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<完結済み> 神戸、八社のあいだで  作者: 第三ひよこ丸


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13/13

第13話 予定がずれるときの理由 ~彼女視点~

 昼休みに入る少し前から、手元の作業そのものは普段と変わらない手順で進んでいた。それにもかかわらず、その合間に入り込む意識の流れだけが、わずかに別の方向へ伸びてしまっていることに気づいていた。

 入力して確認し、修正して次へ移る。その一連の手順は身体が記憶しているため滞りはないけれど、各工程の間に生まれるほんの短い余白に、別の思考が入り込む。

 その侵入は小さく、すぐに消えてもおかしくない程度。それなのに、完全には消えきらず、次の動きに薄く重なっていく。そのため、全体の流れは崩れていないのに、内側だけが少しずれているような感覚が残る。


 そのズレは、どこか一箇所に集中しているわけではなく、細かく分散していた。ひとつひとつは意識に上げるほどでもない違和感だが、いくつかが重なったときにだけ、全体としての手触りが変わる。

 普段であれば気づかずに通り過ぎてしまう程度の差。それなのに、今日はそれを拾い上げてしまう。拾い上げた後で、あえて形にしようとはしない。けれど、消さずにそのまま残しているという点で、やはりいつもとは違っている。


 時計を見る回数が、普段よりも増えていることにも気づいている。時間に追われているわけではなく、むしろ余裕があることは分かっている。それなのに、その余裕を確認するように視線が何度も同じ位置へ戻る。そのたびに、昼休みという区切りが近づいていることが意識されるが、それ自体は毎日のことであり、特別な意味を持つはずのものではない。ただ、今日はその時間の使い方だけが、少し違う形で頭の中に置かれている。


 今日も外に出る。


 その前提は、すでに決まっている。彼が来るかどうかは分からないが、来るかもしれないという可能性を含んだまま動くことに対して、特に違和感はない。その理由を無理に言葉にしようとはしないけれど、昨日の流れの延長として自然にそうなっていると考えれば、それ以上深掘りする必要もないように思える。むしろ、ここで理由を明確にしてしまうほうが、なんとなく怖い。


 ”来るかもしれない”ということは、確定しているものではない。それでも、その不確定さを含んだまま動くこと自体が、今の自分には自然に思える。その感覚を無理に納得させようとせず、そのまま受け入れていることが、結果として次の行動に影響しているようだ。


 

 昼休みのチャイムが鳴る少し前、手元の作業を終えるための動きをわずかに前へ詰める。順番を崩しているわけではなく、無駄な間を削っているだけだと理解しているけれど、その調整をしている時点で、普段とは違う状態にあることは自覚している。ほんのわずかな差であっても、その差を自分で作っているという事実がわかってしまう。


 やがてチャイムが鳴ると同時に席を立つが、その動きが普段よりも早くなっている。急いでいるつもりはないものの、次の行動へ移るまでの間が削られているため、全体の流れがわずかに前倒しになる。周囲との違いはほとんどなく、外から見れば自然に見えるだろうが、自分の中ではその差がよくわかる。


 お弁当を取り出して蓋を開けると、いつもと同じような中身であることに変わりはない。それなのに、箸を動かす間隔がわずかに短くなっていることに気づく。味を確かめていないわけではないが、一口ごとにかける時間が少しだけ削られている。その変化に気づいた後、一度だけ動きを緩めようとする。けれど、その調整がかえって不自然に感じられ、そのままの速度で食べ進めることを選ぶ。


 食べ進めるリズムが変わると、それに合わせて思考の流れもわずかに変わる。本来であれば食事そのものに向けられていた意識の一部が、別の方向へ割かれている。その配分の変化は小さいが、確かに存在している。食べるという行為と、次に外へ出るという行為が、ひとつの流れの中で繋がっていることが、肌で感じられる。


 食べ終えるまでの時間は、普段よりも確実に短い。蓋を閉じて片付ける一連の動きも、同じように無駄が削られている。そのことを自覚しながらも、無理に元へ戻すことはしない。外へ出るという流れに対して、この程度の変化は許容される範囲だと判断しているからだが、その判断の根拠までは深く考えない。ただ、その判断を下している自分の状態が、通常とは少し違っていることだけは分かる。


 席を立ち、外へ向かおうとしたところで、背後から声がかかる。


「今、少しいい?」


 振り返ると、上司がこちらを見ている。呼び止められること自体は珍しくないし、その言い方も普段と変わらない。業務の延長として自然に受け取れる範囲にあるが、今このタイミングであることだけが、ほんのわずかだが引っかかる。

 その引っかかりは、拒否するほどのものではない。ただ、さっきまで続いていた流れが、ここで一度だけ止められることになるという認識が遅れて浮かぶ。


「……はい」


 そう返すと、書類を一枚差し出される。


「これ、確認お願いしてもいいかな。そんなに時間はかからないと思うんだけど」


 説明は簡潔で、内容もすぐに把握できる。実際に目を通せば、数分で終わる程度のものだと分かる。難しい作業ではなく、優先順位としても不自然ではない。


 ここで断る理由はない。むしろ、このまま外へ出るよりも、こちらを先に終えるほうが()()として整っている。

 そう判断するまでに時間はかからないが、その判断が完全に一枚岩ではないことにも、同時に気づく。ほんのわずかに、別の選択肢が残っている。その存在を認識したうえで、それを選ばないという形になる。


「分かりました」


 短く答えて席へ戻る。書類に視線を落とし、項目を順に追いながら確認を進めていく。数字の並びや記載内容をひとつずつ確かめる作業は単純で、迷う余地もないため、集中すれば短時間で終えられるはずだったが、その途中で一度だけ意識が外れる。


 窓の外の明るさが視界に入り、時間を確認しなくても、今どのあたりにいるのかが容易に想像できる。

 今から向かえば、まだ間に合う可能性はある。

 その判断が頭の中に浮かぶが、すぐに消す。この作業を終えてから考えればいいことであって、途中で切り替えるものではない。()()としても、それが自然だと分かっている。


 ただ、その自然だという感覚が、いつもよりも少しだけ強調されていることにも気づく。あえてそう思おうとしているわけではないが、選択を正当化するような働きが、内側でわずかに動いている。

 視線を戻し、確認を続ける。項目を最後まで追い終えた後、問題がないことを確かめてから書類を持って立ち上がる。


「確認できました。問題ありません」


 そう伝えると、上司は軽く頷く。


「ありがとう、助かる」

「いえ」


 それでやり取りは終わる。席に戻り、時計を見る。

 昼休みの残り時間は、外に出るには少し足りない。急げば行けるかもしれないが、戻る時間まで含めて考えると余裕はない。その判断はすぐにできるが、それで完全に納得できるわけではないことにも気づく。


 行けないわけではない。ただ、行くべきかどうかは別になる。

 少しだけ考えるが、その思考自体が長く続くことはない。ここに残ることは自然な選択であり、順番としても崩れていないと理解しているからだが、それでも、外へ向かう流れを一度持っていたことが、完全には消えない。


 席に座り直し、次の作業へ移る準備を整える。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、周囲の空気が仕事へ戻る方向に揃っていく。その流れに乗ることに違和感はなく、むしろそのほうが普通だと感じる。

 ただ、その普通に、ほんのわずかなズレが残っている。

 本来であれば外へ出ていたはずの時間が、別の形で使われたという事実だけが、説明されないまま内側に残る。


 順番は崩れていない。

 予定も乱れていない。


 それでも、同じではない一日になっていることだけは分かっていた。

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