「帰るんだ、あの世界に」――『自動修復《オートリペア》』
実質第二章の開始です。
鐘が鳴り響いていた。
美しい白塗りの煉瓦を敷き詰められた街道と、地面と同化している白亜の建物。
街の中央にある魔力の籠った鐘。それが激しく体を揺らし、狂ったように街中に音を届けていた。
「遠征軍が帰ったぞーー!」
住民の一人が叫ぶ。
その声と鐘の音に呼応するように、住民達が一斉に街道へと首を巡らせた。
ある者は民家の窓から。ある者は買い物を中断し、街道に身を乗り出して。
白塗りの街道を進む軍の凱旋を、皆が祝福した。
「おめでとうございます!」
「やった、連合を倒したんだ!」
「見ろよ、兵が出兵時とほとんど変わってねぇ。さすがはバロン将軍だ!」
隊列を乱すことなく、理路整然と行軍する兵士達の大半は、この祝福の声に満足気な笑みを浮かべた。
事実、連合という巨大な勢力と戦うために遠征したにしては、彼等の損害はあまりに少なかった。
家族が、友人が、恋人が。
それぞれ大切な人が帰還した人々は歓喜に奮え、そうでない人々も、自国の軍が目に見えて大勝であったことに喜んでいた。
「将軍」
「……わかっている」
そう、喜んでいるのだ。
遠い戦地に赴き、これだけの兵を伴って帰還する遠征軍もそうはいない。
喜んでいい。喜ぶべきなのだ。
「将軍、おめでとうございます!」
「お帰りなさい、将軍!」
自分に対する祝福の声。
それに、馬上から手を上げて答えた。
うまく笑えていたかは、わからないが。
「軍はこのまま城へ帰還する。兵士達には、恩賞を与えたあと休ませておいてくれ」
「了解しました。将軍はどちらへ?」
「私は――」
陽光を反射する街道の先、一直線に伸びる白線を拒絶するかのような建造物がある。
バーンハイト城。
街並みとは真逆の漆黒の城壁に囲まれたそれは、白く輝く街を睥睨し、嘲笑うかのように街の中心に君臨する。
「私は、皇帝陛下に報告を行う」
住民達の祝福に囲まれながら、東方征伐軍全軍が城内への帰還を果たした。
バルディオの号令によって再び整列し、各部隊長が点呼をとる。
点呼が終わり、報告された軍の損耗率は、二度目とはいえ目を見張るものがある。
「それが、今回の戦果です。国境線で確認したのものと同じです」
「出来すぎだな」
今回の遠征で失った兵は僅か百人に満たない。
他は、多少の傷を負ったものは居るが、騎馬を失った程度ですんでいる。歩兵に関してはほぼ無傷で帰還している。さらには、騎馬部隊を撃破され、包囲された歩兵の内一部を捕虜として捕えている。
だが、今回の戦いでの一番の功労者はこの場にいない。
それが、私の心に暗雲をもたらしている要因の一つだろう。
「それだけでは無いがな」
「は?」
独り言に、不審顔で反応するバルディオに首を振って「なんでもない」と示し、背後を振り返った。
招き入れるかのように開け放たれた門。
城壁中央の門から入り、そのまま直進した場所にある中央宮殿。
その全てを拒絶するかのような外観からは想像も出来ないほど、内部は明るく照らされ、煌びやかな調度品で埋め尽くされている。
「相変わらず、美しいものですね」
「そう、思うか」
「……平民出の私には、この先は入ることが出来ません。将軍お一人での戦果報告となりますが、問題はありませんか?」
「……無い」
無い、わけではない。
だが、それを口に出しても、詮無い事だ。
「では、後は頼むぞ」
「はい」
短い返答は、そこにどんな思いが込められているかを読み取らせない。
バルディオは、ここを美しいと評した。ならば、それは羨望に近いものなのだろう。
この宮殿は、貴族出身者でもない限りは入ることを許されない。ごく一部の特権階級が、その権力を見せつけるために作った差別を象徴する建物。
