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213 百済奪回

「兵器を奪ったうえ、兵も戻ってきたので鋭気も蘇り唐軍は進入できなくなりました。福信らは、百済の人々を集めて、ともに王城を守りました。国の人々は佐平福信、佐平自進と褒め称えたのです。(佐平は百済官位十六階の一位)福信なくしてはすでに滅んだ国を興すことはできませんでした。」

 

 十月福信は佐平貴智(きち)を遣わすとともに、唐の捕虜百人余りを奉った。また援軍を乞うとともに、日本にいる王子余豊墇(よほうしょう)に帰国させるようお願いした。

「唐人はおのれの悪い属、新羅を率いて、我が国の周辺を騒がし、我が国を覆し、わが君・臣を捕虜にしました。唐は兵を増やす積もりで捕虜とするのです。(先に民がやたらに武器を持ち歩いていたのは、唐のこの増兵策に対する防備であったのかも知れません。)しかし百済国は遙かなる天皇の恵みを受けて、更に人を集めて国をも盛り返しました。今、お願いするのは大和の朝廷にはべる百済国の王子豊璋(ほうしょう)を迎えて国の王とすることです」

 天皇が言われた。「将を乞い救いを申すことは、長年聞いてきた事だ。危うきを助け絶えんとするものを継ぐべき事は当然のことだ。今、百済が極まってわれに頼るのは本国が滅んでしまって頼るところがないからである。日々悩み、必ず救いを与えよと遠くより来たりて云うのは、その志に奪いがたい決意があるからである。わが将軍にこの気持ちを分かち命じて、至る道から軍をともに進めよう。雲のごとくに再開し雷のごとく動いてともに新羅方面に結集するならば、その仇を取りそのさし迫った苦しみを助けてやれよう。役人達は王子のために十分に支度し礼をもって送り遣わせ」


 十二月二十四日 天皇は難波の宮に移られた。天皇は福信の申すところによって、まずここに移って諸の軍器を用意し、筑紫に行こうと思った。

 この年、百済の為に新羅を討とうと思い、駿河の国に命じて船を造らせた。


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