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Sin Prophecy  作者: mirror
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外伝:”男爵閣下”と呼ばれた王女

 帝国がまだ王国だった時代。「白亜の城塞都市」と称された美しい街並みとはかけ離れた貧民街で、私は生まれた。

 母は娼館で働く娼婦だった。

 誰の子かもわからぬ私を、身を粉にして必死に育て上げてくれた母に報いようと努力した私は、物心つくころには年上の男子にも負けない武力を手に入れていた。

 他に得られるものが無いために選んだだけのものだったのだが、女二人の家族ではなかなか有用な力だった。


『私が、お母さんを守ってあげる!』


 そんな子供の戯言を、笑って聞いてくれていた母が亡くなったのは、私が十三歳の誕生日を迎えた日だった――。


 雨風を凌げる程度でしかない粗末な家に来たのは、母が勤めていた娼館の女主人だった。

 母は、私の誕生日に少しでもまともな食べ物を、と思ったのだろう。働き過ぎて体を壊したらしい。

 貧民街で死んだ人間の遺体は、疫病を防ぐためにすぐさま焼却処分されるか、どこかの森にでも埋められる。

 母は前者で、森で遺体を野犬に食われなかっただけマシだと言えるかもしれないが、そんなもの子供にはわからない。

 数日間、泣き続けた。

 泣いて、泣き疲れれば寝て、起きればまた泣いた。そして、涙も枯れ果てた頃、娼館の女主人が再び訪ねてきた。

 体も心もボロボロになっていた私は、さぞ酷い顔をしていただろう。

 そんな私に会いたいという男がいるという。わけもわからず、自暴自棄に近い状態だった私は連れて行かれるまま男に会い、そのまま貧民街を出た。


 男は国王の側近と名乗り、私をあろうことか王城へと連れて行った。

 泣き腫らした目に映った、白砂を用いた白く荘厳な王城に言葉を失った私の様子を見ていた男は、心底嬉しそうにこう言ったのだ。


『これからは、ここが君の家だよ』



 それからは怒涛のように日々が過ぎた。

 通された部屋には十人以上の侍女が控えており、彼女達に綺麗なドレスを着せられ、歩き方やテーブルマナーなどの教養を叩きこまれる。母の死を悼むことを、許してくれないほどの忙しさだった。

 それまで一般人としての教養すら身に着けていなかったために辛くもあったが、私を城へと連れてきてくれた男がときおり様子を見に来てくれるので、なんとか耐えられた。

 私には、城へ自由に出入りし、かしずく侍女に笑いかけるその男が父親のように感じられていた。失った母の代わりに、心の拠り所としたのだ。

 ある日、私は男に聞いた。私はなぜ連れてこられたのか、と。


『それは、君が――』


 私は期待していた。この人が、私の父だと言ってくれることを。

 だが、困ったような、悲しそうな顔で告げられた言葉は、期待を打ち砕くものだった。


 受け入れられなかった。私が「王女」であることなど。

 豪華な食事、華やかな服、かしずく使用人達。そんな贅沢な生活の裏で、陰口を叩かれていることも知っていた。

 だがそれは、貧民街では慣れ親しんだもので、気にも留めていなかった。

 だからこそ、それが「妾腹の子」に対する侮蔑だと気付けなかった。

 周囲の人は知っていたのだ。母が昔城で働く使用人だったことを。王の命令で仕事を追われ、貧民街に堕ちたことを。それが王にとって恥となる、不義の隠ぺいであったことを。


『お父さんに……私のお父さんに会わせてください!』


 頼み込む私に、男は今度こそ困りきった顔を浮かべた。それでも、男は私の希望を叶えてくれた。王への謁見を橋渡ししてくれたのだ。

 その日が来るまで、夜も眠れなかった。

 母のこと、私のこと。私が聞こうと思えることなんて多くは無かったけれど、それでも答えを求めてその日を待った。

 そうして、ようやくその日は来た。

 いつもより豪奢なドレス、いつもより念入りに言い聞かされる注意事項。それら全てをどうでもいいと切り捨てて、私は父が現れるのを待った。


『――何の用だ』


 体が震えた。

 遥かな高みから振り下ろされるような言葉に、圧倒的な立場の違いを思い知らされた。

 聞きたいと思っていたことは、何一つ口を出ることは無く飲み込まれていく。口を何度も開いては閉じることを繰り返す。

 その様子を見た王は、何も言わずその場を立ち去ろうとした。


『お母さんはどうして死んだんですか!?』


 行ってしまう。そう思って慌てて口を突いて出た言葉。

 こんなことを言うつもりでは無かった。まるで責めるような、こんな言葉を言うつもりはなかった。

 自覚の無かったどす黒い感情に困惑する私に、王は――


『あの女はお前のために、お前のせいで死んだ』


 そう言い残して去って行った。



 久しぶりに、涙を流した。

 青ざめた教育係の怒りのためでなく、父であるはずの王がとった態度のせいでもなく、ただただ自分が父に恨みをもっていたいう事実が怖かった。母を殺したのが自分だと、自覚した途端に悔しくなった。

