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あのあと私はひと晩考えた挙げ句、ひとつの結論を導き出した。
レーンハルト陛下にあんなにドキドキしたのはきっと芸能人に会ったみたいなドキドキだったに違いない。ほら、陛下は雲の上の人で本来ならそうそう会える人じゃない。でもほら、すごいイケメンだし仕事もバリッバリだしどこからどう見ても格好いい。まるでテレビで見るイケメン俳優みたいじゃないか。ほら、イベントなんかで有名な俳優さんなんかが出てきて、抽選で舞台に上がって握手してもらえるとかあるじゃない? きっとあんな感じの高揚感だったんだよ、うん。
レーンハルト陛下だって私には感謝してるって言ってたし、あの指先のキ……キスだって感謝の表れなんだよ。もしくはそういう風習なんだよファルージャは。ということにしておこう。
そう考えをまとめたらちょっとだけ落ち着いた。これならきっと普通に振る舞えるよ、うん。
そうしてなんとか数日をやり過ごした、ある日のことだった。
この日の予定は午前中クリス様と過ごし、クリス様の勉強時間の間はアシュレイさんのところへ行くことになっていた。大体クリス様の勉強時間はメルファスさんとロゼさんが一日ずつ私を教え二日休みというペースを繰り返している。そしてたまにその時間をアシュレイさんとのお話時間に充てる。内容は主に日本の話だけど、私がなにか不自由をしていないかなどを必ず聞かれるので、アシュレイさんはお母さん的キャラというのが私の中で確立しつつある。
アシュレイさんの執務室に行くべく私はソフィアさん、護衛の女騎士ペネロペさんことペニーさんと廊下を歩いていた。
ここの廊下を歩く人はそんなに多くない。今の時間は執務室が集まる棟に人がいるから、居室の集まる棟から移動するための廊下――――といっても庭に面した渡り廊下だけど――――に用のある人は少ないんだろう。ちなみに下働きの召使いさんは建物の裏側に召使い専用の廊下や階段があって、貴族や王族の通る表側の廊下は使ってはいけない決まりなんだって。
で、その廊下を渡っている途中のことだった。
「ええ? 陛下が夜中に?」
「あらご存知ないの? 今すごい噂になっていますのよ」
庭の方から女性の話し声が聞こえ、三人のきれいに着飾った女性が姿を現した。特に先頭の人は艷やかなマホガニー色の髪をゆるく編み上げ、キリッとした美人顔。着ているドレスもかなり贅沢な作りで高位の貴族だとわかる。あとの二人も言わずもがな。
「あら」
私の姿を認めるとすぐに先頭の美女が軽く眉を上げた。
「黒い真っ直ぐな髪に黒い瞳。貴女がクリストファー殿下の世話役になったという方?」
「は? はい、そうですが」
突然知らない人に声を掛けられて面食らっていると、美女は「まあ!」と大げさに目を見開いて手にしていた扇子をパッと広げた。
「ずいぶんと気のないお返事ですこと。マナーのお勉強にはあまり興味がお有りではないのかしら」
途端に私の背後からものすごい冷気が伝わってきた。振り向く勇気はないけれど、ソフィアさん……だよなあ?
とはいえ私もこの美女の物言いにはカチンとくる。でもあんまり波風立てたくないしなあ。
返事をしないのを「返事できない」と受け取ったのだろうか。三人で離し出した。
「お世話役ということは例の」
「ええ、例の」
扇子で口を隠しながらクスクス笑うの、感じ悪い。関わるのは面倒だからスルーして立ち去ろうと思ったんだけど、なぜか三人に引き止められる。いや、なんか用?
「貴女、お世話役なら身を慎まれたほうがよろしいわよ」
「ええ、あらぬ噂が立ってしまいますもの」
「噂は噂ですけれど、火のないところに煙は立たぬと申しますし」
噂? 噂って何の?
知っているか確認したくてソフィアさんとペニーさんを振り返って、ふたりの表情の厳しさに眉をひそめた。
「殿下の世話役などと清廉さ真面目さを求められる人物がこともあろうに夜中に逢引などと」
「おまけに宰相閣下の執務室にもしょっちゅう入り浸り――――あら失礼」
「よほど殿方がお好きなのねえ」
は?