私には、ここが人の精神を蝕む魔窟に見える。あるいは、人の魂を喰らう魔物の口か。
「立ち止まっていても、仕方ない」
諦めを口にして、鉛のような足を意思の力だけで動かす。
魔物の口内へと、足を踏み入れた。
「お!? 帰ってたのかよ、"男爵閣下"」
「イルフェルト兄上……」
絹に羊毛と鷲の羽で装飾を施した豪奢なマントを羽織り、欄干から宮殿入口を見下ろす男。
イルフェルト・アーシュアタット。
一族の一員であることを示す、ラストネーム。
北方の一部地域では、家族であることを示す共通の名前がラストネームとして使われるそうだが、大半の国ではそれを持つのは貴族階級以上の人間だけだ。
彼がラストネームとして持つのはこの国と同じ名前。
彼は、アーシュタット帝国第二皇子。そして、私の兄。
「おっまえ、どうしたんだよ、その頭は? すっげぇ不細工になってんじゃん。
庶民の女でも、もうちっとマシだったつの」
言われ、手を首元にやってしまう。
今は失われた手元の感触が、恋しく思えた。
「せっかく、お前の母親に似て髪だきゃキレイな金髪だったのによぉ。
――高く売れたろ?」
「――――!」
無視して進もうとした足を止め、我知らず兄を睨む。
私への侮辱など、なれたものだ。だが、母への侮辱ともとれるその言葉は、看過できなかった。
「お、やる気か? しらねぇぞ、俺に手を出して――」
「そこまでにしておけ、イルフェ」
欄干の手すりに体を預け、私を見下ろしていた兄の肩を誰かが引き寄せる。
「っとぉ、居たのかよ兄貴」
反射的に抗議しようとしたのだろう、振り向いたイルフェルト兄上は自分を引き寄せた相手に気付いて怯む。
「よく帰った」
「……ありがとうございます」
アズガルド・アーシュタット。
一切の光を吸い込むかのような黒の瞳。私とは違う、他の兄弟だけの皇族の証。
金の髪と青い瞳である私と違い、二人の兄と二人の姉は、黒髪に漆黒の瞳を持つ。
父に似たその容姿、特に一番上の兄はその血を濃く受け継いでいる。――私は、その目が苦手だった。
「その頭はどうした」
「自分で切りました。戦場では、邪魔になりますので」
「そうか」
特段驚くようなことも無く、淡々とした口調を続ける一番上の兄と、嘲るような表情を浮かべる二番目の兄。
この国では、女性が髪を短くするのは恥だとされている。それはこの国だけでなく、南西地方全体の風習だ。
貴族階級は言うに及ばず。一般庶民の女性でも、最低肩を超える程度には伸ばしている。
それでも、私は切った。決意と戒めのために。
「来い。父上が待っている」
「はい」
薄く飾り気のない黒のマントを翻し、アズガルド兄上が去っていく。ニヤニヤと嫌な笑いを張り付けたイルフェルト兄上もそれに続く。
乱された心を落ち着かせるために、二度深呼吸をする。
顔を上げ、前方にある階段。その先の重厚な扉を見つめた。
「あの先に、父上が居る……」
さらに重みを増した足は、もはや意思の力をもってしてもぎこちない動きしか出来なかった。
「アーシェ・バロン東方征伐軍司令官様、入場!」
扉を守護する兵による仰々しい号令と共に、目の前にそびえていた扉が開かれる。
重苦しい音を残して扉が開き切った先には、半円上のテーブルと、左右に広がる帝国の重鎮が居た。
小さく呼吸を整え、部屋の中へと足を踏み入れる。
「よくぞ帰還なされた、将軍。まずは貴女の無事をお喜び申し上げる。
此度は東方征伐軍を率い、連合を見事退けたとの報告を受けて、戦果を伺おうと集まった次第でございます」
好々爺然といった風の宰相が立ち上がり、口上を述べる。
軍のしきたりに従い、自らの右拳を左胸に押し当て敬礼とする。
