17
夜になり、私は暖かいショールをぐるぐる巻いて部屋を出た。
部屋にはマーガレットのような形の花が飾ってある。これは日中レーンハルト陛下と出かけていたクリス様がぶっきらぼうに「土産だ」と手渡してくれたもの。
「けっ、ケーキの礼だからな! 礼のひとつも出来ないようでは王族の名がすたるからだ! 僕は王子だから、そういうところだってきちんとできるんだからな!」
なんて言いながら耳まで真っ赤なクリス様だけど、お出かけに同行した大人たちがみんな視線を泳がせながら肩を小刻みに震わせているのが可笑しい。
思わずつられて笑顔になってしまう。てわたされた花束はしおれてもなくて、淡いピンクの花弁がかわいい。
「ありがとうございます。とっても嬉しいです」
しゃがんで目線を合わせお礼を言うとクリス様の顔がうれしそうに照れくさそうに笑顔を作り、すぐにハッとしていつもの高飛車ポーズに戻る。
「いいか! 受け取ったからにはまたケーキ作るんだぞ!」
「もちろんですよ」
そんな約束をしたことを思い出しつつ私はこっそり庭にでた。
今夜もきれいな星空で思わずため息が漏れる。夜は少し肌寒くなってきたこの頃、夜空の色も深くなった気がする。そういえば庭に咲いている花も変わった。樹上の花はすっかり散ってしまい、今は膝丈くらいの高さの花が花壇を彩っている。
「サーナ」
夜の庭を眺めていたら名前を呼ばれた。もちろんレーンハルト陛下だ。今夜は陛下が来るかどうか五分五分だと思っていたから驚き半分落ち着き半分というところかな。来ると思ったのは今日の話がしたいだろうから、そして来ないと思ったのは一日政務を休んだ分お仕事を片付けなければならないかもしれないと思ったからだ。
「陛下、こんばんは」
「サーナ、まずは礼を言わなければ。ありがとう」
陛下が真っ先に発した言葉はお礼の言葉で、私は面食らってしまう。
「え、お礼を言われるようなことは何も」
「いいや、君が俺にクリスと向きあうチャンスをくれた。自分がいかに我が子と接していないか思い知らされた」
そう言うと陛下は私の手を取っていつも座るベンチまでエスコートしてくれた。手が触れた途端心臓が大きくひと跳ねしてほっぺたがおでこがカアッと熱くなる。
王様にエスコートされるなんてまるでお姫様になったような気分。恥ずかしいのと嬉しいのとで軽くパニックだ。たどり着いたベンチに座らされ、陛下が隣に座った。夜の庭で会うときはいつもこうやって隣り合わせには座っているのに、何だろう。
そうだ、手を取られたからだきっと。今が暗い夜でよかった。
ベンチで陛下はその日にあったことを詳しく話してくれた。二人でパーシェルに乗って湖に行ったこと。ピクニックをして魚釣りをしたこと。よほど楽しかったんだろう、それを語る陛下は嬉しそうに目を細めながら話していて、私まで嬉しい気持ちになる。
やがて話は帰り道にクリス様が花を摘んだことに至る。花を摘んで、城に戻る前にしおれてはいけないと陛下が魔法を使ったらクリス様が目に見えて落ち込んでしまった、と。
「まだまだだなと思ったよ、クリスの父親として。だが俺には王としての立場もあるからただ甘いだけの父親になるわけには行かない――――今のやり方が完全に間違っているとは思わない、けれど絶対的に正しいとも言い切れない。難しいものだな」
本当に難しい。
私はクリス様と目線をあわせて寄り添うことしかできないけれど、それが本当にクリス様のためになるのかどうかなんてわからない。少なくともクリス様が私のとなりにいるときだけでも悲しい思いをしないように、私にできるのはそれだけなんだ。
私がクリス様と仲良くなれたのは、私が施設に長年住んでいてその中で年下の子の面倒を日常的に見ていたからだ。本来私は保母さんでもなければ施設の先生でもない。本格的な子どものメンタルケアもできなければこんな時陛下にどんな言葉をかければいいのかもわからない。
「――――すまない、まだ若い君にこんな話を。サーナはよくやってくれている。今の話は俺が悩んで答えを見つけなければならない問題だ、気にしないで欲しい」
私の沈黙を困っていると受け取ったのか陛下がそう言って力なく笑った。その表情を見て、なんとか力になりたいと思ったのは当然の流れだと思う。
そう、当然。
だって、陛下は国民の声を聞いてよりよい国にするのが仕事。そして今息子のクリス様と向き合うと決めたみたい。これからはクリス様ともたくさん話をするんだろう――――けれど王様は孤高の存在。一体誰に話を聞いてもらうの? そう思ってしまったからだ。
「レーンハルト陛下」
「うん?」
「私はただクリス様の話し相手になるくらいしかできなくて、あまりお役に立てません。
でも陛下の愚痴の聞き役くらいならできますよ。私はこの国に保護してもらっている身ですが、陛下の臣下ではありません。なら部外者の私くらいには愚痴を吐き出しても悪くないんじゃありませんか?」
勢い込んでそう言ってからハッとした。な、生意気すぎた……かな?
