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05:情熱と伝統のスキップレース

 十二月も半分を過ぎると誰もが浮かれる。学期末試験を終えてくたくたになった中等部の生徒たちの疲れを吹き飛ばしてくれるのはもちろんクリスマス、そしてそのちょっと前の行われる全校スキップレースだ。


 一年から三年までの各学年から希望者が百人ほど参加し、予選、決勝と争う。グラウンドにはでっかいスクリーンと客席が設置され、伝統的にフライド・チキンが山のように振舞われる。町中の暇な大人も集まっていつもお祭り騒ぎだ。


 コースは町から20キロほど離れた“赤地”の岩山地帯を周回する形式なのだが、詳細なルートは毎回変更され、レース当日まで知ることができないことになっている。けれど今回もだいたい俺の予想通りの選定だった。空に雲がかかっているものの、横風もほとんど気にならない。まずまずの気象条件。

「リル、お前またそんなかっこして」

 グラウンド真ん中の参加者駐機列でレース開始前の最終調整をしていると、呆れた顔をしたユイがやって来た。長い黒髪をポニーテールにして、煤の付いたオレンジのツナギを着ている。彼女はハウスでの姉貴ぶんで、この町で数少ない信用できる人間のひとり。スキッパーとしてのセンパイでもあり、今回のレースでは地上でのサポート役を頼んでいる。

 どうやら俺のいつものパーカー姿が気に入らないらしい。

「これユイが買ってくれたんじゃん。だから学校行くときはこれ着てるんだよ」

「それはいいけどさ」

 ユイはちょっと困ったように笑った。

「せめてフードは外せよ。変な奴みたいだぞ、それ」

「でもバレたくないし」

「お前、まだ学校でも男のふりを続けてんのか?」

 黙って回転羽のチェックを続けていると、ユイも機体のモニターのチェックをテキパキと進めてくれている。

 もう許してやれよ、とユイは諭すような口調で言う。

「お前は“あのとき”からだいぶタフになった。それに学校の連中はさ、皆がみんなハウスの奴らみたいなくそガキじゃあないだろ?」

「そうだけどさ」

「なら、もうそんなふうに意地張らなくてもいいじゃない」

 俺はパーカーの紐を弄りながら、クラスの女子たちみたいな服を着て屈託の無い笑顔を振りまく自分を想像して、なんだか胸が苦しくなった。その姿をクラスのみんなに見られるのが怖い。ハウスの奴らに見られるのはもっと、怖い。

「カオを隠して男子のふりをするの、結構楽なんだよ」

 俺が少し抵抗してみせるとユイは、そっか、と言ってからっと笑った。

「ま、お前がそうしたいってんなら、別にいいよ」

 俺はユイのこういうあっさりした性格が好きだ。俺たちは頭を切り替えてレースのイメージトレーニングに専念し始めた。

「今回の制限高度は?」とユイ。

「200メートル」

「低めだな、よしよし」

 このレースは岩山地帯の谷間を飛ぶため、谷間を飛び越えてしまわないように制限高度が設けられる。超えてしまうと、即失格。これが低めに設定されると、地上の障害物を避ける頻度が増えてしまうから、大出力バッテリーを載せる高速大型機にとっては面白くないわけだ。

 一方で俺のみつば3000のような、小回りのきく超小型機にとっては機動性を活かせるチャンスが増える。

「周りの奴らは中型機ばっかりだ。みんな支給品(ルミエール350)を使ってる。楽勝だよ」

「ルミエールだって捨てたもんじゃないぞ。無改造なのはちょっと独創性に欠けるけどな」

 ユイはそう言うと、駐機列の端の方に目を向けた。

「おっ見慣れない奴がいるな。あれ例の転校生じゃないか」

 転校早々参加するなんて、結構見所のある奴じゃないか、と少し嬉しそうなユイ。

「どうせ記念参加だって。予選で消えるさ」

 その時はそう思って眼中にもなかった。

 でも俺が予選を終えて駐機列に戻ってくると、ニカのルミエールも駐機列に残っていた。



「がんばってね、ニカくん」

「リルに一杯食わせてやれよ」

 ぼくはクラスのみんなから声援を浴びながらスキップの操縦席に飛び乗った。キーを差し込んでモーターを起動、空中のスタートラインまで機体を移動させる。

 そこで決勝レースの開始を待っていると、下の観客席にいる他の学年の生徒たちからも熱っぽく応援される。

 これはもちろんぼくの外ヅラの良さの賜物、というだけでなく、ぼくの予選での成績がそうさせているのだ。昨日まではみんな「最初なんだから、上手く行かなくても気にしないで」とか「失格にならずに完走出来たら優勝だよ」とか始まってもいないレースの結果を慰めてくる始末だったのに見事な手のひら返し。まあ免許を取ってから1週間も経っていないし、レースに参加したこともなければ、そもそも“赤地”を飛んだことも無かったから、仕方ないことではあるけれど。