向かって左側には、宰相を始めとした高位文官が。右側には、軍の実質的最高位である序列二位の元帥を担うアズガルド兄上に加え、軍部序列三位の大将軍が二名とも。自分以外の将軍位は居ないようだが、代わりにイルフェルト兄上がいる。
「さっそく報告をと言いたいところではありますが、陛下がまだお見えになっておりません。しばしお待ちを」
それはわかっている。父が来ていたのなら、他に誰が来ているのか、など気に掛ける余裕もなかっただろう。
半円に作られたテーブルの頂点、私の真正面に当たる位置には、他の左右に配置されたものより一回り大きな椅子。職人による無二の技術と煌びやかな宝石が嫌味にならぬ程度に散りばめられたそれは、すなわち玉座に他ならない。
誰もが皇帝の到着を待ち、一言も発さぬ静寂の中、にわかに響く足音。
大理石の床を打つ音に喉が干上がっていくのを感じ、大きく唾液を飲み込む。潤いはしなかったが。
中央に配置された玉座の奥から人影が現れた瞬間、その場にいた全員が立ち上がり各々最上級の礼を示した。
「――待たせたな」
「いえ、将軍も今しがた到着なされたところでございます」
恭しく頭を垂れる宰相。それに合わせて全員が頭を下げた。
地の底から響くような低い声。御年六十を超えるとは思えない肉体。全身漆黒を貫く服装。
それら全てが相まって、居並ぶ者を心から平伏させる。
「戦果を、聞こう」
アーシュタット帝国初代皇帝、バルヘイム・ケイゼル・アーシュタット。
アーシュタットを「王国」から「帝国」へと作り変えた、この世で唯一皇帝の名を冠する人物。
玉座の肘掛に肘を置き、頬杖をつく姿すら、一切隙のない圧倒的な存在感。
――私の、父であるはずの人。
私は、この人を一度も父として思えたことが無かった。
「アーシェ将軍、報告を」
宰相の言葉で、我に返る。
久方ぶりに感じる威圧感に萎縮し、役目を失念していた。
「失礼しました、報告いたします――」
遠征し、国境線についたあたりからの経緯を順を追って話した。
布告無しでの戦闘に場がざわついたが、元より帝国も宣言無しで国境線に軍を派遣しているのだ。お互い様だろう。
さらに、連合の略奪行為について報告した時、暇そうに背もたれに体重を預けていたイルフェルト兄上が反応を示した。
「"イル"村? 俺の名前と同じじゃん。偶然ってすごいねぇ~」
「あなたの直轄地ですよ、イルフェルト兄上」
私の言葉に、僅かに眉をひそめるだけの兄。
元村長に聞いた話では、ある日突然帝国からの使者が来て、第二皇子の命令で村の名前を変えることになったという。
享楽を是とする二番目の兄にとっては、自身の名を与えた直轄地であろうとも、快楽のための一手段でしかなかったのだろう。あるいは、何かの機会にあの美しい村長の孫を見初め、妾にでもしようとしていたのかもしれない。
なんにせよ、戦火に巻き込まれた小さな村のことを、この兄は気にも留めないだろう。
「ともかく、連合軍はまだ全軍が浮足立った状態でありました。
しかし、初めに確認した連合の軍は我が軍と同程度。実行する作戦に時間を要したため、斥候部隊の一部と小隊をいくらか導入し、開戦を遅らせました。その結果、最終的な連合の規模は総数約一万と八千」
「一万八千!?」
「征伐軍の兵数より七千も多いじゃないか!」
動揺する文官達。すでに勝利しているのだから、動揺する意味も理由も無いのだが。
「静かに。
将軍。援軍を期待できない状況で、敵の数を増やす作戦をとったことも驚きだが、それだけの数的不利に追い込まれながら、どうやってあれほどの兵を生還させたのか知りたい。何をした?」
アズガルド兄上は、元帥として公式の場に立つ時、私をただ「将軍」と呼ぶ。公私を徹底して分ける兄らしい。
そして、発せられる質問は核心をつくものが多い。
