十九章 春香とヒーロー=不変
カーペットに点々と血痕が続いている、その血痕の主はシフエだ。
具現化した自動小銃の放つ銃弾の一発が、避けきれなかったシフエの左肩を撃ち抜いていた。
だらりと垂れた左手の先からは、決して少なくは無い量の血が滴り落ちている。
そしてその状況から、あまり長い間は動けないように見えた。
「しくじったな、そもそもマテリアライズ ウエポンまで使えるなんて聞いてないぜ!」
左肩を右手で押さえ、苦痛に顔を歪めながらシフエがぼやいた。
そうだよな…、前回は俺だってマテリアライズ ウエポンなんて知らなかったよな。
これって、俺が自分の都合の良いように未来を上書きしてるんだもんな。
でも、こんな事って許されるのか?
俺には都合がよくても、シフエの様に未来が悪い方向に進む奴だっているんだろ?
その影響が、全世界におよぶとしたら……。
――もしかして、俺の行為はみんなの未来を狂わす事になるのか?
「もう……やめようぜ」
春香が連れ去られないなら、俺はそれでいいんだ、それ以上は望んでいない。
そもそも、シフエに引導を渡そうなんて思ってないし。
もう、これ以上の未来の上書きは怖い気がするし。
頼むから、このまま帰ってくれと祈るような気持ちでシフエを見た。
しかし、七夕の短冊に書いた願い事みたいに、翔威の願いもシフエには届かない。
「そう簡単に諦める事もできねえんだよ、これが仕事だからな」
シフエの肩からの出血は止まらず、痛みも相当激しい様に見える。
でも、それ以上にシフエが脅威に感じたのは『情報には無い能力を持つ、得体の知れない男』の事である。
しかし、それでもなお、仕事の為だと翔威を睨み、威嚇しながら答える。
「まだ、やめねえって言うんなら、気が進まないが最終手段を使わせてもらうぜ」
俺には今回のシフエ戦で一つ分かった事がある。
それは血の痕なんだけど、どうも不自然なんだよ、瞬間移動系では絶対にあり得ない痕跡だから。
そこで俺は仮説を立てた、シフエの能力は『あれ』じゃあないかと。
それなら、『これ』を『あれ』にピンポイントにぶつけてやれば、もしかして……。
俺は仮説を実行に移す為に、殺傷能力の高い自動小銃から拳銃へとチェンジする。
それでもビンゴの場合はリスクが高いけど、シフエに諦めてもらう為には多少の荒療治も必要だろう。
「どうしようってんだい?」
シフエは拳銃へチェンジした意図が掴めずに、困惑の表情になっていた。
わざわざ武器の威力を落としておいての最終手段って何なんだ?
まさか、ハッタリを噛ませて、こっちの隙を作ろうって逃げようってのか?
読めない次の一手に、シフエは様々な攻撃を想定して思慮をめぐらせていた。
「こうするのさ」
そう言って、翔威は拳銃を構えた。
その姿を、後ろで恐怖のあまり声も出せず、まるで幼い子供の様にペタンと女の子座りで傍観者としていることしか出来ない春香。
ただ、その恐怖の半分はシフエでは無く、翔威が銃を手にして、他人を傷つけているという事実だった。
春香の知っている、頼りなくて、情けなくて、女々しい翔威はここには居なかった。
「パン!」
一発の銃声が部屋に響いた。
シフエに向け、翔威は何の躊躇いも見せずに引き金を引いていた。
なにかしらの移動系能力を使い、シフエが回避するのを確信していての発砲である。。
少しの間の後、引き金を引く前と『同じ場所』で静かにシフエの両膝が床にくずれ落ちた。
「……な、なぜ…タイムキープがっ? くそっ、てめえ何をしやがった!」
スカートからチラリと覗く左足太ももからは鮮血が滴り落ち、真っ白だった靴下が真っ赤にそまっている。
(出血量を考えると、もう、いい加減春香の誘拐は諦めるだろう)
そしてシフエは歯ぎしりの音が聞こえてきそうな勢いで奥歯を噛みしめ怒りを露わにしている。
「おまえの能力なら無効化させてもらったよ、もう十分だろう? 早く手当をしないと死ぬぞ!」
左腕も左足も撃たれ、おまけに大量出血というシフエにドクターストップをかけたい所だが。
果たして素直に忠告を聞いてくれるかどうか…。
「……確かに分が悪いな、今日の所は引こう。でもな、この借りは絶対返しに来るからな、覚えてやがれ!」
