04:始動、ルミエール350型
転校してきてから1ヶ月が経ち、クラスにも馴染み、おおむね全てぼくの手中に収まっている。けれどこのぼくにもままならない、この町で暮らすうえでの面倒ごとがまたひとつ。それは"スキップ"の存在。
住人には悪いが、この町には本当になんにも、ない。
モールもなければ遊園地もない。スーパーもなければ喫茶店もない。プールもない、マックもない。ない、ない、なーんにもない。
あるのは町を囲む雄大な人口緑地だけ。たぶん、父さんが勤めているリゾート会社はこれを使って儲けようとしているのだと思うけど。
こんな有様だから、住人は必然的に町の外に買い出しに行かなけれはならないのだが、州都は森を超え、峡谷をいくつも跨いだ400キロも先にある。もちろん陸路などない。ぼくが町にやってくるときに首都から乗ってきた高速鉄道は、後で聞くとモンテルタウンまで走ることは滅多にないし、住人にとって運賃も馬鹿に高いらしい。
そこで重宝されるのが、スキップなのである。このモンテルタウンではこれ無しには生きていけない。素晴らしいことに、火星には子供が小学三年生になると、練習用のスキップを支給する太っ腹な連邦政府がある。そのおかげで住人はたとえ子供であっても足に困ることがない。
問題は新参者のぼくなのだが、
「あなたにも、スキップ支給を受ける権利があるのですよ」
スキップ操練科の主任でもある担任のジョイ先生は、初日の登校日の帰りにぼくを学校の大きな物置に連れていき、中から埃を被った赤いスキップを引っ張り出して、ぼくにキーをくれた。
だいたい自家用車と同じくらいの大きさで、側で見ると思った以上に華奢な乗り物だった。
「この子はヘルメス社製“ルミエール350型”、初心者のために設計された最上級の練習機なの。あなたもきっと気に入るはずよ」
そう言って先生は機体の下に潜り込んで、何かを弄ると操縦席のモニターが起動した。先生に言われて、煤を払い、操縦席にまたがってみると、ペダルも操縦桿も使い込まれた跡があった。
「行き先を人工知能に話しかければ勝手に連れて行ってくれるわ。操縦マニュアルは機載コンピュータにインストールされているから、分からないことは何でも人工知能に頼りなさい」
顔に煤を付けたジョイ先生は、”こわくないよスキップ入門“と”サルでも解けるULEA免許筆記試験“という薄い二冊の絵本をぼくに渡して、
「1ヶ月後に操縦免許試験を受けてもらうから、しっかり練習と勉強をしてきてね」とにっこり笑った。
急すぎるだろ。その時はそう思っていたけれど、スキップの操縦は意外と簡単ですぐに乗りこなせるようになった。不正操縦は人工知能が修正してくれるし、バッテリーの残量やら乗り手の体調検診まで何でもやってくれるので、事故の危険もほとんど無いと言っていい。だから放課後に学校の敷地内でしか乗ってはならないという無免許状態の縛りがもどかしく、練習後の長い家路が憎らしかった。
ある日、遂にジョイ先生からスキップ操練の授業への参加を許可された。免許試験を前倒しで受けさせて欲しいと何度も頼んだ熱意を買ってくれたのだと思う。といっても授業で行われる曲技飛行の練習には参加できないので、だだっ広いグラウンドの端に立っている監視塔の上でジョイ先生と空を眺めるだけだったけど、ぼくはそれでも満足だった。
その日は澄み切った雲ひとつない秋晴れ。“赤地”の荒野から吹き込んだ冷たい北風が紅白の吹き流しをはためかせていた。ジョイ先生曰く絶好の操練日和りだという。
グラウンドの上空には無数のスキップがホバリングしていて、一機ずつ順番に曲技飛行の練習をするらしかった。クラスメートたちのスキップが待機している空の北側の空域が練習用コースになっているらしく、そちらには真っ赤な輪っか状のバルーンが沢山浮かんでいた。これに機体が触れて割ってしまわないよう、正確に潜り抜けてゴールまで飛ばなくてはならないというわけだ。
ジョイ先生は無線機を手にして、こほんと咳払いしてから、
「今日は十一月十八日なので出席番号18番のトール・ヤマザキさんから始めてください」と開始を宣言した。
『げっ俺からかよ』
そんなちょっとおどけた声と共に彼の緑色のスキップはコースに進入した。
急旋回。一回転、次いで急旋回。
結構うまいんじゃないか、とぼくは偉そうに心の中で批評していた。でも次の瞬間、彼の機体はバルーンを破ってしまって失格。すぐに新しいバルーンが地上から浮かんできた。
