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203 対外政策からの撤退と聖徳太子の十七条の憲法

 推古十一年(603年)の、この新羅征伐の中止のあと、日本国の新羅征討は沙汰やみになってしまったようである。書紀の本文には、若干の記事のあと、次の記事が現れる。


 推古十一年 十二月五日 始めて冠位かんむりのくらいを行う。大徳・小徳・大仁・小任・大礼・小礼・大信・小信・大義・小義・大智・小智、あわせて十二階。宮衣をそれぞれに該当する色の布を以て塗った。髪の頂をまとめてくくり、袋のようにして、縁をくくった。ただし元日には髪飾りをつけた。


 十二年 正月 初めて冠位かんむりのくらいを諸臣に賜うこと、おのおの差あり。

 

 四月三日 皇太子(聖徳太子)は自ら筆を執り憲法十七条を作られた。


 一に曰く、和を以て貴しとし、いさかいのないことを大切にせよ。人みな党を組み、覚る者少ない。それゆえ、君主や父に従わず、隣人と、もめ事を起こしたりする。しかしながら上下の者が和して論じあえば物事は穏やかに通じ自然な決着に落ち着くであろう。

 二に曰く、あつ三宝さんぽうをうやまえ。三宝とはほとけのりほうしなり。これはすなわち一切の生類とよろずの国の究極のよりどころである。いずれの世、どこの人でも、この法を尊ばないと言うことがあろうか。人に、はなはだ悪いという者は少ない。よく教える事によって従うものである。これは三宝によらないでは、何をもって曲がれるをただすのであろうか。

 三に曰く、みことのり(天皇の命)を承った時には、必ずつつしんで従え。天皇を天とし臣を地とする。天は覆い、地は天を載せている。それゆえ四季は順調に通う事を得るのである。地が天を覆うとするならばこれは破れるであろう。これをもって、君の曰う事を臣は承るべきである。上臣が行うことに下臣は、なびく。それゆえ詔を承った時は必ず謹んで従いなさい。これを守らなければ、国政は自ずから破れるであろう。

 四に曰く、郡卿百寮もろもろのつかさは礼をもってもととしなさい。民を治める本は必ず礼にある。上に礼のないときは下の秩序が乱れる。下に礼のないときは、必ず犯罪がある。群臣に礼がある時、位の上下は整然と守られるのである。民に礼のある時、国家はおのずから治まるのである。

 五に曰く、食をむさぼる事なく、財貨の欲を捨てて、訴訟を公正に裁け。民の訴えは一日に千件もある。一日すらそうであるから、一年ともなれば膨大なものであるが、このごろ裁判の者は利を得ることを常として、賄賂を見て、判決するという事を聞く。すなわち財のある者には石を水に投げこむように、目的を達成するのはたやすいが、貧乏人の訴えは水を石に投げるように、目的を達成しえない。こうした事情で貧しい民は為すべきを知らない。このような事では臣達の正しい勤めも失われてしまうであろう。



 

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