新たなゲームの始まり
──本当を言えば
本当を言えば、僕はおそろしいくらいです
過ぎた夏、僕の心を虜にした
嬉しい恋に自分の生活が
今ではあんまり深入りしているので──、
「ヴェルレーヌの気持ちが今ならよくわかるわ……」
しみじみ呟いたのは澄んだ空の下。愛しい人の隣で過ごす、黄金の午後のこと。お弁当を食べた後、その腕に寄りかかりながら、私は幸福を噛み締める。
沈みがちな心、その前に現れた『にこやかなる人』。ヴェルレーヌにとってのマッティルド嬢、それは私にとって彼──空木恭介くんだ。エロゲー世界で、なのに健全な精神を持つ彼を、私はとても尊いものだと思う。
……尤も、ヴェルレーヌとマッティルド嬢の恋の行く末は悲惨なるものだが。
「ヴェルレーヌ?って誰?」
無知な己に対して正直なところも好きだなぁ、なんて。これが惚れた弱みってやつかしら?
これが他の人だったらこの時点で会話を続ける気をなくしていたかもしれないけど、でも恭介くんは別。
「フランスの詩人よ。特に初期の……恋の詩が素敵なの。恭介くんもよかったら読んでみて、図書室に置いてあるから。……あ、でも無理しなくてもいいのよ?」
「いや、せっかくざくろが勧めてくれたんだ。理解できるように努力はする。できなかったら……すまん」
「いいわ、その時は一緒に考えましょ。それもきっと楽しいわ。あなたとなら、なんだって楽しい」
あぁ、なんて幸せなひと時だろう!ロマン溢れる屋上で、大好きな人と大好きなものの話ができるなんて!
あの名作ゲーム、『すば日々』でもあったけど、屋上での読書&語らいって最高に最高のシチュエーションだと思うのよね。何がどうしてって言われると困るけど、なんかもう性癖なのだ。
他の誰にも邪魔されない空間。どこまでも遠く高い空に包まれて、私たちは二人きり。それ以外のものなんて存在していなかったみたいな静けさが堪らない。私のはじめては屋上がいいとすら思ってしまう。
……あぁでも、それ以前の問題なのよね。
「……キスのひとつでもしてくれたらもっとハッピーになれるんだけど」
ぼそり。呟くと、恭介くんは勢いよく咳き込む。
そんな、動揺することじゃないでしょ。そう、私は思うのだけど。
「いつになったらしてくれるの?」
「それは……その……そういう雰囲気になった時に……?」
「その時はいつ来るのよ。このままじゃ私、あっという間におばあちゃんになっちゃうわ」
「いや、さすがにそこまでは……」
口を尖らせて、不満を露。大袈裟なほど表現しても、私の堅物な恋人は一線を越えてくれない。
私としては一線でも二線でも越えてくれて構わないんだけど、なぁ。
「……ごめん、」
「ううん、いいの。そういうあなただから好きになったんだもの」
ただ何となく嫌な感じがするのは──今の私たちの関係が『NTRゲー』っぽいからだろうか?恋人持ちのヒロインだけど、彼との仲はまだ進展していなくて、そこを悪い男たちに漬け込まれる──なんて、ありがちもいいところ。
そんな想像をしてしまうのは前世で余計な知識をつけすぎたせいだ。ここはエロゲー世界。とはいえ純愛ものだから寝とり寝とられやりやられ……みたいなことにはならないはず。……まぁ、二股ルートはあるんだけど、ね。
だから焦燥感なんて抱く必要はない。時間はたっぷりあるんだから。
そう言い聞かせるも、胸騒ぎは収まらない。なんだかもやもやする。なにか、なにかを見落としているような──
『二年B組、杜野ざくろさん。至急生徒会室までお越しください──』
うーん、と頭を捻っていたその時、校内放送に私の名前が乗った。
「……って、私?」
「だな。しかも生徒会室っていったい……」
瞬間、私の頭によみがえったのは。
『借りは返してもらうから』
屋上の合鍵を貸してくれた生徒会長、柊沢かれん先輩の意味深な言葉だった。
柊沢かれんとは、このエロゲーにおいてヒロインの一角を担う存在である。
『優しい歳上のお姉さんキャラ』兼『実は危ない遊びも嗜む腹黒キャラ』……、一言で言い表すならそんなところか。ちなみに私は同じ部活に所属しており、彼女のバッドルートでも私との3Pシーンが設けられている。……ここの製作者、3P好きすぎでしょ。
「ごめんなさいね、急に呼び出したりなんかして」
「いえ、お気になさらず……」
「そうよね、あなたは私に借りがあるんだものね」
……やっぱり彼女に頼むのは失敗だったかも。
後悔の念が再び首をもたげてくるのは、柊沢先輩のやたら威圧感のある微笑みによるところ。思わず顔を強ばらせてしまったのも無理ないことと許してほしい。だって、本当に怖いんだもの。
「あの、それで用件は……?」
「そうそう、あなたに頼みたいことがあってね」
「はぁ……」
「そんなに難しいことじゃないわ。ある生徒の身辺調査をしてもらいたいだけなの」
「身辺調査……?」
それって生徒会長の仕事なの?先生の役目じゃない?それともこの学校、ラノベ同様やたらと生徒会の権力が強かったりするのかしら?そういうのはもう流行りじゃなくなったかと思っていたけど。
「じゃあ詳しく説明するわね」
内心で突っ込みを入れている間にも話は勝手に進んでいく。私はまだやるともやらないとも言ってないけど、なんかもうそんなの言い出せる空気じゃなかった。たぶん最初から拒否権はなかったのだろう。
私は諦めて、先輩の話に耳を傾けた。
聞けば、調査対象は二年D組の佐藤さんという女子生徒とのこと。なんでも、最近成績が落ち、友達付き合いも減っているらしい。
「彼女のご両親とは私も仲良くさせていただいているの。だから放っておけなくて。でも私は他にも色々仕事を抱えているから……そこであなたに白羽の矢が立ったというわけ」
「はぁ……なるほど……」
つまりは面倒ごとを押しつけられたってことか。
「もちろん協力してくれるわよね?」
にっこり。威圧感のある微笑みを向けられ、私は不承不承頷いた。だって、私に拒否権はないんだもの。
「……で、やっぱりこうなるわけね」
夜の繁華街。眠らない街のきらびやかなネオンサインに照らされ、私は溜め息をつく。
佐藤さんの跡をつけ、行き着いた先。──ラブホテルを前にして、『さすがエロゲーワールド』とむしろ感心すらしてしまう。
成績が下がった、友達付き合いが減った。そう聞かされた時点で、予感はしていた。これは成人向け作品でよくあるパターン。真面目だったあの子がチャラ男に体から落とされてしまった……ってやつだ、と。
とはいえそれはまだ私の予想でしかない。単にはじめての彼氏に浮かれて他のことが疎かになっている、純愛路線の可能性だってある。それなら口を出すのは野暮ってものだろう。周りの人に心配をかけるのはよくないけど、でも好きな人のことだけを考えていたいという気持ちはわからなくもない。
「だから相手の顔が見れればよかったんだけど……」
あいにく影に隠れてよく見えなかった。ホテルに入られてしまった今、その顔を暴くのは難しい。事が済むまで待つべき……だろうか?
「う~~ん、そこまでしてあげる義理はないような……」
「……ねぇ、」
悩んでいると何者かに肩を叩かれる。
「こんなとこで何してんの?あんた高校生でしょ?」
そう声をかけてきたのは、私よりも幾分か歳上らしい青年だった。




