表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
利輝と影正  作者: 在江
第二章
PR
12/65

3 弥由の夢

 恐らく優輝は、始めから当主を花鈴に譲らせることに反対だった。

 利輝も融通が利かない。二人とも旧習に縛られている。


 何も追放という言葉を使わなくとも、帰るつもりがないならば、最初から花鈴に家督を譲れば良い。

 当主の地位にこだわるほどの価値が、果たして藤野家に存在するのだろうか。


 二人とも、花鈴の立場など何も考えていないことがよくわかった。可哀想な花鈴には、母しか頼る先がないということである。いつ利輝が戻るかわからない家で、花鈴が落ち着いて暮らせるとは思えない。


 恵梨花は、年老いた両親を思い浮かべた。胸が締めつけられる思いがした。会う度に小さくなる。

 前に会ったのはいつのことだろうか。花鈴を連れて両親の元へ戻るという考えは、妊娠中に離婚を考えた時よりも現実味を帯びた。


 両親が住む町も都会には程遠いとはいえ、藤野家よりは遥かに町場である。少なくとも出かける度に知った顔と会って、別居や離婚を仄めかしつつ詮索される心配はない。

 花鈴も藤野の家より、楽しく過ごせるだろう。忘れることのできない憂いは、忙しさに紛れ込ませるのが一番である。

 もし両親の元での生活が長引いたとしても、生活費の心配はいらない。夫はどうあっても出さねばなるまい。

 弁護士の息子が強姦事件を起こしたと知れれば、狭い田舎で仕事を失うのは確実である。

 日常生活に支障が出ることも考えられる。


 別居の結果、離婚することになっても構わない。花鈴が藤野の姓を継ぎたければ、藤野花鈴と名乗れるよう、法律で決まっている筈である。

 もちろん藤野の名を忘れることもできる。伊奈花鈴と名乗ればよいのだ。伊奈家は藤野家に比べれば大したことのない普通の家だけれど、その分窮屈な習慣もない。


 跡継ぎができれば、両親も喜ぶだろう。可愛い孫と一緒に暮らせるのだ。両親に花鈴の面倒を見てもらえるならば、働きに出ることができる。もう中学生の娘は、世話にさほどの手間もかからない。

 いくら養育費を充分にもらえたとしても、気晴らしのためにも働いた方がよい。


 折角身に付けた技能を結婚のために中断してしまったのだ。復帰するなら早い方がよい。能力を存分に活かすことができるうちに。


 恵梨花は次から次へと浮かぶ考えにいつしか夢中となり、手が止まったことに気付かなかった。

 我に返ると、ありったけの絹さやが筋を剥かれ山盛りになっていた。



 「藤野のお家へ行ってくる」


 昼食の席で、向坂弥由(こうさかみよし)は両親に告げた。母はふうん、と言っただけだった。向坂家と青柳家、藤野家の関係の中で、母は疎外された立場にある。


 子ども達を人質に取られたも同然で面白くない時もあるだろうに、常に鷹揚に構えて余計な詮索をしない。その覚悟のほどは、弥由が年を重ねるごとに賞賛の度合いを増した。


 一方、父の一志は半分は役目柄のつもりでいるのだろうが、端的に口煩い。今も、怪訝な顔をした。


 「どうしてお前が藤野へ行くんだ」

 「影正様が、利輝さんが帰京するから荷物をまとめるのを手伝って欲しいって」

 「どうせすぐ戻るのに、そんな荷物あるわけ」


 一志は途中で言葉を切った。弥由は次の言葉が出てくるかと待ったが、父は何ごともなかったように食事を再開した。

 母を見ると、肩をすくめた。放っておくしかない、と言っているようであった。父は近頃考え込んでいる様子であった。


 抱えた患者の容態を心配しているのではないことは、看護婦の資格を持つ母を見ればすぐにわかった。

 それは、時折、父が弥由に何か聞きたい素振りを見せることからも明らかであった。


 結局、一志は血液分析の結果を弥由には教えなかった。弥由は、使いを頼まれた青柳家で、影正から結果を教えてもらったのである。弥由は父を責めなかった。父の悩みを察していた。


 父は、分析結果が予想と違っていたために混乱しており、納得を求めて弥由から手がかりを引き出したいのであった。


 しかし弥由にしても、父以上の手がかりは持ち合わせていなかった。影正は手持ちのカード全てを弥由に見せていないだろう。仕える身としては、主を信じるより他に仕方がなかった。

 そして弥由はこれまでと同様、今回も影正の話を信じていた。信じられたことに安堵していた。



 弥由が藤野家の門をくぐると、既に作業が始まっていた。

 利輝を一人で残しておけるようになったので、影正の他に柿朗(いちろう)も手伝いに来ていた。

 軽トラックが藤野家の離れに乗り付けていた。引っ越す当人の利輝を始め、藤野家の人間が全く姿を見せないのは事情を知らなければ奇妙なことであった。弥由は母屋の玄関が閉め切られているのを確認すると、真っ直ぐ離れに行った。