 もっとも、いちばん結果に驚いているのはぼく自身なのである。

 結論を言ってしまうと予選は簡単だった。


 ぼくは初めてのレースということもあって、はじめは様子見に徹していた。他の参加者のスキップとの接触が気になったし、飛び方を参考にしようと思っていたのだった。新参者の自分が勝負になるなんてはなから考えてもいなかったし、とにかく完走して経験を積み、次のレースに活かせればそれで良かった。

 リルが没頭している世界を覗いてみたかったんだ。それならば彼に並ぶべくもないとしても、自分も正当な経路を辿って彼に近づきたかった。これはぼくなりの礼儀であり、彼への敬意だった。


 予選のレースが始まると、ぼくは他の五人の参加者の機体を追いかけて学校のグラウンドから“赤地”へと向かっていった。それからの記憶がボタンを掛け違えたみたいにちぐはぐで、おかしなことになっている。コースの難所だった狭い峡谷を抜ける箇所を自分がどう切り抜けたのか全く覚えていないし、レース最終盤の学校へ帰投するルート上でようやく頭がはっきりしてきたくらいだ。

 ゴールしてから自分が1位なんだと初めて知った。それから一度機体を降りようとすると、急に目眩がして、自分の足がガタガタ震えているのに気が付いた。

「ニカくん、すごかったよ!」とサポート役をしてくれているレイチェルが駆け寄ってきてぼくを抱きしめたけれど、すぐにぼくの体の異常に気づいてぱっと離れた。

「顔が真っ青よ。体も震えてるし、大丈夫?」

 大丈夫とぼくは笑顔を作ったけど、たぶん上手く作れてなかったのだと思う。レイチェルは医務室で見てもらった方がいいかもしれない、と本気で心配していた。

「決勝に出れそう?」

「ぜんぜん平気さ」

「無理し過ぎないようにね。スキップレースの時はいつも何人か医務室行きになるのよ」

 そのとき先ほどのレース中の違和感を思い出した。

「ねえレイチェル。ぼくは上手く飛べてたかな?」

 そこで彼女はにっこりと笑った。

「すごかったわよ。初めてとは思えないくらい。あなたは天才なのよ」


 それから昼休みを挟んで決勝レースが始まった。

 スタートラインには予選を勝ち抜いてきた五人のスキップが並んでいて、信じられないことにぼくもそのひとりになっていた。そしてもちろん、リルもそこに並んでいた。


 開始の号砲が鳴った。

 全機一斉にグラウンドを飛び出して草原を超え、荒野へまっすぐ向かっていった。そのうち横を飛んでいたリルは、バッテリーの出力差により徐々に遅れていく。


 ”赤地“に入ってしばらくすると谷間に突入する。ここでみんな速度を落として慎重に進み始める。すると後ろからリルの白いスキップがぐんぐん追い上げてきて、右へ左へうねる谷間をあっという間に抜けて行った。ぼくはそれを追いかけて、アクセルを踏んだ。たぶん周りの機体も同じように速度を上げた。


 必死で遥か前を飛ぶリルの小さな機影を追いかける。他の機体が何機か立て続けに高度を上げ過ぎて失格となり脱落する。そのころからだんだん機体の速度が遅くなっていくように感じ始めた。回転羽の故障を疑い慌ててモニターをチェックするも、別に減速はしていない。けれど通り抜けていく赤銅色の岩壁の、そのまだら模様がはっきり見えるくらいになってやっと、おかしくなったのは機体ではなくぼく自身だと気が付いた。ぼくは予選で同じコースを飛んでいた時の感覚が戻ってくるのを感じていた。


「なんだ、これ?」


 スローになった世界で石のように重い手足を動かして操縦桿を左右に操る。アクセルは踏みっぱなしにしていたけれど、流れる谷間の景色はやはりスローだった。あまりにも遅いので狭い谷間でも突破するのは簡単だった。


