肥前大乱 あとしまつ
仕事は終わった。
最低限の筋は通して、大友家の面目は保たれた。
これはその後始末の話である。
「嫁だと?」
博多にやって来た鍋島信生は淡々とそれを言ってのける。
勝者として。
まったく賛同していない顔で。
「はっ。
御曹司には肥前一の美姫を娶っていただきたいとの仰せで。
我が主の娘、お安様でございまする」
お安。
秀の前の名前の方が知られているだろうか。
三国一の美姫と名高いが、この時点で小田鎮光に嫁いで子供もいたはずである。
それでもなお美貌は衰えないという噂の姫だそうな。
「俺の間違いでなければ、かの姫は小田殿の元に嫁いでいたはずだが?」
「御曹司の奥に入ることができるのならば、喜んで離縁させるとの事で」
ある意味戦国大名らしいと言えばらしいがあまりに無体である。
なお、小田鎮光は父である小田政光を竜造寺隆信に見殺しにされたという過去がある。
史実だとこの後もまったく救いがないルートを進むのだが、わざわざそれを前倒しする必要もない。
「あいにく人の物を奪うまで女に不足していないんでな。
お断りさせてもらおう。
それよりも、府内のお屋形様への報告はどうするのか尋ねたいのだが?」
あえて不機嫌な顔で話を促すと、明らかに安堵した顔で鍋島信生が話の続きを口にする。
これで肥前大乱の竜造寺完勝の立役者なのだから。この完璧超人は。
「はっ。
府内にはそれがしと、竜造寺鎮賢殿を向かわせるつもりで。
肥前の出来事については、滞り無く話す所存」
竜造寺鎮賢というのは竜造寺隆信の嫡男で竜造寺政家の名前のほうが知られているだろう。
大友家の権勢が大きかったのでわずか五歳にして元服し、大友義鎮から名をもらっている。
もちろん、大友家に対するパフォーマンスだが、大友家の看板の下でおとなしくするのならば、守護代として問題はないという方針は大友家の意向に添っているのがたちが悪い。
ついでに言うと、このごたごたのまとめとして彼のもとに有馬義貞の娘が嫁ぐことも決まっている事を付け加えておくとしよう。
「しばらくはおとなしくしておけ。
せめて俺が九州にいる間ぐらいはな」
おれの嫌味に真顔で鍋島信生は平伏して答える。
その姿に本物は違うなとなんとなく思い知ってしまった。
「たしかに我が主にお伝えしましょう」
博多まで来た以上太宰府にいる烏帽子親の高橋鑑種に会わぬのは筋が通らぬ。
身内だけ連れて太宰府に入る。
太宰府天満宮に建てられた茶室にて高橋鑑種と一対一。
言いたいこともあるし、言えないこともある。
だが、この茶室にて俺が最初に言葉にしたのは悔しさだった。
「なぁ。
教えてくれ。
俺は、何処で間違えた?」
答えが返るとは思っていないが、肥前の一連の出来事の顛末が俺にとって不本意に終わったのは分かっているのだろう。
だが、茶を差し出した高橋鑑種は俺の予想外の間違いを指摘してみせた。
「最初から。
御曹司は早く来過ぎました。
少弐殿を助けるのならば、豊後から万の兵を連れて一月遅く来るべきでした」
「それでは終わっているかも知れぬではないか」
「それはそれ。
終わった後に守護代を堂々と渡してやればよろしい。
下手に関わったが故に、御曹司は足元を見られたのですよ」
高橋鑑種の笑顔が実に憎らしい。
だが、その指摘が的確故に何も言い返すことができない。
烏帽子親からのありがたいお説教という形で、俺への糾弾は続く。
「まずは最初。
御曹司は己が西国で知られている事を自覚していらっしゃらぬ。
博多に近いという事は、三好周りの話も入っているのですぞ。
帰還している時に何かあったら御曹司が出て来ることは、このあたりの国衆は皆読んでおりましたぞ」
対俺へのメタを張られていた訳だ。
それを指摘されてはっと目から鱗が落ちる。
だが、高橋鑑種の指摘は続く。
「三好でのご活躍はこちらにも耳に届いております。
仁将と呼ばれ、将兵や民草に優しく、誰もが満足する落とし所を見つけてくる。
竜造寺殿にとってみれば、この時点で勝ったと思ったでしょうな。
全てを賭けて肥前を取りにいっていたのですから。
最後は御曹司が折れると確信していなければ、少弐殿を滅ぼしに行くはずはありませぬとも」
こっちの妥協ラインを完全に読みきっての戦だったと。
言われてぐうの音も出ないが我慢して続きを聞く。
「更に、御曹司は守るべきお方を間違えた。
この戦は竜造寺と有馬の戦だったはず。
看板は少弐だろうが、有馬の動向にもっと気を払うべきでした。
博多に居て船も多くあったのですから、有馬に兵を送って備えを固めるだけでも有馬の寝返りは防げたでしょうな」
あまりに事態がややこしくなって見事に本質を見失ったという訳だ。
高橋鑑種は淡々と俺に反省点を指摘する。
「少弐殿の扱いも間違っておられた。
看板であるからこそ、最後に持ってくれば良かった。
波多に入られた後でも、博多に、それが無理ならば壱岐に下げるべきでした」
気分は探偵の推理を聞く犯人のごとし。
こちらの失敗を見逃さずに最善を積み重ねた竜造寺隆信と鍋島信生が一枚上手だったという事だ。
「御曹司の帰還時に肥前守護代の件はこちらに流れてきていましたからな。
落とし所はここだと肥前諸侯は即座に理解したでしょう。
守護代の座を狙えるのは三者。
竜造寺、少弐、有馬の三家。
丹坂峠合戦の敗北で有馬は脱落したが、少弐が帰還を狙った事で彼を担いで巻き返しを狙った訳です。
だが、少弐は神輿で終われなかった」
波多家の内紛で重臣側についた事で、有馬から養子に行った波多藤童丸と敵対する事になったのだ。
それを竜造寺は見逃さなかった。
「気づいていましたか?
