26.
レーンハルト陛下が私の寝ている部屋を訪れたのはその日の夜のことだった。
「体調はどうだ、サーナ」
枕元の椅子に腰掛けじっと私の顔を見ている陛下の顔がランプの光に照らされて優しげに微笑んだ。ちょっとだけドキッとする。
「はい、だいぶいいです。まだ体力が戻っていないようですけど。メルファスさん過保護なんですよ」
「そんなことはない。サーナは大切な――大切な、女神の恵み、なんだ。無理だけは絶対にしないでくれ」
ちょっとだけドキッとした胸がちょっとだけチクッとする。大切な女神の恵み、うん、私もよくわかってる。
「ありがとうございます――そういえば寝ている間、夢にそのロリス様が出てきました」
「ロリス? 女神ロリスのことか?」
「はい、そうです。でも肝心なことを聞く前に目を覚ましてしまいましたけど」
「どんな夢だった?」
私は頷いて夢の内容を陛下に話して聞かせた。
「ロリス様は、私は今のままでいいと。私の使命を果たすには、このまま進めばいいようなことを」
「それは――まさしくお告げ、だな」
「はい。とってもきれいな方でした」
すると陛下が驚いて目を見開いた。
「姿を見たのか?」
「はい。白いふわふわの服を着て、髪は長くてやっぱりふわふわの淡い水色で」
私が見たままを話して聞かせるとレーンハルト陛下はとても興味深げに、いや食いつくようにいろいろと聞いてきた。そして最後に大きく息をついて座っている椅子の背もたれに寄りかかった。
「まさか女神ロリスのお言葉を直に聞くだけでなくお姿を見る者がいるとは」
「え? お会いしたことのある人はいないんですか?」
「そうだな。メルファスでもないと思う」
「え」
「これはすごいことだが、サーナは女神の恵み、つまりは女神の使いなのだから特別なのだろうな」
あとでメルファスにも話さなきゃな、とレーンハルト陛下が笑った。
けれどすぐに真面目な顔をして椅子に姿勢よく座り直した。
「サーナ、話がある」
大事な話なんだな、と私もベッドの中で少し体を固くする。
「サーナの体が良くなったらだが、サーナが『女神の恵み』だと国内外に発表したいと思う」
「発表――って、え、なんで突然そんな話になったんですか」
「ああ、ちゃんわけも話す。だがそれを聞いた上でサーナがどうしても嫌だったら発表は取りやめる」
そう言ってレーンハルト陛下が話し始めた。
今回の毒虫事件、あの虫はセベートというらしいが、人為的にセベートを放ったのではないかという。人為的ということはあの場にいたクリス様か私が狙われたということだ。
「二人のどちらも狙われる理由はある。
クリスが狙われたとしたら王位継承の関係だ。それはそれで対策も練るし捜査もする。だがクリスが王位継承権を持つのは生まれ持っての魔力のせいで、これはいわば避けて通れない運命だ。
だがサーナが狙われたとしたら、おそらくこの間サーナに難癖をつけた令嬢のような動機だと思われる。ならば発表してしまえば変に邪推する人間は確実に減るだろう。
――どうだ?」
どうだ、と言われても。私は困惑する。
私はこの世界の文化や風習を知らない。身の周りの、ほんのわずかしかファルージャのことを知らないのだから当然だ。私が「女神の恵み」だと発表することにどんなメリットとデメリットがあるのか。何が起こると予想できるのか。それを想像する材料を持っていないのだ。
そう伝えるとレーンハルト陛下が「そうだな」と頷いた。
「サーナの本当の立場がわかったときに言えることとしては、まず第一にサーナがクリスのそばにいる意味が周りの貴族たちにとって変化するだろう。『王家のそばにいる女性』は貴族たちにとっては邪魔なものだ。どいつもこいつもあわよくば王妃の座を狙っているからな。クリスと仲良くしていれば、サーナはますます王妃として好ましい人物と映るだろう。そうなれば貴族の娘たちが王に侍ることが難しくなる」
う、なるほど。
「だから私が『女神の恵み』だとわかれば、無闇に害することができなくなる、ということですか?」
