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08:再戦、スキップレース

 年が明けてあっという間に冬休みもおしまいになり、また学校が始まった。


 学年末の試験も近づいたけれど俺はそのあとに控えるレースに向けて飛行訓練を欠かさなかった。つまり勉強はとことんサボっていたから、クラス別の成績順位向上に燃える委員長のレイチェルを怒らせることが決定していた。それと、ニカからリリィ宛てにメールが来るようになった。読むのが恥ずかしくなるようなそれを受け取ることが、不本意ながらほんのちょっぴり嬉しい自分がいた。まるで違う人間になったように思えて楽しいのだ。


「お前さあ最近機嫌いいけど、なんかあったのか?」


 ユイは怪訝そうな顔をして言う。今日は珍しくユイも高等部に登校するらしく、俺たちは二人揃ってハウスの駐機場にいた。


「みつば3000のバッテリーを買い替えたんだ。馬力三割増し、重量はたったの5ポンド増し。けっこう高かったけど、これで直線区間でルミエール350の加速に負けることはなくなったよ」

 俺は自慢げに愛機の白いノーズを撫でた。

「ふーん」

 ユイは機体の周りをぐるぐる回ってチェックを始めた。それを手早く済ませて戻ってきたユイは、いきなり俺の顔を両手でぎゅうっと挟み込んだ。

「それだけじゃないだろ?あたしに何か隠してるんだろ?」

「そ、そんなことないし」

「あたしは悲しいよ。リルも隠し事をする歳になったんだなあ」

「あんたはおばちゃんか」

「いま、なんつった?」

 ユイは両手をげんこつに変えて俺の頭をぐりぐり削り始めると、それからしばらく容赦ない尋問を続けた。あんまりしつこいから俺は最後に、友達ができたんだと白状した。


「ははん男だな。そいつは」

「俺そんなこと言ってないじゃん」

「いーや、わかる。何年あんたの姉貴ぶんやってると思ってんだよ」


 ユイはフードの上から俺の頭をぽんぽん叩いた。そしてちょっと嬉しそうに笑うと、鼻歌を歌いながら自分のスキップに飛び乗って、さっさと自分の学校に行ってしまった。


 年末のスキップレースでの敗北。そしてすぐ後のニカからの突然の告白。いろいろあったけれど俺の学校 生活は別に何も変わってはいなかった。相変わらずクラスの連中は俺から距離を置こうとするし、委員長のレイチェルは俺のほうを見ると、全くもって許せないという顔をして睨み付けてくる。ニカだって今までみたいに俺にしつこく話しかけてくる。俺によく絡むせいでニカはクラスの中ではちょっと変な奴扱いされ始めているけど、知ったことじゃない。


「リル、昨日のウォーキング・テッド見た?凄い展開だったよ。みんな今日はその話ばっかりしてる。なんと遂にテッドがさ……、おっとこれ以上は野暮だね」


ニカは俺が無視するくらいで音を上げるほどヤワじゃないらしく、最近はひとりでずっと喋っている気がする。さらに迷惑なことに、あの手この手を使って俺に口を開かせようとしてくる。


「ねえリル、この金の食券を賭けてじゃんけんしよう」


 ニカは昼休みに食堂で席を取っている俺の前にひょっこり現れて、にっこり笑って食券をひらひらと振った。ちなみに金の食券とは金銀銅の三種類ある加量券のひとつで、メニューの特大盛り指定に使える。テストの成績優秀者に褒賞としてばら撒かれるので俺には無縁だ。

「くっだらねー」

 俺はそれをひょいっとニカの手から奪い取ると、さっさと自分の食券といっしょに持って行った。トレーにナゲットの山とハンバーガーを載せてテーブルに戻ると、ニカがまだそこにいた。

 心なしかちょっとしょげているようにも見える。

 俺はそれを横目に見ながらハンバーガーにかぶり付くと、ニカはそのまま俺が食べるのを見つめていた。

「なんだよ。お前食券持ってないの?」

 ちなみに食券は学期ごとに指定枚数が配られる原始的な方式である。百年ほど前に電子食券が偽造乱発される事件があって以来、いまだにこんなアナログな仕組みをとっているらしい。

