ハッピーエンド?
正直なところ、このゲームのシナリオは大して覚えていない。そのくらいの凡作で、強いて言うなら二股ルートがあることくらいが特徴かな、という程度。
その二股だって胸を抉る描写があるでもなく、『ただ3P書きたかっただけでしょ』というアホエロな内容だった。倫理観はどうした、ここは日本だぞ?そんなツッコミを入れた記憶が微かにある。
──だから、ルート分岐の場面すら今の今まで思い出せなかった。
「最悪……」
体育倉庫に閉じ込められる。
……なんて、ひと昔もふた昔も前のハプニングがきっかけだったことを、実際にその状況に陥ってからようやく思い出した。いいや、むしろ思い出せないままの方がよかったかもしれない。
色の褪せたマットの上で、私は膝を抱えて溜め息をつく。
念願の屋上デートを果たし、すっかり浮かれてたのが仇となるなんて。私のバカ。
「だ、大丈夫だよ!すぐ見つけてもらえるって!」
一緒に閉じ込められた幼馴染みは明るく言ってくれるが、あいにく私は知っている。こういう、ゲーム特有のイベントでは邪魔が入らないものなのだ。
生徒二人が急にいなくなったなんて普通なら大騒ぎだろうけど、ここはあいにくエロゲーの世界。体育倉庫で『事を済ませた』後でないと助け出してもらえない。
おかしいでしょというツッコミはするだけ無駄だ。たぶん製作者は体操服えっちを入れたかったんだろう。
──あぁもう!幼馴染みが私のことを気にかけさえしなければこんなイベントも起こらなかったはずなのに!
「なに?なんで俺を睨むの?」
「……なんでもない」
でも幼馴染みは悪くない。エロゲー世界だけど、だけどそれでも彼だって意思を持って生きている人間のひとりなのだから。彼を責めたって仕方がない。恨みをぶつけるのは製作者相手に留めておかないと。
そう頭ではわかっているのだけど、閉塞感に苛立ちは募る。
「……あんまり私に近寄らないでね」
「えっ、なんで?」
「ええっと、……ほら、体育の後だし、匂いが気になるし」
そろそろホームルームも終わった頃合いだろうか。間の悪いことに今はテスト週間で部活動もやっていないから、早々に見つけてもらえる可能性は低い。
ホントに最悪、私ってついてない。理由をつけて遠ざけようとしているのに、鈍感な幼馴染みは「気にならないよ」なんて笑う。
……私が気にするのよ、バカ!
「……ねぇ、ざくろ」
「何よ」
「もしかして……俺のこと避けてる?」
鈍感な幼馴染みは、そのくせ変なところで鋭い。
ズバリ。言われて、私は固まる。
いや、疚しいことがあるわけじゃないけど、理由を聞かれると……うん、困る。まさか『二股かけられないようにしてました』なんて馬鹿正直に言えるわけがない。
「別に、アンタにも彼女ができたんだから……それだけよ」
嘘は言っていない。し、説得力もあるはずだ。同じようなことを今朝も言ったわけだもの。
なのに幼馴染みは「本当に?」と問いを重ねてくる。
なに、なんなの?……私に何を言わせたいの?
