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217 閑話

古事記は、その書名、成立などが一切、日本書紀に登場しない。古事記成立の事情は、古事記の巻頭の「序』によって知るのみである。古事記「序」には詳しく、「自己紹介」が繰り広げられる、それがかえって違和感をもたらすので、「古事記偽書説」が言われる主とした理由になっている。

筆者も、偽書説に組するほうであったが、古事記の研究書にあたるうち、良い書に出会い、その考えが揺らいできた.その書というのは「古事記のひみつ」三浦佑之みうらすけゆき著・吉川弘文舘刊である。三浦氏は2007年に千葉大学大学院人文社会科学部研究科教授をなさっている方だ。

この著によれば、日本書紀には古事記は登場しないが、登場する書があるという。以下は、その論の要約である。


日本書紀は成立後、宮廷内で、その書の理解のために、しばし購読会が開かれた.それを「講書」と呼んだ。これは学者が講壇に立って、書紀の訓読と内容を説明するという体裁を取るものであった。講議はひんぱんに行われるものではなかったから、講議の内容を記す記録が毎回とられた。この集成を「日本書紀私記」と言う。

その中の一講議である「弘仁私記こうにんしき」序について、日本書紀の註釈書である「釈日本紀しゃくにほんぎ」(鎌倉時代成立)巻頭に次の文が紹介されている。


弘仁私記序に曰く.日本書紀は一品舎人親王いっぽんとねりのみこ・従四位下勲五等太朝臣安麻呂《じゅうしいげくんごとうおおのあそんやすまろ》らみことのり(天皇の命)を受けて編纂したものである。(これより先、天武天皇の在位の時、舎人あり姓は稗田ひえだ、名は阿礼あれ、年は二十八。人となりは勤勉にして、見聞きに聡かった。天皇は阿礼に命じて天皇の記録と古い出来事を習わせた。いまだに選択し録せずにいたところを、世めぐり、代替り、元明げんめい天皇の在位の時、正五位上安麻呂に命じて、阿礼の暗誦するところの言葉を選び記さしめた。和銅五年正月二十八日初めて納めた。その書は、いわゆる古事記三巻である)元正天皇在位の時、親王及び安麻呂ら、さらにこの日本書紀三十巻ならびに帝王系図一巻を選録した。養老四年五月二十一日始めて献上する。

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