「今日は財布ごと家に忘れてきたんだ。金食券だけポケットに入れっぱなしだったから」

 こいつ、成績優秀のくせに意外とあほである。でも俺はさすがに少しは罪悪感を感じて、山盛りナゲットが入ったカップをニカに渡した。

「いいの?」

「もともとお前のだろうが。俺そんなに食えないし」

 そう言うとニカは嬉しそうにナゲットを頬張り始めて、ものの数分でぺろりと平らげてしまった。

 人がそんなにばくばく食べているところなんて好んで見たい光景じゃないけれど、顔立ちの良いニカがそれをやると、不思議と様になってしまうのがむかつく。

 こいつが、この本当は馬鹿っぽくてうざったいこいつが、この前『氷砂糖』にやってきて、いきなり告白してきたんだ。

 未だにあの時のことはぜんぶ夢だったんじゃないかって思うくらい変てこな出来事だった。それを思い出すだけで顔が熱くなる。


 俺はほんとうに、どうしたらいいんだろう?

 いや、どうしたいんだろう?


 そんなの決まってる、と誰かが心の中で声を荒げる。

 ニカをレースでねじ伏せて、この町から追い出して屈辱を晴らす。他は全て捨ててしまえ。だって俺にはレースしかないから。

 でも、リリィはどうなんだ。ニカと恋をしたいとか思っているのだろうか。

 自分でもわからない。ひとりの少女として扱ってくれたことを喜んで、ただ舞い上がっているだけかもしれない。あいつを騙して友達になるなんて、やっぱりどうかしてたのかも。

 ——でも、ニカのあんな真剣な顔は初めて見た。好きって言ってくれたんだ。


「リル、難しい顔してるけど、なんか悩みでもあるの?」

「あん?」

「今日はあんまり嫌味を言わないし」

 ニカはナゲットの入っていた紙コップを少し離れたDTS(ゴミ箱)に向かってひょいっと投げた。綺麗な放物線を描いて紙コップがそれに収まる。


「うるさい、お前に付きまとわれることが悩みだよ」

「あっひどいな」

「そう言うお前はどうなんだよ。どうせお前には悩みなんて無いんだろうけど」

 あるよそりゃたくさん、とニカは笑った。

「でも今のいちばんの悩みはリルには言えないかな」

「はあ?」

「だってきっと君には理解できないだろ。恋の悩みなんだから」

 ニカは少し勝ち誇るみたいにそう言った。

「こ、恋?なんだよそれ」

「ぼく、好きな人が出来たんだ」

「……それはどんなやつで、そいつのどこが好きなんだ?」

 俺はなるべく落ち着いた声を出すように気をつけて、慎重に問いかけた。

「喫茶店で働いてる、すごい綺麗な子なんだ。初めて見たときからこの人だって思った。運命なんだよきっと」

「その子の格好とか、喋り方とか、おかしくなかった?」

「いや、そんなことはなかったけど。メイドみたいな古風な格好をしてて、よく似合ってた。喋り方も普通の女の子だったよ」

「そっか」

 俺は少しほっとしていた。こんな自分でも、まだ女の子らしく見えるんだ。

「その子とメールのやり取りをしてるんだけどさ、すごく純粋な感じがしてかわいいんだ。口が悪い君とは大違いさ」

「だまれよ、やっぱお前うるさいわ」


 げらげら笑うニカを見ているといらいらしてきた。こっちはこんなに頭の中をかき乱されているっていうのに、その元凶が気楽にしやがって。俺はハンバーガーの最後のかけらを口に放り込んで、ニカを睨みつけた。


「お前、俺との勝負を忘れてないだろうな?三回レースに負けたらこの町から約束どおり出て行ってもらうからな」

「もちろん忘れちゃいないさ。この前の勝ちがまぐれじゃなかったって証明して見せる」

「調子に乗るなよ」

 ニカに押されっぱなしのリリィをどかして、スキッパーとしてのリルが吠えた。

「お前の弱点はもう見切った。せいぜい医務室のベッドの予約でもしておけよ」

 すると、もうぶっ倒れたりするもんか、とニカははじめて口を尖らせた。

「何で君はいつもそうやって意地悪を言うんだよ?最初に会った時からぼくのことが嫌いみたいだけどさ」

 俺はびっくりしてニカの不機嫌そうな顔を見た。驚いた。ニカもそういう顔ができるのか。

「気に触ることをしたなら謝るし、治そうと思う。でも教えてくれないと分かんないよ」

「知るか。嫌なら俺に関わらなければいいじゃん。俺みたいな嫌われ者にわざわざ絡まないで他のクラスの奴らとだけ仲良くしてればいいのに」

 そういう態度が偽善者っぽくてむかつくんだよ、と言いかけたのを俺は飲み込んだ。最近のニカを見ていると、あいつは俺への同情や哀れみで話しかけて来ているというよりも、純粋に俺と友達になりたいだけなのかもしれないと思うようになっていた。