埃っぽい体育倉庫。互いの息遣い以外はまったくの静寂。私たち二人しかいないんだって、嫌でも突きつけられる。張りつめた、静けさ。
「色々考えてたんだ。今朝、ざくろに言われてから、ずっと」
私の右隣側、マットが人ひとり分沈む。近寄らないで、って言ったのに。
「それで気づいたんだ。……俺は今まで通り、ざくろと一緒にいたい。幼馴染みとして、ずっと一緒に」
肩口が触れ合う、体操着の擦れる音がする。マットの上で、投げ出された私の右手に彼の左手が重ねられる。幼馴染みの目が、まっすぐ私を捉える。
あぁ、このシーン。このシチュエーション、このセリフを、私は知っている。
「なんで……今さら……そんなこと…………」
私の唇がひとりでに動き出す。
やめて、これ以上言わないで。これ以上、シナリオ通りの言葉を紡がせないで。
そう思う心とは裏腹に、私じゃない『私』は言葉を続ける。
「私、私だってアンタのことが、ずっと…………」
「ざくろ……」
距離が縮まる。幼馴染みが顔を寄せてくる。
いやなのに。私が好きなのは彼じゃないのに。なのに体が動かない。瞼が勝手に下りてくる。
「だめ……」
何とか振り絞れたのはたったの一言。それでも一瞬、幼馴染みの動きが止まる。
その一瞬が分かれ目だった。
「──ざくろっ!」
発見される予定の時間まではまだたっぷり残っている。そのはずなのに体育倉庫の扉は勢いよく開け放たれ、眩しい光が差し込んだ。
そしてその光を背に立っていたのは──
「空木くん!」
ようやく自由になった足で駆け出し、私は彼の胸へと飛び込んだ。
「よかった、あなたが来てくれてよかった……!」
そうじゃなきゃ、私は今頃、この世界の駒になっていただろう。
こんな強制力があるなんて思わなかった。空木くんに抱き返してもらいながら、その胸の中で私は恐怖に震える。
私が私じゃなくなる、あの感覚。過ぎ去った今も体は覚えている。またあんな風になるんじゃないかって、……想像に背筋が凍る。
「ごめん、ざくろ……。俺、どうかしてた」
「ううん、もう、いいから……。……私もごめん」
「うん、」
我に返ったらしい『主人公』は、気まずげな顔で私の傍らを通り抜けていく。その腕を掴まないでいられたことに、私はホッとした。とりあえず今はシナリオの強制力から脱することができたらしい。
これで一応、二股ルートには入らずに済んだと思う。……けど、
「空木くん、見つけてくれてありがとう……」
「ああ……姿が見えなくて、肝が冷えたよ」
「うん、ごめんね……」
何も聞かず、抱き締めてくれる彼。……この人を好きでいたい。この人を好きな私のままでいたい。もうあんなのはいやだ。あんな風に自由を奪われるのは、絶対にいや。
──だから、
「空木くん、私を抱いて」
もう後戻りができないように。ゲームの強制力が働かないように。……私を汚して。
「なに言って……っ」
「だって、そうでもしなくちゃ、私……、いやなの、厭なのよ、あなたが好きなのに、あなたを好きな私でいたいのに、」
「だからってそんな……」
戸惑う彼を押し倒すのは簡単だった。マットの上、『私』が『主人公』と結ばれるはずだった場所で、私は彼を組み伏せる。
「私のこと、好きじゃなくてもいいよ。それでもいいから、抱いてほしいの」
固まる彼の、その白いシャツをはだけさせていく。
──と、強い力で腕を掴まれた。
「バカ!もっと自分を大事にしろ!」
「わっ」
自然、倒れ込む体。密着する胸から、彼の生き急いだ心音が聞こえてくる。
そしてその鼓動が表す通り、顔を赤くした彼が私の目の前にいた。
「……好きだよ、杜野。お前の気持ちが勘違いだったとしても、それでもいいと思えるくらい。それでもいいから、俺を選んでほしい。アイツじゃなくて、俺を」
「空木くん……」
「だから、だ……抱くとか、そういうのは、もうちょっと、余裕ができてからで」
今はこれが限界だ、と吐息を揺らす彼は、たぶん本心からそう言っているのだろう。これ以上心音が速くなったら死んじゃうんじゃないかって、私でも思うもの。
でも、それじゃあ、
「……それじゃあ私、もしかしたらまた、揺らいじゃうかもしれないのよ?そうなりたくないけど、でも、」
「ならそうならないように、何度だって邪魔してやる」
「……ほんとう?約束、してくれる?」
「ああ、約束だ」
私は何も打ち明けられていないのに。これじゃあ私がただの移り気な女なだけなのに。そんなのフラれたっておかしくないのに。
それでも彼は優しく微笑んで、私と小指を絡ませてくれた。それがどんなに嬉しかったか、どれほどの救いとなったか、この人は知らないだろう。
「あの、そろそろ離してもらっても……」
「いや。まだこうしてたいもの」
「俺の心臓がもたん……」
「そこは頑張って鍛えて、私のために。ね、恭介くん?」
「うっ……」
小さく呻く彼氏に、私は笑う。
『エロゲー世界なんて』と最初は思ったけど、でもこの人に出会うためだったんだと考えれば悪くない。
これからもエロゲーシナリオには絶対、ぜーったい、屈してやらないけど。