陛下が目を丸くしてる。
「すみません! 生意気なことを」
「いや、そんなことはない! 生意気などと思っていない!」
膝においていた手が大きな手に包まれ、少し冷えた肌の温度が伝わってくる。
「サーナ、ありがとう。その気持ちが嬉しい。こうやって話を聞いてくれる時間は俺にとっては本当に心休まる時間なんだ。
まあ――――男としてはちょっと情けない気もするが」
「そんなことありません! 少なくとも私はそう思わないし、話してもらえれば心を開いてもらったと嬉しいし」
「サーナ……」
握られていた手に力がこもったのがわかる。
――――待って、私今レーンハルト陛下に手を握られて……
ボン! と音が出そうなほど一気に頭に熱が集まる。うわー、うわー、何このシチュエーション! 何か言わなきゃと思うんだけど、口が酸欠の金魚みたいにはくはくするだけで声すらでてこない。そんな私を見てレーンハルト陛下がふっと笑った。それはさっきまで見せていた苦い笑顔ではなく、ごく自然な微笑みだ。
何か笑うポイント、あった?
「すまない、君といると王である自分をうっかり忘れてしまうらしい。ただ、自分のことを部外者などと言うな。淋しいじゃないか」
「陛下……」
部外者じゃない、そういってもらえて胸の奥が熱くなる。懐に入れてもらえてこそばゆくて、陛下を近くに感じられて嬉しい。
陛下の瞳がじっと私を見ているのがわかる。優しい表情なのがわかる。
誤解しちゃダメだ、今私はただ単にお礼を言われているだけだ。私を見つめるレーンハルト陛下の瞳が熱っぽいなんて思い上がりもいいところだ。
舞い上がってる自分を必死に宥めているというのに、私の手をうやうやしくレーンハルト陛下が持ち上げた。
「サーナ。こんな情けない男だがこれからもこうやって会ってくれるか?」
だから、口説き文句みたいだから、語弊が……!
さらに握られている手が視界に入ってめちゃくちゃ心臓に悪い。どうしていいかわからないまま、話が進まないとこの手を離してもらえない気がして言われるがままに首をカクカクと縦に振った。
「ありがとう」
麗しい笑顔で更に心臓にトドメを刺されている間にふと私の手が目の高さまで持ち上げられ――――指先を柔らかな感触がついばむ。
指先にキスされた、と気がついた私はそのままひっくり返りそうになってしまう。その拍子に座っていたベンチがガタンと大きな音を立て、木からカラスみたいな鳥がガアガア鳴きながら飛び立っていった。
「へっ、陛下! もう体も冷えてきましたし、今夜はここで失礼します!!」
言うが早いか私は走り出した。走りながらかすった木の葉がばさばさと散るのもこんな夜更けなのにばたばた派手に足音をたてていることも気にする余裕なんてない。心臓がばくばくいって息も上がってるけど止まったら動けなくなりそうな気がして必死に庭を駆け抜け一気に離れに飛び込んだ。
そのままベッドに飛び込んで頭まで布団に潜り込んだ。と同時に隣の控えの間から寝室にノックの音が響く。ソフィアさんだろう。うあ、ぎりぎりセーフだわ。
「サーナ様? 何かありましたか?」
「大丈夫……庭をみていたら大きな鳥が急に飛び出したからびっくりしたのよ」
「左様でこざいますか。何かあったらお呼びください」
「ありがとう」
ソフィアさんに嘘をついてチクチク痛む良心と、そしていつまでたってもおさまらないドキドキでその日は眠れない夜を過ごしたのだった。