此度の騒動において、松浦にせよ波多にせよ、有馬の養子側に竜造寺が寛大な処置をしていることを。
そして、竜造寺鎮賢殿に有馬義貞の娘が嫁ぐことも決められた。
誰が絵図面を引いたか知りませぬが、見事ですなぁ」
「……」
有馬と少弐の確執を竜造寺は見逃さなかった。
そして、有馬を取り込んでしまえば少弐を潰して守護代の座が射止められる。
種を明かせば簡単に見えるが、俺は当事者としてその簡単な理が見えていなかった。
思わず膝においた手を強く握りしめる。
「とどめが神代の一件。
神代と竜造寺が揉めればと御曹司は考えたでしょう?
国衆は生まれた土地が全てで、竜造寺殿よろしく野心ある御方もいらっしゃいますが、神代殿みたく土地が戻ればそれで良しみたいな御仁もいらっしゃるのですよ。
竜造寺は神代がそんな国衆である事を長き争いでよく知っていた。
手を出したら火傷するが、手を出さなければ何もしてこないと。
そして、今は守護代の座を得るために少弐を潰さねばならぬ。
神代に手を出して牽制しようとした事で、竜造寺は確信したでしょうな。
『御曹司は肥前に入らぬ』と」
俺には見えない物が竜造寺には見えていた。
それが最後の最後で結果をわけた。
「御曹司が太宰府にこられるのも一つの圧力にはなりましょう。
ですが、太宰府からだと波多に上がった少弐殿を助けられなくなる。
助ける素振りを見せ続けるのは大事だったので、それは咎めませぬ。
ですが、少弐殿が波多に上がらなければ、御曹司はもっと選択肢が増えていた事はご理解なさっているのでしょう?」
そのとおりだ。
波多に上がった少弐政興を助ける選択肢を捨てたくなかったからこそ、神代長良を使って原田親種に詫びを入れさせたのだ。
それがなければ太宰府にまで出て、国境沿いで展開していた大友軍と合流できていた。
そして少弐政興という看板は手元に残っているからゲームはまだ続けられただろう。
だからこそ、俺は高橋鑑種に尋ねる。
「お前が検使だったらどうする?」
「先にも言った通り、まずは大兵を集めますな。
最低でも万は無ければ言う事を聞かぬでしょう。
それで時が過ぎてその時に事がおさまっていれば、それでよし」
高橋鑑種は茶を堪能しながら苦笑する。
その顔はなんとなくかつてやったような過去を思い出す顔になっているのは気のせいだろうか。
「万の兵を率いて博多にやってきた時、国衆に手紙を出しますな。
御曹司のように。
ですが、万の兵という見える怖さがあるから国衆もまじめに返事をしましょうて。
少弐殿はお屋形様の命という形で筑前に留まってもらいまする。
万の兵の後詰を期待して、少弐殿も動きはしないでしょうが」
大兵はそれだけで人を寄せ付ける。
時間がかかるが、それを巻き返せる優位もあると俺は心に刻む。
敗北の後だからこそ、この言葉を忘れないようにしよう。
「そうすれば、肥前の争いは有馬と竜造寺の争いと簡単に話が見えましょう。
手勢の一部を有馬に後詰に送っても、筑前国衆に動員をかけて交渉すれば、竜造寺も強くは出れぬでしょうな」
言っていることは今山合戦の大友軍の動きまんまである。
その行動と理由については今山合戦は正しかったのだ。
負けてしまうという最後の最後で大失敗をかまさなければだが。
俺は無理に笑顔を作って、その一言をひねり出した。
「苦いものだな。
敗北の味ってやつは……」
「たっぷり味わって下され。
味わう前に黄泉路に旅立つ者も多くいらっしゃりますからな」