次の生徒も途中までは上手く飛んでいたのに、旋回が追いつかなくなってバルーンを割ってしまった。 ジョイ先生お手製の曲芸飛行コースはそんなに簡単ではないらしい。
こんな感じでみんな次々に挑戦していったけれど、やっぱりバルーンは割れてしまう。先生はその度に生徒に細かい助言を与えていて、みんなそれを熱心に聞き入れていた。
「次は最後ね。出席番号17番のリル・クラークさん、始めてください」
「はい」
みんなの一番最後にリルの飛行が始まった。
彼が乗っているのは、白いひと際小さなスキップ。迷いなくコースに進入していく。
急旋回。一回転、次いで急旋回。
減速、空中静止。急加速して垂直上昇。緩下降からの急旋回、一回転、旋回、そして急旋回。
それは一言で言えばお手本のような飛び方。
バルーンの輪の真ん中を正確に抜けていき、全ての機動に無駄がない。他の生徒に見られたような危なっかしさを微塵も見せず、ワルツを踊っているような優雅な白い航跡を残す。
あっという間にゴールのバルーン輪を通り抜け、颯爽とみんなの待機列へ戻ってきた。
ジョイ先生はにこにこしてぱちぱち手を叩いた。
「素晴らしいわ、リル。今度の大会も期待しています」
『ありがとうございます』
ぼくはびっくりして、リルの飛行が終わってからも、監視塔の上でしばらく余韻に浸っていた。
彼にこんな特技があったなんて。
こう言っては悪いけどリルは授業中はだいたい突っ伏しているし、先生から当てられてもまともに答えていたのをこれまで見たことがない。つまりは、あんまり頭が良くないのではないかと推察していたから、これは意外な発見だった。
このぼくを何度も無視したり、偽善者呼ばわりしたり、猫かぶりを見破ったりするリル・クラーク。面白い奴だと思っていたけれど、もっと興味が湧いてきた。やっぱり彼はぼくの友達になるべきだ。
でもどうすれば友達になれるのだろう?残念だけど、彼はぼくのことにまだ興味を持ってくれていない。
レースに出ろよ、とぼくの頭の中で誰かが囁いた。来月末に校内の学期末スキップレースが行われるのだと、さっきジョイ先生教えてくれた。それにぼくも参加すればいい。これから免許を取って猛特訓して、レースに出て経験を積む。そしていつの日かリルに勝つ。そうすれば彼はぼくに興味を持つに決まっている。
ぼくはこの素晴らしい考えに取り憑かれ、すぐにでもレース参加の応募をしたくなってそわそわしていた。
その時、次々にグラウンドに着陸してくる無数のスキップの中からリルの白いスキップが目に入った。華奢な機体にまたがる黒いパーカー着た少年が革の飛行帽を外すのを見た。その後すぐにいつものようにパーカーのフードを頭に被って下を向いてしまったけれど、その僅かな合間にぼくは彼の素顔を捉えた。少し伸ばした茶色の髪と大きな蒼の目、細い首。それは、まるで
「先生、リルは男の子ですよね?」
咄嗟にそんな言葉が口から飛び出した。
ジョイ先生はちょっと迷うような顔をしてから、
「リルは“男の子でいい”のよ」と言って、いつものように微笑んだ。
*
六限目の操練の授業が終わるとグラウンドで自由解散になった。俺はみつば3000をAIに命じて駐機場に帰還させてから、グラウンドで日課の走り込みを始めた。
このグラウンドは上空をスキップが飛び回れるくらいだだっ広く、その端っこは町を囲む草原と接しているので校舎からは延々と続いているように見える。
スキップレースは見かけ以上に体力を消耗するから体力作りは欠かせないのだ。それに、終わりのないトレーニングは根気と意地を養ってくれる。
こうして、すっかり辺りが暗くなったあと俺はグラウンド周回から戻り、更衣室でシャワーを浴びてTシャツを替え、操練科教官室に学期末の定期レースへの参加応募用紙を提出しに行った。
学校の地下にある煙草臭いその部屋に入ると、太った連邦軍の配属将校が飛行監視モニターを使って地球の野球中継を眺めていた。そいつに用紙を渡してさっさと帰ろうとすると、そいつが画面を見たまま「次のレースはあの転校生も参加するみたいだぞ」と言う。
「関係ないです。どうせ記念参加ですよ」
「そうかあ。でも案外、上手くやったりしてな。やってみないと分からんから」
「うるさいです。というかこの部屋煙草臭いです」
ジョイ先生に嫌われますよ、とぼそっと呟くと、そいつはいそいそと立ち上がって換気扇の操作パネルを弄りだした。用事を終えた俺はさっさと部屋を出て、駐機場でスキップを拾ってハウスに帰寮した。その時にはニカのことなどすっかり忘れて、レースのことしか頭になかった。