 かつて枯れたはずの涙はまた流れ続け、教育係も侍女も場を辞した時、私を城へと連れてきた男が現れた。

 男は一言『ごめんね』と言って私を抱きしめた。


 その後も暫く泣き続けた私は、男の慰めもあってなんとか持ち直した。

 それからは、頻繁に部屋を訪れる男との会話――特に、嘘か真か曖昧な英雄譚――だけが私の楽しみになった。


『私はもう、ここには来ることは出来ない』


 そう、男が言うまでは。


『どうして……? 私が嫌いになったの?』

『違うよ。これは、私の役目なんだ』


 長かった私の髪を名残惜しそうに撫でながらそう言って去った男が、国王の弟――つまり私の叔父であると後に知った。

 英雄として名高かった叔父は、当時周辺の小国との小競り合いを続けていたアーシュタット王国の戦いを終結させるために戦場に出たのだ。

 十五歳だった私は大好きだった叔父に会いに行きたくて、周囲の反対を押し切って剣術を学んだ。

 一番上の兄には呆れられ、二番目の兄には蔑まれた。姉達などは「女なのに剣術を嗜むような野蛮な人間には会いたくない」と、終ぞ顔を見ることは無かった。

 それでも良かった。

 王を父と思えなかったのと同様に、あの人達を本当に兄姉だと思ってはいなかった。

 そうして一心不乱に鍛え続けた私の武勇は、十七の時には二人の兄を超えていた。



 ある朝、侍女長に呼び出され、嫁ぎ先が決まったと告げられた。

 子供のようなわがままを通し続けていた私も、いつかはこういう日が来るとわかっていた。

 自分でも驚くほどすんなりと受け入れ、私は未来の夫との顔合わせのパーティへと向かった。


 参加したパーティは、目的が初めから決まっているからか、白々しくすら感じられた。

 宮廷楽団の演奏は耳を通り過ぎ、貴族たちのダンスは人形劇のようだった。

 程なくして、私の夫となる予定の男が現れた。いかにもといった風体の、小国の王子だ。

 感情を殺し、笑顔で差し伸べられた手をとった時、異変が起きた。

 会場の硝子を割って飛び込んできた侵入者に、貴族女性が悲鳴を上げ、男達が誰何の声を上げる。

 侵入者はローブの内から異様な光を宿した目を覗かせ、腰の長剣を抜いて切っ先を目の前の王子へと向ける。


『殺してやる……!』


 狂気の宿った声に、誰もが動けなかった。

 奇声を上げながら襲い掛かってくる侵入者は、腰を抜かした王子の頭に長剣を振りおろし――横から割り込んだ剣に弾かれた。

 華やかさばかりを重視した会場には、粗野だというだけの理由で護衛の兵すらもろくにいなかった。僅かにいた周辺警戒を行っている兵が異変を察知するまで、まだしばらく時間がかかるだろう。

 そんなことを冷静に考えながら、壁に掛けられていた装飾過多の剣を手に、私は侵入者の前に立った。


『下がれ。これ以上の狼藉は、私が許さない』


 この頃から、周囲への反発と、戦闘術に傾倒する様子を見て放棄された中途半端な教育が、私の口調から女らしさを奪っていた。

 ドレスのスカート部分を大きく切り裂き、長剣を握って兇手の前に立つ私は、王女としての慎みや淑やかさなど捨て去っていた。

 兇手が再び突進を開始し、勢いそのままに突きだされた切っ先を剣腹を横から叩いて逸らす。そのまま反動に逆らわず、体勢を崩した兇手の首筋に剣を叩き付けた。

 男は倒れ、首は腰を抜かしていた王子の目の前に転がった。

 そこでようやく、私は周囲の畏怖を込めた視線に気づいた。

 人を初めて殺したことの情動は不思議と無かった。だから、そのまま悲鳴も上げられない王子の前に跪き、


『これが私です。剣を持ち、戦うことを求める人間。――このような者は、妻として相応しくないでしょう』


 そう言って、会場に走り込んできた兵に血に濡れた剣を渡し、その場を辞した。

 後に――当然だが――この縁談は破談になり、その場にいた貴族達からは、男性のような言葉遣いと返り血を浴びた凄惨な姿から、『血に飢えた男爵閣下』と呼ばれるようになった。

 その呼び名が妙に可笑しくて、ほんの少しだけ笑ったのを覚えている。


 この事件は『血濡れの男爵事件』と呼ばれ、尾ひれが大量について貴族の間に広まった後、世間に公開されることのなかったアーシュタット王国第三王女は、「王国」が「帝国」へと変わった混乱の中でその存在を闇に葬られた――。

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