「ああ。そして『サーナがクリスのそばにいるのは女神ロリスから受けた使命だから』という大義名分も立つしな」
大義名分。うん、そうだね。
陛下は続ける。
「そしてもう一つ、公表するということは諸外国からもサーナの存在が求められるかもしれない」
「――よくわかりません」
「何しろ知性を持った存在が『女神の恵み』として遣わされたのは初めてのことだ。その上サーナの使命もまだはっきりしてはいない。何らかの恩恵に預かりたいと思ったら手元においておきたいと思うのは理解できるからな。おそらくあちこちの国から訪れてほしい、もし気に入ったらうちの国に住んでほしい、そんな申し出が出てくると考えている。それに――」
「それに?」
「いや――まああまり憶測ばかりを語るわけにもいかないからな。どうだ? サーナはよその国も見てみたいと思うか?」
「よその、国」
私は考えこんでしまった。
興味がないといったら嘘になる。でも――
「もし行くことになったらその時は私一人でその国に行くことになるんですよね?」
「まあそのときにならないとわからないが、護衛数名と侍女くらいは連れて行っても文句は言われないだろう。ただ、その国に留まることになればずっとファルージャの者をそばに置いておくことは難しいだろうな」
やっぱりそうか。今しがたレーンハルト陛下が言った予想通りなら、私を自国に引き留めたい人たちは付き人や護衛をファルージャの人間で固められると困るだろうから。いかに自分の国のほうがいい待遇かとかアピールするチャンスが減るわけだし。
いずれにしても私の気持ちは。
「正直なところ、行きたい気持ちがないわけじゃありません」
「――!」
陛下が息を呑む音がはっきり聞こえた。
「でもそれは遊びに行く感覚で、今の私にはファルージャから出ていくことは不安のほうが大きいんです。何より――」
そこで言いよどむ。何より、と口にしたとき胸の奥に湧き上がったのは胸の奥を締め付けるキュッとした痛みだ。離れたくない、そんな言葉が頭の中を流れる。
離れたくない――誰と?
クリス様と? それとも――
その続きは考えちゃだめだ。胸の痛みを私は「ファルージャから離れる不安」とすり替えた。
「何より、今の状態は私が女神様の使命を果たすために正解の道みたいなんですから。だったら私がファルージャから出ていくわけには行きません」
「そう……だな」
レーンハルト陛下がふっと笑顔を見せた。でも笑顔なのにどこか寂しそうな色が見えた気がする。
私――何か答えを間違った? そんな顔をさせたいわけじゃないのに。
けれどもその答えにたどり着く前に「もう遅いからお休み」と陛下は席を立って行ってしまった。
「サーナ様」
その翌朝私を訪ねてきたのはアシュレイさんだ。私がベッドに起き上がっているのを見てにっこり笑ってくれた。
「ずいぶん回復なされたようでよかったです」
「ありがとうございます」
「いくつかお話させていただきたいのですが、もしお加減が悪くなったら言ってくださいね」
そう言いながらアシュレイさんはベッドの横の椅子に座った。少し怪訝そうな顔をしているのが気になる。
すぐにそんな表情は消えてしまったけど。
「なんでも昨夜陛下から話を聞かれたとか」
「はい、私が女神の恵みだと発表するって」
「――聞いたのはそれだけ?」
「はい。あ、あと発表することのメリットデメリットとかも話してくださいました、けど――?」
途端にアシュレイさんが小さくため息をついた。え? どうしたんだろう。
「ああ、申し訳ありません。レーンの奴があまりにヘタ……じゃない、肝心な部分を話し忘れているようなので」
「肝心な部分?」
「いえ、こちらの話ですからお気になさらず。まずはサーナ様の正式な身分を発表する式典を開きますので、それについての打ち合わせをしたいと思いまして」
式典。
突然大きくなってきた話に既に腰が引けてしまっている私だった。