「――ルーンマスターの助力を得ました」
「なに!?」
大柄な肉体に肩にかける種類の剣帯を装備した大将軍の一人が立ち上がる。他の高官達――特に軍の高官――も、立ち上がらないまでも驚きを隠せない様子だ。
あのアズガルド兄上でさえ、腕を組んだまま目を見開いている。
それもそのはず。
帝国にも、かつては数人のルーンマスターがいた。彼等は、一人一人が軍の一個大隊に匹敵するほどの力を備え、帝国が「帝国」へと成るための礎を築いた。
だが、世の中にルーンキラーが現れ、帝国の厳重な警備と保護下にいたにも関わらず、全員が殺されてしまった。
故に、この場に居る者の多くはルーンマスターの絶大な影響力を知りながら、その力を失ったことを憂いていたのだ。浮き足立つのも無理は無い。
「詳しく話せ」
「はい、元帥。
連合との戦いのため進軍し、ナブル平原近くで野営を行っていた時です。哨戒任務を行っていた騎馬小隊が、平原で一人立ち尽くす男を発見しました。
男は小隊長の眼前で魔法を使用したため拘束。その後、私自らが交渉し、戦時特例として私の補佐官に任命、軍へ編入しました。
男は『封じの鎖』すら無効化してみせましたが、戦闘の経験が無いとのことでした。しかし、先程申し上げたイル村の協力をとりつけ、我々も把握していなかった特殊な地形の条件を発見。その地域条件に魔法を加えて利用する作戦を発案しましたので採用したところ、我が軍の損耗は極めて小さく収めることが出来ました」
途中で質問を挟み込まれないよう、一気に言い切る。
言い切った後も、暫くは誰も言葉を発しなかった。
「都合が良すぎる、と感じるのは私だけか?」
「いえ、私もそう思います元帥。一度、そのルーンマスターに会ってみるべきでしょう」
「申し訳ありませんが、それは出来ません」
「なんだと?」
大きな体を乗り出し、睨むようにして私を見る大将軍。
隠しておくことでもない。私は鎧の隙間に挟んでおいた小袋を取り出し、大将軍に手渡した。
「彼がこの場に立つことが出来ない理由は、それでわかるでしょう」
「っ! これは……!」
大将軍の疑いの表情は、小袋から掌に転がり出した小さな鉄塊を見て固まった。
一方は先端の丸い突起状に、一方は平面に潰された見慣れない形状の鉄塊。小さな鉄塔にも似ているそれは、この場に居る者にとって思い出したくもない悪夢だった。
「『ルーン殺しの魔鉄』!?」
「ぐっ……! それでは、そのルーンマスターは……」
「倒れました。以前、帝国に仕えていたルーンマスター同様に」
この鉄塊が初めて見つかったのは、殺された帝国のルーンマスター、その二人目の死体から。急所を貫かれたルーンマスターを何とか救おうとした医術師が、傷口から取り出したのがこの鉄塊だった。
一体、どういった経緯で体に埋め込まれていたのかわからなかったが、三人目、四人目と続けて暗殺され続け、ルーンキラーの存在を帝国が認めた時には、この鉄塊が奴等によるルーンマスターを殺すための道具だとわかっていた。
何かが弾けるような乾いた音が鳴れば、突然ルーンマスターの体内にこの鉄塊が埋め込まれた。
倒れた人間はいずれもがルーンマスターであることから、使用者はルーンキラーであると考えられていたが、それより先は一切わからなかった。
この鉄塊が天を飛来してきたとする目撃証言もあったが、ルーンキラーはルーンマスターを使わない。だとすれば弓か投石器のようなものを使用したと考えられるが、それにしては音がしてから命中するまでの時間が短すぎる。
結局、謎の新兵器による攻撃という曖昧な判断がなされたこの鉄塊は、『ルーン殺しの魔鉄』と呼ばれるようになった。
「戦闘終了直後の隙を狙われました。
