第13話 使者と話をしました。
前回までのあらすじ
サービスお風呂回だと……よくも騙したなぁぁぁ!!
一方その頃、来客用の応接室では、王家の侍従長であるベルナール・オルドランが待っていた。
オルドラン子爵家の次男として生まれ、若い頃から王宮に仕えてきた男である。
爵位こそ継いでいないが、国王の側近くに侍る者として、宮廷内での発言力は決して小さくない。
もっとも、グランシエール公爵家からすれば、その立場は明らかに下だった。
グランシエール家は王家に次ぐ名門だ。いや、歴史だけを見れば、王家に取って代わっていてもおかしくなかった家である。
あえて王家の下に立つことを選び、王国の均衡を支えてきた巨大な柱。その家の令嬢を、王太子が公衆の面前で悪女と断じた。
ベルナールは、報告を受けた時の国王の沈黙を思い出す。
長い沈黙だった。怒りより先に、理解が追いつかない時のそれである。ベルナール自身も驚かなかったわけではないが、まったく想像できなかったわけでもなかった。
王太子ユリウスという人物を、彼は幼い頃から見てきた。
華やかで、見栄えがよく、場に立てば人目を引く。しかし物事を深く考える前に言葉を出す癖があり、自分の正しさを疑わず、周囲がそれに合わせることを当然と思っている節がある。
あの方なら、熟慮せずに言葉を放ってもおかしくはない。
自然とそう思えてしまったことが、ベルナールには苦かった。
やがて扉が開き、ジョルジュ・グランシエールが入ってきた。その後ろに、近衛騎士団副団長でもある長男のミシェル。そして執事長ロラン。
ベルナールは立ち上がり、深く一礼した。
「夜分に失礼いたします、グランシエール公爵閣下。このような時刻に参上いたしました非礼、まずはお詫び申し上げます」
謝罪。
ただし、それは夜更けの訪問に対するものでしかなく、今夜の事件そのものへの謝罪ではない。ベルナールは決してその線を越えようとしなかった。
「顔を上げられよ、侍従長殿」
ジョルジュの声は穏やかだった。しかし温度は低い。
「夜更けに王城から侍従長殿が来るとは、よほどのことと見える」
「はい」
ベルナールは顔を上げた。
「陛下は、今宵の件をすでにお聞き及びでございます」
ミシェルの眉がわずかに動く。しかし黙ったまま。
言いたいこともあるのだろうが、父に釘を刺されたことを辛うじて守っているらしい。
「娘は休ませた」
ジョルジュが先に言った。
「レティシアは疲れている。これ以上、王家の都合に付き合わせられない」
「当然でございます」
ベルナールは深く頭を下げた。
「レティシア様におかれましては、今宵はどうかお休みくださいますよう」
その言葉にも事件への謝罪は含まれていなかった。しかし気遣いは感じられる。
ジョルジュは短く頷いた。
「それで、陛下のご意向は」
「はい」
ベルナールは姿勢を正した。
「陛下は、王家として早急に事実関係を確認するとの仰せでございます。つきましては、近日中に王城にて正式な協議の場を設けたく。それまで王家よりの沙汰をお待ちいただきたい、と」
謝罪ではない。慰謝料の確約でもない。領地の譲渡でもない。
まずは、待て。
そういう内容だった。
ジョルジュは表情を変えない。
「王家としては、まだ娘の無実を認めるわけにはいかぬ、ということだな」
「恐れながら、正式な調査を経ずに結論を申し上げることはできません」
「当然だ」
ジョルジュは静かに言った。
「レティシア自身も、嫌疑が事実無根であった場合、と条件をつけている」
「はい」
「だが、王太子殿下が陛下の裁可なく、公衆の面前で婚約破棄を宣言された事実は消えん。証拠もなく娘を断罪したことも、だ」
ベルナールは頭を下げたまま、わずかに目を伏せた。
「陛下は、それらの件につきまして、極めて重大に受け止めておいでです」
「そうでなければ困る」
ミシェルが低く呟いた。
「ミシェル」
ジョルジュの声が飛ぶ。ミシェルは口を閉じた。
ベルナールは何も言わず、ただ一礼する。
「また、聖女候補ミシュリーヌ・ポアレ様が関わっていることについても、神殿との確認が必要であると」
「神殿も黙ってはいまい」
ジョルジュの声は冷静だった。
「聖女候補を私的な婚約破棄の場に立たせたのだ。王家、公爵家、神殿。三方に関わる問題になった」
ベルナールは、再び深く頭を下げた。
「陛下には、閣下のお言葉を余さずお伝えいたします」
「そうしていただこう」
ジョルジュはそこで一度言葉を切った。
「陛下がこの件を軽んじておられぬことは分かった。正式な調査と協議の場を待つ」
「感謝いたします」
「しかし、こちらもグランシエール公爵家として必要な確認と準備を進める。それを止める権利は、王家にもない」
「承知しております」