 「弥由ちゃん、きてくれたんだ。ありがとう」


 日焼けした柿朗が目敏く気付いて、朗らかに声をかけた。影正はちらりと目を上げただけで、弥由が黙礼するとすぐに作業に戻った。


 つくづく対照的な兄弟である。柿朗の愛想のよさは、兄の無愛想を補ってあまりあった。

 青柳家の継主(つぎぬし)として、意図して振る舞っているのかもしれない。


 弥由はこれが例の、と思いながら部屋を眺めた。外の日差しが強すぎるせいで若干ほの暗く感じられる室内は、別段当時の様子が窺える物も見当たらなかった。


 引越の割には整然と片付いた部屋である。ほとんどは利輝の祖父の持ち物を代々引き継いできたのだ。

 利輝個人の物は大学へ入学して上京した際に大概持ち出しており、新たに運び出す物はさほど残っていなかった。

 弥由がほとんど何もしないうちに、作業は終わった。最後の段ボールを荷台に積み込むと、柿朗が言った。


 「お疲れさん。家でお茶飲んでいかないか。いいだろ、兄貴」

 「そうしよう」


 意外にも影正が賛成したので、弥由は何か用があると察した。柿朗が無頓着な様子で自転車を荷台へ積み込むのを見て、始めからそのつもりでいたことに気付く。予め自転車の分を空けて箱を積まなければ、二度手間になる。


 「兄貴が運転してよ。俺、自転車押さえているから、弥由ちゃん助手席に乗って」

 「ありがとう」


 青柳家へ到着すると、弥由は道場へ通された。利輝が縄跳びをしていたのを止めて、近寄ってきた。前に会った時から比べて、急に老成した印象を受けて弥由はどきりとした。


 「荷物をまとめるのを、手伝ってくれたんだね。ありがとう」

 「どういたしまして」


 影正は荷台に紐をかけていた。柿朗はお茶の用意をしてくると言って、家の方へ去っていた。開け放してあるとはいえ、広い道場の中で弥由は利輝と二人きりだった。弥由がその事に気付くのとほぼ同時に、利輝は弥由から離れて歩き出していた。道場の入口にしゃがみ、影正に呼び掛ける。


 「自転車も送るのか」

 「これは弥由の分です。荷物を送るついでに、家まで乗せて行きますので」

 「ええーっ。いいですよ、影正様。自分で帰れます」


 弥由は慌てて利輝の後ろから声をかけた。先刻の自分に気が咎めて、殊更利輝の近くへ寄った。利輝が自分から離れて歩き出したのは、自分の心を掠めた考えに気付いたからであると弥由は察していた。影正は既に利輝の前に立っていた。


 「紐を掛け直すのが面倒だから、このまま家まで送り届ける」

 「ひええ、お手数おかけします」

 「おーい、お茶にしよう」


 柿朗が、盆に冷茶を入れたグラスと菓子皿を載せて戻ってきた。道場の床へ車座になって座り、グラスを持つ。柿朗は座るや否や、一気に半分ばかり飲み干した。


 「ふうっ。ひと仕事した後の冷たいお茶って、最高だね。でも、早くビールが飲めるようになりたいなあ」

 「若いうちにお酒飲むと、脳が縮むって、お父さんが言っていたわ」

 「二十歳を過ぎれば、大丈夫だよ。法律でいいって言っているもの」


 影正の口数が少ないのは常のことで、利輝も弥由との目に見えない葛藤があったとは思えないほど無心な様子でにこにこしながら聞き役に回っているので、話をしたのはほとんど弥由と柿朗であった。


 二人とも、示し合わせたように次から次へと話題を提供した。話が尽きる前、菓子皿が空になったのを潮時に、弥由は暇乞いをした。影正が運転するトラックの助手席に、恐縮しながら収まる。


 「弥由、今でも御当代様の仕業と思うか」


 藤野家の門を通り過ぎて開口一番、影正の言葉を聞いて、弥由は身を縮めた。刹那の心の動きを、主にまで見抜かれていた。当然というべきか。


 「いいえ。でも、済みません」

 「謝ることではない。そう思われても仕方のない面もある。むしろ、そのぐらい警戒心を持った方がよい。お前には無謀な所があるからな。それで次由(つぐよし)さんも心配している」


 弥由は驚いた。


 「次兄ちゃんが? 影正様、次兄ちゃんと会っておられるのですか」

 「忙しい中、よく協力してくれている」

 「そうなんですか」


 影正の部下としては役立たずと看做していた次兄が、思いのほか活躍しているらしいと知って、弥由はやや不満であった。一の部下と自認している彼女の不満をよそに、影正は先を続けた。


 「この先、御当代様がこちらへ戻ることはないかもしれない。だから、弥由は務めのことを気にせず、自分の好きな道に専念なさい」


 ようやく本題が告げられた。


 「それで、荷物が多かったのですね。それはもしかして、この先ずっと東京にいらっしゃるということでしょうか」

 「大学卒業までは。その後は就職先次第で、何とも言えない」


 影正の口調には戸惑いが含まれているように思われた。弥由は高揚する気持ちの端でそれを捉えて、意味もなく勝った気分を味わった。


 「うわ、嬉しい。それなら私、気兼ねなく東京へ行ける。服飾関係の仕事に就きたくて、それには東京の学校で学ぶのが近道だと思っていたんですよ。やったー」

 「まだ一年あるから、よく考えてから決めればよいではないか」


 明らかに呆れた口調であったが、弥由は敢えて無視して喜びに浸った。部下といえども、そのくらいの自由は保証されていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