「それはぼくの勝手だろ」

「俺は放っておいて欲しいんだよ。それだって俺の勝手だ」

 俺はニカから目をそらし、少し人が減ってきた食堂の中に目のやり場を探した。落書きだらけの壁に埋め込まれた時計が休み時間の終わりを示しているのを見て少しはっとした。ニカが転校してくるまではこんなに長く食堂にいたことはなかったから。

「なあリル、ぼくたち良い友達になれると思わない?結構気があうと思うんだけど」

「さあな」

 俺はトレーを持って片付けに行き、ひとりでそのまま教室に戻った。

 それから俺は一週間後のレースまでニカを無視し続けた。


 

 モンテルタウンのすぐそばにある不毛地帯と緑地の境界、通称フロンティア・ラインを越えると、鉱山跡やらが残る寂しい岩山が点々とする赤い荒野が続く。そこを進んでいくと、前回のレースでもほんの一部分だけ使われた、ノクティスの迷路と呼ばれる広大な渓谷地帯が顔を見せ、腕に覚えあるスキッパーたちの訪れをいつも待っている。

 けれど今回のレースは渓谷ではなく山で行われる。舞台はノクティス迷路の入り口近くにある、ボウルを逆さにしたみたいな綺麗な円錐丘、フジヤマ。

 この山を麓からチェックポイントを通過しながらぐるぐると外周を回り続け、緩やかに頂上を目指すという形式の短いコースである。

 ちなみに山の変てこな名前は、かつてここの州を統治していた地球の日本(ジャパン)という小国の地理局が名付けたものらしい。彼らはこのちっぽけな山に特別な思いを抱いていたらしく、山の一帯は赤地の中にありながら地球環境化工程(テラフォーミング)が実施されている。今も残るフジヤマを覆う緑は日本(ジャパン)の開拓団が残した遺産なんだとか。


「あたし、まだ目が覚めてないんだけど」

またレースのサポートに来てくれたユイが眠そうな目を擦りながら呟いた。まだ普段なら授業すら始まってない時間だったけれど、開始まであまり時間がない。

 というのも学年末の全校レースは、参加資格が一、二学期のレースでの決勝進出者に限られるせいで参加者数が少なく、大会の流れもスピーディでお昼休みまでに終わってしまうからだ。視察にくる軍のお偉い方の都合に合わせたせいという噂もあるけれど、本当のところは不明。


「でもまあ、今日は綺麗に晴れて良かった」

 背伸びしながら俺は山を見て言った。フジヤマはそんなに高くないけど、天候によっては雲が被ることがある。華奢なスキップにとって気流の乱れは勝敗にかなり影響するから、すっきり晴れるに越したことはない。


「負けんじゃねーぞ、リル」

「うん。行ってきます」

 俺は飛行帽を被ってみつば3000に飛び乗った。

 濃緑のコートを着たジョイ先生が号令銃を持って仮設の監視塔に登ってくる。隣には太った将校を連れて、彼に自分のカバンを持たせている。


『ではみなさん。準備はいいわね?いちについて、よーい』


 ぱんっと号令が鳴ったとたん、参加する16機のスキップが砂埃を上げて一斉に赤い大地を飛び立った。

 今回も中型機のルミエール350型が多いけれど、高速の四発大型機カーチスMK2が二機混じっていて、彼らがまずフジヤマの斜面に向かって先陣を切った。


 ルミエールの群れと俺のみつば3000が続く。いつもだったらここの直線区間でみんなに抜かれて後ろから追いかける俺だが、今回はバッテリーを買い換えたおかげで出遅れることはない。

 そのうち、飛行帽のゴーグルに投影された仮想の第1チェックポイント・サークルを潜り抜け、登山飛行が始まった。俺はみんなよりとにかく低く飛んで、山肌を周回する飛行距離を少しでも縮めることに集中する。

 ACAS(危険操縦回復システム)を作動させない限界高度を探す。それは跳ね上がった石ころが回転羽に当たりかねない高度3メートルだと勘で判断し、その数センチ上を最高速度を維持して“滑った”。操縦桿を握る手が大きく振れてしまえばその瞬間、ACASが作動して強制的に機体を上昇させ、コースから外してしまう。