私の力が及ばず、貴重な戦力を失ってしまったこと、申し開きのしようもございません……」
「――もう良い」
重く響く声。その主に、視線が集中する。
「本来の目的である連合軍の駆逐は達している。ルーンマスターなど、所詮は目的についてきた小事に過ぎん」
「しかし陛下。ルーンマスターを運用することが出来れば、現在の世界情勢では圧倒的な軍事的優位にたてます」
「愚か者めが。
ルーンマスターを得たとして、それを守るためにどれほどの兵力を要すると思う。彼奴等によってもたらされる益よりも、遥かに大きな損害となろう」
「それは……しかし――」
「黙れ。元帥である貴様が、そのように浅慮でどうする」
あのアズガルド兄上ですら押し黙る他ない。
これが、皇帝バルヘイム。
帝国支配圏の小国と、直轄領地に住む全ての民を束ね、軍・文官両方の最高位に自らを据えた。それを全ての支配圏の人間に認めさせる不可視の力にも似た威圧感。
論破の許さない理論も、その身に宿す知力・武力も、それを補完するためのものでしかない。
「――報告は以上です」
連合には勝った。だが、ルーンキラーによって補足されていたことを忘れ、油断によってレイネートを失った。
あれは、私の失態だ。
「結構です。お疲れ様でした、将軍。今回の大敗を受けて、連合も考えを改めるやもしれません。暫し様子見となることでしょう。
将軍も、征伐軍に従軍した兵と共にお休みください。あなたに対する褒賞も、後日連絡いたします」
「恐縮です」
頭を下げて、場を辞そうと踵を返した時、背後から声がかかった。
「アルシェラ」
「――――っ」
今度こそ、耐えきれずに体が震えた。
私以外の、兄を含めた全員が硬直しているはずだ。
それは父が――皇帝自らが口に出すことを禁じた、すでに失われた名前。かつては確かに居た三番目の皇女の名――。
「やはり、お前は戦場を好むか」
「わ、たしは……」
「良い。そこがお前の生きる場ならば、好きにしろ。
――だが、ユルゲンに会わせる気は無いぞ」
不要な念押しだ。
女であることを捨て軍に身を投じ、将軍という地位を与えられて戦ってきた。それはもう、子供の頃のようにあの人に会いたいからではない。
なのに、それなのに……――!
「私は帝国の将軍です、陛下……!」
「自覚はあるようだな。
『女であることが戦場に出られない理由なら、それを捨てる。皇女という立場が邪魔ならば、そんなものは取り上げてほしい』
お前が、私にたった一度だけ向き合った時の言葉だ。だから私は、お前に名と地位を与えた。
――忘れるな。しょせん貴様は、飼い犬に過ぎぬ」
背後で、皇帝が立ち上がって去っていくのを感じる。
唇を噛み締めて、侮蔑と憐憫の入り混じった視線を受けながらその場を後にした。
口の中は、不快な血の味がした――。
――血の臭いがする。
暗い、昏い、深海のような淀みの中に居るような感覚。目を開けているのかどうかすらわからない。
――胸が痛い。
左胸が、肉をかき分けられているような気持ちの悪い痛みに侵されている。
『ここは……どこなんだ……?』
空間に反響する自分の声。聴覚も狂っているのか。
体を動かそうとしてみる。が、全身に奔る痛みに呻く結果になった。
『止めておきなさい。今はまだ無茶だよ』
『――誰だ!?』
誰何の声に応えるかのように、視界を覆い尽くしていた暗闇の一部が白く光る。
現れた光は少しずつ集まっていき、やがて見知った人になった。
『フィランツェ、様……?』
『久しぶりだね、レイジ・ネート』
肩口に切りそろえられ、その身から溢れ出る魔力を受けて靡くアッシュの髪。切れ長でありながら、優しげに細められているダークブラウンの瞳。そして、僕に向けられた優しげ微笑みは、確かに彼女のものだ。
これは、夢、だろうか……?
