何も問題ではない。
大名が国人衆の争いに関与できるのは戦国末期になってからである。
そして、守護を名乗っていても、その下の国人衆がつかないと守護大名とて見捨てられるのだ。
ついこの間滅んだ肥前守護大名少弐家のように。
「何も問題はないな。
まあ、戦の火種とするならば、お前さん方が潰した千葉胤頼が滅んだ少弐冬尚の弟で千葉家に養子に行っていたって事だ」
また少しずつ部屋の温度が下がる。
千葉家のお家争いは、守護大名少弐家とそこから下克上を狙う竜造寺家の代理戦争の面もあった。
話が更に厄介なのが、対大内家同盟という形で大友家は少弐家を支援しており、少弐冬尚の母は大友親治の娘という大友の血が入っていた。
そういう因縁から、必然的に竜造寺家は大友家の敵であり、それを分かっていたからこそ、竜造寺家は毛利家と繋がっている。
卵が先か、鶏が先か。
どっちにしろ戦は起こる。
下克上は傀儡としての主家筋が居るのと居ないのでは、その難易度が段違いになる。
事実、肥前を統一して五州二島の太守にまで成長する竜造寺家とて、統一まで国人衆達と死闘を繰り広げ、その旗印に少弐の名前はずっと使われることになる。
ふっと、悪魔が囁く。
天啓というより阿呆の戯言だろう。
だが、その悪魔の囁きを俺は口にした。
「肥前守護大友家の大義名分、欲しくないか?」
ぬるりと毒を出す。
もちろん、口からでまかせだ。
「欲しくないといえば嘘になりますな。
ですが、それを信頼してよろしいので?」
「するなよ。
でまかせなのだから」
俺は笑うが大鶴宗秋や鍋島直茂の目は笑っていない。
つまり、冗談の線は超えている。
上等だ。
「先にも言ったが、大友は門司の戦で手一杯。
肥前にまで手が回らぬ。
だが、肥前には大友一族がいる。
武門の誉れ高い少弐の血を継いで、更に大友の血が入るならば助けるのが道理。
そして、助けられるのならば、恩を返すのもまた人の道というもの」
「……」
はっきりと考える顔に鍋島直茂が変わる。
俺が何を言わんとしているのか分かったのだ。
何しろ、家としての少弐家は滅んだが、その生き残りは未だこの地に隠れて牙を向くその機会を待ちかねているのだから。
「少弐の生き残りを門司で潰してくださると?」
勝った。
鍋島直茂は戦国武将としての正解を口に出した。
こっちは戦国武将ですらない。
だからこそ、俺の右斜め下が理解できない。
「違う。違う。
少弐の生き残りを大友の御曹司に仕立てあげるのさ」
「「!?」」
鍋島直茂が驚きの顔を見せる。
それだけで満足だ。
大鶴宗秋ははっきりと怒りの顔になっているが、さすがにこの場で叱れない。
「大友家は門司の手勢に少弐の残党を加えられる。
竜造寺家は生き残りが大友の名前に変わるので少弐を名乗れない。
少弐家は門司で武功をあげないと先へ進めない。
俺は傀儡役を押し付けられて晴れてお払い箱」
「八郎様!!!」
耐え切れずに大鶴宗秋が俺を叱るが、俺は笑みが止まらない。
何だ。
こんな所にこんな抜け道があったか。
「血筋から大友の御曹司が無理ならば、一族の娘を娶ればいい。
何より今の少弐は滅んだばかりで先がない。
一旗あげる為の武功は必要だろうし、俺を旗頭にするより兵は集まるだろうよ」
「それを、御曹司が、竜造寺家にお命じになると?」
殺意すら持って鍋島直茂は尋ね、俺の背中に悪寒が走る。
その真剣さが彼の本心。
だからこそ、納得するお家の利があるならば、彼は転ぶだろう。
「いや。
俺は命じないさ。
竜造寺家が勝手にやった事と『功績』としてお屋形様に報告するのでな」
いくら少弐家残党が門司で功績をあげようとも、それはそう誘導した竜造寺家の功績として記録される。
そして、功績をあげた少弐家を大友一族として見た場合、俺以上の手頃なバックアップとして加判衆は見るだろう。
めでたく飼い殺し確定である。
ただ一人、このような場所で愚物を演じた俺を埋没させるだけで。
「良きお話でござった。
いずれ、きちんとした場にてお会いしたい所存」
頭を下げた鍋島直茂に、俺は心からの本心をぶっちゃける。
「もう会うつもりはないさ。
次に会った場所は戦場とかありそうだからな」
翌日。
俺のもとに凶報が届く。
門司城攻撃をしていた大友軍が毛利軍に大敗。
多数の死傷者を出すという敗戦報告である。
田手畷合戦の赤熊突撃の真相はもちろん創作。
竜造寺家兼 りゅうぞうじ いえかね
鍋島清久 なべしま きよふさ
小早川隆景 こばやかわ たかかげ
乃美宗勝 のみ むねかつ
千葉胤連 ちば たねつら
千葉胤頼 ちば たねより
少弐冬尚 しょうに ふゆひさ
大友親治 おおとも ちかはる