 そうなれば失格だ。俺の負けだ。

 ニカが今どこを飛んでいるのかなんて、この時は頭から消えていた。


『リル、前方上方にカーチスが二機。下を潜り抜けろ』

 ユイが無線でそう言い終わる前に、円錐の山肌に隠れていた二機のカーチスの後部がぬっと現れた。その二人は競り合っているせいで俺に気づいていないみたいだ。カーチスMK2は本校レースの参加条件の最大重量600キログラムの指標になった重量級の高速機で、高速飛行時の旋回性能はあまり高くない。彼らは最初の直線で稼いだ優位を徐々に失いつつあった。

 俺は山肌に全神経を使って張り付きながら、二機の下を潜り抜け、とうとう先頭に立った。

 けど、もう油断なんかするもんか。

 あえてレーダーで後方を確認することはしなかった。俺が一位だから。みんな俺の後ろにいるんだから!

 そこから山頂のゴール・サークルまではすぐだった。

 ゴール地点から打ち上がった信号弾のオレンジ煙に巻かれながら、俺は宙返りをした。風防から両手を出すと冷たい風が気持ち良かった。麓の会場に戻って機体から降りるとユイが駆け寄ってきて思い切り抱きしめられた。

「リル!お前の圧勝だよ。流石はあたしの弟子だ!」

「ちょっと、恥ずかしいって」

 ユイのツナギはちょっとオイル臭かったけど暖かくて、なんだか泣きそうになった。

 

 二着のゴールの信号弾が上がった。

 山を降りてくる機種を見定めているうちに、競り合っていたカーチスたちが仲良く降りてきた。どちらかが二着でもう片方が三着か。ニカはどうなったのだろうと俺は食い入るようにフジヤマの上を見つめていると、ようやくニカの赤いルミエールが戻ってきた。監視塔のボードを見ると四着らしい。

 機体を降りるニカのところに白いコートを着たレイチェルが駆け寄ってきて、ニカにマフラーを巻いてあげていた。何かレイチェルがニカに深刻そうな顔をして話しかけていたのが見えたけど、離れていたから何を喋っているかは分からなかった。


 全員が無事にゴールすると俺はジョイ先生に名前を呼ばれて、二、三着のカーチス乗りたちといっしょに表彰台に立った。久しぶりに首からかけた金メダルは思ったより重くて、そしてやっぱり嬉しいものだった。

 すると表彰台を降りた俺のところにニカがやってきた。

「リル、優勝おめでとう。いや凄かったよ、全然追いつけなかったもの」

 その瞬間、俺は勝利の余韻が吹っ飛んで無性に腹が立った。

「なんだよそれ。お前悔しくないのか?」

「え?」

「お前さ、俺に勝つどころか入賞すらしてないじゃん。そんなんで俺を労う余裕なんてあるわけ?」

 ニカの表情が固まるのを見た。それはこれまで見たことがないニカの顔だった。

「あと、二回あるからって油断してるのか?それとも」

するとニカの後ろからレイチェルがずかずかとやってきて、フードの下の俺の右頰をぱしっと平手で打った。

「あんたは何でいつもそんなに自己中心的なのよ?ニカくんの気持ちも少しは考えなさいよ」

 レイチェルの薄茶の透き通った目が刺すように鋭く俺を睨んでいた。

「ニカくん、レースのあとはいつもすごく苦しそうなのよ。今だってすごく具合が悪いのに、それでも優勝したあんたを祝ってあげる良い人なんだよ?負けて悔しくない人なんていないって、あんたも良く分かってるはずなんじゃないの?」

「あんたは部外者だろ?余計な口を挟んでくるなよ」

 やられたらやり返せ。俺は思わずレイチェルに手を上げようとしていた。

「やめろよ」

 ニカは両手を広げてレイチェルの前に出た。

「やめろよ。女の子を叩こうとするなんてどうかしてるよ、リル」

 その瞬間、俺はほんとうにどうしていいか分からなくなってしまう。

 言い返す言葉がすべて無駄になる気がしてむしゃくしゃした。

 喉の奥が熱くなって、声が出なくなった。

 悔しい。俺だって、女なのにな……。


「ぜんぶぼくが悪いんだ。ぼくは自分がリルの対等なライバルだって、ちょっと調子に乗ってたんだ。でも実際は全然まだまだだって、今日それが良く分かった。リルが怒ったのも当たり前なんだ」

 ごめん、とニカは俺に頭を下げた。それからくるりを背を向けると、レイチェルの手を引いて自分のスキップのもとに戻って行った。


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