『夢、ではないよ』
『でも、僕は流刑にあって……貴女はイグナシルに居るはずで……』
『うん、混乱させてすまないね。順を追って説明してあげよう。
まずは、君が自身のことを認識しなければ。――ゆっくりでいい、自分の姿を象ってごらん?』
言われた意味が、よくわからなかった。
子供をあやす様な言葉遣いはフィランツェ様の特徴だが、恥ずかしいやら懐かしいやら、何とも言えない気分になってくる。
まずは、混乱している心を落ち着かせようと深呼吸をしようとして――体の感覚が無いことに気が付いた。
正確には、痛覚以外の感覚が無いのだ。
『――――!?』
『あぁ、怖がらなくていいよ。ここはそういう処なんだよ』
『どう、なって……!』
『落ち着いて。君の体はどんなものだったかを思い出すんだ。頭の中で想像して? 君はどんな姿をしていたかな?
うまく思い描けなければ、君が意識を失う前の状況を思い出すといい。強い刺激は、荒療治的だが、自分を思い出すにはうってつけだ』
やはり何を言われているのかわからない。
それでも、言うとおりにするべきだ。フィランツェ様に従って、間違ったことは一度も無い。
意識を失った時。そもそも、どうして僕はこんなところに居るんだ? ここはどこだ? ――いや、それは後で説明してくれる。まずは、僕が「意識を失った」とされる状況を思い出せ。
流刑にあって、異世界に来た。紆余曲折あって、この世界の帝国軍に入った。それからは……そう、戦いがあったんだ。初めて戦闘の作戦なんてものを立案して、そのまま戦場に行って、何とか勝ったんだ。それで――。
『うわあぁあぁぁぁああぁーーー!!』
乾いた音、左胸に突如発生する痛み。
熱が失われていく。指先から感覚が奪われていく。
怖い。怖い……!
迫ってくる。僕を奈落に引きずり込もうと忍び寄ってくる。けっして遅く無い速度で、命を刈り取ろうと「死」が迫ってくる――!
『落ち着きなさい、レイジ・ネート。その痛みは幻覚。君がすでに経験した、過去を再現しているのに過ぎないのだから』
『そんな、こと言っ……ても――!』
呼吸が整わない。幻覚と言われても、確かに痛みは感じているのだから。
どうしようもなく苦しい。なのに、体はその感覚を取り戻せていない。
『仕方ないね……』
ただただ襲い掛かってくる苦痛が精神すらも蝕み始めた時、何かが僕を包み込んだ。
『フィ、フィランツェ様!?』
『私の鼓動は聞こえるかい? この音に、自分の心音を合わせなさい』
顔の横あたりに感じる仄かな温もり。否応なく上がる心拍数。
落ち着くどころか、余計に動揺する。
場違いな思考までが頭の中を飛び交った後、鼓動や顔の感触などを取り戻していることに気付いた。
『そう、その調子で全て取り戻しなさい』
ようやく、落ち着いてきた。左胸の痛みも、無くなってはいないものの和らいでいる。手足の感覚も、フィランツェ様から熱を分け与えられたかのように体温を取り戻しつつある。
『あ、立てる……』
上下左右の違いすら認識できなかった空間で、自分の足が確かに地面を踏んでいる。
両手をあげて、そこにあることを確認する。
『取り戻したね』
『はい、フィランツェ様。ありがとうございます』
顔を上げて、向けられた笑顔にまた顔を下げる。さっきの余韻が残っていて、直視できない。
『さて……時間もあまり無いことだし、本題に入ろう』
『はい』
『まずは、ここがどこかはわかるかい?』
僕とフィランツェ様以外は何もない暗闇。こんな空間に覚えは無い。
だが、さっき思い出した感覚と、なお残る左胸の痛み。
そこから考えるなら、ここは――。
『死後の世界、ですか?』
『ふふふっ。面白い発想だが、違うよ。
それに、ここが死後の世界だとするなら、私も死んだことになってしまう』
『あ、そうですね。すいません……』
考えなしの発言で、失礼なことをしてしまった。
『ここはね、君の中にある空間だよ。そう言えばわかるかな?』
『僕の中にある空間……?』
比喩、だろうか?