「―――俺に、過去の事なんて……。無駄じゃんかよ……」
すぐ後ろに居た春香にさえ聞き取れない程の、独り言なのか、シフエへのメッセージなのか分からない言葉。
それはシフエが姿を消した直後に吐かれた物で、シフエには届いていなかった。
「――――――翔威」
「……春香、驚かしちゃったよな」
春香は今まで見た事が夢なのか、現実なのか、目の前で銃を撃っていたのが本当に私の知っている翔威なのかさえも、分からなくなっていた。
「こんな信じられない状況を、俺はうまく説明できないと思う。……でも、ただ一つだけ言えるのは、春香を守りたかった、それだけだ」
「…私を、守る為に」
『私を守る』このキーワードで春香の混乱していた思考が一つにまとまり理解した。
翔威の行動の全ては、私が中心にあったと。
「それと一つ、謝りたい事があるんだ……」
視線を春香の足元に落としながら、まるで懺悔室に入った『迷える子羊』の様相でポツリと漏らした。
「謝るって?」
今しがた助けてもらった翔威に謝られる事って? 過去三年遡っても思い当たらない。
次の言葉が予想できずに翔威の顔を覗き込む春香。
「俺は『二回も』おまえだけのヒーローになり損ねたんだ」
春香は上書きされる前の過去を知らないし、自力で知る事もできない、でも、それでも俺は謝りたかった。
「どういう事?」
「俺にとって、今の時間は『三回目』の過去なんだ、そして『救いを求めた春香』を二度も救えずに誘拐された……」
「――――そんな…事って」
更に自分の常識の遥か斜め上を行く告白に、春香の思考は再び混乱していた『三回目の過去』も『二度の誘拐』も、理解するにはピースが足りな過ぎていた。
「だから、……ゴメン、今のおまえが理解できなくてもいいんだ。ただ、謝りたかった」
全ては理解できなくても、翔威が私の為に辛い思いをしてきた事だけが推測できて心に響いた。
そして、春香の脳裏に、翔威の口から出た『ヒーロー』『助ける』と言う言葉達から『ある記憶』が蘇っていた。
「翔威、覚えてるかな?」
「――――え?」
自動販売機で冷たいジュースのボタンを押したのに、熱いジュースが出てきた時の様な。
唐突に『あれ』?的な春香の切り返しに翔威の謝罪は一時中断する。
「小学一年の時、私の家族と一緒に遊園地に行ったよね。」
「…あ、ああ。あの昼から雨が降った日の、だよな?」
「私が、風船を配っていたパンダの着ぐるみに付いて行って、そして迷子になって――」
「あの時は大変だったよな」
なぜ今、昔話を?昔から、人の話の腰を折るタイプじゃ無いのに?
翔威の中に疑問は生じたが、今は春香のペースに黙って乗せられる事にした。
「あの時、あなたは流れる汗を拭いもせず走り回って私を探してくれたんだってね、後で両親に聞いたわ。そして、心細くて、一人ぼっちで泣いていた私を、あなたは見つけてくれた」
「ああ、そうだったな」
「――……あの時の翔威は…私だけのヒーローだったの。それは、今もこの先も変わらないよ」
過去二度の誘拐阻止失敗を罪悪感として背負いこんでいた翔威にとって、この春香の言葉は凍っていた心を溶かす温かな物だった。
「春香、ありがとう、救われた気がするよ」
「それとね、翔威」
「ん、なに?」
「これからも、ずっと私を守ってね」
この言葉の意味に含まれている乙女心を翔威は気付けただろうか?
ちなみに、春香は『一生傍にいてね』を埋め込んでいたようだが、果たして?
「約束するよ、ずっと春香を守るヒーローだよ俺は」
「―――ありがとう、翔威。すごく…すごくうれしいよ!」
そう言ってスルリと翔威の首に両腕を回す春香、そして『あっ!』と驚いている翔威の顔を引きよせ、有無を言わせず自分の顔を重ねていった。
私が幼い頃出会ったヒーローは、とても格好良くて、勇敢で、いつでも私の事を見ていてくれた。
そして今、そのヒーローはあの時よりも格好良く、勇敢に私を助けてくれた。
私だけのヒーロー、これからもずうっと、ずうっと、永遠の別れのその時まで……。
私だけのヒーローでいてね、お願い―――――翔威。