 気づけばリルのスキップがぼくの機体のほんのすぐ前を飛んでいて、尾部の回転羽が3枚の羽に分かれてゆっくり回っているのが見えた。

 それでもリルはやはり手強かった。スローの世界の中ですら彼のスキップは機敏に谷間のぎりぎりを攻めていて、いつまで経っても追いつけない。ぼくは少しづつまた引き離されていった。

 ちょうどその時、視界が開けた。U字の峡谷コースを抜け、あとは一直線に町へ戻るだけ。

 そこらへんでぼくはまた記憶を失い、気づけばベッドの上だった。



 目を開けると、見上げたそこには誰かの顔があった。長いまつげと大きな二つの目、きゅっと結ばれた口。その輪郭をぼんやりと目でなぞっていると、黒いフードを被っていることを発見し、時間をかけてその顔の主に気がついた。

「やっと目が覚めたか」

 不思議なことにそこにいたのはリルだった。彼はかなり不機嫌そうな顔をしていてベッドのすぐそばに立ってぼくの顔を覗き込んでいた。

「レイチェルの奴に感謝しろよ。あいつがぶっ倒れたお前を医務室(ここ)まで運んでやったんだから」

 あいつめちゃくちゃ心配してたぞ、とリルは目を少し伏せてそう言った。そういえば予選の後、レイチェルはぼくの様子がおかしいのに気づいていた。気にしてなければいいけど。

「レースに呑まれて脳みそに負荷がかかり過ぎたんだよ。そんだけだから大したことないけど、念のため今日一日はここで寝てろってさ」

 そういうことだったのか。あのスローモーションはいわば火事場の馬鹿ぢからみたいなものだったらしい。


「リル」

「あ?」

「決勝戦はどうなった?」

 リルはベッドから離れて医務室の窓枠に腰掛けた。

「お前何も覚えてないんだな。勝ったのはお前だよ」

 おめでとう、とリルは呟いて、やる気のなさそうな拍手をした。

「ぼく、絶対負けたと思ったのにな……」

「峡谷エリアであそこまで詰められたら、みつばの出力じゃルミエールには勝てない。認めたくないけど、お前はすごいやつだよ」


 そうか、ぼくは勝ったのか。そう言われてもぼくは俄かに信じられなかった。ジョイ先生はリルを校内レースで常勝するだけでなく、町のレースで最年少優勝した実績を持つ逸材だと絶賛していた。

 リルを嫌うレイチェルでさえ彼の実力には一目を置いていた。そんな凄腕のスキッパーに、ぼくは勝った。


 ぼくがぼおっとして視線を部屋の中に彷徨わせていると、ベッドのそばに戻ってきたリルの視線を捉える。彼の蒼い綺麗な目が据わっていた。

「なあ、ニカ。これから俺と勝負しないか」

 視線が合わさり、ぼくは彼の穏やかな声に押し殺された気迫を感じた。

「来年の夏に大きなレースがある。それまでに夏のレースを含めて三回のレースがある」

 リルは一言ひとこと噛みしめるように喋った。

「もしその中でもう一度俺を負かしたら、お前の言うことを何でも聞いてやる。スキップレースから降りても良いし、なんならお前の望み通りお前と仲良しこよしになってやっても良い」

 ぼくはあっけに取られて黙って聞いていた。

「けどもし三回とも俺に負けたら、お前はこの町から出て行け。そういう勝負だ」

 乗るか、乗らないかとリルはベッドで横になっているぼくに詰め寄った。

 迷う余地はなかった。乗るに決まっているだろ、こんな面白そうな勝負。

 たぶん今まで転校してきた無数の思い出の中でダントツに面白い。

「絶対にまた君を倒してやるよ」

 この言葉が誓約となってぼくらを結びつけた。ぼくはリルに認められた。同じ世界を共有するライバルになったのだ。

 急に笑みが込み上げてきて口元が緩む。それを見てリルはきっとぼくを睨みつけた。

「何笑ってんだよ、気色悪い奴」

「いや、リルがぼくとこんなに長く喋っているのは初めてだなと思ってさ」

「は?」

 リルは心底嫌だという顔をして、ふいっと目を逸らした。そして、約束は絶対だからな、と念を押して部屋を出て行った。この時ぼくはすごく、それはもう幸せだったと思う。ぼくは幸せ過ぎたのかまた意識を失い、夜遅く学校にやってきた父さんに連れられて、久しぶりに歩いて家に帰った。


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