いや、僕のような術師にとって、体内にある空間は慣れ親しんだものだ。
『魔法領域……?』
『正解だ』
人間の体内に、生まれた時から存在する異次元空間。魔法という技術を利用するための、最も基本的な発動場所。術師以外でも、術式を外部移植されることで使用可能になるため、少なくともイグナシルでは知らない人間はいない。
僕は術師だ。魔法領域へと自在に術式を展開し、多くの魔法を使用できる専門家。その中でも、魔導政府内で働ける程度には優秀だという自負もある。
それでも、魔法領域がこんな息が詰まるような空間だとは知らなかった。
『仕方ないさ。本来はこの空間内に来ること自体、まず無い事だからね』
『では、僕はなぜこの空間に? それに、どうやって……?』
『うん、一つずつ答えよう。
まず君がこの空間にいる理由だが、君が倒れたことと、私がここに居ることに起因する。君が流刑にあった時、私が意識を奪う役を担当したのは気付いているね?』
『はい……』
憧れだった清廉な魔力に包まれて、緩やかなに奪われていく意識。自分がそれを受けているのでなければ、感嘆の声を漏らしただろう手腕。忘れるはずもない。
『その時にね、少し細工をしておいた』
『細工?』
『うん。君が意識を失って異世界に飛ばされる寸前に、周囲に散っていた魔力を集めて君の中に流し込んだんだ』
『そんなことが……!?』
『少し苦労したよ』、と微笑むフィランツェ様の顔を、信じられないという思いを込めて見る。
魔力は、使う人間の色が色濃く出る。本人には認識できないし、術師でない人間は微量であるため意識する必要も無いが、術師となれるだけの才能があれば、魔力は一意の性質をもつ。
初めは無色とされているこの魔力も、他人が同時に術式に流し込めば魔力同士が反発し、互いを打ち消し合ってしまう。
僕を異世界に飛ばした『転位』の魔法など、数十人単位での使用が前提となる大規模術式も無いわけでは無いが、それらは魔力同士が触れないように術師ごとに担当箇所の術式を書き換え、単一の術式が単一の機能のみを実現して大規模術式を構築するという面倒な過程を経て実行される。
術式に魔力を流し込むだけでもそうなのだ。他人の魔法領域に、遠隔地から自身の魔力を流し込むなんて芸当、聞いたことも無い。
『さすが、です』
『ありがとう』
それが出来るからフィランツェ様なのだ。それが出来るのが、フィランツェ様なのだ。
最年少で筆頭魔導執行官に就任し、いずれは魔導政府長になることは間違いないとまで言われる人の実力、その片鱗を改めて知ることになった。
『というわけで、この私は本体から離れた魔力によって編まれた仮想人格に過ぎないのだよ。
その役割は、君が重傷を負った際に傷を治癒し、失われかけた君自身の意識を取り戻すこと。なんとか達成できて良かったよ』
『罪人である僕に、そんなことまで……』
『……私も、予言罪については納得していることばかりではないからね』
『え……?』
今、フィランツェ様の口から魔導政府の決定に反するような言葉が聞こえたような……。
『いや、何でもない。時間も無いことだし、忘れてほしい』
『は、はい』
『ありがとう。
さて、次に「どうやってこの空間に来たか」だが、それは私の魔法――というより、この私自身か――によるものだ』
話しながら、差し出される掌。その光を放つ肌から、少しずつ僕の左胸に光が移動している。
光の移動した先には、肉が蠢くようにして傷口を塞ごうとする風穴があった。自分の体で起こっている思わぬ光景に、おもわず顔を背けてしまう。
『少し気持ちが悪いのは我慢してほしい。私の魔法『自動修復』によって肉体の一部が魔力で代用されているんだ。魔力を肉に変えるのに、少々時間がかかる』
『初めて聞く魔法です。オリジナルですか?』
『その通り。「過去」に属する魔法で、設置型になる。人体に設置し、設置された肉体が著しく損傷した時、魔法領域に精神を一時避難させ、その間に肉体を回復させる』
イグナシルにおける魔法という技術体系の分類は、「過去」「現在」、そして「未来」の三つ。
