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207 大和国が制度を整える

 大化二年(孝徳天皇二年)(646年)一月一日 賀正の礼が終わって改新のみことのりを宣明された。


「一に曰く。昔の天皇の立てられた子代こしろ(王家の所有する小耕作地)の民・諸所の屯倉ならびに臣・連・伴造・国造・村の首長などの支配する部民・豪族の経営する各所の所有地をやめよ。よって、食封へひと(給与・官位第五位の正一位で大宝年間の禄が300戸分。米などの年貢の半分。布などを納める調の全て)を官吏に与える。官吏は民を直接治めるものである。良くその政治を尽くすときには民の生活に良い影響が現れる。それゆえ、官吏の俸給を重くすることは民のためにすることである。

 二に曰く。都を創建し、畿内うちつくにに司・郡司・関守・斥候うかみ(東北辺地の見張り)・防人・駅馬・伝馬を置き、鈴契すずしるし(駅馬・伝馬の利用許可の証)を作り、地方区画を作成せよ。都には町ごとに長、一人を置け。四つの町ごとにうながし一人を置け。一戸一戸を良く管理して、正しくないことをする者を監督せよ。うながしには町の中で行い強く正しく、勤めに耐える者をあてよ。里村の長には、里の百姓の清く正しく、強い者をあてよ。もし、その里村にふさわしい人がいなければ、近隣の里の者を選んで用いることを許す。およそ幾内うちつくにとは、東は伊賀の国からこちら、南は紀伊の国、西は播磨の明石、北は近江の逢阪(現、大津)を言う。こおり四十里さとをもって、大郡とせよ。三十里より以下三里以上を中郡とし、三里以下を小郡とせよ。その郡の司には国の造であって清廉な人柄で、政務に耐える者を採用し、大領こおりのみやつこ小領すけのみやつことなせ。強く聡く書算に巧みな者を主政まつりごとひと主帳ふびととせよ。



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