三人の会話を理解するのに少し時間がかかってしまう。
陛下と夜の庭で会ってることをなんで知ってるの? あと、アシュレイさんの執務室に行くのはあくまで日本の話をするためだけで、執務室なら防音もしっかりしているから異世界の情報が誰かに聞かれることを防ぐためだよ(とアシュレイさんは言っていた)?
それに陛下と会ってるのだっていわば保護者と保母さんの会話で――――あの夜は私の精神的な問題でちょっとだけ違うけど。
まるで男あさりしてるみたいに言われるの、心外だ。
「あの」
「失礼ながら」
きちんと反論しないと陛下にもアシュレイさんにも悪いと口を開きかけたけど、背後から冷え冷えとした声が響いた。ソフィアさんだ。
「お嬢様はこれから予定がございます。ご用件がないようでしたら失礼いたします」
こんなソフィアさん、初めてだ。魔法で気温下げてる? っていうくらいの冷気をまとっているよ……令嬢三人も一様に迫力負けしてるのか腰が引けてる。
「な、何よ、逃げる気?」
「逃げるなどと。急ぎの用があると申し上げました」
「大体、侍女には話していないわ! 出過ぎたマネはしないほうが身のためよ」
「これは失礼いたしました。まだ名乗られてもいないので主人とは話されるおつもりがないのかと」
うん、マナーで習った。貴族間では初対面の者同士は紹介されるか片一方が名乗るまでは話をしないのが礼儀だ、と。私、はっき話しかけられて返事しちゃってるけどあれも本来はマナー違反。
まあ今のは呆気にとられて言葉が出なかっただけだけど。
どんどん令嬢三人の顔が怒りで赤くなっていく。肌が白いと顔が紅潮するのがはっきりわかるんだなあ、とつい関係ないことを考えてしまう。いやいや逃避してないで私。ソフィアさんをこれ以上矢面に立たせるわけに行かない、よね?
「あの、お二人の名誉のために言いますが、どちらともお会いするのは仕事絡みだけです」
「まあ、お仕事ですって」
「そもそもこんな出自のわからない娘を重用せず、もっと身分のある――――」
上から見下ろすような目線、すべてを否定する物言い。切れ味のにぶったなまくらの刃で心を貫かれるようだ。でも施設にいた頃も似たようなことを言う人は一定数いたんだよね。だから心を貫かれたような痛みをにぶらせるのは得意なんだ、私。こういうこと言う人たちは下手に反応を返すとヒートアップする。だから無視するに限るのだ。
けれどその時女性三人から私をかばうようにソフィアさんとペニーさんが一歩前へ出た。二人とも威圧感が半端ない。
やばい、なんか一触即発っぽい雰囲気。
私は慌ててソフィアさんたちと三人組のみ間に割り込んだ。
「とにかくその噂は真実ではありません。陛下にも閣下にも私と噂を立てられるなんて不本意でいらっしゃると思いますよ。あまり口に登らせないほうがよろしいかと。失礼します」
「そんなことがあったんですか」
アシュレイさんに少し遅れてしまったことをお詫びしたら何があったか問い詰め……聞かれて正直に答えてしまったら、アシュレイさんは少し困った顔になった。
う、そうだよね。アシュレイさんもはっきりいってイケメンだからきっとモテモテに違いなくって、改まって聞いたことないけど恋人やひょっとしたら奥さんだっているだろう。そこに私とあらぬ噂を立てられるのは困るに違いない。
「あの、はっきり否定はしておきました。でも噂になっているのならすぐには下火にならないかもしれなくて、陛下にもアシュレイさんにもご迷惑を」
「ああいえ、そういう意味ではありません。むしろサーナ様にご迷惑をおかけしてるのはこちらですからね。申し訳ありません」
申し訳なさそうに下げられた頭にぎょっとした。いや別に迷惑でも何でもないし、ただの噂だし。
「私の方はともかく、レーン――――あいつは何をやってるんだ」
「レーン……ハルト陛下、ですか? あっ、陛下はあの時間しか時間が取れなくて。その日のクリス様の様子をお伝えしているだけですから!」
「いえ、それはレーンの、陛下の怠慢です。サーナ様と話をしたいと思うならきちんと時間や場所を設定するべきです。夜の庭で二人で、などとあらぬ噂を立ててくれと言わんばかりです」
不満げにアシュレイさんが窓の外を見た。きれいに晴れ渡っているはずの初秋の空がどこか薄ら寒く見えてしまった。