多くの魔法は「現在」、つまり発動した状況に対して効力を発揮する。「過去」に分類されるような一部の高度な術式は、主に回復や回帰など、時間を戻るような効力を持っている。「未来」という分類は、他の二つがあるのならば、と設定されただけのもので、現代でもたった一つしか該当するものはない。
とはいえ、それらは厳密に決められているわけでもなく、今回フィランツェ様が使ってくださった魔法も、「過去」に属するとはいえ、損傷した瞬間に発動しそれを治すという部分は「現代」に該当するといえるし、先を見据えて使用することを考えれば「未来」にも関連しているともいえる。
結局は、その魔法の最も重要な根幹部分がどこに属するのか、が分類の基準となる。
『その場で傷を治癒するものならば、もっと早く簡単に出来るのだがね。私が現場に行けない以上、こういった遠回しにも思える方法を使うしか、君を守る手段が無かった』
『いえ、十分です。本来なら、貴女に助けてもらうことなんて望むべくもなかったのだから』
申し訳なさそうに顔を曇らせたフィランツェ様に、深く頭を下げた。
この人は、やはり僕が憧れた通りの、素晴らしい人物だった。
『本当に、ありがとうございました……!』
『……うん。助けられて良かった』
涙で滲む視界が回復するまで、頭を下げ続けた。その間、おそらくは僕の情けない状況に気付いていながらも、この人はただ微笑みながら受け止めてくれた。
『さて、そろそろ私も自分を保てなくなってきたな』
顔を上げ、暗闇の中で光る姿を見た。
ハッキリと憧れの女性を模っていた魔力は、その輪郭がぼやけてきている。
『君の傷はもうすぐ治る。だが、あの時に与えてあげられた程度の魔力では、『自動修復』の起動は一度が限度だ。――次は、助けられない』
『大丈夫です。貴女に助けられたこの命を、もう二度と失いません』
『――そうか、良かった』
すでに足を失い、腰の辺りも蛍火のように四散して僕の左胸へと送られてくる。そんな自分の体には目もくれず、安心したような笑みを浮かべる女性。
『君と会うのは、おそらくこれが最後だろう。だから、これだけは言っておく。
自信を持ちなさい。君は、私が知っている新人たちの中でも特に優れていた。突然放り込まれた異世界でも、君ならやっていける』
『――はい』
『期待しているよ、レイジ・ネート』
その言葉と、見惚れるような微笑みを残してフィランツェ様は消えていった。
再び光を失い、前後不覚にでも陥りそうな暗闇が戻ってくる。同時に、痛みが薄れていく左胸の傷。
「貴女の期待に、応えて見せます」
僕の言葉には、すでに奇妙な反響は無かった。
自身の体内にいるという不思議な体験も二度とないだろう。なら、最後にやっておきたいことがある。
「術式、展開」
名称指定無しの術式展開。意識の内で、展開場所を魔法領域に指定する。
暗闇しかなかった空間に、次々と形勢される術式群。
魔力を流さないとはいえ、これほどの量となると負担は大きい。
それでも、やるべきだと思った。
展開され、空間を流れていく術式を一つ一つ確認する。構築の様式、設定された変数、構成理論に至るまでの全てを見直す。
魔法領域で見ているからか、普段とはどこか違う。その感覚に、頬が緩む。
「作り変えるんだ、全てを……」
構築されては流れていく術式を、確認しては改変していく。
適者生存。それは何も、生き物だけでない。技術も同じだ。
イグナシルという世界で作られた「術師による魔法」という技術。それを、今生きる世界で使う「ルーンマスターによる魔法」へと変換する。
「――術式、記録!」
作り変えた全ての術式を術式記録帳に再記録する。
全てが完了した時、心地よい疲労感が残っていた。
「……戻ろう」
今の僕が生きているのは、イグナシルじゃない。凄惨な殺し合いが、常識とされる世界だ。
僕には向かない。事実だ。それでも、
「戻るんだ、あの世界に」
体を暗闇に投げ出して、目を閉じた――。
最後まで主人公を今後どうしようか迷いましたが、結局はこういうことになりました。




