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利輝と影正  作者: 在江
終章 藤野と青柳
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1 元主と守護人

 利輝の生活が変わったのは、守護人を解放したことよりも、感染症の流行によるものだった。


 三月に入って突如、全国の小中学校が休校となり、利輝の通う大学も即座に影響を受けた。

 ゼミは休講となり、レポート提出が格段に増えた。卒業式も、通常の形式は中止となった。尤も、利輝は大学院へ進学予定で、特段の思い入れも感慨も持たなかった。


 結果的に、臨時の儀式を、祖母の葬儀に合わせて開催したのは、良い判断だった。

 その後、畳み掛けるように色々なことが制限された。儀式はオンラインでも可能だが、そうなれば母も花鈴も参加せず、後から異議が出る可能性があった。

 ぎりぎりのタイミングだった。


 四月からは、大学がオンライン講義システムを発足させたため、大学へ行く必要がほぼなくなった。これも、利輝の心情には丁度良かった。

 影正の存在を、さほど意識せずに済むからである。

 

 自分で提案しておきながら、守護人不在の影響は予想以上であった。

 帰京後すぐに影正は、利輝と同じであったアルバイト先を辞め、二月に入ってすぐ別のアパートへ引っ越した。

 急速に距離を遠ざける元守護人から、新住所を教えてもらえたことに、利輝は心から感謝した。引越しも手伝った。

 影正が選んだのは、建築年数の古い質素なアパートであった。


 大学院での指導教授も利輝とは別にして、当然ながら授業もほとんど被らない。利輝は当然、一人で出歩くことになった。

 部屋の中で寛いでいたら、いきなり壁と屋根が消えたようなものである。

 生活能力に問題はない。利輝とて、料理を含め、一通りのことはできる。

 現在のような時世で、外出を制限されている。部屋から出ずとも大概の用は足りた。

 ただ、やむを得ず一人で外へ出る時、自らの傍に影正がいないことに、非常な違和感を覚えることを止められなかった。


 そして意外なことに、たまさかに会う何人もの先輩や同期、果ては教師からもマスク越しに質問を受けた。

 影正の美貌のせいで、利輝とのコンビは学内でも目立っていたらしかった。皆、感染症を広めないため、無駄話を控える風潮にある中にあって、どうしても聞かずにはいられないようだった。


 「喧嘩したのか」

 「女でも出来たのか」


 その度に利輝は、とりあえず否定するに留め、更に尋ねられた時だけ、大学院で専攻が別になったと答えた。付き合いが全く絶えた訳ではない。稀にではあるが必要があれば、言葉も交わした。


 影正に交際相手ができたかどうかは、分からなかった。その気になれば、影正が誰にも知られず交際できることを利輝は知っていたし、向こうから話さない以上、訊きもしなかった。


 それで大抵の相手は納得した。納得しない者もいた。

 トコである。ここは感染症流行前と変わらず、通信アプリでやり取りしていた。


 「え〜。バンド辞めちゃうの? RMMすごく格好よかったのに。グッズ作ってコミケで売りたいって言う人もいるよ。司法試験が難しいのは想像できるけれど、あんまり根を詰めても体によくないよ。こんな時期だし、気晴らしでもいいから、続けて欲しいなあ。落ち着いたら、みんなで遊ぼうね」


 という趣旨の短いメッセージが、時折届く。


 辞めたくないのは利輝も同じであったが、影正ばかりか弥由も巻き込む以上、RMMの活動を無期限停止とせざるを得なかった。

 利輝の音楽志向を理解し、満足する技量を持つ人間を探す手間ひまを考えると、他のメンバーを募ってまで続けたいとも思わなかった。大体が、感染症の流行のせいで、エンターテイメント的な活動は自粛の傾向にあった。ライブハウスなどは、休業どころか閉店の危機に晒されている。


 音楽事務所社長の天川朱里からも、折に触れて通信アプリを通じた連絡が届いたが、具体的なイベント参加の話は出てこなかった。

 利輝が音楽活動に興味を持った場合に備え、影正が連絡先を引き継いだのだ。当人は容赦なくブロックしたらしい。

 天川が婉曲に解除の労を取って欲しい、と頼むところから察したが、利輝にその気があったとしても、もう主ではない以上、叶える力はなかった。礼儀上、返信だけ欠かさないようにして、契約に繋げる話はしていない。



 また、クリスマスが巡ってきた。

 利輝には何ら予定がなかった。この間、感染症流行のおかげで、コンパの誘いもなければ、誰かから女性を紹介されることもなかった。トコからは例年通り、誘いも来ない。


 クリスマスに限らず、一人で過ごすことには利輝も慣れつつあった。

 それでも何かの拍子に、常に利輝の側で仕え続けた影正の配慮を思う。時間が経つにつれ、影正の不在はむしろ大きくなった。

 これは、一人に慣れた利輝自身にとっても予想外であった。

 無意識のうちに、利輝はスマートフォンを取り上げ、影正の連絡先をタップしていた。守護人を廃して以来、用もないのに影正にメールや電話を掛けないよう気をつけていたのに、魔が差したとしか思えない。

 影正はすぐに出た。急に、脈拍が早くなる。


 「クリスマスの予定は?」

 「二十四、二十五日とも、アルバイトの予定が入っております」


 感染症の影響で外食産業やレジャー産業といった、大量のバイト雇用企業が不況に見舞われ、学生バイトは真っ先に切り捨てられた。

 生活費や学費を稼ぎたい学生には死活問題で、社会問題になっていた。それも、影正ほどの有能な人間には及ばなかったようである。

 彼も以前のような青柳家からの援助を辞退したため、自力で稼がねばならない身となっていた。感染症は心配だが、生活に困る風ではないことに、利輝はひとまず安堵する。

 利輝の方は、切り詰めればバイトなしでも生活に困らない程度の仕送りが、今でも続いている。農業も、父の仕事も、感染症と収入が直結するものではない。恵まれた環境であった。


 二人きりで話す時、影正は相変わらず利輝に対して丁寧な物言いをした。

 幾度となく指摘したのだが、暫く連絡を取らないうちに戻ってしまうので、利輝も面倒臭くなって今や放置していた。幼時からの習慣を洗い流すのは、影正でさえも容易な事ではないらしい。


 「二十五日の夕食に招待しようと思ったのだけれど、バイトでは仕方ないね」


 言ってから、利輝は恥ずかしさに一人顔を赤らめた。

 学内で雑談を装って立ち話するのと、わざわざ電話をかけて話をするのとでは、誘いの重みがまるで違う。

 用もないのに電話した、と思われたくない気持ちもあるが、影正との電話をすぐに切るのが惜しい気持ちが勝っていた。実は、何の心積りも用意もしていなかった。


 「遅くなってもよろしければ、お伺いいたしますが」


 意外な返答に、利輝は耳を疑った。影正が二年前の出来事を忘れることなど、絶対にあり得なかった。まして引っ越し以来、部屋の行き来は絶えてない。

 一瞬だけ、影正が利輝の愛を受け入れたのか、と希望が燃え上がった。すぐに我に返って吹き消した。


 「じゃあ、軽い食事を用意しておくよ」

 「ケーキとシャンパンはお持ちします。九時頃にはお伺いできると思います」


 利輝は言葉に詰まった。まるで前回の再現である。影正は勝手に挨拶をして電話を切った。利輝はスマートフォンを耳に当てたまま、長いこと固まっていた。気付いた時には、掌がそれを持った形に、こわばってしまっていた。

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