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第3話 婚約破棄、承りました。

前回までのあらすじ


聖女候補のミシュリーヌは身長152センチ。小さくて可愛い。

「レティシア。何を黙っている」


 ユリウスの声に、レティシアはゆっくりと瞬きをした。


 ここは断罪イベントだ。物語序盤の山場、いわゆるチュートリアルである。

 本来のレティシアはここで泣き叫び、王太子にすがり、ミシュリーヌを罵って醜態を晒す。

 そうして完全な悪女として印象を固められ、罪を着せられ、最後は断頭台へ送られるのだ。


 悪役令嬢レティシア・グランシエールの破滅ルート。


 なるほど、よくできている。

 ――作ったのは私だが。


〈ここ泣いたら終わるやつだ〉

〈キレても終わり〉

〈実質詰みイベント〉

〈昼は牛丼にしよう〉

〈作ったやつ性格悪いな〉


 性格が悪くてわるかったですわね。

 あと、牛丼食べたい。


 レティシアは視界の端を流れる文字を見なかったことにした。


 自分は記号化された悪役令嬢ではない。泣き叫ぶために置かれた駒でもない。ここで設定どおりに動けば、待っているのは破滅だ。


 冗談ではない。生き残る。すべては、それからだ。


 レティシアは息を整え、背筋を伸ばした。震えかけた指先を扇の陰に隠し、広間中の視線を正面から受け止める。


 そして、優雅に一礼した。



「承知いたしました」


 広間がざわめいた。ユリウスの目が、わずかに見開かれる。


「婚約を破棄されると仰るのであれば、従いましょう」


「な……」


 戸惑いがユリウスの顔を走った。彼はきっと別の反応を期待していたのだろう。

 泣き崩れるか、怒り狂うか、ミシュリーヌに掴みかかるか。いずれにせよ、醜態を晒したレティシアをさらに断罪するつもりだったはずだ。


 だが残念ながら、そのすべては不採用である。


 その選択肢は罠だ。しかも自分で置いた罠である。踏んでたまるか。


〈あれ? 受け入れた〉

〈泣かない?〉

〈悪役令嬢、冷静〉

〈王太子の予定表が狂った〉


 泣いて差し上げられず申し訳ない。ただし王妃教育で「泣かない」訓練だけは無駄に積んでいる。

 睡眠時間を犠牲にして身につけた技能だ。ここで使わず、いつ使う。


「ただし」


 レティシアは静かに続けた。


「この婚約は、フェルメリア王家とグランシエール公爵家との正式な契約でございます」


 契約。


 その言葉は、貴族社会において軽くない。恋だの愛だのは美しい。大いに結構。吟遊詩人にでも歌わせておけばいい。

 だが婚約は契約だ。特に王家と公爵家の間で結ばれた婚約ならば、そこには政治があり、家と家の利害があり、積み上げられた約束がある。


 たかが『真実の愛』ごときで破っていいものではない。『真実の愛』は契約書の免責事項ではないのだ。


〈痴話喧嘩から政治劇へw〉

〈王太子、今それ気づいた?〉

〈いまさらw〉


 気づいていない顔だった。王太子殿下、どうやら本当に気づいていない。


 レティシアは心の中でそっと天を仰いだ。

 もちろん顔には出さない。わたくし、腹芸を極めた公爵令嬢なので。


「殿下は先ほど、わたくしがミシュリーヌ様に嫌がらせをしたとおっしゃいました。けれど、証拠はお持ちではない」


「だからそれは、ミシュリーヌが受けた心の傷を――」


「心の傷を軽んじるつもりはございません」


 レティシアはユリウスの言葉を遮り、一度ミシュリーヌへ視線を向けた。

 栗色の髪の少女は、今にも泣きそうな顔で立っている。どう見ても、勝者の顔ではない。この子は何も分かっていない。少なくとも、自分からこの舞台に上がったようには見えなかった。


「ですが、それをもって公爵家の令嬢を罪人と断じるには、いささか根拠が不足していると言わざるを得ません」


「根拠だと?」


「はい」


 レティシアは微笑んだ。


「王太子殿下ともあろうお方が、まさか噂話や伝聞のみを頼りに、王国中の有力貴族が集まるこの場で婚約破棄を宣言なさったわけではございませんでしょう」


 言葉は柔らかい。声も穏やかだ。だが、広間の温度がさらに数度下がった。


 貴族たちは理解したのだ。これは、ただの愛憎劇ではない。王太子が証拠もなしに、公の場で公爵令嬢を断罪したかもしれない場面である、と。

 しかもその相手は、王国有数の名門グランシエール公爵家の長女である。


 失礼で済めば安い。安すぎる。スーパーの閉店割引でもそこまでは下げない。



「もちろん、嫌疑の真偽は後日しかるべき場で明らかにされるべきことでしょう。ですが殿下は今、この場でわたくしを悪女と断じ、王家との婚約を一方的に破棄なさいました」


 ユリウスが言葉に詰まる。レティシアは畳みかけるように続けた。


「この婚約破棄により、わたくし個人の名誉は大きく傷つきました。また、グランシエール公爵家も王家より一方的に契約を破棄された形となります」


「私は、そのような大げさな話をしているのではない!」


「大げさ、でございますか」


 レティシアは首をかしげた。優雅に。ゆっくりと。しかし目だけは笑っていなかった。


「では、殿下はどのようなおつもりで、王家と公爵家の婚約を破棄なさったのでしょう」


「それは……お前の罪を明らかにし、ミシュリーヌを守るためだ!」


「であれば、正式な手続きを踏めばよろしかったのでは?」


「……っ」


「なぜ、この場で?」


 沈黙が落ちた。


 答えられるはずがない。なぜなら、答えはひとつだからだ。

 レティシアを衆目の前で貶め、悪役令嬢として完成させるため。少なくとも、このイベントはそういう構造になっている。


 よくできている。本当によくできている。

 今すぐ仕様書を破り捨てたい。


〈証拠なし公開処刑〉

〈王太子、手札なし〉

〈勢いだけで来たな〉

〈法務部レティシア〉


 だから、私は法務部ではないと何度――以下略。

 ただ契約を踏み倒そうとする人間が嫌いなだけだ。まぁ、前世では残業代の踏み倒しが日常茶飯事だった私に言えた義理ではないが。



「ゆえに、お願いいたします」


 レティシアは扇を閉じた。小さな音が、大広間にやけにはっきり響いた。


「もしも、わたくしにかけられた嫌疑が真実でなかった場合、王家より正式な謝罪を。加えて、婚約破棄に伴う相応の慰謝料と、わたくしが身を置くための領地をいただきたく存じます」


「領地……だと?」


 ユリウスの声がひきつった。レティシアは静かに微笑む。


 そう。

 泣き寝入りなど、絶対にして差し上げるものですか。

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