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<完結済み> 神戸、八社のあいだで  作者: 第三ひよこ丸


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第14話 いない時間の中で残るもの

 外へ出たとき、どこへ向かうかは決めていなかったはずだ。それなのに、歩き始めてすぐ、僕の足は迷いなく三宮の方角へ向かっていた。意識の上でその道を選んだ記憶はない。ただ動き出した後で、方向だけが先行して形になっている。

 その理由を後付けで探すなら、ここ数日、同じ時間に同じ場所を歩いていたことや、昨日までの流れが途切れずに残っていることを挙げるのは容易だ。しかし、そのどれもが決定的ではなく、ただの説明として成立しているだけで、実感とはどこか食い違っている。むしろ、歩き出した瞬間にすでに自分の中に含まれていたものを、後から言葉で懸命になぞっている感覚に近かった。


 通りに出ると、人々の流れが昼に向けてゆるやかに厚みを増している。信号を待つ人、横断歩道を渡る人、店の前で立ち止まる人。それぞれが別の目的を持っているはずなのに、全体としては一つの大きな帯のように続いていく。

 その中に入ると、自分の歩き方もわずかに変化した。速くしようとも遅くしようともしていないのに、周囲とぶつからない位置へ自然に収まり、歩幅も呼吸も無理のない形に整えられていく。合わせているつもりはないのに、結果としてちょうどいい位置に落ち着いていた。


 しばらく進むうちに、昨日とほとんど同じ時間に、同じ場所を歩いている事実に気づく。その一致は偶然として片付けられなくもないが、こうして続いている以上、完全な偶然とも言い切れない。その判断をどこまで広げるかは決めていないが、少なくとも進路を変える理由にはならず、そのまま歩き続ける。


 やがて、視界の先に鳥居が見えてきた。そこでようやく、自分がどこへ向かっていたのかという自覚が追いつく。生田神社に来ているのだと理解するが、その時点で足は止まらない。来ると決めていたわけではないけれど、ここに至る流れの中に含まれていたというだけで、そのまま境内へ入ることに違和感はなかった。


 ただ、今日はそれだけでは終わらない。

 ここに来れば、彼女がいるかもしれない。


 その考えは、出発の時点で明確にあったわけではない。歩いている途中で自然に浮かび、そのまま消えずに残っているだけのものだった。探しに来ていると断言できるほど強くはないが、可能性として含んだままここにいるという状態だけは確かで、それを否定する理由も見当たらない。否定してしまえば、ここに来た流れそのものを無理やり切り離すことになる気がして、それもまた不自然に思えた。


 参道に入ると、人々の動きが少し変わる。通りに比べて歩く速度はゆるやかになり、立ち止まる人の割合が増える。その中を進みながら、特別に周囲を探しているつもりはない。それなのに、視線が同じ場所を何度か通り過ぎる。

 参道の脇、流れから半歩外れた位置、立ち止まっても邪魔にならないあたり。これまでなら、そこに彼女がいても違和感のなかった場所ばかりだ。その場所を通るたびに、意識とは別のところで無意識に確認している自分に気づく。


 けれど、そのどこにも彼女の姿はなかった。


 一度見れば分かるはずなのに、歩きながらもう一度同じ場所を見てしまう。確認しようとしているわけではないのに、結果として同じ動きを繰り返している。そのたびに新しい情報が加わるわけでもなく、同じ結果だけが虚しく重なっていくだけだ。


 ”いない”という状態だけが、重く残る。


 賽銭箱の前に立ち、小銭を入れて手を合わせる。これまでと同じ動作で、順序も変わらないが、その間に考えることは特にない。願う内容を用意しているわけでもなく、何かを整理しようとしているわけでもなく、ただ目を閉じている時間だけが過ぎていく。手を下ろした後もすぐには動かず、その場にしばし留まった。


 離れるきっかけが見つからないまま、時間だけが少し長く残る。その間、もう一度だけ視線が動いた。さっきと同じ場所をなぞる形になるが、結果は変わらない。


 来るかどうかは最初から決まっていなかったはずで、来ない可能性も十分に含まれていた。その前提は変わっていない。それなのに、実際に来ていないという事実に触れたとき、頭の中で想定していたものとは少し違う感触が残る。来ないこと自体に驚きはない。それでも「来るかもしれない」という流れを一度通ってしまったせいで、その続きをどこかで待っていたような感覚が、完全には消え去ってくれない。


 その続きを受け取れなかったことが、強い感情として現れるわけではない。ただ、説明しきれない()()のような形で残る。その余りは小さいけれど、消してしまえるほど軽くもなく、意識の端から離れない。


 境内を歩きながら、もう一つ違いに気づいた。これまでは、隣に誰かがいる状態が自然に続いていて、会話がなくても距離は保たれていた。同じ場所を通るだけで、その状態が成り立っていたのだ。

 今日は、それがない。それでも歩くこと自体に問題はなく、流れが崩れるわけでもない。ただ、同じ場所を通っているのに、その中に含まれていたものが一つ抜け落ちているという感覚だけが残る。その違いは小さいが、歩くたびに繰り返し現れた。


 人の流れが少し薄い場所へ出ると、自分の動きだけがそのまま続く。その中で、これまでなら重なっていたはずの、もう一つのリズムが存在していないことに気づく。足音が一つ分しかないこと、歩幅を合わせる必要がないこと。そのすべてが単純であるはずなのに、どこかで無意識の比較が生まれている。


 足を止める理由は特にないが、そのまま数秒だけ動かずにいる。

 これまでは、どちらかが止まれば自然にもう一方も止まる形になっていた。けれど、今日はそれがない。止まるかどうかを決めるのは自分だけで、その違いがそのまま残る。


 もう一度、周囲を見渡してみる。

 やはり、いない。


 その確認を幾度も繰り返した後で、ようやく受け入れることができた。探していないつもりで同じ動きを繰り返していたことも含めて、この結果を受け入れるしかない。


 境内を出る方向へ歩き出すと、外の音が少しずつ戻ってきた。中にいた時間が消えるわけではなく、どこかに残ったまま外へ続いていく。

 通りに出ると、元の人の流れに戻る。周囲に合わせて歩幅が変わるけれど、さっきまでの感覚はすぐには消えない。


 このまま帰ることもできる。けれど、昨日までの流れが不意に思い出される。順番とは関係のない方向へ歩いたこと、その後に続いていた時間が、今日は途中でぷつりと切れている。


 同じ場所に来ているのに、同じ時間にはなっていない。その違いが、歩きながら少しずつ広がっていく。

 しばらく進んでも、その感覚は消えない。来なかったという事実は単純なはずなのに、その単純さだけでは収まりきらない部分が残る。理由を考えることはできるが、それを当てはめたところで何かが解消されるわけではなかった。


 それでも、境内で見たあの景色は消えない。並んで歩いていた時間がどこかに残っていて、その形だけが抜け落ちたような違和感が続いている。

 歩きながら、次にここへ来るかどうかを考えかけて、やめた。決める必要はなく、決めてしまうことで削られるものがあるようにも思える。


 ただ一つ、これまでとは違う形で残っているものがあった。

 ここに来る理由が、場所そのものだけではなくなっていること。


 その中に含まれているのが、あの並んでいた時間であることだけは、消えずに残り続けていた。

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