「衆人環視の中で娘の名誉は傷つけられた。調査の結果、嫌疑が事実無根であると明らかになったなら、王家には相応の形を示していただく」
「しかと、陛下にお伝えいたします」
ベルナールは一層深く頭を下げた。
用件は、それで終わりだった。
夜も遅い。正式な協議の場でもない。ここで余計な言質を増やすべきではないことを、ベルナールもジョルジュも理解していた。
政治の場では喋りすぎる者から沈んでいく。今夜すでに一人、沈みかけている者がいる。教訓としてはそれで十分だった。
「夜分に失礼いたしました」
ベルナールは最後にもう一度、丁寧に礼をした。
「うむ」
ジョルジュの返事は短かった。
ベルナールはロランに案内され、来客用の応接室を後にする。屋敷の外へ戻る廊下を歩きながら、彼は窓の外の夜空をちらりと見た。
王城へ戻れば、まだ報告が待っている。国王も今夜は眠れないだろう。もちろん自分もだ。
王家の侍従長とは、華やかな宮廷の裏で、こういう役を引き受ける仕事でもあった。
ベルナールが去った後、ジョルジュたちは家族用の応接室へ戻った。そこには、すでに湯浴みを終えたレティシアがいた。
飾り気のない淡い色の室内用ドレスに着替え、髪も簡単にまとめ直している。手には紅茶のカップ。姿勢は正しいが、顔には疲れが滲んでいた。
レティシアは戻ってきた父と兄の顔を見る。父は相変わらず感情の伺えない表情で、兄は一目で分かる仏頂面をぶら下げていた。
〈パパ上戻ってきた〉
〈何話した?〉
〈入浴シーンカットされた……〉
〈金払うから規制解除しろ〉
〈全年齢対象だからむり〉
〈うんこ〉
当然だ。そこを通したら、この作品はいったいどこへ向かっているのかと問いたくなる。
「レティシア、まだ起きていたのか。我々を待たずに、休んでよかったのだが」
「はい。けれど、どうにも眠れなくて。感情が高ぶっているせいかもしれません」
言いながらレティシアは思う。
休めと言われて休めるなら、前世の私はもっと長生きしていた。まずは骨の髄まで染み込んだ社畜根性を改めるべきだろう。
――いや、そもそもそういう問題でもないのかもしれないが。
「王城からの用件は、正式な謝罪ではなかった」
席に戻りながら、ジョルジュが言った。
「事実確認と協議の場を設けるので、それまで王家の沙汰を待ってほしい、というものだ」
「はい」
「今宵の件は、すでに陛下の耳に入っている。数日中には王城から正式な呼び出しがあるだろう」
数日中。
その言葉に、レティシアはカップを持つ指にわずかに力を込めた。
王城へ行く。国王の前で今夜の件について話す。王太子ユリウスとも、また顔を合わせることになるだろう。
できれば、もうしばらくは顔を見たくなかった。無駄に顔だけはいいので、余計に腹が立つ。美形とは、ときに罪深いものである。中身が伴わなければ、なおさら。
「嫌疑の真偽が明らかにならぬうちは、王家も謝罪できまい」
ジョルジュは続けた。
「しかし、王太子殿下が陛下の裁可なく婚約破棄を宣言した事実は消えん。そこは王家も重大視しているようだ」
「……承知いたしました」
「それまでは休みなさい」
父の声が、少しだけ柔らかくなる。
「今は体を休めることだ。これから先、嫌でも忙しくなるからな」
嫌でも忙しくなる。
なんという不吉な言葉だろう。前世で聞いた「来週から少し立て込みます」に近い。そしてその「少し」は、たいてい「少し」ではないのを知っている。
「そうよ、レティシア」
シモンヌも頷く。
「明日くらいは、何も考えずに眠りなさい」
何も考えずに眠る。
なんと甘美な響きだろう。前世の自分なら、その言葉だけで涙を流して拝んでいたかもしれない。
ただし数日後には王城での事情聴取が待っている。例えるなら、有給休暇の直後に緊急会議が入っているようなものだ。休める気がしない。
でも、休まなければ戦えない。前世の私が、それを身をもって証明している。
レティシアは静かにカップを置いた。
「はい。今夜は休ませていただきます」
そう言って立ち上がる。
今日一日で本当にたくさんのことがあった。普通のゲームなら、これで一章分はあるだろう。
それでも、まだ始まったばかりだ。気を抜いてはいられない。
視界の端を、白い文字が流れていく。
〈おやすみレティシア様〉
〈今日は寝ろ〉
〈明日から第二ラウンド〉
〈王太子、震えて眠れ〉
〈明日はカレーライス。中辛〉
……カレー。
最後の最後で、なぜそれを言うのか。ビールといい、カレーといい、お前たちいい加減にしろ。
レティシアは小さく息を吐いた。
第二ラウンドも、王太子も、慰謝料も、領地も、前世の未払い残業代も、そしてカレーも、今だけは忘れる。
まずは眠ろう。戦うにしても、交渉するにしても、睡眠不足では話にならない。
そう決めたレティシアは、母とアリスに付き添われて応接間を後にした。
……あぁ、ビール飲みたい。




